2011年04月29日

on 小さな友だち。

トーリャとゴジラ。

一時期、ロシア語を学んでいました、2号です。マスターしてませんが。

んで、どういういきさつだったか全然思い出せないのだけど、エクスチェンジレッスンというのをやってました。国際交流の組織の掲示板か何かで見つけたのかもしれない。
名前は、ナターシャさん。ダンナ様が研究員としてこっちの大学に来ていた。
彼女が帰国する時、同じようにダンナ様と来ていたイーラさんを紹介してくれた。

ナターシャさんには大学生の息子がいて、夏休みに遊びにきたので、一度会った。ナターシャさんがアリョーシャと呼んでいたのを覚えてるので、名前はアレクセイくんだったのだろう。ちなみに、ダンナ様も何度かお会いしたけど、サーシャと呼んでいたので、アレクサンドルさん。ナターシャさんは言わずもがな、ナターリアさんです。

そして、イーラ(イリーナ)さんのところには、アナトリィくん、愛称トーリャがいたのです。7歳か8歳くらいで、こっちの小学校に楽しそうに通う元気のいい男の子でした。

トーリャは、私(だけでなく、たぶんすべての来客)が来るのを楽しみにしていて、なついてくれていた。私からイーラさんへの日本語レッスン、イーラさんから私へのロシア語レッスンが終わると、トーリャは私と遊びたがった。私のロシア語は全然上達しなかったけど、トーリャとのコミュニケーションはあまり困らなかった。ある時、イーラさんが、「○○(←私の名前)、彼のロシア語わかる?」ってロシア語で訊いてきた。そう問われると、確かに聞き取りにくくはあったので、そう言った。すると、「●●だからでしょう?」と。その時、ロシア語の●●という単語を知らなかったので首を傾げると、「子供特有のマンブリング」と英語で言ってくれた。
なるほど、そうだ。
でも、子供とて、文法とかは間違っていないらしい。聞き取らなくてもコミュニケーションできていたのではっきりとはわからない。けど、日本の子供だってそうだもんね。
まさにdetiという「子供たち」という単語の発音で、私はよくナターシャさんに最後の「i」をちゃんと発音することと注意されていた。何度もそういうことがあったので、「ロシア人の子供(deti)も間違えますか?」って訊いたら、驚いて「まさか!」と言った。そういうことらしい。
これらのレッスンを経て、日本語をアルファベットで書くと子音のあとに母音がつくけど、日本人の日本語の発音は、必ずしもこの母音をちゃんとは発音していないということに気づいた。しかも、子音もけっこうあいまいで、同じ文字を違うふうに発音してることがあるとロシア人に指摘された次第。その区別は?と訊かれ、日本人はそれを区別してないし、違っていたとしても気にしてないと言ったら、お手上げというふうに首を横に振られた。欧米式に。

話がズレました。
とにかく、トーリャとは言葉を越えて(?)仲良しだった。
この話を書いておこうと思ったのは、日々、原発のニュースを見てて、ふだんより頻繁にトーリャとイーラさんを思い出すようになってるから。
ロシアロシアと書いたけど、実は、この一家はウクライナ人だった。首都キエフ出身だという。
(※そういえば、以前、こんなのを書いた↓
http://miha27kininaruki.seesaa.net/article/102530881.html
これは、この母子のことだった)

ある日、イーラさんが突然語ったところによると、トーリャを妊娠中にあのチェルノブイリの事故があったと言う。私はビックリした。大丈夫だったのか訊いたら、トーリャには被曝したことの特徴が現れていたの、と、彼女は言った。それがロシア語だったので、どこまで正確に私が理解したかあやしいのだが、私の記憶の中では、その特徴は「歯」だと言っていたことになっている。もちろん、先天的な障害もなく、その後の全体的な健康状態にも問題ないということ(だったと思う)で、ただただ、それは大変だったですね、ということと、何ともなくてよかったね、という方へ話は流れたのだけど、「歯」に現れていた、というのが、今思えばどういうことだったのだろうと、とても気になるようになった。

それで、ネットで胎児、被曝、歯と調べても、なかなかわからなかった。歯医者でのレントゲンのことだったり、胎児でも安全みたいな記事ばかりで。
もしかして、「歯」という記憶は、私のカン違い、あるいは記憶違いだったのかな?と思い始め。。。
そうこうしていて、やっとこれを見つけた。
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/reports/kr79/kr79pdf/abstract-JF.pdf
この何ページ目かによると、歯を見ると被曝量がわかるってことが書いてあるように思う。おそらく、トーリャは子供にしてはその値が高かったということだったのかな。
そういえば、イーラさんはジェスチュアで歯を示しながら、何かが蓄積されてると言っていたようなことを思い出してきた。それは、放射線ということだったのか??

トーリャは、ゴジラが大好きだった。何から何までゴジラ。だから、私も誕生日やクリスマスには、ゴジラグッズや、ゴジラのビデオ(を違法に?コピーして)を贈ったりしていた。よくゴジラがどうしたとか、テレビやビデオや本、漫画で見たゴジラの話をしてくれた。札幌も攻撃されたということを、トーリャから教えてもらった。すごくコーフンしてうれしそうに(?)話していたのをよく覚えている。

奇しくも、ゴジラは反原子力がテーマではなかったかちら?
偶然とはいえ、私にとっては意味のある符合に思える。。。

そして、トーリャの一家は、ダンナ様の研究の都合でアメリカに行くことになった。私のエクスチェンジレッスンと、トーリャに遊んでもらうのも終了となった。
私たちはお互いとてもさびしく感じ、ちょっと泣いた。
最後の日、いつもそうだったのだけど、いつにも増して、まだ帰らないでとトーリャはダダをこねた。

その日、トーリャは、私に手作りのプレゼントを用意してくれていた。
お母さんが絵がうまかったので、その血を継いでいるのだろう。紙粘土でゴジラを作ってくれてたのだ。一生懸命作ったのよ〜と、イーラさんが言った。
それはまるでジオラマみたいに、プラスティックのトレイにテレビ塔と、キャラメルくらいの大きさのビル群(細かく窓がついていた)が配置され、竹ヒゴの先に刺さった飛行機はちゃんと飛んでるように見えた。
そして、ゴジラはこれ。

P1000001_2.JPG

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とてもうれしくてずっと大事にしていたけど、ホコリをよけながらそのまま保存するのがけっこう難しくて、引っ越しの時に写真に撮って、今はゴジラだけを保管している。

愛嬌たっぷりで人なつこかったトーリャは、日本の学校に馴染み、わんぱくに楽しそうに暮らしていた。最終的には日本語にも困らなくなっていた。日本の友だちと別れるのはさびしいと言っていたけど、アメリカに行くこと自体はワクワクしていたようだった。たくましく育っている感じで、どこでもちゃんとやっていくだろうと思えた。将来の夢は、ウクライナの大統領。きっとなれるよ!って、私は心から言っていた。

イーラさんは、行く先々で日本文化を広める活動をしていることが、手紙に書いてあった。その写真と、トーリャからの手紙も同封してあった。

今は音信は途絶えてしまったけど、元気かな。私のこと、覚えてるかな。私の名前を欧米式に呼び捨てで呼ぶ時の、独特のイントネーションを持つ声を今でも覚えている。でも、もうすっかり大人になってしまったよね。
いつか、トーリャが大統領になるといいな。その日を楽しみに待ってるね。(2号)



posted by 2号 at 23:49| 北海道 ☔| Comment(4) | TrackBack(0) | 人物列伝・友だち・家族・人づきあい | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月26日

on 原発7。

差別の正体。

今日は、札ドに行きます、2号です。ダルビッシュくんの日ハム最終年になるかもしれない今年は、可能な限りナマ応援します。

さておき。
コトがコト、時期が時期だけに、ナーバスになってる人の目に触れるのは避けたいと思い、こんな日陰ブログでも一応気づかってコメント欄に自己コメで書いたりしてたのだけど、今日、こんなツイートがRTされてるのを見て…どうも、やはり問題の本質がズレてる気がしてならないので、こちらに。

そのツイートはこれ↓(この引用がマズいならどこかに言いつける前にこちらに言ってくれたら削除します)

毎日新聞の「服や車に微量の放射性物質が付着したとしても洗い流せばいいし、人から人へ放射能が感染することは科学的に起こり得ない。」をよく理解しましょう。広島長崎を経験した日本人が意外に放射性物質に関する知識がないことを奇異に思っている人が多いです。


だから、この人も無意識に(?)言ってるように、放射性物質が付着してたとしたら洗い流せばいいので、万全を期して、ついてるかどうかを調べて、必要なら対処をしたらいいのでは?って、私は思うのです。
人から人へ放射能がうつるとか、私は思ってません。過去に被曝した人を差別するつもりもまったくありません。でも、今、目の前に(見えないけど)放射性物質があったら、そこから放射線が出てるのでは?とは思う。

広島長崎を経験してるのに知らないなんて奇異だって言うけど、(自分で勉強してないのかって言われたらそれまでだけど)教育の場ではそんな細かいことまで習ってないし、今まではこういう実質的な部分の知識を持つ必要性を感じてもいなかった人が大多数だと思うので、そういう言い方もないと思う。(まあ、この部分の記述はより扇情的な決め台詞を放ったようにも見えるのでどうでもいいけど)

こういう話はもういいので、はっきりと、ガイガーカウンターが盛んに反応してるような所にいた人(福島と言っても、具体的にどこから来たのかわからないことがあるのが難点だけど)には、実際に放射性物質がついてるのかどうか、ついてても洗い流したり着替えたりとかをしなかった場合は、その放射性物質がどうなるのか、どうすべきなのか、それを教えてほしい。本人だって知りたいよね?

あまりにも、みんな一様に差別はダメとしか言わないし、言われた方もツッ込んで訊くこともなく引き下がって終わりになるので、よくわからないままです。

と書くからには、毎日新聞の記事というのも見てみなくてはと思って期待して読んだけど、むしろ、ますますわからなくなりました。


福島第1原発の近隣地域に住んでいたからといって現在健康に影響が出るほど放射線にさらされたわけではない。

と安心させるのかと思いきや、やはりそのあとで、

屋外に長い時間いて服や車に微量の放射性物質が付着したとしても洗い流せば問題はない。

やはり、屋外に長くいると付着するものなんですよね?でも、洗い流せば問題ないんだから、積極的にそうするようにしたらいいのでは?もし、そういう指導がすでになされ、実践されてるなら、そういう報道なりをすればいい。全員、避難の折りにはしかるべきタイミングで必ず入浴し、着ていた物も処分してきています、って、言えば済むと思うのだけど。
でも、この差別問題に触れるのに、そこを報道しないなんておかしいので、そういう指導や対処は徹底されていないのかなって気がするけど。
あるいは、そういう対処をしなくても、放射性物質というものは、そういう地域を出て○時間くらい経てば、ついていたとしてもまったく危険ゼロなものになります(←とは思えないけど)とかいうことなら、ハッキリそう言えばいい。そうは言えないっていうのなら、やはり不安です。もし、あちこちに落ちちゃうので、その人自体にはついてませんってことなら、それはそれで問題な気もするし。


復旧が進まないことへいらだちが募り神経過敏になるのはわかるが、「未知のリスク」から身を守るためには何よりもまず正しい知識を持つことだ。

だから、そこをずっと知りたいと思ってるのですが。。。

自治体や学校などは率先して正確な知識の普及に努めるべき立場であることを改めて指摘しておきたい。

という論調はあちこちで見るけど、そういう結論付けがあるだけで、本当に知りたいことや不安を100%払拭してくれる、実例に即したわかりやすい説明は見つからない。

そして、なんと。。。

危険か安全かはっきり示せるのであればそれに越したことはない。ただ、低レベルの放射線を浴びた場合の長期的なリスクについてはさまざまな意見がある。「未知のリスク」という点では、長い年月がたってから深刻な被害が顕在化した公害や薬害も数多い。それぞれの時点で可能な限り正確かつ詳細なデータを示し、「ただちには影響がない」としか言えない根拠をわかりやすく説明していくしかない。

これで完全に、さらに不安が増しましたが。。。人やその持ち物の表面についてる場合は、その人とその人の周りにいる人はどうなんですか?
っていうか、結局、今は誰も大丈夫とは太鼓判押せないので、ついてるならなるべく早く洗い流すに越したことはないっていうふうに思える内容なんですけど。

グレーなことは避けたいと思う気持ちを持つ人はいるわけで、それを他人がどうこう言うのもおかしい。発端は「不安」なのだから、それを取り除くことが一番建設的な解決方法だと思います。むしろ、こっちだってグレーを白にしてほしいとずっと思ってるのです。なのに、どうして道徳論にすり替わってそこで終わってしまうのだろう。

よく考えたら、それが本当に無意味ないじめや差別なのだとしたら、いじめたり差別すること自体がその人の目的だとも言える場合もあり、まったく問題は別な気がして来た。今回のことは、100%大丈夫と思えたり、その差別はここがこう間違ってるので無意味ですとわかりやすく説明されれば、なくなるはずのものだよね。差別したくてしてる人はいないだろうから。
だから、早く「科学的に」不安を取り除いてほしいです。(2号)

※避難して来てから何日もたっていて、それゆえに入浴や着替え、洗濯、あるいは衣服の処分はとっくに済んでいるという人に対して不安を感じる必要がないことは、わかっています。問題は、当該地域から来たばかりとか、避難の途上にあると思われる場合。しかも、パッと見では傍から判断できない場合。
※書いてると、思いを明確にしようとするあまり不安心配が過剰な感じになって来てしまうのだけど、自分がまさに直面してるというよりは、日々これを身近に感じてるエリアの人の気持ちになって想像してる面もたぶんにあり、こういうことが起こる背景を理解したいと思って書いています。そして、放射性物質が人と接した場合、モノとしてどういうふうについたり離れたりするのかの真実が知りたいのです。また、避難者の方が、差別で悲しい思いをするなど、二重の被害者(原発と差別の)になるのはよくないという思いで書いています。

posted by 2号 at 16:53| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース・時事・芸能界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月17日

on 原発6。

風評??

「健康オタク」という言葉が社会に出て来る前から、自らその言葉を編み出し名乗っていた2号です。
それは、今流行りのデトックスに励んだり、サプリを献立メニューみたいに組み合わせて摂取したりということではなくて、不摂生と思うことをあまり無茶に続けたりせずに、運動をよくする、食事を大事にする、ムリをしないというような程度のことだったのだけど。

そんな中、お値段の問題があるので、なかなか無農薬野菜や有機野菜だけを買ったり、無添加食品だけを買ったりすることはできないのだけど(工業製品はなるべく無添加製品を買うけど)、野菜はしっかり洗う、過度に人工的なものは過度に食べないくらいの心がけはしている。

そこで、今回の放射能野菜について考えると…

やっぱり買わないです。ごめんなさい。

数値が下がってると言われても、ちょっとは通常以上ついてるの?と思ったら、パスです。
そんなこと気にしないで、農家の方のことを考えて買ってあげられる自分だったらどんなにいいだろうって思う。そしてついでに、ものすごく丈夫で、ちょっとやそっとのことじゃ寿命も縮まらないような豪傑(?)だったらどんなにいいだろう。しかし、自信がありません。。。(実際そうかもしれなくても)

ある報道番組で、ぜひ買ってあげてほしい。個人もそうだけど、社員食堂や飲食チェーンなど大口のところが買って使えばいいって言っていたけど、できればそんなこと言わないでほしい。
今だって、外食やお惣菜、加工品に、自分の望まない原料が入ってる可能性が常にある。そこに、さらにそれはやめてほしいです。
(そうじゃなくても、食品関係では、売る側が賞味期限や産地を偽装するなど、消費者をだました事件は枚挙にいとまがないのだし)。

農家の方、漁業の方は、本当に気の毒だと思います。でも、それとこれとは問題が別だと思う。政府なり東電なりが、ちゃんと補償してあげてほしい。野菜は食べなくても、私もそういう寄付ならしたいし。

風評被害。よく出て来る言葉だ。でも、必ずしも今回のこの言葉の使い方は納得しない部分がある。
たとえば、ノロウイルスの時、カキから検出された例は1件もないのに売れなくなった。これは、まさしく風評被害だと私も思った。その年はすごく安く売っていたので、毎週カキを買って食べていた。おかげで、今もシーズン中は毎週買う習慣になっている。好きだし。
菅さんが食べて今でも語り草となっているカイワレ大根の時も、風評被害だと思った。
でも、今回は、風評被害だと思う部分と、そうじゃないと思う部分がある。
直ちに健康に影響がなくても、もし、通常より多く検出されてるなら、風評じゃないと思います。私みたいな気持ち(主義(?))の人は、ムードに惑わされるわけじゃなく、当然の選択として買わない。それは、無農薬野菜を買うという選択や、形の悪い野菜を買わない(←これは私は気にしないけど)、新鮮じゃないものを買いたくないといった、みんながふだんから自然としてる選択と何ら変わらない、消費者としての自由(や権利?)でもある。

風評被害と言われる事件が起きてニュースになると、必ず、画面から生産者の悲痛な叫びが流れてくる。それが、時々、買わない消費者を責めるような言い方の時があるけど、必ずしも消費者が悪いばかりじゃないことも多い。
どんな仕事にもリスクがある。でも、第1次産業で食料生産にかかわる職業を担ってくれてる人に対しては、私も常日ごろ感謝の念を抱いているし、尊敬もしている(ゼッタイ自分にはできないから)ので、なんで彼らだけ?という意見があったとしても、私は彼らにしかるべき機関が補償してあげることに反対しない。むしろ、してあげてほしいと思う。
でも、買うべきだという強制的な言い方をされることには違和感がある。
必ずしも消費者が悪いわけじゃない、ある程度致し方ないという事情の時に、消費者を責めるようにして、自分たちは買わない人たちから被害を被っているというような言い方をするケースにも違和感がある。それ以前に、消費者が買わなくなる原因があり、生産者の方もその原因に関しての被害者なわけで、ある意味、生産者と消費者は同じ側にいるとも言えるのに。その原因を招いたのが人災なら、その大もとの加害者が責めを負うべきだし、自然災害ならリスクのうちとして、公的補償を受けてほしい。あまり消費者を責めないで、と思います。
私たちも、生産者の方が提供してくれるものを感謝して食べています。生産者の方も、消費者に安全なものを安心して食べてもらうことを旨としていただけたら、お互いよりよい信頼関係でやっていけるのではないかと思います。
生産者の方が、ちょっとでも不安のあるものは自ら出荷しないくらいの主義でやっても成り立つようなシステムが理想だけど、そんなの、資本主義下の自由競争ではムリなんですかね?

これに関連して、続きは自己コメで。

posted by 2号 at 00:12| 北海道 ☔| Comment(6) | TrackBack(0) | ニュース・時事・芸能界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月16日

on 原発5。

主義なのです。
〜放射性物質、原発などなどに関する素朴な疑問〜

忙しさの峠も下り半分まで来たところにおる、2号です。
原発関連も、依然、抜き差しならない状況でありながら、前ほど報道で取り上げられる時間が少なくなり、まるでニュースの一コーナー的になってます。「今日の原発」みたいな。

さて、わたくし2号、はるかかなたの山々を見晴るかしつつ、悠然と足元の階段を踏み外すタイプである。だから、ケガが多い。ゆえに、レントゲンを撮ることも多い。呼吸器系があまり強くなく、時々ひどい風邪も引く。そういう時も、胸部X線を撮る。毎年、マンモグラフィーを撮る。それも…

そして、自然界には、普通に放射線が降り注いでると言う。
飛行機に乗れば、上空には地上より多くの放射線があり、より多く被曝すると聞く。

だったら、そのうえにさらに、原発から出る放射性物質にまで接したくはないのだが。。。

という認識でおります。というか、これは主義です。

(※これは1カ月くらい前に書き始めて、時々加筆しつつもアップできずにいたものを、状況が変わった部分を修正しつつ書き直しているものです。)

素人考えの間違った認識だと言われようと、どんな小さなリスクでもマイナスなことは極力避けたい。この素人の、素朴な細かい疑念のあれこれを、100%正確に否定できる確実なデータ(しかも、何年も追跡調査を重ねたような)を耳を揃えてきっちり提示し、ていねいに一つずつ説明してくれるのでなければ、この主義は変わらない。グレーな点が一つでもあったら、万一のちに弊害が出た時に、たとえそれとは関係なく起こってるかもしれなくても、グレーな部分に妥協したことを後悔するだろう。因果関係なんて、神様以外、誰にもわからないのだから。後悔はしたくない。

今、テレビに出てる専門家の話も、ネットで調べる資料などでも、私の疑念を100%払拭してくれるものは一つも見つかっていない。難しくて理解できてない部分もあるのだろうけど、理解できないことは自分にとっては知識として役に立たない。公正な立場の専門家とヒザを突き合わせて、一問一答でじっくりとわかるように説明してもらわないとクリアにならないかもしれない。通り一遍な回答には念を押して確認したいし。
だから、もし問題の物質が検出されるようなエリアに住んでいたら、私は避難すると思う。少なくとも、平静とそこにとどまるのではなく、可能な限り避難しようと画策するだろう。これは、過敏に反応してパニックするのとは違う。主義だからです。(※4月16日現在は、避難区域が拡大されている)

関東圏から退避する人を過剰反応とか言ったりしてるけど、必ずしもムードに踊らされてパニクる無知な人たちということではなく、私と同じように思ってる人も大勢いるのではないかと思う。つまり、パニックして逃げてるのではなく、不安に思ってることが100%クリアにならない限りは避ける、という考えのもとに冷静に行動してるということなのではないかと。

この主義についてさらに言えば、たとえば、今検出されている放射線、放射能などが、タバコ一箱吸うよりも健康被害のリスクが少ないと言われても、はいそうですか、ということにはならない。
世の中には、確かに、危険なことがいっぱいある。でも、そのほとんどはある程度納得してリスクを受け入れているものなのであって、リスクと引き換えに個々人が自分にとってのメリットを認めている結果だと思う。タバコもそうだし(受動喫煙の問題はあるけど)、排気ガスもそう。
でも、放射線被曝のリスクと引き換えに受け取れるメリットは、まったくない。楽しくもなければ、美味しくも便利でもなんでもない。原発が生み出す電気は便利だけど、そこに、だから放射能被曝のリスクも受け入れろという契約は本来あり得ないはずなのだし。
で、個々が納得してここまでのリスクはメリットと引き換えに受け入れるとしているリスクの枠は、たぶんすでにいっぱいか、空きがわずかしかない。マイナスをなるべく避ける主義の私なんて、受け入れてるリスクの総量が、すでに枠からはみ出してる感じなのだ。だから、メリットが一つもない(医療行為や旅行とは違う、原発から漏れる)放射性物質のリスクが入る余地はありません。

というわけで、日本が想定外の事態に陥ってる今、将来のためにも、素人の素朴な疑問をまとめて書き記しておこうと思います。

■半減期
放射性物質の半減期という言い方が、ずっととても気になっている。なぜ半分?なぜ、ゼロになる時期を言えないのか?と思って調べてみたら、どうやらそれは言えないらしい。ということは、何を意味するのか?
一方、人体の健康に問題ないとはいえ、微量に残って蓄積する。という記述も見かけた。微量+微量+微量…となっていったら、どうなるのか??

■直ちに健康を害するものではない
「直ちに」ということは、急性の症状は出ないということ?それと、すぐにガンになったりしないってこと?
じゃあ、長期的にはどうなの?将来にわたって影響ないと100%保証できるのか?
どこかのテレビで学者が、「長期的な影響=データなし」というフリップを持っていて、今のところはわかっていないと言っていたけど。。。(晩発性とかいう言い方だったかなぁ?)
単に、将来的に影響が出たものは、逆に誰にも因果関係を証明できないからあえて言及しなくてもいいと思われてるんじゃないかとも疑う。
(※その後、放射能によるガンというのは、そうだと特定できるというような話も聞きかじったのだが、まだ(私は)詳しく知ることができていない。また、医学の世界でどの程度確実な診断がなされているのかも(私にとっては)不明)

■安全
世の中に100%安全なものなんて、逆に少ない。自然の食品だって、少しの毒を持っている。そういうものから体を守る免疫力などの力を生体は持っていて、健康が保たれてる。
と考える時、放射性物質だけは、レベルが低ければ100%安全なのか?影響ゼロなのか?だいたい、そんなこと、本当にわかるのか?
放射性ヨウ素のついたほうれん草を1年間これくらい食べ続けてこうなるとか言われると、そんなに大量に食べ続ける人なんていないよね、というところで思考が終わってしまう(それが狙い?)。少量でも影響受けるという確率は、本当にゼロなのか??
むしろ、たとえば一定量のアルコールの肝臓病に対するリスクを100とした場合、○○ベクレルの放射性物質は0.0XX…とかいうふうに言ってくれた方が信憑性がある。あるいは、発がん性の危険因子としては、○ベクレルで1日何本の喫煙と同じくらいというふうに。
むやみに安全と言われると、かえって信用できない。

■体質・体調・体力
そして、上記と関連して、人体に備わった防御装置は、ただでさえ、食べ物から環境まで増え続けるいろいろな危険物と闘い続け、ヘトヘトになってる気がする。若い人でも生活習慣病やガンになってる人が多いし、医学は発達したけど、人は弱くなってる印象を受ける。
そこへ、さらに放射性物質という負荷がかかったら、それ単体では「直ちに健康を害するレベルではない」という程度であったとしても、個々の個体がその影響を防ぎきれるのか?
さらには、もともとの体質(ガンになりやすいとか)、その時の体調、体力や体格の違いなどによって、受ける影響は同じとは言えないのではないか?
というと、一番弱いところに合わせて、さらにそれより厳しく安全基準を出してるのだと言うだろう。だけど、あと一歩でガンになるという人がいたとして、微量の放射性物質が最後の引き金を引くことはないのだろうか?そういう人は、それがなくても、ほかの引き金でなるだろうから、気にしなくていい、とか?でも、私だったら、そんなもので引き金を引いてほしくない。危険がわかっていて、メリットと引き換えじゃない、リスクだけしかないものは、避けたい。

■感受性の違い
さらに上記と関連して、何ごとも、ほかの人が大丈夫でも、ちょっとのことで影響受けてしまう人はいる。たとえば、水の汚染の件で、乳児は避けるようにとなっていたけど、大人だってそういう体質の人はいるかもしれない。それが自分ではわからないので、なるべく避けたいと考える。
ヘビースモーカーでも長生きな人もいれば、健康的な生活や食事をしてても病気になる人がいる。あるいは、ほとんどの人がかからないような、とても珍しい病気にかかる人が、いる。そういうことと同じで、ちょっとの量で影響を受けてしまうケース(体質)があるのではないかと、素人の私は思っている。

■組み合わせ
薬の飲み合わせや、食べ物の食べ合わせと同様、放射性物質が何かと結びついて有害な作用が増幅されるということはないのか?そういう研究をしてるかどうかわからないけど、あらゆる観点からのリスクの評価なんてそもそもムリだと思うので、人類史上付き合いの浅いものは受け入れたくない。あとから、こうでしたと判明しても、もう遅い。
遺伝子組み換え作物への拒否反応と同じ。

■代謝
放射性物質は体外に排出されると言うけど、代謝の悪い体質の人や代謝機能に問題がある病気のような人を同じに考えていいのか?私なんて、トイレにあまり行かない方だし、汗をかきにくいとかいうこともあるので、心配になる。

(※と、ここまで書いてあった)

冷静になれ、パニックになるな。と言ってる人がいる。それに対して、過剰反応してるように見える人でも、必ずしもパニックになってる人ばかりではないのでは?という思いから、自分の疑問を書き始めたのでした。「〜なのか?」みたいに書いてる部分は、「そうじゃないだろう!」というような問いつめるニュアンスでは決してなく、素朴な疑問形で使ってます。本当に純粋にそこのところが知りたいのです。逆に、わからないことはわからないと言ってほしいし。
あとは、個々で判断する。という、その一歩手前までのわかってるところを、判断材料として全部詳しく知りたい。

今は、住んでるエリア的にほとんど影響を気にせずにいられるけれど、近くに原発がないわけじゃないし、福島もさらに長期にわたった時に影響の範囲がどうなっていくのかわからないし、自分が近くのエリアに移動することもあるだろう。
今の抜き差しならない状況を見たら、将来自分の身にも降りかかるかもしれないリスクについて、むしろ、「本当に大丈夫なんだ」と心からナットクしたい気持ちなのだ。いくら避難したいと思っても、できるとは限らないかもしれないのだから。ナットクするために、100%公正と信用できる第三者から細かく説明してもらって、聞きたいこと知りたいことが100%満たされて、できればその人に、ほうれん草を自分の孫に食べさせてもOKくらい言ってほしいのだ。

というわけで、今でも、日々、新たな疑問が湧いてるけど、さらに書き足すとさらに長くなるしいつまでもアップできないのでこのへんにして、今後、追々メモしていこうと思う。

最後に、ついでに言えば、原発については、エコで継続可能である程度安定したほかの発電方法があるなら脱原発したいけど、そういうメドが立ったとしても今すぐ全部やめるわけにいかないのもわかってる。ましてや、すぐ使える完全な代替策はまだないのだし。逆に言えば、それがあればほとんどの人は脱原発に賛成だろうと思う。
そっちの方向を目指すとしても(ぜひ、そうしてほしい)、そのつなぎの間は原発を動かし続けるのだろうから、今まで内部告発的に言われてきた問題のすべてについて真偽を明らかにし、正しい評価、対策、方向を公正に示して、それに100%の責任を持って太鼓判を押す人もいっしょになって、なんなら私が自ら原発の近くに暮らし、さらには子供や孫も一緒に住まわせて見せましょう、あるいは、自分の子供も原発で働かせましょうくらいのことを言って、本当に実行してくれないかな。100%安全なら、原発の周りに電力会社の本社社屋や関連施設を全部集めて、社員寮や社員の居住地も同じエリアにしたりもできるはずだよね?そのくらいハラくくったら、今まで以上にリスク管理徹底するようになるのでは?なんなら、原発の利権に預かる人ももれなくそこの土地に住んでもらうようにしたらいいよね。原発大好きだろうから、毎日窓から原発の姿を拝んだらいいよ。
そして、私たち庶民は、太陽光発電をはじめとして自分の分くらい自前で発電できる方法を手にできるようにがんばる。町の賃貸に住む自分がどうやってがんばるのかはわからないけど、地方で広い土地がある人は、北の国からの黒板五郎家のように風車とかできるだろうし、水車もありかも(現代風な)。今はまだ私はあまり詳しくないけど、熱とか運動エネルギーとか潮力とかいろんな発電の仕組みが開発されてるだろうし(ひところ聞いたことのある燃料電池は関係ないのか?)、今回のことを受けて、そういう新しい発電システムを開発してる人たちはガゼンやる気が倍増しただろうから、スピードアップしてやってくれるだろうと期待してる。これからならスポンサーもつきやすい気もするし、前にも書いたように、私たちも寄付してもいいくらい思ってますんで、よろしくお願いします。(2号)

posted by 2号 at 13:52| 北海道 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | ニュース・時事・芸能界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月09日

on 原発4。

おフランス登場も。。。

のどかな春を粛々と享受させていただいております、2号です。
雪ってなんだっけ?

さておき、先日。
原発のエキスパートみたいな、鳴り物入りな感じで、フランスのアレバ社が乗り込んできました。

ニュースの裏が正しく読めないわたくし2号、想像だけで裏を思い描いて不安になっているのだが、来た時にあんなに注目されたのに、どうしてその後、アレバのアの字も出て来ないの?
私の予定では、彼らがこんなアイデアを出して成功しました。こんな機器を使ってこういう成果が出ました。という報道がバンバン出されて、その映像なんかも紹介される気満々でいたのだけど。。。

私はすべてのニュースをチェックしてるわけじゃない。でも、可能な限りハシゴしてニュース番組をつけてる。そして、どの番組も同じことやってる(当たり前と言えばそうなのだが)とか思っていたので、どこかでそれが報じられたら、いくら何でも気づきそうな気もするのだが。。。

当初、頼れるマダム風な女社長が、「私たちをスタッフとして使ってほしい」みたいな趣旨の発言をしたのと、東電ほか日本の関係者がプライドにこだわってる(?)せいで、あえて「アレバ社のおかげ」な部分をそうであると発表しないだけなのか?

だったらまだしもいいのだけど、私の不安は、彼らを持ってしても、これまで日本だけでおこなって来た数々の対応策以上のことはできない、考えつかないってこと=事態は彼らの想像以上にひどいってことなのかなということ。最低でも、たぶん、何かオリジナルの機械を提供するくらいはしてるんだろうと思うけど、飛躍的に事態が収束するのではないか(←素人の私はそう思った)という期待に添う活躍はできてないとしたら、それゆえにあえて名前が表に出ないように静かにしてるってことだったりする?って勘ぐっちゃうのである。
しかも、世界有数のエキスパートって感じで紹介されたのに、この事故に手際よく道筋をつけられなかったら、その名が廃るだけでなく、本国の原子力政策にも悪影響が出ると判断して、何も言わないのが無難とか思ってるんじゃないかと。
それはつまり、エキスパートをもってしても解決できない事故が原発では起こるということ。そして、それを彼らも隠したいということだ。
これら勘ぐりが本当だったら、それすなわち、福島の事故はマジでヤバいってことだよね?
まさか、その旨こっそり本国へ報告して、今後のフランスの原発についての対策、対応を見直す(強化)ようにとか進言してたりしないよね?

という、素人の妄想の暴走を止めるべく、あの女性社長に中間報告の会見してほしい。その人が大丈夫、というか、策も見えてるし見通しも立ってると言ってくれたら、けっこう安心するんですけど。
むしろ、自国の政府や組織より、よそから支援で来た方をより信頼したくなるっていうのは、日本国民としてはマズいのだが。。。(2号)

※夜に追記
アメリカから入ってる専門家チームでは、当初の数年間とそのあとの策についてある程度統一的な見解(処理のしかた)が出てるようで、窒素ガスの注入も彼らのアイデアらしいことを、今日、特番でやっていた。アレバ社は、今のところ、それ以上のことやったり言ったりする必要もないのか?。。。

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2011年04月08日

on 原発3。

原発の水、素朴な疑問。

昨日の夜の地震。緊急報道で、現地と電話をつなぐと、何人もがもう寝ようと布団に入っていたと言ったので、健康的な生活してるな〜と感心しました、2号です。
でも…そんなのんきな話じゃない、わかってます。わたくし、すっかり、もう日本沈没のシナリオが発動してるんじゃないかっていう気分になっており、運良く海外へ逃れられた日本人が、その行った先々でどういうことになるのか(普通に移民?国によっては、受け入れの特別措置法とかできたり?)ということを妄想し始めています。

さておき、依然進行中の福島第一原発の事故。今日は素朴な疑問をメモっときます。

今、毎日あらたに水を注入してるらしいけど、一方で汚染水が漏れて来てるという事実がある。
つまり、それは主に注入してる水が漏れて来てるってことで、漏れて来てるから、新たに水を入れられる(入れるスペースができる)ってことなのだろうか??

ここ数日、発見されていた海への流出経路を塞ぐことができたということがあったけど、あれだけの量流れていたのを止めたのに、別のところの水位が、私が想像してたよりちょっとしか上がっていない。
漏れる水量が減ったのか、それとも、別の方からひそかに海に漏れてるのかと思ってしまうのだが、そんなことはないのだろうか??

そもそも、これから数年にわたって莫大な量の水を入れていくという時に、その水がどうなるのかってことがイマイチわからない。
漏れさせずあふれさせず、注入し続けることってできるの?蒸発するってことなのか??だったら、その気体はどういうもので、どういうことになるのでしょう?

っていうか、注入した水を回収しながら、またそれを注入するみたいな、水のリサイクルはできないものなのだろうか、この場合?(でも、事故前はそうなってたんだよね??)
できないとして、メガフロート(?)だかタンカーだか知らないけど、そういうのに汚染水を詰め込んだら、そのあとそれはどうなる?結局、どこかに水を捨てるのか、それともそれはそのままにしてどこかに置いとくの??いったいどこに!?

あれ以来、可能な限りチャンネルはニュースに合わせるようにしてるのだけど、何かしながら聞いてることが多いので、細かい部分の疑問が解けない。。。
しかし、素人の想像の範囲では、今後再臨界とかがないとしても、難題山積でいろんなことの負担や犠牲が大き過ぎることになっているように思えて…っていうか、この処理作業を何十年も維持管理し続けていくことなんてできるんだろうか?どれだけの人とお金を投入していかなければならないんだろう?

便利な生活が、こんなにも命とか健康を賭することと引き換えだったなんて。
便利な暮らしを続けたいなら、このリスクを背負っていくしかないってことなのだろうか。便利さの度合いをどこまで下げれば、どれくらいリスクが小さくなるのか。それも、原発1基でも広範な被害をもたらすことを思えば、単純に計算はできないんだろうけど。
そして、そのリスクの度合いは、未来へ進むほど大きくなっていくような気がする。つまり、私たちは、自分たちの命や健康だけでなく、未来の人たちのそれも、今、勝手にこんにちの便利さとの計りにかけてることになる。

原発だけでなく、昨日の大きな余震(と言っていいのか…?というレベルだったけど)。
なんだか、これから家を建てるとかしても、どうせ壊れるんじゃないか?みたいな気分になってくる。土地や家やモノに執着してもしょうがないのかなぁなんて思ったり。
そんな時、いつも心に浮かぶのは、モンゴルの草原でのパオ(ゲル)の暮らし。
http://miha27kininaruki.seesaa.net/article/125215247.html
あぁいうのがいいのかもなぁ。。。(2号)

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2011年04月07日

on 原発2。

原発と放射性物質。

そんなに見てなかったニュース番組を、連日見ている2号です。
楽観と悲観が自分の中で交錯します。

原発や放射性物質について書き留めておきたいことがあったので、2週間以上前からそれを書き始めていたのだけど、次々と事態は変わり、新しい事項が出て来るので、なかなかまとめ終わらず、アップもできずにいます。

こうなったら、まとまらなくてもいいから、順々にアップしていこうかと。メモっておくなら今しかないので。

と、ここに書いて、自分にプレッシャーをかけてみました。(2号)

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2011年04月03日

on 東日本大震災。

震災から3週間、今の気持ち。

しっかし、明けない夜はないとよく言うけど、溶けない雪もないね〜2号です。なぜか今年は春の入り口がビローンと引き延ばされて、この週末も平気で雪が降ったりしてるけど、もう道路のアスファルトはほとんど出てるし、積もることはない。昼間は「寒い」と意識することもない、そんな気候になってます。

さて、今日書くこと、こんなふうに感じるなんて、私、ちょっとアタマがおかしくなってるのかもしれないけど、このごろの同じ言葉、言い回しの蔓延に、ちょっとゲンナリしてます。

一般の人は、「自分に何ができるのか、どうしたらいいのかわからなかったので、(有名人が)こうして募金活動してくれて、協力できてよかった」

有名人は、「自分にできることをしようと思って…」「自分が○○することで勇気や元気(や感動)を与えれればいいなと…」

同じ国民として、未曾有の国難に心一つに立ち向かうのはいいことだし、そうすべき、そうあるべきだし、みんな同じこと言うのも心が一つであることの証左だと思えばいいのかもしれないけど、同じ内容を言うのでも、もう少しそれぞれ違うふうに言えないのかなぁ。
マイクを向けられることに慣れてない一般の人がいきなり問われて、どこかで聞いたことあるセリフをとっさに言ってしまうのはしかたないとしても(私もそうなるだろう)、著名な人たちはもうちょっと自分なりの言葉、表現ってできないのだろうか?

あるいは、一般の人の場合は、ちょっと個性的なことを言ったとしても、マスコミが放送時にカットしてるのだろうか?つまり、言ってほしいことを言ってくれたコメントだけを選んで放送してるとか?

それに比べて、被災された方々の言葉は、それぞれがそれぞれに個別で、重い。当然と言えば当然なのだけど、とおり一辺のことしか言えない非被災者の言葉とそれぞれの思いを口にする被災者の方々の言葉の間に感じるギャップというものが、また例の、被災しなかった自分のミョーな罪悪感をよみがえらせそうになって、心を遮断したくなったりする。

それにしても、です。
自分がアスリートだったとしたら、「私が○○する姿を見ることで(被災者が)勇気や元気を〜」なんて、口が裂けても言えないな。
もちろん、一部、そういう発言してもこっちも違和感なく受け取れる人もいるんだけど(こればっかりはどうしようもなく)、どうして猫もシャクシもみんな同じこと言うんだろう。自分を見てどうこう思ってもらうなんて、どうでもいいじゃない。
復旧・復興のためにできる支援をしていきたい。そして、少しでも早くスポーツを見ることを楽しめるくらい元気になってほしいと思います、とか、それくらいでいいんじゃないの?って思っちゃいますが、そんなところに違和感持つ私って、やっぱりアタマおかしくなってるでしょうか。
一人くらい、私にできることは微々たることですが、被災者の方々が力強く町を復興させ、平穏な日常を取り戻す日が来ることを信じています。みなさんの強さに負けないように、私もがんばって行こうと思います。みたいに言う人はいないのか。どっちかと言うと、ヘタレな私はこっちな感じなんですけど。

原発の問題はまだまだ進行形だし、いぜん行方不明のままの方々も多いことから、今はまだ前を向けない方もいるでしょう。でも、そろそろ、非被災者の私たちは多少の落ち着きと余裕を持って、冷静に自分の頭でものを考えたり行動したりする時が来てるように思います。募金ほか、有形無形の支援行動はもちろん続けていきたい。でも、それと同時に、紋切り型の言葉と思考ではなく、一人一人がこの震災後の日本をどうしていきたいのか、自分の意見を持ってそれを発言していかなくちゃいけない。
16年前、阪神大震災の時のあの大ショックを受けて、日本人の価値観がガラリと(よりいい方、より高次な方へ)変わるのではないかと言われていたし、私もそんな気がしたものだった。でも、世の中はよくなったようには思えない。もちろんその他の要因もあってのことだけど。
今回はさらに規模の大きな災害となり、再びいろいろなことが問われている。被災地の復興と平行して、今出てきた問題を解決していくことで、元に戻す以上に前よりもよい日本に変えていかなくちゃいけないんだよね。と、相変わらず紋切り型の多いテレビ放送を見ながら思っておる今日このごろです。(2号)

※あ、近年少なくなってきてるけど、永久凍土というものがあったか。。。(冒頭のどうでもいい前フリの話だけど)

posted by 2号 at 22:25| 北海道 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 流行・社会現象・ブームなど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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