野球のセ・パ交流戦大好き、2号です。
北海道日本ハムファイターズも、ジャイアンツに連勝して、幸先のいいスタート(いつまで続くか…)。
しかし、交流戦の唯一の難点は、予告先発しないこと(最初からそうだっけ??)。ダルビッシュくん登板に駆けつける使命を帯びている私としては、これが非常に困ります。
今日も朝から、各方面(野球に詳しい人など)に問い合わせてみたら、意見まっぷたつでした。つまり、今日か明日で。
で、出かける準備してる途中、今日は藤井くんとの報が入り、取りやめました。
さておき。
中央大学の教授の事件、犯人が教え子だったということで、逮捕されました。
動機はまだわからないけど、何かの恨みとか?
こんな事件につながってしまうのは、もちろんマレだけど、先生というのは、確かに、なにかにつけて一方的に記憶される存在ではあるなぁ、と、思わないでもない。
実は、わたくし2号にも、ひどい目に遭わされたと、ずっと記憶してる教授がいます。
大学4年のころ、私は学芸員資格を取ろうとしてました(そのほかに、教員免許も取ろうとしていたので大変だった)。
それで、博物館実習もやって、美術館でも研修して、大変だったにもかかわらず、それはそれは楽しかったのに。。。問題は、考古学。
私は誓って毎回マジメに出ていたのだが、それはかなり出席率の悪い講義で、ある日、それにキレた教授センセイが、「今日出てる人は、ここに名前を書きなさい。キミたちだけに単位をあげます」となったそうなのだ。なった「そう」と書いてるのは、なんと、その日に限り、私はとある事情から欠席していたのだった。。。
教授センセイの宣言通り、その後、試験などは一切ナシ。
もちろん、その日「だけ」、たまたま出ていなかった私が悪いには違いないけど、風邪とかのっぴきならない事情の人もいたと思う。
次の講義に出た時、掛け合ってみたけど、センセイは、出席率の低さに溜まりに溜まった怒り、うっぷんをやっと晴らしてやったといわんばかり、前回欠席の人はどんな事情でも単位はやらない、ダメと言ったらダメ!!の一点張りだった。もしかしたら、そのせいで留年した人もいたかも。
というわけで、この考古学センセイの気まぐれなお仕置きのおかげで、ほか全部はがんばって修了していたのに、学芸員資格は取れなかったのでした。
今、履歴書書いたりする時などに、このことを必ず悔やみます。学芸員資格のためのその他の単位も、まったくムダになったようなもんだ。就活、卒論、教員資格、バイトなどなど、あの大変な時期に、そのために費やした時間も。
けどまあ、仕事でクライアントの業種が芸術関係というのもあったりしたので、役に立たなかったわけでもない。と思うようにはしてるけど。
あのセンセイの、ヒステリックなまでの強引なお仕置きっぷりは、「幻の学芸員資格」とともに一生忘れないことでしょう。(2号)