2011年06月29日

on 逸話。

珠玉の。

今、カレーを煮込んでおるところ、2号です。

もうずっとずっと前のことだけど、学校時代に野球部だった人が飲み会でしてた思い出話を、今でも時々記憶から取り出して味わってます。
ちなみにこの人、飲み会当時、ちょっと小太り。
野球部でも、足はかなり遅かったらしい。
そんな彼に、ある試合、監督が盗塁のサインを出した。驚いた彼は、それでも何とか二盗を決める。やれやれと思っていると、なんと、また、盗塁のサイン。
彼曰く、「いいかい、三盗のサインなんていうのはね、あのイチローにだって年に一度出るか出ないかくらいのもんなんだよ」。
ここで、私の心はわしづかまれた。こういう「へぇ〜っ!!」な話は大好きだ。実際のイチローがどうかは別にして、たとえとしてもすばらしい。わかりやすいし、ちょっと感動する。
さておき。
鈍足の彼に出た三盗のサインに誰もが目を疑った。でも、監督の指示なので、と走った。結果、余裕でアウト。スタート切った瞬間から、自分も含め誰もがわかっていた。塁で、いらっしゃいませと待ち構えていた三塁手は笑顔で、タッチする時「ほいさ〜」みたいなことを言ったと。その笑顔とかけ声は彼の脳裏にくっきりと刻み込まれ、今でもその場面を昨日のことのように思い出せるんだそうだ。高校時代の野球の一番鮮明な記憶は、この負けた試合のこの場面なのだと。
試合後に判明したコトの真相は、実は、監督はすごくトイレに行きたいのをガマンしていて、何度も足を組み替えて耐えていたらしい。で、その日はたまたま、足を組み替えるのが盗塁というサインになっていた。(試合ごとにサインを変えるなんて知らなかった!)。ごめんごめん〜と監督は言ったそうな。監督がトイレに行って以降、その日は二度とムチャな盗塁のサインは出なかったらしい。
この小さな逸話で、彼が強調したかったのは、監督がトイレをガマンしていたというオチの部分だったみたいだけど、私のツボは、三盗はイチロー級の俊足にも滅多に出ないサインっていうことと、それに絡んだ彼個人の実感のこもった話。
イチローのところで「へぇっっ!」ってテンション上がって、彼の余裕のアウトが一番の思い出ってところでほとんど心が粟立ってしまう。肌が粟立つみたいに(鳥肌って言いたくないので、悪しからず)。だから、何年経っても、私もその話を記憶から取り出して何度も味わえる。

そして、この前。
なんと貴重なことに、いっしょに写真を撮ってもらったことがある有名指揮者の佐渡裕氏の記事をチラと読んだ。音楽のプロの方々の話も、スポーツ同様、心が粟立つ話の宝庫だ。
まず、「へぇぇ!」ってなったのが、(厳密な言い方は違うかもしれないけど)「「Eフラットメジャー」はクラシックでも神的な調性」って話。クラプトンもこの変ホ長調の曲が多いって。
そういえば、わたくし、↓このような素人ゆえの超横暴な無知なことをほざいていたことがあったのだが、
http://miha27.seesaa.net/article/122490807.html
ていうか、これ↑もおけいこの実感としては今でもその通りなのだが、
実は、正しい音楽界ではこんな神々しいこと(?)になっていようとは!

ここまでが、「へぇぇっ!」の段階。
その次の佐渡裕氏の言葉が、もう昇天ものにグッと来ちゃったのだ。
「「Eフラットメジャー」は、管楽器がよく鳴る調性。一方、弦が鳴りづらい。(←あぁ、ここも「へぇぇっ!」の連続!)
だから、Eフラットメジャーの曲の時は、弦楽器の人が鳴らそうとして一生懸命やるから、ものすごく美しい通奏低音が聞けたりするんだ」って。(←言葉は正確ではありませんが)
プロの人、その道に通じる人だけが知っている真相とか真実とか。そして、ただそれだけじゃなくて、そこにいる人にしかわからない実感のこもった感想なりがついてくる。
この、現場にだけある、現場の人じゃないとわからない隠れた宝物みたいな話。そういうのを聞かせていただくのは、本当にありがたくも幸せなことです。虎児は虎穴の中にこそいるっていうか、事件は会議室じゃなくて現場で起こってるっていうか。。。臨場感とともに一瞬で高い頂きに連れていってもらって、こっそり秘密の宝物を見せてもらう。そんな気分。

というわけで、途中、カレーも食べたので、あとはシャワーして寝ます。
私も、宝物みたいなエピソードを語れるような何かを極められたらいいなぁ。。。(2号)



posted by 2号 at 23:38| 北海道 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | マメ知識(?)・小ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月14日

on 自戒。

すごく恥ずかしいこと。

これって、梅雨みたいなもんじゃ?っていうくらい、ここ数日ジメジメ…2号です。梅雨がないとか言っても、こうも雨降ってりゃ同じ。。。

さておき。
ミョーにずっと、「恥ずかしいこと」「カッコ悪いこと」に対して過敏症(?)になっています。

きっかけは、ある日の電車の中のできごと。
そこから、いくつかのことが連鎖的に思い起こされたりシンクロしたりして、奇妙にずっと尾を引いておるのでした。。。

電車の中のできごとは、よくあることだった。
若い男が乗って来て私の隣に立ったのだけど、発車の時に大きくバランスを崩してドスンとぶつかって来た。よくあることだよね。(ちなみに、周りの客の位置関係から見て、彼も誰かに押されたわけではなく、自分でよろけたと思われる)。
けっこうドスンだったので、ビックリしてそっちを見た。顔も見えた。特にヤンキーって感じでもなく、見た目普通のありきたりな若者。
なんとなく、自然に「すみません」とかなんとか言葉が来るイメージだったのだけど、何もなかった。

ケガしたわけじゃなし、別にいいんだけど、私が一瞬反射的にそっちを見た時に目が合ったのが彼的に気に入らなかったのか、あるいはもしかしたら、若い男(筋力、反射力、注意力などが人生でピークなはずの)なのに、電車の発車くらいで(←揺れるのが当たり前)あんな失態を見せてすごく恥ずかしかったのかもしれないけど、謝らないどころか、ことさら不機嫌な顔をしてプイって感じの態度をしたので、私も逆にちょっと気になった。
そしてその態度を見て思ったのは、「人として恥ずかしい」ってことだった。この思い方は自分でも意外だったのだけど。「小さいヤツ」とも思ったし、「カッコ悪ぅ」とも思った。こういう時、とっさに自然に「すみません」的な言葉が出て来ないなんて…と内心怒るのが、いつものパターンだったような気がするんだけど、本当に意外な思い方だった。

そんな、自分でも不思議な意識でいたせいか、我を忘れて、電車のガラスに映った男の顔をボンヤリ眺めていたのだな。気づくと、向こうもガラスの中でこっちを見てる。それが、スゴいガン飛ばしていて、ビックリ。これまた、いつもだったら「さわらぬ神に祟りなし」とかビビって、慌てて目をそらすところだったと思うんだけど、それを見てますます、「なんかこの人、ホントにカッコ悪いな…」って気分になったんでした。スマートに自然に「すみません」って一言言えば終わりで、しかも好ましい人になれるのに、自分の非の上に恥を上塗りしてる。そのみっともなさ。本当に恥ずかしいと思ったし、その手の人って哀れだなって感じにもなって、目をそらすのも忘れてしまった。
すると次の瞬間、男はもっと恥ずかしい(=わかりやすい)ことをしたのです。私のことを頭の先から足の方までこれ見よがしに眺めてから、もう一度ガラスの中で目を合わせてプイって態度を見せつけた(つもりなんだろう)。まあ、バカにした態度で相手をおとしめて自分が虚勢を張る、みたいなことか?

こうなるともう、むしろおかしくて、相手が目をそらしたのをいいことに、もうちょっと見ていた。それから降りるまで数回、男はガラスの中でこっちを盗み見た。まだ見られてるかどうか気になったのかな?こっちを見て少しにらんでは目をそらす。私、もしかするとちょっと笑っていたかも。だって、バカみたいなんだもん。もう、恥ずかしいし。向こうは自分で事態を収拾できなくて、あとに引けなくなってたんだろうな。そもそも無意識に顔眺めちゃってて、ごめんね〜。
男が降りて行っちゃってから、私自身もそんなことに意識が引きずられてたなんてアホらし…って、ちょっと反省したけど、本当にあぁいう恥ずかしいの、見なきゃよかったって、つくづく思いました。どんより。。。

それから電車がすいたところですわって、本を開いた。
すると、群像劇仕立てのその小説(by 江國香織)の中で、ある中年男が大学生の女性にちょっかい出されて、流れのままにホイホイと応じる場面が出て来た。ここでも「恥ずかしい!」って気持ちになった。カッコ悪いし、子供っぽいし、しょーもない…って感じでゾッとする。コヤツ、すでに別の若い女と浮気してるのに。
折しも、最近読んだ別の小説でも、主人公のダンナが一回り以上も若い女と浮気して離婚へとそそのかされてしまうという話があったばかり。こんなにこのパターン(中年男と若い女性)が小説に描かれるってことは、よくあることなんだろうし、想像に難くない。けど、現実的に考えると、やっぱりカッコ悪くて恥ずかしいし、呆れる。若さにつられてデレデレと、実は格下かもしれない相手のレベルに自分をもおとしめてるふうに見えちゃうってことが本人にはわからず、サガ(?)丸出しな感じ?
理屈ではない、好みの問題(日本の男は特に、若さに価値を置くっていうある種の幼稚さがあるとか言うし)と言ってしまえばそれまでだけど、そこになぜか人間の弱さみたいなものも感じてしまう。どうせ浮気しちゃうんなら、せめて年相応な相手である方が、この、端から見ると恥ずかしいと思ってしまうようなカッコ悪さだけはなくて済むのにな、とか。

小説のその場面にミョーに感じ入りながら、ふと周りを眺めると、電車の空いた席に突進するのも恥ずかしいし、ケータイ見ながらノロノロと歩いて人の流れの妨げになってる人も恥ずかしいし…。こういうのも、結局、人からどう見えてるかがわからないからなのだろう。
仕事してれば、肩書きをカサにきて横柄だったり威張ったり、大したことないのに自分を大きく見せたり、そんな人はたくさんいる。本当にスゴい人ほど、謙虚で、人を上手に使って双方が生きるような仕事のしかたができる。そういうこと、わかんないなんて、恥ずかしいなぁ。
こんなふうに何から何まで、芋づる式に。人間って恥ずかしい生き物だなぁと思った次第。

あの日以来、人間の弱さ、小ささ、カッコ悪さ、ゆえの恥ずかしさがミョーに増幅されて感じられ、そんな中で自分も同じく醜態さらして生きているんだろうなぁと思いっぱなしで、本当にごめんなさいな気分だったりもする。
自分も含めて、人間というものにちょっとガッカリな今日このごろ、いったいどうしたわけなのか。。。しかも、ずっとそういう「恥ずかしさ」「カッコ悪さ」に意識が行ってる状態が続いて、最近では人間社会を見てるとおシリのあたりがモゾモゾする。誰かビシッとカッコいいところを見せて、私をガッカリから引き戻してくれないかな。。。(2号)

posted by 2号 at 15:22| 北海道 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 実録・事件簿または頭に来た! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月08日

on 原発11。

限りなく0に。。。

えぇお天気です、2号です。春からこっち、寒くてどうなるかと思ったけど、本当に夏は来るとみていいのか?

その後、仙台の友だちとも濃密な連絡が取れ、少し事情がわかってきました。避難所のお手伝いなどもしていて、忙しかったらしい。子供は情緒不安定になってるとのこと。そうだよね。私が子供のころも関東に大きな地震が来るって盛んに言われていた時期で、いろいろ想像しては浮き足立って過ごしていたのだから、実際にその目に遭ってしまったら…察するにあまりある。

さて、なぜこのタイミングなのかよくわからないけど、今、たくさん報道し始められてる、各地で放射線量を気にする親たち、という話。こうして報道されるようになる前までは、放射線量を気にしてなかったのかどうか知らないけど、実は不安に思う人が多いってことに、むしろ安心しました。
そして、今朝、「安全基準とか言ってますが、限りなくゼロに近い方がいいわけで…」という発言を、私としては初めてテレビで聞いた気がする。

ドイツでは、脱原発という方針を決めた。そのせいなのか、最近やっと、自然エネルギーなどの可能性が堂々と取り上げられるようになってる。こういう流れが目に見える(?)ようになっていくには、これくらい時間がかかるってことなのか、それとも、日本民族の日和見的体質なのか。。。

いずれにしても、よい流れと思われます。
ゆうべ、何かでチラッと見たけど、日本は世界で稼働中の地熱発電施設において7割のシェアを持つって。やろうと思えばやれるんだってわかって、ちょっと希望が湧いてきます。
あとは、福島原発が無事に収束することと、その他の原発の停止&廃炉&他エネルギーへの移行を進めていく道筋をつけていくこと。私が生きているうちに、日本が完全に脱原発するところが見たい。(2号)

posted by 2号 at 12:03| 北海道 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | ニュース・時事・芸能界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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