2011年07月27日

on また手紙。

FBおそるべし。。。
〜そして、手紙のこと。

雨降るって言ってた?ったくもう、降らないはずなのに降ったらしい。2号です。

大変!
昨日、あんなコト書いて、今日、ふと気になって検索してみたら、FBにいた。。。

もしかしたら、生きていないかもしれないと、勝手に思っていた。
おそらく、手紙での、自分の家系の話の時に、早死にの家系とかなんとか書いてあったか、早死にの予感がする(職業柄?)とか言ってたかして、そんなようなイメージがあったのだろう。
しかも、今回の古い手紙の整理は年代順に見てるので、どこでどうなって文通が途絶えたのか、まだ調べ(?)がついてないのだが、最後は行方不明になったという印象が残っている。あっちがほかに気にかける人でもできたとか、結婚でもして消えただけだったかもしれないけど、放浪してどこか遠くで息絶えた!?みたいな妄想も、私の中にはあったりしたので。

そして、驚いたことに、FBによると、生きてはいるのだけど、放浪も大放浪、その結果、今、海外にいるみたいだ。

もともと、生い立ちが複雑な環境の人だった。
本当は、仲の良かった数人の男女で、いっしょの高校に行ってただろうに、突然、学費の要らない(給料の出る)学校へ入ることになり、遠くに行ってしまった人だった。(だからこそ、「文通」という形で交遊(?)していたのだが)。

しかし、手紙というのも、とっておくもんだ。
何年かで捨てちゃうって人もいるみたいだけど、今回、人生で初めて、膨大な量の古い手紙(8、9歳くらいからの)を見返すということをしてみて、これが、こんなにおもしろいことだったとは、驚きだ。
年代順に見ると、みんな、鉛筆書きの大きな字の短い手紙から始まって、だんだん字がうまくなり、内容も子供子供したものから、おませな感じになって、思春期特有な感じになって、急に大人びて行って…みたいな成長が、手に取るようにわかる。当たり前だけど。
そして、言葉の端々から、私が出したであろう手紙の内容も垣間見える。悩んでいたり、落ち込んでいたり、何枚もの旅行記を書き送ったらしいこととか、もちろん、恋をしていたこととか、勉強のこと、etc.
「長い間、お返事しなくてごめんね」とか「◎◎の長い手紙をしばらく読めなくてさびしかったよ」とか、お互いの返信がだんだん間隔があいていったような形跡が見え、次の年の束の中には、その子の手紙が一通もない、みたいなことになっていたり。子供のころの友だちは、会えずにいると、年代とともに疎遠になってしまうものなのか、と、しみじみとする。
自分も転校続きだったし、相手が転校して行ってしまったケースももちろんあるし、中学進学で別れたり、高校進学だったり、文通のきっかけは、ある種の別れがあってのことだったんだなぁと、当たり前のことも思う。差出人の住所もいろいろで、遠くは九州熊本だ。宛て名の私の住所も、東京、仙台、北海道山越郡、そして、札幌とさまざま。
「また引っ越したのね?」みたいな驚きを、正直に書いて来てる子もいる。1年に2回も住所が変われば、確かに驚くよね。
日本全国津々浦々、とまではいかないまでも、見てると、何か壮大なやり取りをしていたような、楽しい気分にもなる。

会いたい人がたくさんいる。
こんなにもたくさんの言葉を交わした人たち。どうして途絶えてしまったんだろうと、むしろ不思議に思う。私がもっと大切にするべきだったのか?理由はまだわからない。(まだ、全部見てないから)

ひとつ、達筆なハガキがあった。
なんと、その熊本に行ってしまった女の子のおじい様からで、一時期、祖父母宅に住んでいたらしいその子が引っ越して行って、おじい様はまだその住所を知らない、だから、わかってから私の手紙を転送するので、その孫娘からの返事が遅れていくと思うが、了承してください、みたいなことが書いてある。
なんかもう、胸が熱くなってしまった。なんと律儀な。もったいない。。。
確かに、そのようなあたたかいおじい様を持つその子の手紙は、特にたくさんあって、大人っぽくてやさしくて、とても素敵な友だちだったということが、文面からわかる。もちろん、ほかにも素敵な友だち、素敵な手紙がいっぱいあるのだけど、数において、その子のが群を抜いていた。

今思えば、祖父母宅に身を寄せていた、というのが、どういうことだったのか。当時の私は気にもしてなかったのか、子供ゆえにそこまで考え及ばなかったのか、単に忘れているのか…何があったんだろう?自分が祖父母宅に身を寄せていた時は、父が突然死して、ほかに行くところがなくて、という事情があったのだけど、その子にも、何かそういうことがあったのだろうか。
あぁ、会って、話したいねぇ。

っていうか、今、私は、たまたま三浦綾子さんの小説を読んでいる。
読み始める前、ちょっと躊躇した。というのも、最近読んでたのは現代的な軽め(?)のが続いていたので、小説然とした正統派のもの(と私は勝手に思っていた)に、気分的について行けるだろうかと。
ところが、これが、読んでてとっても気持ちがいい。文体とか表現とかが極めて「普通」で、それはむしろ、文や表現にムダがなく、スッキリ内容を淡々と伝えることに徹してる(作者の無意味なキャラが垣間見えない、みたいな?)からかもしれなくて、なんか、すごく新鮮なのだ。
そして、古い年代のことを書いてて、書かれたのもずいぶん前だからなのだけど、会話が古き佳き時代の礼節を漂わせた雰囲気で、女学生なんかが「〜じゃなくってよ」みたいなしゃべり方なのが、ミョーにグッと来てしまう。いいなぁ、こういう時代に行ってみたいな〜と、まさに萌え(←死語?)状態で読んでると言っていい。
そして、古い手紙の中の、私の友だちたちの言葉も、「〜なくってよ」までいかないまでも、それに近い趣きがあることに、感動してしまっておる。トシとともに、こなれたようなくだけた表現も増えるのだけど、要所にはていねい語が使ってある。これが、やはり新鮮で、気持ちがいいのだ。
これだけで、全員、すごくいい子に見える(!)。言葉って、大事だ。

世にメールというものが出て、カタいとかつまらないと思われないための、メール用の軽い言葉遣いが推奨され、「これ、誰?」みたいな、およそ本人のキャラとかけ離れた言葉遣いで、なおかつかえって無個性に見えるメール(の言葉)に反発を感じて(もともと手紙などを書きつけない人たちまでも、手紙(らしきもの)の世界に闖入して来てかき乱してる、みたいな?)、しばらくの間、私は従来の手紙みたいな言葉遣いのメールを書いて抵抗していたのだけど、古い手紙は、そんな私ですらいつの間にか忘れていた、かつて好きだった言葉の趣きみたいなものを、もう一度味わわせてもくれる。
こう言ってはクサイのだが、まさに「青春」の忘れ物が届いた感じ。そうとしか、言いようがない。

今でも、時々手紙をやり取りする友だちはいる。やはり、その手間、その時間、その人のために割くというのは、とても貴重な感じがする。それゆえに、その人との関係も、その分大切なものになっていく気がする。
今やり取りした手紙を見返す日が来るだろうか。それは、正真正銘、老後(の楽しみ)になるのかもしれないな。でも、やっぱり、楽しみ♪
あとから見て、恥ずかしくないものを書こう。それはつまり、恥ずかしくない生き方をしよう、ということでもあるのだが。。。(2号)



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2011年07月26日

on 手紙。

過去の栄光(?)。

予想最高気温と、体感温度が一致しない今日このごろ、それなりに生きております2号です。

さて、このようなわたくしでも、何度かラブレターをもらったことがあります。
まあ、子供のころは、みんな、そういう経験があるでしょう。

一番よく覚えているのは、「君のためなら死ねる」って書いてあるものだった。
これは、文字通り強烈で、小学生が買うにしては高価なぬいぐるみとともに、放課後の教室で渡された。
ほかに数人の見物者がいたので、恥ずかしくて死にそうだった私は、どうしていいかわからずに、火照った顔を隠すのに机に突っ伏して、そのまま動けなくなってしまった。

そうして、どう収束させたのか記憶があいまいだけど、返事を待っていたその男子も結論を翌日以降に持ち越したらしく、私が友だちに促されて下校する気になった時には、教室からいなくなっていた。
もう暗くなっていた。

ぬいぐるみは、持って帰った。
大人になっても、しばらく部屋にあったから。

そういう行為も好意も、うれしくなかったかと言えばもちろんそんなことはなかったろうし、その後もお互い意識していたことは確かなんだけど、小学生だったし、特段つきあったりという具体的な展開はなかった気がする。

とまあ、このラブレター事件はクラスも注目していたところで、自分でもショーゲキの瞬間とか鮮明に覚えているし、その時の手紙がのちのち、古い荷物の中から出て来て大いに懐かしんだという経緯もあった。

その他、私の下校途中に家があって、私が通るのを待っていて、王子よろしくウヤウヤしくひざまずいて手の甲にキスしたがった男子(小学生)というのもいた。
中学では、卒業間近の時に、ある女子の写真をもらって来てほしいと私に頼んできて、その人の名前は明日メモに書いて渡すからよろしくなんて言って、翌日「あなたの写真をください」って書いたメモをよこしたヤツがいたり、男女4、5人くらいで、お互いに直接気持ちを言えないのを伝え回し合ったりとか、まどろこしいこともしていた。
別な男子に私の好意を伝えてくれた男子から、ずいぶんあとになって、告白を受けたりなんていう後日談もあった。
その人とは、その後、大人になっても文通していた。
一度、プロポーズめいたことを書かれたけど、ほかに好きな人がいたので、ウヤムヤになってしまった。(当時から、実は一番大事にすべきだったかもしれない人から告白される時に限って、別の人に不毛な片思い中で、大きな魚を逃すという、間の悪い女だったみたいだ)。

卒業後、1年以上経って、「誰これ?」な人から手紙が来て、デートに誘われたこともあった。あぁ、あの小デブちゃんだ!と思い出し、興味を持って出かけてみたら、やせて、あまりにカッコよく変わっていてドキマギし、むしろ引いてしまった。何度か会ったり、手紙をやり取りしたりしたけど、突然現れられてもピンと来ないし、別人になってて違和感もあったしで、ついていけなかった。

今、こんなことを書いているのは、たまたま古い手紙を整理していたら、これら思い出せる記憶のほかに、まったく忘れていたものがあって、その手紙がひょっこり出て来て驚いたからなのだ。
それはなぜか、ある女の子からの普通の手紙の封筒の中にいっしょに入っていた。

勉強のノートを細長くちぎった紙に書いて、同じノートでホチキス留めして作ったポチ袋くらいの大きさの封筒に入っている。
「ぼくは、◎◎さんのことが好きです。あなたはどうですか。もし好きなら手紙をください(100字以上)。●●(←私の仲良しだった女子)にはぜったいわたさないこと。自分でもってくること。へんな顔をしないこと。(←意味不明)
もし約束をやぶるとぼくはだれかさんを好きになります。明日の放課後まで。一人でくること。もし守れたらかわいいかわいいしてあげる。
△△より」
裏には、相合い傘に自分と私の名前。その下に、「とってもあいしてる」と書いてある。

なんと、それは、私もひそかに好きだった男の子だった。
これが入っていた封筒の中の、女の子(転校して行った子)からの手紙には、書き出しの私の名前の上に、その男の子の名字がついてる。(お互い、好きな人の名字をつけて手紙のやり取りするような、他愛ない年ごろだった…)。
それで、なんとなく記憶がよみがえってきたのだけど、私はこの子が好きだったので、ほかの子が注目する中、「死ねる」の子に対してどうしていいかわからないというのと、そういうことされて注目されるのがあまりに恥ずかしい年ごろだったせいで、ずいぶん長く机に突っ伏していたのだった(のであろう)と。
で、この二つのラブレターは、おそらく、同じころ、競うようにしてもらったんだったと、おぼろに思い出した。
そして、やはり小学生ゆえ、相思相愛を確認して満足して終わったのか、こっちの子ともつきあったりなんてことはなかった。(あぁ、昭和の純情。。。)

ここで、今の私が驚くのは、(長じるにつれ、こういうモテ期がなだらかに下降したことを悔やむ、というのはさておき)、好きな人以外からのものであっても「君のためなら死ねる」という文句は、子供ながらに(子供ゆえに?)あんなにもショーゲキ的に心を打ったということなのか、好きな人からも告白の手紙をもらってうれしかったはずなのに、それは忘れていて、あっちのショーゲキと恥ずかしさの方が強烈に刻まれて、いつまでも覚えていたということだ。
女の子との文通では、長期にわたり毎回△△の名字が私の名前につけてあるので、「死ねる」発言で心変わりしたということもなかったようなのに。

そして、もう一つ驚くのは。
この△△の手紙。
ナニ?この上から目線。命令口調。わずか11、12歳くらいで!
当時はそんなふうに思わなかっただろうけど…私って、男を見る目が、このころからなかったのか。確かに、見た目は不良ぽくてカッコいい感じではあったが。
おそらく、「死ねる」クンの方が、思春期のこの思い詰めた重たさを克服したあかつきには、△△よりずっといい男になっていたに違いない。と思える。まあ、見た目はアレだったけど、私も高校くらいからは決して面食いではなくなっていたゆえ。

っていうか、あのころにもどりたい。。。あの栄光の日々を、もう一度!今度こそ、わたくしは、対応を間違えません!!(2号)

※しかし、不思議なのは、当時の写真を見ても、自分がどうしてそれなりにモテたのかが、あまりピンと来ないことなのである。。。クラス写真を見ても、こっちの子の方がかわいいのにって子がいるのだが。。。

posted by 2号 at 19:11| 北海道 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 恋愛・結婚・男と女・人生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月21日

on 名前。

名前負け。

ここ数日、寒い、2号です。
近年のこのエリアの傾向として、5、6月の早い時期に、その時期にしては暑いという気候になり、肝心の夏本番が近づいてくるとトーンダウンするって気がする。

そんなことはさておき。
わたくしの人生を振り返ってみるに、間違いなく「名前負けしてる」と言わざるを得ない。
このことは、(今も若いがもっと)若かったころから、言われてることでもある。

で、今回の女子ワールドカップでなでしこジャパンをキャプテンとして率い、MVPと得点王にも輝いた沢穂希選手ですよ。
「ほまれ」という音(おん)は「誉れ」を連想させるというか、この音ありきで漢字を当てたのではないかと思われるのだけど、普通の親は、「名前負け」を恐れて、こういう名前をつけるのを躊躇するものだと思う。(沢選手のご両親の意図など、真相はわかりません。あくまで、私の想像)

しかし、沢穂希選手は、名前負けどころか、「名は体を表す」をやってのけたわけで。。。

まったく、すばらしいことです(←すご過ぎて、これしか言えない)

ちなみに、蛇足。
名前のことを考える時、いつも思い出してしまうことがある。

小学校4年の時、(自分の)名前の漢字が、名前としてはどういう意味を持つか(=込められてる願い等)を調べてくるように、という宿題が出たことがあった。

先生は、口を酸っぱくして、言った。両親がどう考えたかではなく、あくまでも、「漢字そのものが持つ意味」を(自分で)調べるように、と。

あぁ、それなのに、それなのに。
翌日の発表時、
「なんとなく好きな名前だったからつけた」って言ってました。とか、
「おじいちゃんが決めたから」「お寺の人が…」
などと、イケしゃあしゃあと答えていた「充」くんをはじめとする、何人かの児童。
まったく、同年齢のクラスメートながら、呆れたもんだった。先生は、そのたびに「はぁ」とため息をついて、やり直しを命じていた。

それにしても、両親も両親。
宿題の意味を考えたら、訊かれてそう答えて終わり、っていうのも、親としていかがなものか。っていうのが、このトシにして、新たに加わってきた感想。

そして、この思い出を愛でた(?)あと、必ず、連想されるのが、「しもべ」ちゃんという名前の女の子のこと。ちょうど、4年生の時の友だちの一人だったせいもあって。
そして、その子は、今のところ、私の人生で唯一出会った「男言葉でしゃべる女の子」だったのです。
髪はもちろんショートカットで、スカートをはかず、しぐさとかも男っぽくてかっこよかった。
でも、私にとっては不思議(な存在)だった。まず、名前からしてが。
しもべ=僕。
だから、男の子みたいになっちゃってるのか??と。

名前、おそるべし。(2号)

posted by 2号 at 16:10| 北海道 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 学校・教育・勉強・先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月14日

on ムーミン。

ムーミンのお話。森のおばけきのこ!?

今日は、久々のマジ雨だった…2号です。ヒンヤリしてるような蒸してるような、よくわからない気候です。

さて、こんなわたくしでも、たまに、自分でもえらく感心することをしでかしてることがある。(特に、昔)

その一つが、「ムーミン紙芝居」なのである。

私は、子供のころからムーミンが大好きで、それは今も変わらない。
アニメから入っているので、のちに小説を買ってもらった時、まだメチャメチャ子供だった私は、そのあまりの大人っぽさ(?)に面食らったものだった。
なかなか読み進められないのを見て、親があとからコミック版などを買ってくれた。それも、TVアニメに比べると、若干大人ちっくだったのだけど、なにせ、あの絵が大好きだったので、全面が絵であるコミック版には満足した。

ちなみに、この、子供の頭で想像してたより意外に大人っぽい世界だった…という衝撃は、あのスヌーピーのコミックを初めて見た時と似ている。

というわけで、元来アニメ好き(正しくアニメを見て育った)の私は、そのほかにもいろいろなアニメを今も愛し続けているのだが、子供の時分に知ったもの以外は受け付けない。今のものは、世界観とか作風が、全然違う気がするのだ。
唯一大歓迎できたのは、ジブリくらいだ。
あ、あと、ちびまる子ちゃんとかあたしンちとか、何歩か譲ってクレヨンしんちゃんくらいまで。でも、あの、国民的アニメとなったまるちゃんでさえ、ちょっと違うものを感じないでもない。

そんなことはいいとして、ムーミン紙芝居である。
この、お手製の紙芝居(たぶん、20〜30枚以上の構成)は、まだ手元にある。がらくた処分をしてる時、これが出て来て、私は驚いた。記憶にはあったけど、まだ残っていて、しかも、こんな大作(?)だったとは。。。

忘れもしない、おそらく私が中学生くらいで、妹が小学校に入ったか入る前くらい。
せいぜい、低学年時だったはず。(私たちは8〜9歳離れている)

ある日、妹のところに、いつもの同級生の子が遊びに来ていた。
そこで何を思ったか、私は突然、頼まれもしないのに、紙芝居を作って読んであげたくなった。お手製の紙芝居で、びっくりさせようと思った気がする。
そして、自分ですごいと思うのは、その子が帰ってしまわないうちに!と、大急ぎでその場で完成させたことである。

もちろん、鉛筆描きで色も塗ってないし、絵がすごくうまいわけじゃない。
でも、とっても雰囲気が出ていて、今見てもストーリーを伝えるには十分過ぎるできばえだ。おそらく、2時間とかからずに出来上がったと思う。

かくして、頼まれてもいないのに、二人に見せながら声色を使い分けて読んで聞かせ、大した好評を博したのである。

なぜ、今、こんなことを書いているのかと言うと、そのストーリーまでをも、私はオリジナルでチャチャッと作ってしまったのか、ストーリーは、本家のお話、あるいは日本版TVアニメにあるものを拝借しているのか、それが覚えていなくて、知りたいと思っているということを記しておきたいから。ともすると、ストーリーまで自分で考えたと思い込みそうになるので。

よく、懸賞などで当選した作品が盗作だったとかあって、あとで、応募者が、そのモチーフなりが創作ノートに書いてあって、実はどこかで目にしてメモったものだったのに、それを忘れていて、自分が考えたとカン違いして使ってしまったという弁明が聞かれたりするけど、それって、すごく、わかる!って思うのだ。うっかりすると、ありがちだ。

ネットという便利なものがあるので調べてもみたのだけど、私の紙芝居と同じストーリーは見つからない(オリジナルのすべてのストーリーが網羅してある資料が見つかったわけじゃないけど)。唯一、アニメ版の全回のタイトルリストみたいなのはあって、それにあやしいのはあるのだけど、定かじゃない。

もし、誰かがいつか偶然ここを見て教えてくれるかもしれないし、ということで、一応、その紙芝居のお話を書いておきたいと思います。
お心当たりのある方は、ご一報願えれば幸いです。


「森のお化けきのこ」
ムーミンとノンノン(注:スノークのお嬢さん、あるいはのちのアニメでフローレンと呼ばれたムーミンの女友だち(?)が、最初のアニメではノンノンとなっていた)が遊んでいると、廃屋のはずのきこり小屋の方から不気味な音が。
二人が行ってみると、ミィが秘密の大工仕事をしている。誰にも言わないこと、そして、仲間になることを条件に、何をしているか教えてもらう。
なんと、ミィは、幽霊馬車と、張り子の大きなお化けきのこと、粘土のドロヘビを作って、森でみんなを脅かして遊ぼうと企んでいた。

気がノらないながらも、教えてもらってしまった手前、二人はそれを手伝って、森の近くでムーミン谷の人々にいたずらする。
おびえた住人たちはヘルム署長のところに駆け込み、大騒ぎ。恐ろしい化け物の正体も怪現象の原因もわからず、とりあえず、署長は森を立ち入り禁止にする。森は、誰も近づかない恐ろしい場所になってしまった。

そんなある日、3人はヘムレンさんのパーティに招かれ、おめかししていっしょに出かける。
ところが、急に天候が崩れて、ノンノンはリボンを濡らしたくない、ミィはミムラ姉さんからコッソリ借りて来た帽子を汚すわけにいかないという事情もあり、森の中の近道を通って行こうということになる。
しかし、森に入ると、天気はますます荒れ、困った3人は近くに小屋を見つけて逃げ込む。

そこには、おばあさんがすわっていた。
どうして、こんな暗いところに一人で座っているのかと問うと、あの音が聞こえるかい?とおばあさん。確かに、台所の方で、バリバリと大きな音がする。
「お化けきのこが食料を食いあさり、しまいに、この家も食べ始めた。もうすぐ、台所を食べ尽くしてこっちへやって来て、私も食べられてしまう。その運命の時を待つしかなくて、こうしている」とのこと。
すると、ついに、バリンとドアを破って、お化けきのこが現れて、みんなに襲いかかる。
それは、どう見ても、3人が作ったあの張り子のきのこそっくり。

ごめんなさい!と叫ぶ3人。
すると、きのこは輪郭がボンヤリとなり、森の動物たちが飛び出してくる。
そして、おばあさんは、若く美しい女性の姿に。
みんなの憩いの森を、恐ろしく、さびしい場所にしてしまった3人に反省を促すべく、動物たちがきのこに化け、女性もおばあさんに化けて、ひと芝居打ったというわけだった。
3人の反省の気持ちを確かめて、女性が、もうしないようにと念を押すと、動物たちも女性も小屋も消え、天気のよい美しい森の風景が現れる。

3人は、署長のところに謝りに行き、ムーミンは帰ってから両親に森での出来事を話す。それは、きっと森の精だよ、ということになる。
外では、ノンノンが誘いに来た声がして、ムーミンは元気に外へ飛び出し、二人は仲よく遊びに出かけて行く。

おしまい。


ということになっております。

中学生で即席で絵を描きながらストーリーもここまで考えたかどうか、かなりビミョーなので、誰かの記憶にあるのであれば、これはおそらくTVアニメ版にあった話なのだろうと思うところなのだが。。。(2号)

posted by 2号 at 18:56| 北海道 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 回想・思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月12日

on 原発13。

牛肉よ、おまえもか。。。

アンニュイな気分、2号です。
なんだか、毎日「曇り&雨」の予報なのに、意外に天気よかったりして、夜にでもコッソリ雨降ってるの??って感じなんだけど、まるで、梅雨の晴れ間か空梅雨かって感じの湿気り気味な暑さ。こんなの北海道らしくない気がする。

それにしても。。。
やってしまったんですね。牛の肉。
前にも書いたけど、これは本当に、生産者と消費者の信頼の問題に直結してるので、やってはいけないとわかっていた牧草をやっていたということであれば、アウトですよね。ますます、”風評被害に苦しむ生産者の悲痛な叫び”に耳を傾けづらくなってしまう。そうしてしまったのが生産者自身だという、なんとも無念な結果です。みんなで、食の安全を守るっていう同じ側に立って行動しなければならなかったのに。
もちろん、全部検査してなかったの?大丈夫だから流通してたんじゃないの?とかいう、検査体制に対する不満もあるんだろうけど、私は、それ以前の問題の方が大きい気がする。
正しい対処をした結果がきちんと成果として現れてるかを確認するっていう意味でも検査が必要だってのは当然だけど、今回は、そもそもが正しい対処をしてない生産のされ方をしてたってことだよね?こうなると、今後、検査して大丈夫でしたとか言われても、本当だろうか??みたいな気持ちになってしまう。だって、網の目かいくぐってでも、なのか、単に無知・無自覚や軽卒なのかわからないけど、とにかく生産して稼ぎたいと思ってる人がいるってわかっちゃったし、次は、検査だってどこまで信用していいの?って感じになってくる。原発そのものの問題と同じで、もう誰の言うこともやることも信用できなくなって来てるから。
とにかく、しつこいようだけど、これは、本当に「信用」の問題でもあり、その信頼関係、生産者を信じたい気持ちは、私の中では根底から崩れてしまいました。

ていうか、南相馬とか、今回の事故ですごくよく聞いた名前だけど、その程度の検査で、そういうところからこういう生産物が今現在出荷されたりしてるんだ?っていうのも、実はちょっとびっくりしないでもなかったのだが。。。

もともと、私は、近所のスーパーで特売の日にたくさん出てるのがオーストラリア産ってこともあって、BSEの時からずっとそればっかり買ってるんだけど、このニュースを見てから、外食とかで牛肉食べてなかったっけ?と、ぐるぐる悶々と記憶をたどっておる。なんか、食べたような気もする。。。orz
明らかに安全と「思われる」牛肉に殺到して、品薄になって、スーパーで産地偽装みたいな売られ方をしないかとかも、心配になってくる。ここ何年かの販売や製造、生産の側の悪事のせいで、ますます消費者は疑心暗鬼になるよね。

山奥に隠遁して、完全自給自足生活するか、生きるということは、好むと好まざるとにかかわらず、すべてリスクの中でどう生き延びるかってことなんだと割り切るか、しかないのか。
でも、好まざるの方に、こういう形でのリスク(人災?)が混じってくるのは、やはりナットクできないなぁ。(2号)

posted by 2号 at 12:32| 北海道 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース・時事・芸能界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月11日

on 地理。

世紀の大発見。。。

どうしてこんなに暑いのだろう??2号です。
異常気象限定期間中だけなのか、それとも、これから永遠に気候分布が変わっていく序章なのか??

さておき。
先日の個人的脳内イメージ地図について、このところ検証しているのだが、これって、コロンブスが新大陸を発見するかのごとく、日々、私は日本を再発見してるってことだわ!と気づいて、ちょっとワクワクして来た。この楽しみは、誰にもわかるまい。。。

そして、数日前、またまた大発見が。。。

なんと、坊ちゃんの舞台は、四国なんだって!!
どうして広島とかの上の日本海側の方だって思い込んでいたのか、まったくナゾ。
友だち曰く、松江と松島松山を間違えたんじゃないの?とのことだけど、読んだ当時、松江だろうが松島松山だろうが、どっちも知る由もなく。。。

この新発見には、開いた口がふさがらなかったです。
坂本龍馬が、九州じゃなくて、四国(高知)の出身だって知った時の驚きに匹敵する!!

というわけで、現在、このようになっております。

脳内地図3.jpg

めでたし、めでたし。

今後も、どんな新事実が判明するのか、とっても楽しみ♪
日本再発見の旅は続く。。。(2号)

posted by 2号 at 13:29| 北海道 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 地域・地図・地理・習慣・名物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月05日

on 原発12など。

松本大臣発言の流れついでに。。。

今週は天気が悪いって覚悟してたけど、今日とか晴れ&暑いのはなぜ?な2号です。

この人の発言が物議をかもしてます。
たぶん、態度や言動に、人柄が出ちゃったんだろう。ただ、言い方一つ、だった気がする部分もある。言ってる内容のいくつかは、あながち間違ってないとも思われ。
とかいうと、こっちまで批判されるのかな。
でもやっぱ、政治家は、人柄が出ちゃった。では、済まないし、間違ってなくても言わない方がいいこととかあるし。空気読めない人はダメだよね。。。

さておき。
今回の震災、被災地でも自分たちで何とかしようという積極的な動きが見られたのはよいと思った。
受け身のままの被害者でずっといるわけにはいかないだろうから、動ける人ができることをやるのがいいと思う。
あまり何でもかんでも、国、国、国って詰め寄るのもアレだし。もちろん、国にしかできないことや、国がやるべきだろうってことはあるけど。

そんな中。
一般人、地方行政、国。
この関係で、素人なりに今回感じたのは、いくつかの違和感。無知な素人なのでよくモノゴトや大人の事情がわかってないからなのかもしれないけど。

けっこう早い段階で、沿岸部に人が住めないように規制するみたいな話が出てたよね?当然だって、私は思った。でも、地元で反対してる人がいる、と。海のそばに住みたいからって。
たぶん、漁師さんとか水産加工関係とか、いろいろ事情があるんだろう。それは、わかる。でも、もし今までどおりに沿岸に住んで、いつかまた同じような災害があった時、人々は、その時も国とかに補償してくれって言うの?それとも、オレたちは沿岸に住みたいから、同じようなことが起こっても大丈夫なように、防災対策をものすごいお金をかけてやってくれってことなんだろうか。(どこにそんなお金が?)
知恵だけで何とかなることならいいんだけど、じゃあ、何百年もそういう知恵や教訓はちゃんと受け継がれていくんだろうか?過去の同地域の災害後、先人は教訓を残したらしいけれど。。。
一つは、そういう違和感。
莫大なお金をかけなくても災害に強い町がつくれるっていう、ハードな面での知恵があると一番いいのか。

全国各地で、避難したい人の受け入れ体制を整えてる。そして、避難する人としない人がいる。よい情報も悪い情報もとにかく数だけはたくさん出てるので、このあとは、それらをもとに各人がどうするか判断するしかないのかもしれない。
私だったら、可能な限り避難する方向で画策するだろうと思うからかもしれないけど、残るという選択をした人の話を聞くと、まあ、各人の考え方だからいいのだけど、そうなのかなぁと思う面もある。
避難先で仕事があるか、子供が差別やいじめを受けないか、母子だけの避難だと家族バラバラになって問題、生まれ育った所を離れるつらさ、etc.
どれも、もっともだ。と思うと同時に、ふだんの暮らしでもそういうのはあるところ、ある人には普通にあるよね、とも思う。そして、みんな、そういうのに頑張って立ち向かってたりもする。ふだんの生活で。
私は特に、小学校時代に転々としてるので、上記のつらさが少しはわかるつもり。コロコロ住むところが変わって不安定になる気持ち、さびしさもわかるし、家族が離れて暮らすってのとは違うにしても、片親の生活という意味ではそうだったし、いじめも見たし、子供同士の大変な人間関係にも悩んで来た(みんな、多かれ少なかれそうだろう)。でも、耐えられる可能性も高いよ?って思う。それに、仕事のあるなしは、今どき平時でも普通に問題として抱えてる人が多い。
災害や事故さえなければ今まで幸せだった人が、今それによってすでに大変な思いをしていて、避難することでさらに精神的ダメージが大きくなるんだから、他地域の普通の人の抱えてる同様な問題と比べてもダメだよと言われたら、それまでなんだけど。。。
あとは、そういう問題と、将来の健康への不安のどっちをとるかなんだろう。すごい究極の選択ではある。ただ、私は、子供時代に転々としたせいなのか何なのか、土地や地域への愛着が希薄な人間なので、ここで生まれ育ったから…という理由で残りはしないだろう。むしろ、いろんなところに住んでみたいし(子供のころは一つところに住みたかったのに、こんなふうに思うようになるなんて不思議なものだ)。
以上のようなことが、2つめの違和感。というか、いろんな考え方感じ方があるんだなぁという驚きと言った方がいいかもしれない。(健康オタクの私からすると)。
もうこれは、大丈夫と信じられる人は残る。少しでも不安があるのはイヤという人は離れる。という個々人の判断(上や専門家の言ってることを、どう解釈するか)になるんだろうな。
で、一番つらいのは、不安なまま残る(または残らざるを得ない状況にある)ことだろう。こういう人たちをどうするのかは、本当に難しい。将来への不安を100%取り除ければいいけど、キリがなくてムリそうだし、援助付きで避難してもらうにしても、避難によって本人たちに別の不安が生じると言うのなら…。どうしたらいいんだろう?

最後は、原発に関する、地方の長(?)みたいな人たちのスタンスに対する違和感。
どこの誰か覚えてないけど、原発事故を受けて、ものすごい被害者的な立場から発言してる人たちがいたように思う。この人、反対派として当選した人なのかな?って思った。その時、調べてみてもよかったんだけど、もし、こういうこと言ってる首長なりが、推進派として当選してたとしたら、被害者的なこと言うのはおかしいよね?少なくとも、自分の地域の人たちに自分が謝る立場なんじゃないのかな?って思った。そういう違和感。
それとも、地域の人には謝りつつ、地域民に安全をうたっていたオレの立場はどうしてくれるっていう、東電への怒りだったのかな?そのへん、ハッキリしてほしい。

以上。久しぶりの原発&震災雑感でした。(2号)

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2011年07月02日

on 追記。

昨日の地図に追加修正。

今日も気持ちいい天気&気候、2号です。
もっと続いてほしい〜

さて、昨日、脳内イメージ地図をここに記録して、夜、ふと思い出したのだが、岩手は宮城の上だと判明していたことを忘れてました。津波の被害を受けたので、岩手が太平洋側です。間違いない。

以上、追記でした。(2号)

posted by 2号 at 17:16| 北海道 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 地域・地図・地理・習慣・名物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月01日

on 地理。

個人的脳内地図。

いや〜気持ちのいい気候&お天気でゴキゲンの2号です。

前にも書いてたけど、わたくし2号、方向音痴です。女子の常として。
おまけに、地理がてんでダメです。女子の常として。
運転しないので、よけいダメだって言われます。

というわけで、かつて、私のアタマの中で、日本はこのようになっておりました。

脳内地図.jpg

こういうのは個人の貴重な記録だと思い、記しておくことにした。書き換えられていったら、二度と復元できないかもしれないし。

で、現在。
人々の根気よいご指導も賜り、また自分もちょっとそういうことを意識しながら旅行したり、今回の震災で判明したりして、このように修正&追加されております。

nonai.jpg

だんだん真実に近くなって来てるのではないか?

しかし、こういう地理があいまいでも人は生きていけるものなんだ。それより、もっと身近な細かい道路地図を、見てても間違う、いわゆる方向音痴は本当に困る。(実際、困っている)。極寒の季節など、適切な時間内にたどり着くべきところにたどり着けないと命に関わるのであるからして。(2号)

posted by 2号 at 17:10| 北海道 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 地域・地図・地理・習慣・名物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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