2017年07月17日

on 美容院。

愛と哀しみの、美容院。結論。

昨日、当地は土砂降りの雨に見舞われ、今日は暑さすら感じません、2号です。
それゆえ、イロイロ物議を醸したわたくしの髪の毛も、今日はばっさりと無造作に下ろされたまま。週間予報では、1週間先の予想最高気温が20℃行かないなど。もうちょっと夏がほしいけどなぁ。。。

そんなわけで、前回の続きです。

美容院について、わたくしの開いた「悟り」。
これを最初に言語化したのは、忘れもしないーーー私の窮状を見かねたダーリンが、世の中には美容と理容と両方できる人がいて、そういう人の方が余計なチャラチャラをはさまずに(?)真面目に忠実にこちらの希望の実現に邁進してくれるのではないか、と、そういう(お年を召した経験豊富そうな)人を紹介してくれて、行って帰って来た日のこと。

その日、理容院の椅子で私が倒されている間に、ダーリンから血相変えたようなメールが届いていたよね。
「どこに行った?」「何があった?」
電話も数回着信していた。

なにしろ、 な・な・じ・か・ん  かかったからね。

14時〜21時。7時間ですよ。

その、お店貸し切り状態の7時間の間、理容院の椅子の上の私の中で、これまで漠然と渦巻いていたモノが言語化して行って、悟りとして静かに結実することとなったのでした。

その日はすごい吹雪で、悟りを開いた私は、股下くらいまで積もった駐車場の雪を踏み分けて、半分くらい埋まっていた車にたどり着き、ほとんど手だけで雪をかき分けて何とかドアを開けて乗り込み、ダーリンのメールに気づいても返信するより先にとにかくここを脱出することだけを最優先に、分厚い新雪の中、何度も車をミシミシギシギシと前進後退させてムリヤリ道路にギュィンと弾け出て、やっと家にたどり着いた。

そして、玄関で待ち構えていたダーリンに語られたわたくしの悟り、静かに開いたはずなのに、しゃべり出したらどんどんボルテージが上がって、あふれてあふれて止まらなくなったのだった。。。

というわけで、その時のボルテージを極限まで下げて、わたくしの悟りをメモっておきます。

注)例外的なお店もあるだろうし、この上なく相性のいい美容師さんと苦もなく出会える人もいる、ということをわかったうえでです。

・美容院とは、何もしなくてももともと素材がいい人が、もっときれいになるために行く所。
・多少の好みの違いはあるかもしれないけど、そういう人はたいていどこの美容院に行ってもそれなりに満足いく仕上がりになる。なぜなら、そういう人を基準にしたカットやパーマのやり方(のみ)を美容学校で教えているから?
・そう、美容師さんは、学校で習って来たことを忠実にやっているだけ。そういう意味では、彼らに罪はない。ただ、素材に合わせて臨機応変にやり方を調整する技量、つまり、この人にはこうした方が似合うとか、この人の欠点はこうで、こうやったらカバーできて、ちょっとはきれいになれるとか見抜いて、それをちゃんと実践できる一歩上の技術や経験のある人にしかうまく扱えないという素材(お客)がいて、そういう美容師さんは少ないのかもしれない。(あるいは、経験を経験として積み上げて腕を上げて行くセンスが足りない?)。
・美容学校では、いろんな頭の形とか顔型とかに合わせて練習するということをしていないのではないか。かわいい小顔の人形やモデルばかり扱っているのでは?私は実情を知らないで言ってますが、これまでの恐ろしくたくさんの経験から、そう思っている。髪質については多少勉強してるのかなってわかるんだけど、それ以外は。

・美容師さんの最大のネックは、施術が終わって帰したお客の「その後」を知ることができないこと。最後にどんなに念入りにセットしてくれて、さあ、どうだ!!となっても、帰り道に外気や風や時には雨にさらされたとたんにその形は消え去り、家に帰ればまったく別物と化しており、よっぽど女子力高くない限りは、後日、素人がシャンプーしてそのあと何かしようとも、再現できない。美容師さんは、そういう顛末を見ることはほとんどなく、こういうお客の不満も知らない人が多いと思われる。でないと、何度行っても、意に添わない形にされることの説明がつかない。
・実を言うと、ふつうの女子でこの最後の(斬新で)念入りなセットに不満のある人はけっこういて、みんな「ふつうにそれなりにすてき」を求めているんだけど、この「ふつうにすてき」が難しいらしい。
ヘアカタログには、念入りに整えられた髪型がいっぱい載っていて、なるほど素敵に見えるけど、たぶんそれはその場だけ形をキープできれば済む雑誌撮影だけのもの。現実の生活ではふつうの人にはできないし、やってもスプレーでガチガチにしないと保てない?

・新しい技術、新しい流行があればそれを取り入れようとするのは、美容業界だって例外じゃない。洋服は、自分で買う時にそれを選ばないことができるけど、美容院ではちゃんと断らないと、結果、似合わないことになろうとも、よかれと思って新しいことを施され(がちにな)る。こっちも、いつも古いスタイルをお願いするのは、美容師さんにとってやりがいがなく、イヤがられるのではという遠慮があったり、飽きて来たから前と変えたいと自ら思うことがあったりして、そういう時に「じゃあ、今日は任せます」ってなる。その結果が、たまたま自分に似合わない、というケースが生じるのであり、やってみなくてはわからない、やっちゃったらカンタンには取り消せないという、美容業界の特殊な事情をよく理解しておくべし。
私の場合は、ほとんどがそのパターンに陥るので(つまり、何でも似合う素材じゃないってこと)、これまで不満しかなかっただけのこと。

・美容師さんは、しょせん他人。しょっちゅう会うわけでもない、お店に来てる時の様子しか知らないお客を、本気で絶対的にきれいにしてあげよう、って、思ってはいるだろうけど、たぶんかなり限界がある。遠い他人だから、その人の「一番いい」レベルを知らないし、仕上がりが一番よくなってなくても、正直、どうでもいい?よね?、店でたまに会うだけの人だし。でも、お客本人は自分を知り尽くしてるから、不満が出てしまう。明らかに自分としては全然よくないと思ってる仕上がりなのに、鏡を見せて「すてきになりましたよ」と美容師さんが自信満々に言うってことは、「あなたはこの程度で精一杯です」と思われてるか、その人の一番いい時を知らないから、本当にその程度がそのお客なりの十分「すてき」だと思ってるのかもしれない。この溝は埋まりようがない。
・こんな”他人”の「一番いい」イメージを初見で見抜く目と実現する技量を持った美容師さんもいるのだろうけど、残念ながら(一瞬だけしか)会ったことはない。


つまり。
最初から過度に期待してはいけない、今までの不満な結果は起こるべくして起こっている当たり前のことで、怒る方がおかしいんだ、そういうもんだと諦めて受け入れるしかないんだな、と。
むしろ、美容院向きの素材(?)じゃないこっちが悪い。
百歩譲っても、美容師さんのやる気や実力を引き出すような、魅力的な素材じゃないってこと。

もっと言えば、美容師さんをはじめとする、自分以外の他人の方々は、私が髪型によって自分で思う一番いい状態になっていないとしても、まったく気にしてません。気にしてるのは、自分だけ。。。
(こう言うと、ミもフタもないんですけど)

これまで美容院への気持ちは不満と怒りと哀しみでいっぱいだったけど、こうして冷静な文字列にしてみると、世の中にどうしようもなく存在する現実の一つ(不公平?格差?みたいな?)でしかないのかもしれない、という気になって来る。
そうわかったうえでお金を払うのか、わかるから払わない道を選ぶのか、なのだ。(なんか、選挙みたいだ)

あとは、残念だけど、最低限の自衛策として、パーマをかけなければいいのです(※1)。そうすれば、致命的なことにはならず、多少のことは自分で直せる。
傷を負うなら、小さく、です。

あ、だったら、やっぱり行く必要ないのか、美容院。。。(2号)

※1
パーマって、最初は多少キツ過ぎるくらいにかかってないと一定期間もたない。最初からいい感じだと、すぐに取れてしまう。そういうものらしい。
何もしなくてもいつも同じ髪型がラクに作れる状態を長くキープしたいがゆえに多少キツめにかけるパーマが、仕上がりの残念さの元凶なのかもしれない。確かに、最初はヘンなパーマも、1カ月後くらいに馴染んでいい感じになる場合が、ないこともない。
常にパーマヘアが素敵になってる人は、すぐに取れてもいいくらいのパーマを(髪のダメージが許す限り)常にかけ続けてるか、その場限りのカールを施してる人なのでしょう。
そもそも1回のパーマを長く持たせて、手間とお金をラクにケチりたいという虫のよさは、女子力の高さの対極にあるもので、そういう貧乏根性の持ち主が美容を語るな、ってことなんだな。。。

posted by 2号 at 14:46| 北海道 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 実録・事件簿または頭に来た! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月15日

on 美容院。

愛と哀しみの、美容院。リターンズ。

相変わらず、髪を上に上げている2号です。表現、ボカシました。
今日は、当地が全国で一番高い気温だったらしいです。でも、羽田経由で埼玉の実家に向かったダーリンのTwitterによると、あっちに着いても「ちょっとはマシ」と思えないとつぶやいて、否、ぼやいている。やっぱり、湿度が違うんだと思います。今、室温30℃あるけど、湿度ギリギリ50%ないくらいだし、昼間も60%くらいだったはず。外は知らんけど。

というわけで、一人ぽちの夏の夜。
髪の話が出てるので、久しぶりの愛と哀しみシリーズ復活してみました。
これも、前々からメモっておかなければと思っていたので。

美容院についてのアレコレ(主に不満)は、以前もここに書いた。
最後の記事はこれだろうか。
http://miha27kininaruki.seesaa.net/article/131617122.html
ここにそれ以前の記事のリンクも貼ってるんだけど、美容院に対してはそれだけイロイロあるってことの証左だね。

さておき。
その後も、知り合いに紹介してもらった別の所に行ったりしていたんだった。紹介者(男)はデザイナーで、しょっちゅう(床屋じゃなくて)美容院に行ってるらしく、スタイリストの知り合いもいるし、きっといい所知ってるだろうって思って教えてもらった。
で、まあ最初は、これまでの経験からまったく期待せずに行ったので、あまりに腰の低いいい人だっていう、主に人物面に好感を抱いたのと、仕上がりも、もちろんすばらしくよくはなかったけど、まだそれ以前よりはマシだと思えたってことで、そんな低レベルの基準とはいえ数度通うくらいには”及第点”だったのでした。
が、しかし、2回目、3回目と少しずつ、前回の改善点を織り交ぜて希望を伝えるようになってから、狂い始めたんだな。っていうか、実は、その美容師さん、「まったく話が通じてない!?」と思わざるを得ない人だったのだ。
前を長めにって言っても、前が短くなっている。髪色を明るくって言ったのに、施術前より暗くなっている。極めつけは、導入したばかりだというマッサージをやられてる時に、あまりに痛いので「もうそのくらいで」とお願いしたのに、私の頭皮がナンチャラで、もっとやらないとダメです!って、よかれと思ってだろうけど、やめてくれなくて、痛くて痛くて、そこで私の中で何かがブチッと切れ、それから行くのやめた。否、それから何年も美容院自体に行かなくなった。

だって、やってられないもん。
こんな思いして、毎回2万近く払わされるなんて!!!

そうだ、あの地獄のマッサージの数日あと、カッパのお皿型の頭皮がベロッと剥けたんだよ!?

えっ!?それが狙いだったの!?

まさか。違うよね。。。

もう美容院、美容師は信用できない。
もともと髪は自分で切っていたし、パーマだけはできないけど、カラーも市販ので何とかしのいで生きて行こう。

こうして月日は流れ流れて。
ノド元過ぎれば…って言うけど、なかなか過ぎなかったよね。

5年はかかったかな。
いや、それでもまだノドにしっかりあったけど、「必要性」が生じて、ついに再戦の時が。

あれから、業界全体の技術も進歩してるかもしれない。
新しい薬剤とかあるかもしれない。
流行ややり方や考え方が変わってるかもしれない。
意外に、都会のプライド(←私の想像から来るイメージ)のない美容師の方がいいってこともあるかもしれない。

なんやかんやと自分に言い聞かせて、しかたなく、再び、美容院の扉を叩いたわけです。

で、結果、今まででも3本の指に入るひどさでしたわ。。。

しかも、そのせいで、わたくしの新婚旅行のテンションが大幅にダウンして、せっかくの一大イベントが残念な思い出としても刻まれてしまうという、最悪の事態を招くことに。。。

そもそも指が3本では足りない。いや、指は10本あるだろって言うだろうけど、3本に入れたいくらいトップレベルのひどい悪夢がたくさんあり過ぎる。
この5年ぶりくらいの美容院では、まず、なるほど以前行ってたころには聞いたことなかったデジタルパーマなるものをあてられたんだけど、それで頭頂部に明らかなヤケドを負いました。
そして、出来上がったアタマは、ラーメン大好き小池さんもビックリな、ちりっちりのヘア。
あれから1年半経つけど、もう元には戻らないだろうね。あのダメージを回復させるには、わたくしの頭皮の若さがちょっと足りないらしく、あとから伸びた部分もなんだかチリチリパサパサの余韻のある髪なんですのよ。

もう今さら驚かないと言えば確かに驚きはしない。
ヤケドは論外として、この時の経験から、わたくし、ついに悟りを開きました。続く。(2号)

posted by 2号 at 21:43| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 実録・事件簿または頭に来た! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月13日

on 髪型

馬と豚のちがい。

お暑ぅございます、2号です。ついでに、お久しぶりでございます。
1年ちょっと前に某英語圏出身の知り合いができたのだけど、この人と話してると、いろいろとおもしろいことがあるので、ダーリンの記録に加え、こっちもここに書いておこうと思います。
つきましては、この言い方がいいかはわからないけど、そのために新カテゴリを追加しました。彼の考え方とか、身につけてる習慣とか、言動活動などをとおして、私も一瞬、新鮮だったりびっくりしたりするような見地に立って(外国モードに入って)モノを見たり考えたりさせられることが多々あるので、そういう意味を込めてみました。

で、さっそくだけど、昨日、彼はやって来た。
名前は、仮に「Bさん」ということにしておく。
昨日の第一声は、「おぉ、ピッグテイルしてるの初めて見たよ」だった。

え?ぶたのしっぽ!?
って思ったけど、まあ、髪をツインテールにしてることを言ってるんだろうって理解はできた。
それにしても、なんで「豚のしっぽ」って言うの?
彼にも、由来はわからないらしかった。でも、一つに束ねた髪は、日本語でもおなじみの「ポニーテール」と呼ぶとのこと。
馬も豚も同じくしっぽは1本しかないのに、2つに分けて束ねた場合だけピッグテイルになっちゃうのはヘンだよね…ってことになり、この二つの生き物のしっぽの形状を思い浮かべながら、その名前の呼び分けは髪の長さとは関係ないの?と訊くと、関係ない、と。

短い髪でも1本結びならポニーだし、長くても2本だとピッグ。
これまで一度も考えたことがないというその理由を、彼はスマホでチャチャッと検索し始めた。

その検索結果によると、そもそも「ピッグテイル」ってのは、乾燥しやすいようにねじって束ねてある「たばこの葉」を表すのに使われていた言葉だったっていうのが大前提にあって、この髪型の毛束がそのたばこの葉に似てるからということらしい。ある時ある人が見た”髪を二つに束ねたヘアスタイル”が、たまたま「たばこの葉をねじった束」にあまりにも似ていたのでしょう。で、そう言い始めて、ついにはその呼び名が定着したってことなのではないか。

A(豚のしっぽ)≒ B(ねじったたばこの葉の束)≒ C(髪を二つに束ねた髪型)
ただし、Aは必ずしもCと似てるとは限らない、っていう図式がよくあるけど、この場合もそれだね。

しかしながら、昨日の私の結んだ毛束は、若干、豚のしっぽに似ていると言えなくもなかった。

ダーリンが帰って来た時に、いつものようにこの話をしたら(Bさんと話した内容を、私はよく夫に教える)、ダーリンはくりんとカールした私の毛束を見て言ったよね。

「でもさ、実は、豚のしっぽって必ずしもカールしてないんだよね」

えっ!?そこ!?そっちなの!?

まったく、うちのダーリンは油断できない。

というわけで、わたくし、こっそり「豚のしっぽ」で画像検索してみました。
結果、圧倒的にカールしてるのが多いですね。たまーに、まっすぐっぽいのもあるようだけど。
まあでも、ダーリンは職業柄、例外や少数派を大事に考えるところがあり、それはダーリンの仕事においてはとてもいいことなので、よしとして。。。
それより、食用に売られてるらしい豚のしっぽたちの画像まで見てしまって、ちょっとゾッとしましたわ。

話を戻して、その後Bさんから「日本ではその髪型はなんて言うの?」って不意を突かれて、「あぁっと…何だっけ!?確か、最近何とかって言い方をよくしてるようだけど…」と、ど忘れ中の私を見て、またチャチャッと検索したBさん、「おぅ、ツインテール?」「そうそう、それ!」と私。

「うん、これいいね。ピッグテイルよりマッチベターだ。英語ではこう言わないけど、わかるよ」

とのことです。和製英語なんだね。

そして、「キミのおかげで勉強になったよ。ありがとう」と付け加えることを忘れない。
いつものように、礼儀正しい(?)Bさんなのであった。(2号)

posted by 2号 at 14:00| 北海道 ☔| Comment(8) | TrackBack(0) | 外国モード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月13日

on 運転道。

熟達への道のり。

この前の記憶が、じっとりといやらし〜く肌に張り付いていて、あまり気分はよくない2号です。
車の話題を、おそらく初めて書いたので、ついでに、乗り始めてから今日まで何となく思っていることを書きたいと思います。

乗り始めた時に一番イヤだったのは、もうこれは満場一致で「車線変更」ですな。

そもそも、諸事情からあえて田舎の自動車学校を選んだわたくし、教習でまともにリアル「車線変更」を練習する機会はほとんどなし。なにせ、教習コースは9割方1車線の田舎道だったもんで。
だから、免許を頂戴して、まず自分の住んでる界隈の道路を走るにあたってすごい驚いたのが、この「車線変更」の難しさ。というか、こわさなのであった。。。

もうね、なにこれっっ!?モンだったよね。

一応、「進路変更」だったか、そういうのがこれに近い練習だったのかなと思うけど、バックミラー、サイドミラー、振り返って目視の3点確認して、後ろに車いたこと1回もないから。
でも、実際の道路ではたいてい後ろに車いるから、自分が車線を変更しようとしたタイミングですんなり行けることがほとんどない。下手すると、モタモタ躊躇してるうちに変更が間に合わなくなって、パニクってる間に何ブロックも遠くに行ってしまって、人知れず車内で涙したこともあったね。最初うちの車にはナビがついてなかったから、ここはどこ??私は誰!?くらい動揺も激しかったので。。。
(その後、ダーリンがナビを買ってくれた)

次にイヤだったのは、やっぱり「右折」なんだけど、これは思ったよりすぐに慣れた。向かいの右折車で直進車が見えなくて、迷い迷い発進してヒヤッとしたことが2回くらいあるけど、幸い、ヒヤで済んだ。

最初のうちは、こうやって何か経験するたびに、そのシチュエーションを頭に叩き込んで、2度と同じことがないように肝に銘じ、自分なりの「最重点注意事項リスト」を作って、それを常に念頭において運転してた。

「こういう場合はどうしたらいいのかな?」って、結局よくわからないままにやり過ごしてしまった、ということも多々ある。そういう時は、あとからダーリンに状況を説明して回答を求めていたんだけど、教えを乞う回数がけっこう多くて、ダーリンは「またか」ってウンザリしていたのではないかと思う。「状況」が口だけの説明ではよくわからないってこともあるらしく。

ちなみに、この前久々に「最重点注意事項リスト」に新たに加わった事例があって、それはサイドミラーの死角に入ってる車に注意ってことだ(細かい状況説明は省きます)。
もちろん教習ではそのへんのことを習うんだけど、たまたまそれまでその手のヒヤッとする場面に遭ったことがなくて、注意が不十分になっていたのだと思う。

話戻って、イヤな(=難しいだろうと思っていた)ことの3番目以降も「夜間運転」とか「高速運転」とか「冬道運転」とかいろいろあった。
車線変更と右折は運転する限り常にあるので、いつまでもイヤだと言ってるわけにもいかず、積極的に運転する機会を作って慣れていったのだけど、3番目以降のことはその時にしかできないことなので、慣れるのにも時間がかかるだろうと思って、桃栗三年柿八年式に「夜間半年、冬道1年、高速2年」と思っていた。

今現在、条件のいい夜間と高速は、そこそこクリア(なはず)。
特に高速は、信号も歩行者もなく、運転そのものに集中できるので、思った以上に早めに慣れた。
それでもまだイヤだと思うのは悪天候の夜間、知らない道の夜間と、悪天候の高速と夜間の高速。最強にイヤなのは、もちろん悪天候で夜間の高速、となる。
あと、冬に知らない道に行くと、道路の線が積雪で全然見えないところがよくあって、それはイヤだ。困る。
初めての冬は、一通と勘違いして対向車線で右折の信号待ちしてたことがあったな。(左折して来た車がギョッとしていた)。

一方、運転してるんだからそれなりにできてはいることでありながら、運転するたびに「奥の深さ」を常に感じ、本当に熟達するには意外に時間がかかるんだろうなって思うことがあって、それがイロハのイとも言える「ブレーキ」と「アクセル」なんだな。
イロハが3つあるとすると、ここに「ハンドル」を加えてもいいんだけど、これは意識すればうまくできるので(逆に、常に絶妙にハンドルを切ろうとはしてない!?)、あえて入れない。

で、ブレーキとアクセル。中でも、「アクセル」だな。

一番は、発進の時のうまい踏み方がまだ習得できてないと思っている。夏でもそうだけど、凍った冬道はなおさら。
続いて、発進したあとの加速や、走行中の加減。

ブレーキは、このわたくしのしみったれた貧乏根性が災いしていて、せっかくガソリンを使って走って来たのに、それを止めるっていうのがもったいなく感じて、一定限度まで踏まなかったりする。
そして、これにもアクセルが絡んでいて、赤になる信号までの効率的なスピードの維持のしかたというか配分というか、そういうのができてないのかな、と。
時々、自分の前の車が、惰性を使いながら上手にギリギリまでブレーキなしで走ってるのを見ると、「うまいなぁ」って思う。

ブレーキとアクセルは、さっき言った冬道と高速にも絡んでくる。
ただ単に冬道を運転するとか高速で車を運転するとかいうことはいいとしても、凍った道での発進とブレーキとか、高速道路で知らぬ間に踏み込み過ぎていたとか、そういう部分で。

というわけで、若葉も取れた(まだつけてるけど)今、熟練の域への道のりは「夜間数カ月、高速半年、冬道1年、ブレーキ3年、アクセル5年」くらいな感じかなと思っておる。
つまり、ブレーキとアクセルは未だ修業の身、と、日々鍛錬に励んでいるのである。(2号)

※あと別の視点で言うと、高速道路で周りの車に惑わされない「強さ」を身につけること!

posted by 2号 at 13:39| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・雑記・雑感・よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月11日

on 運転。

粛々と受けて立つ。

お久しぶりの2号です。皆様、お元気ですか?

春。親の介護にまた車で行き来する季節となりました。
あ、その前に、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

で、先日、半年ぶりくらいに、高速を走っていた時のこと。

途中から、前にとっても遅い車が合流して来た。
下手すると60キロになってる時もある(制限速度より10〜20キロ遅)。全体の3分の2以上の行程をこなしたあたりで気づくと、ナビの到着時間もけっこう後ろにズレて来ていた。

そんなんだから、当然、後ろに別の車が追いついて来る。

それは、ハイ○ース的な(名前は知らない)、何らかの業者の皆さんがよく仕事道具と大勢のスタッフを乗せて走ってるようなヤツ。
こういう大きめの車はあまりスピード出さないと思いきや、仕事先へ向かうにしても帰るにしても、意外と飛ばしていることが多いということは、まだ浅い経験しかないわたくしでもわかっていた。
わたくしの車の後ろにいやらしいくらいピッタリとついて来てる(このシチュエーションが私は大嫌い)ことからしても、前のノロノロくんに、さぞやイライラしていることでしょう。

しばらく3台で走っていると、ある出口でノロノロくんが出て行った。
いつもなるべく(常識的な範囲で)安全運転につとめているわたくし2号なのであるが、そこで、後ろにピッタリついてる業者の皆さんがとてもイライラしていて、ノロノロくんが出て行ったのを見て、このわたくしに「行け〜行け〜」とプレッシャーをかけていると思い込んだのでした。

ちょっとアクセル踏んでみる。
ピッタリ合わせてついて来る。
さらに踏んでみる。
ピッタリピッタリ合わせて来る。

やっぱり早く行きたいか帰りたいのね。

わたくしの中に、「業者の皆さんの期待にこたえねば」という気持ちが芽生えた。
つまり、後ろの車の意向を「忖度」してしまったのだった。

本当にちょっとの間だけ、速度を上げてあげた。

すると、すぐにPAがあった。
次の瞬間。
「え?アレ(←名前を言ってはいけないシロモノ)も休憩するのね!?」

駐車場に、アレの姿を見つけたわたくし、バックミラーに向かって「一応減速するわよ」と心の中で合図を送り、ブレーキを踏もうとしたら、ミラーの中に業者の皆さんの姿がない!?

どうやら、私がアレに気を取られてる間に、PAに入ったらしかった。

肩すかしを食らった気分でもたついるうちに、そのままPAを通り過ぎることに。

すると、あら、同じタイミングでアレが本線に出て来た。

え?えぇ!?

なんか知らんが、すごいスピードで追いついて来るじゃあ、あーりまへんか。。。

赤いのクルクル回ってるようだし、何か言ってるようだし。

まさか、このわたくしを!?

。。。

「だいぶ、お急ぎでしたか〜?」

急いでたのは私じゃないし。。。

アレの後部座席で、慇懃無礼な、否、バカていねいなやり取りを能面のようになっておとなしくやり過ごしているわたくしの頭の中でグルグルしているのは、業者の皆さんの意向(←勝手な妄想)を忖度し過ぎて、このわたくしが…という思い。

自分から好んで速く走ったことがない、このわたくしが、よりによって。。。
もぉ〜っ、なんでっっ!?

→その日その時、たまたま数字が出てたからなんだけど。
その事実の前に、潔く受けて立ったけど。
心の奥底に、釈然としない気持ちがあることは否めない。。。

私がよく使っている高速は環境が恵まれてない(?)ので、2車線区間はところどころにしかなく、それでいて、なのか、そのせいで、なのか知らないけど、制限速度もみんなが走りたがっている(=実際走っている)速度より20〜30キロ遅く設定されている。取りたてのころは高速運転で精一杯で、むしろそれがありがたくもあったんだけど、速度遵守だと長ーい大名行列を引きつれてしまうことになって、それはそれでとてもイヤだった。そもそも気が弱いので。
多少慣れて来て、微妙にちょうどいい加減を覚えてからも、やっぱりピッタリつかれると本当にこわいと感じてしまう。っていうか、後ろの車の運転席に座っているその相手のことを思い浮かべると、あまりに気持ち悪くて、本当にイヤだ。何を考えてそうしてるのか?って。まあ、たいていは急ぎたいから早く行けってあおってるんだろうなって思うけど。
そんな感じで、いつも周りの車の意向に思いを巡らして運転してる。

んなもんで、追い越し車線が来ると、私の場合は、抜けるからじゃなくて、抜いてもらえるからうれしいのだよ。意向をわかってもらえる程度に減速して抜かせて、一人になるとホッとするんだけど、しばらくするとまた後ろが追いついて来るから(つまり、速度的には違反してる車)、なかなか平穏な気持ちで好きなように運転できる時間はない。
ダーリンが、周りなんて気にしなくていいんだよって言ってくれる時もあるけど、わたくし、そういうところは本当に気が弱いもんで。。。


話戻って…
慇懃無礼な、否、バカていねいなやり取りの中で言われた言葉。
「後ろの車をぐんぐん引き離してましたね」

そりゃ、そうだろう。
相手はPAに入るのに減速してるんだから、そちらから見たら、そう見えたでしょうよ。

「これで、ちょっとゴールドが伸びますけど」
要らんこと言わんでえぇわ。。。

とにかく、もう誰もゼッタイに、このわたくしの車の後ろにピッタリくっつかないでいただきたい。(2号)

※ただし、前出のノロノロくんは、さすがにわたくしも追い越し車線に来たら抜いていたとは、思う。。。
(つまり、遅い車を周りの車がどう思うのかを自分も多少理解できるということなのである)

posted by 2号 at 17:47| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 実録・事件簿または頭に来た! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月10日

on 新年あいさつ

あけましておめでとうございます

今年も順調な遅ればせぶりの、2号です。
お久しぶりです。

はたと思い立っての更新、実は、私がブログをはじめたきっかけからすると、このタイミングでの更新は必然と言える。

私にブログをやるように勧めてくれた人が、今週亡くなりました。
人の一生とはかくもはかなく、あっけなく幕を閉じることがあるのだ、ということを、こんなにも心から痛感することは、そうそうありません。
心からお悔やみ申し上げるとともに、ご冥福をお祈りいたします。

思えば、昨年11月には義父が亡くなり、聞けば、数週間前にも知人のだんな様が亡くなったと。
年賀欠礼のはがきも年々ビミョーに多くなり、訃報に接する機会も増え、トシを取るとはこういうことかと思わずにはいられません。

だから、ますます体は大事にしないとね、って、ダーリンにもまた念押ししました。
ダーリンは、自分は60までしか生きないだろうって思っていたらしく、全然節制しない生活をして来たと言っているので、まあ当然の結果としてか、3セット(血圧、血糖、中性脂肪)全部の薬を飲んでいる状態なわけなんだけど、60なんて、そうは問屋が、イヤ、私が卸さないからねって言ってる。長生きしてもらうためなら、なんでもしたいと思っています。

そして、体はもちろんだけど、時間も大切にして、1日1日を充実して二人で生きて行けたらいいな、と。

そんなことを思いながら、あらためて、大変大変お世話になった故人のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。。。(2号)

※今ごろ天国で、最愛の奥様に会ってるんですね。
posted by 2号 at 19:51| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・雑記・雑感・よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月29日

on 在庫

ストック病?

明日の朝食べる用のヨーグルトがうっかり切れてしまったのだが、買いには行かない…2号です。
だって、不用意に買い物に行くと予定外のものも買ってしまったりして、ムダな出費がかさむじゃないですか。だから、買い物行くって決めてる時にしか行かないようにしてます。だから、明日はヨーグルトはなしだ。

っていうのはまだいい方なんだけど、うちのダーリンから「そのチャレンジの意味がわからない」と理解されないのが、「なきゃないで間に合わせる」ことの快感。
たとえば、トイレットペーパーのストックが残り5ロールくらいになると、すごくソワソワするのがうちのダーリン。私は、もちろん買い物のタイミングと合えば、残り2、3ロールあっても買い足すけど、基本的には残り1ロールとなっても「まだあるから大丈夫」と思えるタイプ。しかも、万一、買いに行けないうちに切らしてしまっても、いざとなったらコンビニで当座の分は買える、とか、水に流せるポケットティッシュがあるからいいやなどと思える。
さすがに、今は二人暮らしなので、これまでのところそこまでの緊急事態に陥らせてはいないけど、一人暮らしの時なぞは、会社からの帰りが遅くて疲れててスーパーに寄るのが面倒で、なんとか急場をしのいだということが何度かあって、その実績を引っさげての、このサバイバル体質となっておる。そして、間に合わせでしのげたことに、ちょっとした快感も感じてしまったりしたもんだから、在庫が逼迫してもほとんど動じないのである。

というわけで、同居してしばらく経った時に、「ストックがなくなって来たら、さあ〜どこまで買わずに耐えられるかな!?っていうのがあって、それでもし、なくなっちゃっても、あ、こうすればしのげるとか思いついた時って、けっこう快感だよね」ってふつうに言ったことがあったのだけど、ダーリンはギョッとして「なに、それ。耐える必要があるの?なんでそんなチャレンジするのか、意味がわからない」って言ったよね。

「え、何かがない時にほかのもので工夫して代用したり、あ、こういう時こそこれが使えるとか、とんでもないものを思いついたりするの、楽しくない?」
って言ったら、コトによる、って言ってた。

でもたぶん、違う。
過去、何番目かに勤めた会社の同僚に同じような人がいて、その人が自分はストック病だ、どんなに何個もダブろうとも、棚にぎっしりとストックがつまっていないと不安で不安でしょうがないって言っていた。そこまで神経症的ではないにしても、うちのダーリンは思いついたらとりあえず買っておく、という人。もっと言うと、何かが「ない!」っていう事態がイヤなんだろう。だからきっと、「コトによっては『間に合わせることの快感』」なんて、全然求めていない。

なにせ、同居のためにダーリンの荷物が持ち込まれた時に一番驚いたのが、ストックの多さだった。特に、食品関係で乾物など保存のきくものや調味料の類いは、同じものが何個も。あれから2年半くらい経つけど、辛いものが好きなダーリンをもってしても、あの時持ち込まれたチューブのわさびのストックが、まだ一つ残ってる。ねりからしは、やっと最近新しいものを初めて購入した。
当然、賞味期限は切れまくっているけど、ダーリン曰くは、こういうものは悪くなったりしないから、とのことだ。まあ、それは私も異存はないので捨てずにせっせと使って来たけど、悪くはならなくても辛みが薄れたりはしていないのだろうか??
その他、塩もあと2年くらい買わなくていいだろう。砂糖は、数カ月前にやっと使い切った。乾麺とかパスタとかも、ずいぶんがんばって消費し切った。

あまり出番がなくて(つまり、私がそもそも使い慣れてない)、いつまでもありそうなのが、「車麩」。自分では一度も買ったことなく、放っておくと使うことを思いつかないので、賞味期限がどんどん過ぎて行くばかり。見るたびに今度使おうって思うけど、すぐに存在を忘れて、まだある。

ドレッシングは、まあ、それぞれ味が違うから、在庫っていうのとはちょっと違うんだろうけど、当初、冷蔵庫の扉の裏の収納スペースを埋め尽くしていて、ほかのものが入らなくて困った。私は気に入った味のドレッシングを数種類、つど手作りしていたので、そういうのが冷蔵庫にたくさん入っている光景っていうのがすごく違和感があったんだけど、ほかの家はどうなのだろう??

私が、ストックすることをあまり好まないのは、結局スペースが2倍必要になるからだと思う。切れそうになってるものを切れそうな時に買い足すっていうふうだと、その時々で必要なストックだけを置いておけるちょっとしたスペースがあれば済むけど、すべての予備を常時備えておくとなると、野球の1軍と2軍みたい(?)になっちゃって、一時的な話じゃなくなるもんね。特に、一人暮らしの時はそんなスペースはなかったし、そもそもそういう考えはない。

一方、ダーリンは私のことを「要らないものをいつまでも持っている」って思ってるんだろうな。
ダーリンは、写真のアルバムでさえも捨てられる人で、思い出的なものは、捨てるか、のちの人生で一度も見ないか(存在を認識してないので、整理したり捨てたりすることも思いつかない)のどちらかになるようだ。

こんな私たちなので、足して2で割ったらちょうどいいのかも。あ、だからちょうどよく暮らしてるのかちら??(最後にノロケか、と)。

というわけで、トイレットペーパーが残り少なくなって来ると、私はダーリンがいつしびれを切らして「まだ買わないの?」って言って来るかなぁって面白がって待ってたりしてたんだけど、最近なかなか言って来ないので、ダーリンもサバイバル体質になって来たのかと思いきや、実は「言わないでおいたら、いったいいつくらいのタイミングで買うんだろう」ってひそかに観察してたらしいことが判明。それはそれで、楽しみが一つ減った。。。(2号)

posted by 2号 at 18:00| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 恋愛・結婚・男と女・人生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月21日

on やさしい

『夫ネタ』

思えば遠くへ来たもんだ、2号です。ダーリンと同居を始めて、はや丸2年。それまで住んでいたところとも、距離的に離れた。
いろんなものを得て、代わりに手放したものもあり、いろんなことが変わった。

しようしようと思いながらブログの更新が滞っていたこともそうなんだけど、今またなぜかこのタイミングで書いてみたりすると、今のところ内容も前とは違っている(or偏っている?)。
江國さんの本を読んでいて、旦那さまが「自分のことを書いてくれてかまわない」というようなことを言っている、ということで、時々旦那さまのことが書いてあるのを見て、私もそういうの書きたいっていうか、結婚したら書くだろうなと思っていたことは、ずっと前にここに書いた(気がする)。

この話をダーリンにしたら、ダーリンも「別にいいよ」って言っていた。
だけど、彼はこのブログは知らない(はず)。
うん、一生知らないでいてもらおう。。。

というわけで、許可のもとに書いてるのだけど、実際、書こうとしてみると、何やら以前とは違う衝動がそこには厳然としてある。以前は「夫」のことは私の中で「ネタ」という感覚で、だからこそ書きたいとか言っていた気がするのだけど、今は、結婚で得たこの世で一番「大切な人」についてメモって残しておきたいという感覚なのだ。

まず、最初に特筆したいのは、うちのダーリンがとにかくやさしい、ってことだ。
会話は多少アレなことがごくたまにある、ということをさんざん書いておいて言うのもなんだけど。。。

たとえば、ちょっと疲れた顔すると、「夕はん作ろうか?」ってこともなげに言ってきたりするので、「いやいや、働いて帰って来た人にそれはさせられないっす」などと言って、押しとどめている。休みの日には作ってもらうこともあるけど。

こっちが何をどうする的な質問をすると、「どうしたい?」って、まず私の意向を訊いてくる。いつも、合わせてくれようとする。あとからわかったことだけど、合わせてくれた結果、多少不満が残ったりすることもあるらしく、それをまったく言わないこともないのだけど、それでも、次も私に合わせてくれようとしてる(諦めている?)ようなのです。
それでいて、もちろん、ダーリンの方からすごくいい提案をしてくれることもある。だから、いつも楽しく過ごしている。

具合が悪そうだと「病院行く?」って、すごく心配してくれる。これはもちろん、連れて行ってくれるっていう意味で、行かないって言うと怒る。

私が甘えたい時は、よしよししてくれる。
逆に、私がダーリンを甘やかしたい時は、甘やかさせてくれる。
私はいつも、トトロの胸の上で遊んでいるメイ状態なのだ。。。
(実際、ダーリンはいくつかの方面で「トトロ」というあだ名を付けられているようだが、大のオッサンがトトロもないだろうということで、オッサン仲間からは「トロ○」と言われてるらしい)。

ダーリンといる時、結婚当初はよく、村上春樹の「ノルウェイの森(下)」の春の熊のくだりを連想していたもんだ。

「君が大好きだよ、ミドリ」
「どれくらい好き?」
「春の熊くらい好きだよ」
「春の熊?」と緑がまた顔を上げた。「それ何よ、春の熊って?」
「春の野原を君が一人で歩いているとね、向うからビロードみたいな毛なみの目のくりっとした可愛い子熊がやってくるんだ。そして君にこう言うんだよ。『今日は、お嬢さん、僕と一緒に転がりっこしませんか』って言うんだ。そして君と子熊で抱きあってクローバーの茂った丘の斜面をころころと転がって一日中遊ぶんだ。そういうのって素敵だろ?」
「すごく素敵」
「そのくらい君のこと好きだ」」

どうでしょう、このほっこりと和む感じ。とろけちゃいそうだよねー。
この二人は結婚してないけど、あまりにもこのくだりが思い出されるので、誰はばかることなく、はずかしげもなく惜しみなく、こんな会話するような世界に飛んでっちゃうのが結婚なのか!?と驚いたよねー。しかも、この小説はクマのことは「たとえ」で言ってるんだけど、うちは実際にクマと転がりっこしてる感触を味わえるからね。その幸せと言ったら、もう、頭の中がお花畑だよね。

一度、「どうしてそんなにやさしいの?」と私は訊いてみた。昔の私は、まさか将来自分が、この質問を誰かにする場面が訪れるとは夢にも思ってなかっただろうけど。

ダーリンのこたえは「う〜ん、体質かな」だった。

つまり、自分はそのへんを意識もしてなくて、ごくふつうでいるので、もしそれがやさしいと言うのであれば、それはもう生来のものだ、という意味かと思います。
確かに、ダーリンのおうちはお父さんもそういう人で、ダーリンは三兄弟なんだけど、それも揃いも揃ってテキパキ動き、周りを時にはやさしく、時にはさりげなく気遣い、女性陣の出る幕がないくらいな感じなのだ。そんなんで、初めて実家にお邪魔した時はどう振る舞えばいいのかかえってオロオロしたくらいなんだけど、先にお嫁に来ていた義妹にあたる方が、「ここは男性が動くおうちで、うろうろするとかえって邪魔になるので、任せちゃった方が効率よく進むのよ」なんか言っちゃっていたので、結局は私もそうした。

今も若いが、もっと若かったころのわたくしの、男性のタイプを表すボキャブラリーには「やさしい」という形容詞は入ってなかったもんだけど、必要だね、「やさしさ」って。っていうか、もっと若かったころのわたくしは、「やさしさ」がどんなに人を心地よくさせるか知らなかったんだろう。違うものに、価値を置いていたってことだ。

「やさしさ」を求めたわけじゃなかったのに、フタを開けてみたら、ダーリンにはこんな大きなおまけがついていたってわけだ。これは、何のご褒美だろうか!?

結婚以来、私がダーリンを表現すると、「心が広く、器が大きく、懐が深い」ということになっている。
細かいことを言い出したら、そりゃお互いにいろいろあるのだろうけど、ダーリンの圧倒的なやさしさの前には、いつもそんなもんは吹っ飛ばされてしまっている。

本当に体質なのだろうか?
今は、ダーリン自身が確信的にそう言ってるけど、もしかしたらそれが無尽蔵じゃないかもしれなくて、尽きてしまったらどうなる!? って、そんな心配をしてしまうくらいの大きすぎるやさしさに、日々感謝しておる。(オチはない!)(2号)

posted by 2号 at 13:02| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 恋愛・結婚・男と女・人生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月20日

on 男と女 2

女のおしゃべり、男の(建設的)会話。その2

長いので、前置きを省いて前回の続き行きます、2号です。


前回、男女の会話の相違に、双方主に困惑してるというニュアンスで書いていたけど、それはまだいい。私の中で問題となったのは、「ちょっと悲しい」と思うような場合なのだ。もちろん、夫は相手を悲しませようとはまったく思っていないのだけど。。。

繰り返しになるけど、女がグチを言う時はたいていの場合、内容の正否を断じてほしいとは露ほども思っておらず(思ってる時は、そう言う)、「そういう状況に陥った(陥っている)『私』がどう思っているか、どう感じたか」に共感してほしくて言っている。
乱暴に言うと、グチに対しては正論はいらない。もっと乱暴に言うと、「私が間違っていても、私の味方をしてほしい」くらいの精神状態の時だってあるくらい。
百歩譲って、アドバイスしよう、間違いを正してあげようと思ってくれるなら、それを聞くべきであるとは思うけど、言うタイミングは全然別の時にしてほしい、あるいは、いったん「わかるわかる」と否定せずに受け止めてから、決して「でもね」などの逆接の接続詞を使わずに「こうできたらよかったんだよね」などと付け加える程度にしてほしいのだ。。。

なのに、そういう話の向こうにある女の気持ちは関係なく、話の内容だけを聞いて、正論で、誰々が(も)悪いとか、相手は悪くないとか、こうすべきだったとか、「冷静に」「公正に」言ってきたりする。
そして、グチの対象となっている全然知らない人について、「こう思ってそうしたのかもしれない」とか「何か事情があってそう言ったんだ、きっと」とか想像力を持って酌量しようとするのに、目の前で言ってる私の気持ちをわかろうとしない(ように見える)。
もしかすると、その腑に落ちない相手の行動や言動を解明してあげることで、私の負の感情を和らげようとしてくれてるのかもしれないけど、こっちの気持ちがこじれてる時は「どうして、私じゃなくて相手をかばうの?」ってなる。だから、ちょっと悲しくなる。。。

私が負の感情を抱くこと自体がおかしいとか、怒る必要がないとか、グチそのものを否定することもある。
そういう時は、「そんなの別にいいじゃない」「何でもないことなのに怒る方がおかしい」などと否定してみせることでこちらの気持ちをおさめさせようとしてるのか??と慮らないと納得いかないくらい、衝撃的な受け答えに感じる。
グチらないではいられない時は、あくまでも「味方」「共感」「慰め」がほしい状態なので、否定はその負の感情に「追い討ち」をかけることにほかならないのだが。

私たちはなるべくハラに溜めないで、言えることは言い合おうって思ってるので、これについても話したことがある。
すると、言われてみると確かに自分はそういう受け答えになりがちだ、ということを、夫も認めた。そのうえで、自分は「教える立場」「偏らず、偏見を持たず、決めつけず、公平公正でいることが求められる立場」だという縛りがどこかにあって、プライベートでもそこから抜け出せないのかもしれないとか言っていた。
まさしく、夫は「男はこう、女はこう」という決めつけた考え方や、何かを一般論化することや十把一絡げにするのが大嫌いで、個々を見ることをよしとする。なので、自分は「男だから」グチを聞くのが苦手なのかもとか言うはずもないのだけど、私から見ると、典型的に理系くんなんだなぁってことになる(←これを言っちゃうと、不機嫌になる)。

まあ、こうして見ると、男は理性的で杓子定規、女は感情的でワガママみたいな、単純な構図にも見えるのだけど、一つのグチ的な話を前に、こんなにも双方のスタンスが違うのかっていう実感が、最初は新鮮な驚きでもあり、深いミゾにも思えた。今までのたまたま話した男性とは、こういう違和感を感じることがあっても、その場限りで受け流せたけど、夫は一番身近な存在となっているので、何とかなるならしたいと思うのである。
理系くんに加えて、立場的な制約があるとなると、人間関係が絡むようなデリケートな話の場合はますます、それを丸くおさめようとか、双方の言い分を十分に吟味するまではどっちの味方もしないみたいなことになるのかなぁ。

こんなこと書いてると、あそこのうちはうまく行ってないのではないかと思われるかもしれないけど、大きなグチは数カ月に1回くらいの程度だし、今は違いがあることも既成のこととして承知のうえ、お互いに慣れて来ているので、特にこのことが大問題になってるというわけではない。
強いて言うなら、私が気軽に口にしたちょっとしたことが、実は向こうにとってはグチっぽく聞こえて、え、このくらいのことも気軽に言ったらダメ?ってなるケースがあることか。今となっては、大きなグチの方が市民権を得ているかもしれない。夫もそういう時はそれなりの気構えで聞くし、こっちもあらゆる反応を想定の範囲に入れて話すから。

夫の仕事柄、うちでは子育てとか子供の教育、保育などに関心が高く、そういう観点でものを見ることがよくあって、これについても、もしかすると男女の持つ(生来的or社会的はさておき)父性と母性の違いみたいなことなのだろうか、と思うこともある。
つまり、家庭内で子供が何かを訴える時に、「そう、大変だわね」「わかるよ、つらいよね」などと、何はさておき受け止めて、寄り添い共感して「よしよし」してあげるのと、「それは○○が悪い」「そういう場合はこうしたらいい」など善悪の判断やらアドバイスやらを公正に社会的規範に照らして言うのと、両方の要素が必要に応じて与えられるのが理想だとすると、前者が母親的な役割、後者が父親的な役割ってよく言われるじゃないですか。それがそれぞれ生来的に(社会的でもいいけど)男女の違いとしてそなわっていると仮定すると、会話における受け答えの違いもそこから来るのか?などと思うわけです。
だとしたら、ある程度、しょうがないのかも。

さて、なんだか思ったより「グチ」の話に終始しちゃってるのだけど、それ以外に違いを感じる点、それは、夫が想像でものを言わない、言ってはいけないと思ってるフシがあって、会話が成立しない場合があること。「あれって、こういうことかな」「きっと○○だね」とか、好き勝手な妄想を話しても差し障りがないようなことでも、「わからない」「知らない」「訊かれても困る」と、逃げる(?)。せめて、「さあ、どうだろうね、よくわからないね」くらい言ってもよさそうなものだけど。。。
それは、さっきも書いた「教える立場」「公正さ」を重んじて、不用意に間違ったことを言ったり、無責任に想像による曖昧なことを言ったりしないように気をつけることが身に付いちゃってるのか? さらには、正しく知らないことについては「こたえられない」というスタンスを明確に表明する必要があると思ってるのか??
必要のあること、興味のあることは、面倒がらずにすごくよく調べるし、多くのことを詳しく知ってる一方、そうじゃないことは人の話を聞くのも面倒なのだろうか。
特に、テレビを見ないので(本当に好きなものだけピンポイントで見ることはある)、私から見ても下らないことは本当に知らない。で、私は下らないこともキライじゃないので、時々、夫にとってどうでもいいことを話しては、そこでも困惑させている。
知らないことは「『知らない』で済ませる」というアンバランスなところは、夫の面白い部分でもあるので、それはそれでいいけど。

要するに、夫にとっての会話とは、何か必要なことを決める、話し合う、問題を解決する、有益なことを知らせる教える、教えてもらう、面白いことを言い合って楽しむ、そして、時には他愛のない日常的な話をして和む(←決して、芸能ネタではない)、というものなのだろう。どれも前向きで、気持ちがいい。ムダなおしゃべりは、自分からはしない。

こんな私たちの間で、調子良く楽しく会話が盛り上がるのは、音楽、野球、二十歳前後の女子のトレンド、動物、天気、宇宙、自然、物理化学数学、地学、地理、外国、文学、映画、ちょっとした豆知識など。
危険なのは、ご多分に漏れず、政治と宗教と、特定の外国の話。たぶん、これらは密接に関連し合ってる場合も多く、偏見に陥りやすい分野だからだと思う。二人とも冠婚葬祭以外は無宗教に近いけど、一般論でするにしても話し方には気をつける。
政治の話は、女子の場合は、無責任に「もっとこうできないのか」とか「こうなればいいのに」とか願望を軽く話したりできるし、知らないことやわからないことも、仮定の話や想像を広げたりして話せる。さらには、独断と偏見も「私は」こう思うのよって言える。
夫は、これがまったくできない。というか、しない。想像でものを言わないという意味でもそうだし、私見は裏を取ってから、という感じ。

ある時など、「人が何かについて熱く語ってるのを見ると、『自分には意見というものがないのかもしれない』と思うことがある」と言っていた。自分の言葉について厳しく律してるうちに、そうなってしまったのか??
だから、私が何かについて熱く意見を語っていると、どうしてそんなに熱くなれるのか?っていう顔をして、自分の意見を言わないだけでなく、反応しあぐねている。
なのに、時々、こちらの意見の否定だけはしたりするもんから、じゃあ、夫はどう思うのかって訊くと、それにはこたえない、ってことになるんだな、これが。
政治なんて、互いの支持政党が対立してるわけじゃなし(そんなものは私にはない)、好きなことを言っていいと思うのだけど、意見があったとしても立場的に言いたくないのか?

周りには、男を相手に「おしゃべり」はしないとか、グチは言わない、言ってもよけい腹が立つだけだからって言ってる人がいたりする。ダンナさんからはっきりと、どうでもいい話は聞きたくないとか、俺にそういう話をしてくれるなと言われているって話も聞く。
女友だちや家族と夫とで、話す内容を使い分けるなんて話も聞いたことある。確かに、そういうのは賢いのかもしれない。
でも、私は夫とはそういうふうにはしたくない。
生返事を返されたり、思いがけない反応をされたりすることがあっても、こちらからは何でも話せるようでいたいと思っている。
それに、近くに友だちがいないので、話す相手を使い分けるなんてことも、実際にはできないし。

男と女、違いがあるから面白いのだし、違いがあるから歩み寄るしかない。時にはこっちのおしゃべりにつきあってもらうかわりに、私ができることは。。。
グチを言わないのが一番いいのだろうけど、まったく言わないようにすることはムリっぽいので、言う前にいろいろ断りを入れるとか?
「これから言うことは、あなたに怒ってるんじゃないからね」「これから、ただ聞いてほしいだけのことを言うね」「かなり頭に来てるから、不適切な表現も出て来るかもしれないけど、大目に見て聞いてね」「落ち込んでるから、厳しい意見は今は言わないでね」など。そして、話し終わったら、「聞いてくれてありがとう」「イヤな話を聞かせてごめんね」など。
これで、どうだっっ。

今、気づいたけど、グチにこういう断りを入れると、その時点でグチりたい不満とか怒りとか不快感とか疑問も少しトーンダウンするかも。。。
そして何より、そこまでしてグチをやめる自信がない自分にひきかえ、グチを言わないダーリンを、それはそれでとても尊敬してる。(2号)

posted by 2号 at 17:00| 北海道 ☔| Comment(4) | TrackBack(0) | 恋愛・結婚・男と女・人生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月18日

on 男と女

女のおしゃべり、男の(建設的)会話。

お久しぶりの2号@ダーリン出張中、です。
皆様、お元気でしょうか。皆様と言っても、そもそもの数が少なかったであろうところに、長らく更新もままなってない状態で、そこにはもう誰もいないと思いますが。。。
いや、毎度、言い訳になりますが、決してブログが忘却の彼方に行っているわけじゃないです。いつもいつも頭の中には、アレも書きたいコレも書きたいって思いが渦巻いてるのであって、それも、時たま読んでくださる数少ない稀有な関心の持ち主の方々を差し置いて、ひたすら自分のメモとして、あるいは行き場のないアレコレの収めどころとして書き散らしたいという利己的な動機で。

とか言ってる間に、結婚による同居生活も丸2年が過ぎました。
その間にわかって来たこと、いや、わりと早い時期にわかったことですが、つくづく男と女は今日のタイトルにあるような違いがあるもんで、うちは特に、ダーリンがこれまで女性というものと個人的に積極的に関わろうとして来なかった&表向き文系っぽい稼業でありながら、頭の構造は今流行の(それとも、もう流行は終わってるのだろうか?)ガチ理系くんであるがために、違いが顕著に現れるのであった。
もちろん、これだけ生きて来ると、世の中の男性と話してて、時々、予期せぬ反応を唐突にされて「へっ!?」ってなる場面を何度も何度も経験してるし、一方で、いわゆる「おしゃべり」のできる、または、おしゃべりに上手につきあえる男性がまれにいることもわかってる。
で、フタを開けてみたら、うちのダーリンは意外に…ってことはなくて、わたくし2号がこのブログにキーボードから垂れ流してるように、気を抜いて、思ったことを口からダダ漏れさせてると、思わぬ反応が返って来て、びーーっくりするってことは、うちでもよくある。

そう、よくある、ので、さっそくわたくし、分析してみました。

するとまあ、面白いというか、逆にあまりに「理系くん」「男は火星、女は金星」的な話にはまり過ぎてて今さら面白くもないというか。。。

まず、うちの夫は(これより先、うちの夫=特に理系の「男」と読み替えていただいてもいいかと)、そもそも人がグチを言う、それも自分に関係のない内容であっても自分に向かってそれが話される、という場面にあまりに慣れていなくて、そのシチュエーション自体がすごく苦手なようだ。見てると、時には、もしかして自分が怒られてるような気分になってるの?(←お互いのグチを聞きあうことに慣れた女にはわからない混乱ぶりである)と思うこともある。
もちろん、どんな勢いで言っていようと、それがグチである限り、夫に対して怒っているわけではない。そんなに見極めが難しいのだろうか。。。
とにかく、当初は、ただ(肯定的に)聞いてくれてるだけでいいのに、その困惑ぶりにこっちが困惑するくらい、グチに対してひたすら困惑していた。

生理的に、グチを言ってる人を見るのがキライっていうのもあるのかもしれない。内容をきっちり聞く前から、雰囲気を伺って身構えたような顔をしてることもある。これも、単なる慣れの問題なのか、それとも、男のいかんともしがたい生体反応(?)なのか??
ちなみに断っておくと、私が格別に常軌を逸した感じでギャーギャーとグチをまくしたててるわけじゃない、ふだん、女友だちや親兄弟にグチって、ふつうに会話が成り立っていた時と同じトーンだと思う。

と、ここまで、広義で「グチ」と言ってるけど、まあ、あったことを何でも話したい女の習性と言うか、いわゆる(下らない)おしゃべりと思ってください。

次に、夫にとってはさらに高度な対応能力が必要とされるらしい事例、いってみよう。
注)夫が「ハードルが高すぎる」と言ったので「高度」と表現したけど、女から見ると、むしろ最も無意識にできるレベルのことである。

ある日、私がタクシーに乗った時、運転手が私にとっては首を傾げるような対応をしたという案件があり、それを夫に話した時、確かに私は「なんでだろう??」とは言った。でも、話の根底には「大変な目にあった私の心中をわかってほしい」という目的があることは、はっきり言葉では示されていない。
という場合、女性と話してると、「なんでだろう??」に対しては、なんでかがわからなくても「えー、何それ!なんでだろうね!?」と言ってくれる。人によっては、あーでもないこーでもないと、その疑問についていっしょに想像して考えてくれるかもしれない。だけど、そうしてる間にも、最後には「イヤだよね、そういうの」「頭に来るよね!」が来るだろうという安心感がある。
ところが、夫にこれを話した時、一足飛びに「共感」ワードが来なかったのは想定内だったとして、しばらく無言、という思いがけない反応だったのである。
何か気を悪くしたのかしら。あ、これもダーリンにとっては「出来事の報告」ではなくてグチの部類?、だったら、これを話したこと自体がアウトだったか。。。あー、油断してたよ〜〜
なとど、しばし思いめぐらしていると、私にはもう別の話題に移ったか?と思われるくらい悠久の時間が経ったころに、「うん、今、いろいろ考えてみたけど、やっぱり今の話だけでは道路状況とか周りの様子とか具体的な背景がはっきりと把握できてこないから、(運転手の対応の理由が)どうしてなのか自分にはこたえられないな」と言ったのである。。。
え、今まで「考えて」いたの!?
っていうか、ポイントは『そこ』じゃないし!
と、私がブッ飛んだことは、言うまでもない。

確かに、理由が明らかになれば、私のモヤモヤも「具体的に」スッキリと晴れるかもしれない。
しかし、求めてるのは、大変なことがあった私の気持ちに対する慰め、共感であり、一番のポイントは「そこ」じゃないのである。

わたくし2号、こういうことが数回あったのち、ざっくばらんにそのへんの話をしました。
夫のこたえは、そもそも人が自分にそういう話をしてくる時、どうにかしてほしい、あるいは、こたえを知りたい、意見を言ってほしいと思って言って来る、と、思ってるから、とのことだ。(もちろん、こっちだって、そういう場合もあるが)
で、そういう時に、話の内容が「言われてもどうしようもない(何もしてあげられない)」「(その話を聞いても)何を言ってあげればいいのかわからない」「そもそも、話すことで自分に何を求めてるのかわからない」ことだったりすると、とたんに「どう反応していいのかわからない」となり、それをそのまま口に出したり、困惑して何も言わなかったりと、相手(女)の気分を害してしまうことになる、ということらしい。
で、タクシーの話の例では、話の根底の目的を察知するなど「ハードルが高すぎる!」と叫んだのである。
ちなみに、タクシーの話の場合は、ちゃんと考えて適切に反応を返したつもり、自分としてはうまく受け答えした例だ、と考えていたようだ。

そこで、ここは夫婦二人、話す相手も限られるのだし、話す前に話題をあれこれ吟味して選ぶなぞ、逆に女にとっては高度すぎるというか面倒なので、女のおしゃべりにつきあう(フリをする)のに便利な言葉を教えてあげよう、と、わたくし「へぇ、大変だったね」という言葉を伝授しました。
すると、本心でそう思ってない場合は言えない、と言うので、その場合は「へぇ、そうなの(そうだったの)」、それも言えない場合は「ふ〜ん」でいいから、と。でも、「ふ〜ん」はちゃんと聞いてないナマ返事の典型だろうと言うので、たとえ聞き流しての返事だとしても、今までの「無言」とかトンチンカンな反応よりはずっとマシだから、と、わたくし言いました。
とにかく、最低でも、女は何らかの相づちを入れてもらって、最後まで「違和感なく」話し終えられれば、それであらかた満足なのだと。

ちなみに、私が「ざっくばらんに」話したこの会話の最中、夫が、ものすごい大切な世紀の新説を「宇宙語」で解説されてるのを聞いてるかのような顔をしていたことを申し添えておきます。

ずいぶん長くなりました。なのに、まだまだこのテーマは尽きない模様なので、いったんアップして、書いた続きは後日アップされるようにしておこうと思います。(2号)

posted by 2号 at 14:42| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 恋愛・結婚・男と女・人生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月05日

on ブログ

あけまして。。。

今日もいい天気だ、2号です。
例年、新年のごあいさつは1月中に、と思っていながら、書こう書こうとしてるうちに1月も軽く過ぎてしまったので、そうだ、節分が年の本当の区切りという説もあることだし、2月3日のタイミングでしよう、と決めたのだった。
ところが、3日は恵方巻きを買いに行ったり、昨日4日はダーリンの誕生日でその買い物や準備で忙しかったりして、結局、今日になってしまいました。

というわけで、皆様、あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

会社に行かず在宅勤務でも、冬で引きこもりがち冬眠生活を送っていようとも、ダーリンと暮らしていると、日々、いろんなネタがあるので、いつもそれを書こうと思っているのに、ダーリンと暮らしているということは、(ラブラブで楽しい反面)一人でいるよりは家にいる時でも制約があるわけで、なかなか思うようにいかない。

これは、まだこのわたくしが在宅勤務生活に慣れていないということなのか??

家でやりたいことを一人暮らしの時と同じだけやろうとしていると、二人暮らしで増えたやるべきことも加わって、けっこう忙しい。
中でも特に「加わった」感が大きいのが、洗濯と買い物と「ちゃんとした」夕食作りと家計簿つけ。
それと、ダーリンとおしゃべりしながら(ベタベタと)過ごす時間。

一人暮らしの時の夜といえば、平均20〜21時くらいに帰って来て、それから簡単なものを作るか、作り置きのものを出して軽く夕食を食べて、ダラダラして、お風呂に入って寝るって感じだったけど、この夕食の時間が一番リラックスできるというか、録画しておいたドラマとか見ながら食べて、食べ終わっても見終わるまでダラダラ見てるってのが、すべてから解放されたゆるゆるタイムだったわけだ。
ところが今は、18時くらいから寝るまでは、基本的に一番自由にならない時間。たぶん、ダーリンも、仕事から帰ってから自分のペースで一人で好きなふうに過ごすことができなくなっているわけだから、同じ気持ちだと思う。
こういう視点から書くとネガティブに感じられて驚くんだけど、だけど、この自由にならなくなった夜の時間が、一人暮らしではあり得なかった、想像を超えるくらいの幸せな時間でもあるわけで、これは、引き換えに失ったものがあったとしても補ってあまりある、否、比べてどうこう言うなんてトンでもないというくらい次元の違うことと思える。
そして、たぶん、これもダーリンも同じ気持ちだと思う。

なかなかできなくなったことの中に、ブログの更新もあるのだけど、わたくし2号の日々の中で、それよりも優先順位が高いことが増えたってことなんだろう。
いや〜、だけど〜、本当は優先順位の高いダーリンだからこそ、その関連のことをちゃんと(こっそり)書き記しておきたいというジレンマもあるわけで、冒頭の「書こう書こうと思いつつ」につながるのである。なんだかんだ言っても、駄文を恥も外聞もなく書くというのがわたくし2号の「個癖」の一つであるはずなので。

同居を始めてもう少しで2年。
もしかしたら、もうちょっとうまいペースの作り方があるのかもしれなくて、それをつかめた暁にはカリスマ在宅勤務兼業主婦となれるのかもしれない。。。( • ̀ω•́ )✧

新年早々(でもないが)、また言い訳!?(2号)

posted by 2号 at 13:24| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・雑記・雑感・よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月02日

on 虫の知らせ。

天国のお酒。

母や叔母にはあるらしいのだけど、わたくしにはこれまでまったく霊感はございませんでした、2号です。
ところが、昨日のこと。。。

台所に立っている時に、誰かがスゥッと近づいたような気配を感じて、んん?と思うこと、数回。で、なんとなく、そっち側の空気が寒いと言うか涼しいと言うか冷たいと言うか、一瞬ヒヤッと感じた。霊感のないわたくしは、「たとえば将来、ダーリンが先に亡くなって悲しみの中にいたりする時に、『あ、今そばに来てくれた?』なんて思う時はこんな感じなのかな」ってヘンな妄想に走ったのだった。

でも、である。
うちのダーリンは死後の世界を真っ向から否定する人で、死んだら無、終わりっ!!ってきーーっぱりと言い切ったりするので、私など一度ならず、お願いだからさびしい時には慰めに来てよとか、私にその時が来たらちゃんと迎えに来てねとか、涙目になりながら懇願したくらいなのだ。だから、こんなふうに来てくれたりはしないのかもなぁ、と思いつつ、一方で、将来こんな感じを受けるたびに、きっと私は、まさかね、ダーリンは来てくれないよって否定したり、もしかして行ってみたら死後の世界があったので、しかたなく出て来てくれたのかも?なんて肯定してみたり、あれこれ想像するんだろうなって、昨日も思っていたところ。

そして、今日、洗濯をしながら、ふと、ネタはあるのに最近はブログを書いてないなぁって思い、これまで読んでくださったり、コメントしてくださったりした方々の中でも、ある特定の方がとても気になった。お元気だろうか、と。

すると、なんと、昼前に携帯のメールをチェックしたところ、その方からメールが入っており、一つの訃報が伝えられたのです。

こういうことって、あるんだなぁ。
亡くなった方は、私が以前とてもお世話になった方。もう6年くらい前になるけど、最後にいっしょにお仕事させていただいた時も、とても楽しかった。

太く生きた人だったと思う。

いい言葉、コピーをたくさん残した。

「楽しいこと」の詰まった人だった。

人を元気する元気を持っていた。

オーラに説得力があった。

懐が深かった。

そして、いい声をしていた。


早過ぎると思う。惜し過ぎると思う。
せめて、やりたいことをやりたいだけたくさんして、の旅立ちであったことを願う。

本当にお世話になりました。
ありがとうございました、の言葉しかありません。
心から、ご冥福をお祈りいたします。(2号)

※天国のお酒は、とびきりおいしいはずです。一杯やりながらたくさんの言葉をひねり出して、いつかまたみんなにプレゼンしてください。

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2014年06月16日

on ゴミ屋敷ならぬ…

6月6日の物語。

このところの日照不足でテンション下がり気味の2号です。
これは本当にあった話です。

去年の秋、わたくしは結婚式を挙げたわけだけど(入籍は一昨年のクリスマスイブ)、その日は土曜日、仲のいい友だちの一人が東京に引っ越す日でもあった。彼女は私の式に出られず、私も彼女を見送ることはできなかった。

それで、今月の頭に、ダーリンの出張に合わせて、私は彼女に会いに東京に行くことにした。

その彼女とは、別ブログも含めて何度か登場してる人物なのだけど、今回も待ち合わせの30分後にやっと会える、という、相変わらずぶりの再会を果たした私たちであった。

それはさておき。
ダンナ持ちの彼女とは昼間だけ、夜は別の友人たちが一席設けてくれることになった。
そこで、その中の一人が、誕生間もない我が子のために「幸福駅(行き)の切符」を入手して来てほしいと言って来た。
何を隠そう、この幸福駅は、わたくしとダーリンが入籍にあたって本籍地に定めたゆかりある場所。というわけで、幸せをほかの人にもお裾分けすべく使命を帯びて、空港に向かう途中で幸福駅に立ち寄り、一人分と言わず会う相手全家庭分の切符を購入した。

なぜだか私は、切符の日付の刻印は、幸福駅が現役であった時の最後の日の日付になってるものかと勝手に思っていたのだけど、実際は購入したその日の日付が押されている。
なので、この日買った切符は「26.6.6」となっており、ダーリンに「なんだか666みたいだね」と言ったもんだった。
それはもちろんアレのことなんだけど、そんなことは実はどうでもよくて、昔、歌に合わせて絵を描く絵描き歌にあった「6月6日に雨ざぁざぁ降って来て〜♪」っていうフレーズがすごく気に入っていて、子供のころは「6月6日の雨の日に生まれたかったなぁ」って思っていたんだって話をした。その後、アレの登場によって、そのような希望を口にするとそれはよくないと言われるようになったので封印していたのだが、と。

そして、私たちは空港に着いて、駐車場に車をとめた。
すると、な、なんと。。。
私たちの車の前にとまっていた車(軽自動車)のナンバーが「6-66」じゃあ、ありまへんか!!

あり得ない。。。

あっけにとられながら、その車の横をすり抜けて空港入り口へと向かおうとして、さらにビックリ。車の窓にSCOTTIEとかヘンな模様が!?…とよく見ると、車内にはびっしりとゴミが積まれており、それが窓に張り付かんばかりの分量だったということなのだった。窓の上の方からかろうじて車内が見て取れ、当然ながら運転席だけは何も置かれてないのだけど、それ以外の部分はゴミで埋め尽くされている。

「ゴミ屋敷っていうのは、最近よくあるけど、ゴミ車っていうの、これ??」

東京では、またいつもの方向音痴によって時間をロスして待ち合わせに遅れたりしてご迷惑もおかけしたのだけど、皆様のあたたかい厚意を受けて楽しいひとときを過ごし、2泊ののち無事に帰って来た。

そして、空港に降り立ち、車をとめたのはどのへんだっけ〜?このへん〜?とか言いながらうろついていたわたくしの目に、忘れていた「6-66」の数字がまたもや飛び込んで来たのである。

あ、ここだ。。。

車の色はパステル調で、一見かわいいのだ。
その外観に似つかわしくないおびただしい量のゴミに再び感心しながら、自分たちの車に乗り込んだ私たち。

ーあれ、「屋敷」よりは片付けるの簡単だよね。どうして捨てないんだろうね。ていうか、あそこまでなる前に何とかできなかったのか??

ーあのくらいの量ならいつでも捨てられると思ってたんじゃない?

うむ。そうこうしてるうちに積もり積もったのか。確かに、わからないでもない(←それが危険)。
が、それにしても、なにもそんな面倒くさがりぶりを世間に宣伝しながら走り回らなくてもいいのに。。。
何より、けっこう目立つナンバーなのだし、私たちはおもしろがったけど、きっとナンバーとの合わせ技でイヤがる人もいるだろう。

6月6日に雨ざぁざぁ降って来て (中略) アッという間にかわいいゴミぐ〜るま〜♪

家に着いて、まだちょっとの量だった車内ゴミ箱のゴミをそそくさと手に持って降りたわたくし2号、えらい。。。(2号)

posted by 2号 at 15:10| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | まち・見かけたもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月31日

on 笑っていいとも!

明日も見てくれるかな?

ゆうべ、夫を見て、「この人、私のダンナさんになってくれたんだ〜」ってあらためてしみじみと実感した2号です。
思えば、家族で同居していたころも、妹を見ては一度ならず「私には妹がいるんだ〜」って感慨深く思ったりすることがあったもんだった。

しかし。
「笑っていいとも!」に対しては、一度も、「日本のお昼にこういう番組がずっと続いてるのは○○xxだな〜」とか、「いいともって、まだやってるんだ〜」とか、あらためて感慨深く何かを思ったりしたことはなかったように思う。それくらい当たり前というか(妹の存在よりも!?)、その番組の存在について云々感じる隙も何もない、地球の自転に匹敵するようなもんだった。
それを先ほど、わたくし、粛々と見「終わった」ところでございます。

この番組を最初に視界の端にとらえたのは、大学でのこと。学食の2階、大学生協にちょっとしたロビー的なスペースがあって、そこにテレビがあったのだった。
ロビーには、昼食後に生協に買い物に立ち寄ってついでにちょっと休むとか、待ち合わせて何か打ち合わせたり、他愛のないおしゃべりをしたりするといったような学生たちがごちゃごちゃといて、テレビがついててもそれを見るっていうような感じはあまりないというか、ついてるから見てもいいけど、少なくともわざわざ「見に来る」というものではなかった気がする。
それが、「いいとも」は明らかに「見に来」て、ちゃんと「見ている」学生たちがいた。ウケながら見てる学生がいる一方、腕組みしてじっと見てる男子学生の姿が印象的だった。
チラッと見ては、へぇ〜今はこういう番組がウケてるんだ〜って、私は思った。確かに、ちょっと斬新な感じはした。テレビ全盛期(あるいは、そうなろうとしていた時)だった。

私が「ちゃんと見る」ようになったのは、バブル期(の終わりかけ)に、きちんとお昼休みが休めて優雅な打ち合わせスペースで堂々とテレビを見ながらお弁当を食べたりできる会社にいた時だった。同僚たちとお昼を楽しみながらいいともを見て、時には視聴者参加企画で会社からファックスを送ろうとしたこともあった(良い子はマネしないでね)。当然、回線混雑で送れなかったが。

それからは、つとめる会社の事情、環境によって、見られたり見られなかったりだったけど、テレビを見られる時は他番組ではなく「いいとも」だった。他局でどんな番組をやってるかすら知らなかった。
妹の会社では、まず、いいとも。12:45からNHK朝の連ドラ再放送に変えると言っていた。

明日のテレフォンゲストが好きな人だったりすると、帰ってから録画をセットした。友だちの好きな人がテレフォンに出る時には、その友だちに「明日出るよ」って連絡した。SMAPメンバーがレギュラーになってからは、その曜日は毎週録画した。スタジオ観覧に応募しようとしたこともあった(締め切りが意外に早くてダメだったが)。私が勤めてる会社が仕事でお世話になったタレントが出演する時には、会社からテレフォンのコーナーにご祝儀の品が送られたこともあった。
CM明けにスタジオが盛り上がっていると、どんな話をしていたのかがすごく気になるので、増刊号も欠かさず見るようになった。
家族と、友だちと、とにかくいいともの話を日常的にしていた。テレフォンの中で誰が何を言ったか。どんなおもしろいことが起こったか。「ねぇ、見た?」「ねぇ、知ってる?」。見てる時はもちろん、自分が見てなくても、いいともの話題がふられることは珍しいことではなく、自分が見てない部分だったりすると、すごく残念だった。

それが、いつしか、会社で見られない状況と、自分が「見ない」状況が混ざり合って、見なくなっていた。録画もやめた。追いつかないから。っていうか、いつもやってるんだから、この回を逃してもまた次いつでも見られる。なぜなら、いいともは永遠だから。
そう、見なくても、正午にそれは必ずやっているのだ。正午と言えばあのオープニングの映像と音楽のイメージが体内時計のように私の中にあった。やってる時間だなー(見てないけど)。っていう感じが漠然と。

ある時、主婦の友だちが、「最近、いいともおもしろくなくなったよね。私も、ほかの○○見てるもん」と言った時、内心「えぇ〜〜!?」って思った。身近で、正午にいいとも=テレビを見ないのではなく、ほかの番組を見てるという人の存在は、初めてだった。主婦ウケしそうなその番組のことは、まったく知らなかった。
大学生協の図を思った。いいともって、そういうものだった。若い人にウケた。その人たちが、どんどん大人に、社会人に主婦になって、なお存在し続けたいいともをそのまま見続けた。バブルもあったし、お昼(休み)はウキウキウォッチングな気分がずっとあった。

それが、景気が悪くなり、何でも利用できるものはするという効率主義も手伝ってテレビは宣伝宣伝の場となり、携帯電話の普及で若い人はリアルな人と架空につながるのに忙しくなり、主婦たちは笑ってる場合じゃなくて情報を求めるようになった。

それでもがんばっていてくれたいいとも。宣伝の場を淡々と与え、お笑いの若手の登竜門としての役割を受け入れ、コーナー企画だってネタ切れしても何とかアイデアをひねり出して、時々、これは見たいって新たに思わせる企画を出してきていた。タモリさんに関しては、言わずもがな、惰性だってここまで続かない。なぜ、いいともだけが「いいともありき」な番組になれたのか。最後は、タモリさんの持つ、惰性にまさる「自然体」的な摂理?

とにかく、私はタモリが好きなんだと思う。
タモリが坂道愛好会の会長だとかなんとか自ら言って、「坂が好き」っていう感覚は、ほかの人に公言していいものだったんだって、初めて知った。
はたまた、タモリが「うどんにコシは必要ですか?」って言った時。世の中、うどんにコシは必須と言うか、当たり前だ、なくちゃうどんじゃないみたいな風潮にいつの間にかなっていて、非常に違和感を感じていた私は、よくぞ言ってくれました!と快さいを叫んだ。それまで、コシは要らないと言わせない、言えない風潮だったので、これからは言ってもいいんだ…と拳を握ったもんだった。
そういう、私のツボにストンと落ちることを、サラッと言うのだ、タモリは。
このブログにも、これまで、いいともで見たことを書いたことがあった。それだけ、ジワッと感じ入ることをいろいろと私に投げかけてくれた番組だった。

この先、タモリに関してテレビがどうなるのか。他局も含めて新番組ができるのか、もっと違う使われ方のタモリを見ることがあるのか、わからない。
できればこれからも、私に上記どうでもいいような、でもちょっとしたモヤモヤの隙間にピタッとハマってピンポイントで私個人がわしづかみにされたような気分になるネタを与えてほしい。そうできるポジションで出られる番組があってほしい。コメンテーターとかは、ダメだ。タモリに自由に発言させてほしい。じゃないと、おもしろくないと思う。

でもね。これだけのものが終わって、じゃあすぐ新しいもので同じくらいの価値を生み出して行けるかって言ったら、タモリでも難しいかもしれない。しばらくは、継続する番組とこれまでで一定評価のある番組をさらに比重をかけてやるとか、そんな感じで様子見になるのだろうか。

とにかく、あの大学生協から時代は何巡りも変わり、そして、とうとういいともは終わった。32年。なんと長い時代だったことか。タモリさんも、私も、トシを取った。

このところ、終わる前から喪失感に苛まれていたけど、こうして振り返ると、これだけ長い時が流れたんだから、こういうこともあるよな、って、少し吹っ切れそうな気もして来た。人生で考えると、私の人生は、大部分が「いいとも」。タモリさんの人生も半分近くが「いいとも」。もう、本当に終わってもいいのかもね。。。
いつか終わるものならば、ちゃんと見届けられる時に終わってよかった。

「明日もまた見てくれるかな」「いいとも」のかけ声でいいともは終わった。私の中(体内時計)でも、いいともは永遠だろうと思う。
また言っちゃうけど、32年間、お疲れ様でした。ありがとうございました!!(2号)

※前回投稿で、31日のお昼には、もういいともはないって書いていたけど、その後、増刊号でお昼の最終回も31日って知りました。キリのいいところで終わらず、3月いっぱいにこだわったのか??フィナーレがあるから、昼もやった方がいいってことか?
いずれにしても、訂正しようしようと思ってるうちに、今日の最終回も終了してしまいました。なので、事後お詫びです。訂正して、おわびします。

posted by 2号 at 14:11| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | テレビ番組・ドラマ・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月27日

on テレビ

愛と哀しみのテレビ番組。

テレビとは、つかず離れず2号です。。。
うちの夫はテレビをほとんど見ないので、夫が家にいる時間帯は自然と私も見なくなっております。というか、見たいものは全部録画で、夫がいない時に見る。
見てもいいんだよって言われるんだけど、某「リーガル○○」を見ていたら、あとから「あまりのうるささに、テレビ嫌いに拍車がかかった」って言っていたので、やっぱり遠慮することにしてる。それでも夫は見てもいいんだよとは言うのだが、自粛、です。

夜は、夫とは、おしゃべりしたり(、プロレスごっこをしたり)して過ごしているか、すぐに眠くなってしまう夫が早い時間に寝てしまうかって感じなのだが、時々、二人でぼぅーっとテレビを見ながら、これが下らないだの、これがおかしいだの、これがいいだのって、他愛のない会話をするのもいいのだがなぁ…などと思ったりもしてるわけで、その代わりになるものがネットだったりして、夫は常にiPadを抱えているので、そこから何か見つけてはそれをネタに会話、あるいは、私がなにげに口にした疑問や、忘れた思い出せない!とか言ったことをネットでササッと調べてくれて、そこから話が展開、などという感じで過ごしているわけです。

いや、こんな前置きはさておき(相変わらず、長い前置きはやめられない)。。。

私にとってテレビは、「そこに時間を必要以上に取られたくないもの」ということで、一応「下らないもの」の部類になっているのだが、そういうことを言う時点で、現に時間を取られがちなものであるということで、まあ、そこそこ深くはつきあっている。中には本当におもしろいもの、役に立つものもあるし。

そんなわけで、今、NHK朝の連ドラの「ごちそうさん」に異常にハマっている。時には号泣しながら見ている。
そして、これがこの3月で終わってしまうので、とてもとてもさびしい、このあと何を楽しみに生きて行けばいいのかと思っている状況の中、アレがアレなわけだ。。。

そう、「笑っていいとも!」が、時同じくしてこの3月で終わってしまうのだ!!

朝がくれば東から太陽が昇るのと同じくらい自然な摂理で、日本ではお昼になるとテレビにタモリが登場するものだ、ということに、私の中ではなっている。
これがそうじゃなくなって、日本は大丈夫なのか!?って危惧するくらい、このことが信じられなく、3月31日の昼が来るのがオソロしいとさえ思う(夜には特番があるが、正午にはもうタモリは登場しない)。

多くの無責任な視聴者と同じく、このわたくし2号も、いいともを見なくなって5年くらいにはなる。最初に書いたように、増刊号も見なくなって1年余り。
少なくとも最近のいいともがおもしろかったのかと言われれば、わからない。そういうものだと思えばおもしろいし、もっとほかの内容が見たいと言えば言えなくもない、という感じか。
昔はゼッタイにおもしろかった。でも、最近の私がお昼の時間帯にワイドショー的なものを欲していたかと言えばまったくそうではないので、他局のものを見るというふうにもならず、だったらやっぱり内容云々よりも、あの時間にテレビの中に必ずタモリがいてくれるという圧倒的な安心感(?)を取りたい、と、思うのだ。

しかし、もう、それがかなわなくなる。32年と言えば、私の人生の大部分ではないか!?何という喪失感。見てもいないのに、無責任にそう思う。そしてそれが、逆にすごいと思うのだ。見てないならどうでもいいはずなのに、そこにずっとあってほしいって、あるのが当たり前って、思われるってことが。

いや、だけど、増刊号で時々、ゼッタイにほかの番組ではやらないようなマニアックな情報とかネタが登場することがあって、だから増刊号は結婚するまで見ていた。見なくてもつけていた。遅く起き出した日曜の遅い朝食のあと、ダラダラとしてる時のおともにちょうどよかった。見てもいいし、見なくてもいい、とにかくついている。そういうのって、すごい贅沢な感じさえするけど、そこにぴったりフィットするのが増刊号だったんだ、私の場合。

もう決定事項だから、グダグダ言ってもしょうがない。せめて最後は見届けようと、ほかの無責任な視聴者と同じく、終わるとなってから見られる限り見るようにしている。
だって、終 わ っ ち ゃ う ん だ よ !?

終わりに近づくに連れて、企画は何でもありな、ある意味これも贅沢な内容が続き、かつての単純におもしろかったころを彷彿とさせる。プレイバック的な内容も多くて未練を誘う。さらに、今週に入って、毎日が各曜日のレギュラーにとっては「今日が最終回」ってことなので、涙なくしては見られない。そして、終わるとなってからのスペシャル過ぎるテレフォンゲスト陣!!
いや、これ以上は言うまい。別れがつらくなる。

タモリさん、本当にお疲れ様でした。今まで日本のお昼番をありがとうございました。。。(2号)


※かつて、東京に行く時にスタジオ観覧に応募しようとして、すでに締め切っていたためにその時は断念したということがあったのだけど、あれ以来、応募する機会もなく、とうとうできずじまいになったことが悔やまれる。。。

2014年3月31日追記:
31日のお昼には、もういいともはないって書いたけど、その後、増刊号でお昼の最終回も31日って知りました。キリのいいところで終わらず、3月いっぱいにこだわったのか??フィナーレがあるから、昼もやった方がいいってことか?
いずれにしても、31日にお昼の放送があり、それが最終回でした。訂正して、おわびします。

posted by 2号 at 23:57| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | テレビ番組・ドラマ・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月01日

on ごあいさつ

なんと、びっくり!!

新年あけましておめでとうございます、お久しぶりの2号です。
「2ごう」と打って、2号ではなく「2合」と変換されてしまうくらいには、かなりなお久しぶりです。。。

さて。
何がびっくりって、もう1年半くらい更新してないのかと思いきや、去年、新年のあいさつをしたのは2月の8日じゃあ、ありませんか。ってことは、今年の新年あいさつの方が早いくらいだってことだ。
しかも、そのあと、1回更新してるじゃあ、ありませんか!!1年もあいだをあけてないってことだったんですね。自分的にはけっこう驚きです。「あれから5年」くらいな感覚でいたので。

幸せってヤツは、時間の密度を濃くし、長く感じさせるものなのでしょうか、てへへへ〜(ノ∀`*)ノ彡☆

その後のわたくし2号の毎日は、前よりは早起きしてごはん支度、ぐーたら時々仕事(合い間に適当に昼を済ます)、ごはん支度、ダーリンとXXXXという基本型を中心に、時々夜が外食だったり、昼間に二人でどこかに出かけたり、それが泊まりがけだったり、という感じです。

大学の先生というのは、これまでのわたくしの想像からするとかなりおヒマな方々と思っていたのですが、講義、授業というものが今は学期中の回数などがお役所から厳しく規定され、気の向くままとか体調の都合で休講とかできなくなっており、これらが基本的に平日のスケジュールの柱として決まっているために、学会や業界的な行事はほとんどが長期休暇期間か週末、つまり講義のない時に集中し、休日もきちんと取れない状態での勤務なのですね。しかも、今は、(少なくともダーリンの学校は)長期休暇も小学生よりも短いかも!?っていうくらいな感じで、まことにお気の毒な感じです。それも、諸事情により学期中に講義回数こなせてないと長期休暇期間に補講や集中講義が入って、忙しいのなんのって。。。

とにかく、休日出勤や出張がこれほど多い人というのを久しぶりに見ましたわ。

まあ、その出張に合わせて、私も仕事の打ち合わせや老親の世話で前居住地へ泊まりがけで出かけたりしておるわけで、今のところこれはこれでうまく回っているのだけど、なにしろダーリンの体が心配なわけで。

ことわっておくと、ダーリンの学校はどっちかと言うと「資格」を出すことがメインになってるので責任も重大で(卒業生の勤務先からの学校評価にも直結するし)、気が抜けないという面もあるのであって、ほかの大学がどうなってるかはよくわかりません。
でも、なんとなく、昔の大学のイメージとはずいぶん違うな〜という印象です。
なにしろ、大学で好きなことを好きなだけ「長期間」やっていたダーリン自身が、昔とは違うと申しておりますので。。。

と、新年のあいさつ(というか、そのあとの関係ない話)が長くなってしまいました。
そうそう、今年ももうマンモちゃんを受けないといけない時期だったってことに、久々の更新で気づかされました。早く予約しなくては。。。(これをダーリンの出張と合わせるのは難しかろう。どうするか)。

では、なんだかよくわからない内容になってしまいつつ、本年もよろしくお願い申し上げます。(2号)

posted by 2号 at 14:06| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・雑記・雑感・よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月14日

on がん検診。

(男子禁制)
今年のマンモちゃん。

今日は、「すてきな奥様」よろしくバレンタイン用のチョコ菓子をダンナ様のために作っていました、2号です。このわたくしが、このようなことをする日がやって来るとは。。。

いや、やって来たと言えば、今年もやって来たのは、年に一度のマンモちゃんの日。
はたして、今回の検査技師は百戦錬磨のオッちゃんなのか、修業途上にあるいたいけな若者なのか。。。

半ば胸躍らせるようにして検査室前で順番を待つわたくし。確かに、助手かと思われるようなかなり若めの女性が決戦の部屋へと入って行くのは見た。見たけど、まさか、それが。。。

。。。女性の技師は、初めてでしたわ。
若干、拍子抜けだったのは否めず。
いや、これが、何の当たり障りもなくいいのかもしれない。もちろん、男性でも、仕事としてやっているのだから何の問題もないのだけど、そこはそれ、やっぱりブログのネタになってしまうのは間違いないので。。。

というわけで、今年のマンモちゃんは特記事項なし。ということになるのだわと、わたくしも肩の荷が下りた思いがいたしました。
もちろん、去年のテツは踏むまいと、昨年、一昨々年と撮り直しをしたことも冷静に伝え(←これが大事)、彼女もテキパキと手慣れた身のこなしで「どうして録り直したのか過去のデータをチェックしてみますね」なんか言って、「石灰化の部分(良性のしこり)が撮り漏れていたんですね。状況わかりましたので、気をつけてやりますね〜♪」なんて、音符が出るくらいスムーズな流れで。。。

ところが、どういうわけか、マンモちゃんのお部屋には、女性をほんの少し、平生の心持ちではいさせまいとするような空気が流れているらしく、次の質問にわたくし、思わず意表を突かれ、軽く恥じらいを感じてドギマギしてしまいましたの。

技師「このしこりは、ご主人でも触ったらわかる感じですか?」

え”っっっっ??ご、ご主人!?

なぜ、この女性技師は、そんな夫婦のプライベートなことを訊く!?

いやいや、医療関係者がする質問なのだから、興味本位なことではないんだ(と、思い直し)、こういうのは素人の他人が触ってわかるようになったらヤバいっていうことなのかも。。。
(っていうか、どうして、この技師は、わたくしが最近結婚したことを知っているのかちら!?)※注

などなど、グルグルとわたくしのアタマの中は、この質問の意図とか真意を理解すべく忙しく回転したのでした。
そして達した結論。ここは正直に答えるしかない。

「どうでしょう。訊いてみたことないので、わかりません」

すると、今度は向こうが「なヌっ!?」って顔だ。

技師「あ、いえ、ご自身で触っても………わからないですか?」

「??」

そこで、再度、アタマグルグルののち、ようやく理解したところによると、「ご自身→ご主人」という聞き間違いがあったと思われる。。。

っていうか、ご自身であんまり触らないですけど、そういうところは。。。

でも、自分でもふだんからチェックしておくといいんですのよね、こういうのは。。。(おほほ)

ということで、一件落着。
まあ、こんな会話もご愛嬌で済みますわ、なんてったって、女同士ですもの〜o(≧▽≦)o

それ以外は、順調過ぎるほど順調。「ちゃんと写りましたよ〜♪」なんてまたまた音符も飛び出し、撮り直しもなく一発で終わりました。

それから、ゴリ田先生の触診とエコーも、何ごとも変わりなく。
終わって衣類を身に着ける時、ふと鏡を見ると、その日がんばったわたくしのおっぱいは、そこが目だとすると、その上には逆への字のまゆ、そのあいだ、中心には鼻筋を通したように2本の線がスッパリと残っていて、( ̄Д ̄)←このように、不機嫌な顔みたいになってましたの。
それなりに痛かったのでしょう、かわいそうに。。。

というわけで、また1年後にお会いしましょう。。。(2号)

※注こういう質問をされたのが初めてだったので、結婚してる人にだけする質問なのだと勝手にカン違いしたのであった。。。

posted by 2号 at 19:10| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康・からだ・ケガ・人間生態 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月08日

on ごあいさつ

いいかげん、新年もあけているので、
おめでとうございます。。。

本年もよろしくお願い申し上げます、2号です。

こんなにも新年のご挨拶が遅れたことが、いまだかつてあったでしょうか。。。本当にすみません。

あらためて言うまでもなく、今年は名字も変わった新しいわたくし2号としてスタートしておるわけですが、そのへんのいろんな雑感もボチボチ書いていこうかと思っています。

どうぞ、今後ともよろしくお願い申し上げます。(2号)

posted by 2号 at 23:57| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・雑記・雑感・よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月31日

on ご報告。

ついに、アレいたしました。

この年の瀬ドン詰まりに、大掃除より年内ブログ更新を優先する女、2号です。
またまたお久しぶりでございます。

さて、わたくし2号、ずっとブログ更新をサボってると見せかけ、何をしていたかと言うと、この12月24日に入籍などということをいたしていた次第です。
皆様が、どんな時も生暖かく見守り、時には叱咤激励、時にはやさしく慰めてくれたおかげで、この時までがんばって来ることができました。本当にありがとうございました。心から感謝申し上げます。

人のやさしさやありがたさが身にしみる、そんな今日このごろ。

左手の薬指には、指輪がハマっています。買っていただきました。ありがとうございます。
そして、ほかの誰かの左手の薬指にも、私との約束の印が光る日が来るなんて。こんな奇跡的なことがこのわたくし2号の人生に起こるなぞ、もう私の旺盛な想像力を持ってしても思い描くことができなくなりそうになるくらい、遠い遠い道のりでした。
ここでもずいぶんグチをこぼしました。そんなものを読まされながら、呆れながらも暖かく(?)支えてくださった皆様に、重ねてお礼申し上げます。

今年はいろいろな縁が復活したり、新しい縁がやって来たり、おもしろい年でした。そして、その中に運命の赤い糸がつながった縁があったんですね。
いやホント、今でも軽く信じられない心地がします。
だって、苦節十数年ですから!
しかし、それらの人たちがいて、いろいろな経験をさせていただき、今日このわたくしがあるわけです。さまざまな形で袖振り合った方々にも、ありがとう、おかげさまでと伝えたい気持ちです。

ノロケるわけじゃないですが、わたくしにはもったいない方です。神様、ここに来て、この大盤振舞はいったいどうしたわけでしょうか。こんなに幸せになっちゃって、いいのでしょうか。ちょっと気を引き締めようと常々思っているのだけど、ついつい口元がデロッと緩むのを禁じ得ません。
こうなったからには、これを何かの形でどこかにご恩返ししていきたいと思います。できることをできる時に。

夫は、このブログを知っているかどうか、実のところわかりません。誰かも発掘してきたように、何かの拍子にたどり着いてしまっているかもしれない。だとしたら、知らんふり(?)してくれてるのでしょう。
何を隠そう、わたくし2号、カレシネタ、夫ネタを書くのが長年の望みでした。私の夫となる人は…そういう(書かれる)運命を背負うわけなのだ。覚悟したまえ。

まあ、当面、当たり障りのないことから。だから、しばらくは安心してていいよ。

思えば、9月に総ざらいだのあっちのブログがどうしただの、10月に夫婦道だの、そんなことを書いてたころには、この展開はまったく予想できてませんでした。でも、運命の流れはいくつものシンクロニシティを呼び込みながらこうなっていたわけで。。。まず、何が驚いたかって、私のブログを見たよって知り合いに言われて、自分でもどうしてあんなに慌てたのかわからないけど、なぜかそうしなければならないと思い込み、異様な勢いでブログを整理したことがありました。すると、確かその数日後くらいだったのだけど、ひょんな必要に迫られてとっさに、遠距離であった夫にブログを教えることになったのです。昔で言えば文通のような役割として。あの時、「あ、ちょうど整理したばかりだから、これを教えても大丈夫だ」「整理しておいてよかった」って思った。今にしてみると、本当に絶妙なタイミングだったので、そのために運命的に、別の人がブログを見たとか言って私に整理させたのじゃないかと思えてしまうほどです。
ほかにも、ここには書けないけど、おもしろいドラマがちょいちょいちょいと続きました。なる時はこうなっていくものなんだ!?って、不思議な感じがします。

このあと、行けるところまで大掃除するので、今日はこのへんで。

皆様、本当に本年も、いや、これまでずっと、ありがとうございました。
来る年の、皆様のご多幸をお祈り申し上げます。
名字は変わっても、2号が3号になったりはせず、続けていきたいと思っていますので、これからもよろしくお願い申し上げます。来年はまた、適度に更新します!
では、よいお年を!(2号)

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posted by 2号 at 00:44| 北海道 ☔| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記・雑記・雑感・よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月19日

on 食物繊維

玉ねぎなど、その筋の方々。。。

暴風雪の予報もどこへやら、一瞬、雪は降ったけど、今日は基本晴れてます、2号です。お久しぶりです。
夏に雨が少ないと、冬は雪が異常に多くて、結局1年で帳尻合うよね、って私は思っているのだけど、実際のところどうなんだろう。以前も、今年の夏はよく晴れてたと思ったら、冬にコレだよ、プラマイゼロだよ。。。って思った年があったのだけど。。。

さて、ブログをお留守にしてると見せかけて(?)、実はあっちのブログをせっせと更新してるわけだけど、これには深いワケがあるので、訊かないでください。
というのもあって、なにげに久々にアクセスというものを見てみたらば、まったく驚くのだけど、今だに「佐々木孝介」くん、「林裕也」くん検索、けっこうあんねん。。。
どんだけ気にされてるんだ。。。

一方、同類相哀れむ、じゃなくて、類友っていうか、同じ悩みの人おんねんな。「玉ねぎ」「下痢」のダブルキーワード、強し。。。
あと、日ハム関係ちらほら。

昔はずっと、「痴漢」「SMAPコンサート」「ギプス」などの検索が多かったものだ。まあ、これらの記事も古くなったので、どんどん押し下げられていったのだわ。

というわけで、「玉ねぎ」「下痢」は、人によっては間違いないと思いますよ。かくいうわたくし2号、直近で玉ねぎたっぷり豚汁を食していたら、テキメンでしたもの。まあ、ひどくはなかったけど、明らかにいつもと調子が変わりました。

っていうか、最近思うのだけど、私に食物繊維の積極的摂取は必要ないみたいだ。
というのも、1食置き換えダイエットの健康食品(?)を、ダイエットのためではなく、栄養バランスの意味で時々摂るのだけど、某社の製品がこれでもかってくらい食物繊維が入ってるのが自慢らしくて、まったく意識せずにそれを摂取したら、ひどい目にあった。
玉ねぎも、切り方によっては物理的に繊維がそのままって感じになるので、せめて、切り方を工夫しようかなどと思ってみたりもしたのけど、よく考えてみたら、みじん切りでもダメだったんだ。。。(※)

時々、お腹がアレな私としては、それをなるべく防ぐべく、あらゆる方面から研究を重ねているのだけど、道のりは長い。。。
ちなみに、基本的にヨーグルトをいっぱい食べてるせいか、悪条件となるものさえ摂らなければ、すばらしい結晶が生み出されるのだけど、一度崩れるとしばらく立て直せないのはなぜなんだ。。。(2号)

(※)ちなみに、玉ねぎ→下痢の作用は、犬猫に与えると時には死に至らしめるというある成分が玉ねぎに含まれてることによるもので、人間でもそれが軽いレベル(下痢)で起こることがあるってことです。食物繊維の話は、それとはまた別の話。

posted by 2号 at 16:15| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 食・グルメ・料理・レシピ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする