2011年10月21日

on 日記の整理2。

ポエムな時代。。。

ついに、雪虫出現!!
まだ、見たくなかった…2号です。。。

しかし。
そんなことより、もっとショーゲキの発見をしてしまいました。

ゆうべ、中学生のころの日記を見ていたら、例によって「ポエ〜ム」がいっぱい書いてあったのだが。。。(- -;
その中に、こんなようなのがあった。

曰く、
「いつか、私が一人で旅に出る日のために
大きなトランクを一つ用意しなくては(後略)」みたいな。。。

まあ、これはギリギリ切腹しなくてもいいか…程度のシロモノだったのだが、驚いたのは、そのページの余白に、明らかに私の字とは違う字で、「あなたが旅に出る時は、私と○○(妹の名)も大きなトランクに入れていっしょに連れて行ってね」みたいなことが書いてあるのを発見したことだ!!!

最初、目を疑って、目ん玉が落っこちるくらい目を見開いて見てみたのだが、やはり、どう見ても親が書いたものと思われる。。。

この発見に際し、私のアゴは床まで落ち、背筋には戦慄が走り、頭の上には何百という「?」が連なることになった。

まず第一に、これは日記である!!
人の日記を見たのか!?
いや、日記を見たのみならず、勝手に書き込むとは!!!

母よ、母よ、我が母よ。アナタはいったい。。。ヽ( ̄▽ ̄;)ノ

いや、落ち着こう。なんとなく記憶もよみがえった。
当時も、リアルタイムでこの書き込みを見た気がする。そして、その時の私がどんな行動言動をしたかはあまり思い出せないのだけど、書かれた内容自体には、そんなに戦慄しなかったような…。
その後の人生で何が起こるのか、まだ知らなかった幸せな時代だった、ということだ。。。

次。
第二に、これは「自立」がテーマの詩である!!
親元を飛び立つ子供に、トランクに入れて連れて行けとは、親としていかがなものか。。。

っていうか、これすなわち、のちの親子の確執に発展することになる思考傾向の萌芽がすでにここにっ!というショーゲキの発見なのだ。

おそるべし。。。

子離れは、清く正しく美しく厳しく行わなければならない。
と、ここから教訓を得てみたものの、それが役立ちそうな場面は、今後の私の人生において、ありそうもない。。。orz
我が母、反面教師になれず。。。残念(2号)



posted by 2号 at 17:48| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 人物列伝・友だち・家族・人づきあい | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月20日

on 日記の整理。

ポエムな時代。。。

部屋はすっかり寒いのだが(18°Cとか)、まだ10月ということでストーブはいまだガマンの子。の2号です。風邪引きそうです!

さて、手紙の整理も完了してないまま日記の整理に突入してしまったわけなのだけど、ほんと、こんな楽しいこと、どうしてもっと早くやらなかったのかちら。いや、今このトシにしてやることに意味があるのか。。。

ダンボール一つに入り切ってなかった大量の日記の束の中には、交換日記もたくさんあったのでした。

そして。。。

確かに、昔は「ポエム」が流行っていて、自分もそのようなものを作っては書き付けていたことは記憶していたのだが。

しかし、これほどの量が発掘されようとは。。。

実際、こ、こんなに書いていたのか〜っっ!!と、驚いた。
日記にももちろんチラホラ書いてあるのだが、詩のためのノートが1冊ならずあり、ご多分に漏れず、交換日記までも(お互い)詩のオンパレード。

そして、ちょっと哀しいと言うか、いたたまれないと言うか、子供ながらにショックだった事件を思い出した。

その交換日記で、最初に詩を書いたのは私だったと思う。
今読むと、コッ恥ずかしくて切腹したくなるのだが、そんなものに感化されたらしい相手の女子も、「私も書いてみる」となって、当初は、ヘタクソだから気づいたところは直してね、みたいなノリだった。

小学校の高学年から中学のいつごろまでか、私は多い時で4人の女子と交換日記をしていた。その中で、その子との日記は特に長く続いた方だったと思う。
とてもおませで、恋愛ネタも大人びていたし、エッチな話題も振って来たりしてたし、青っチョロい男子とつきあったりもしていた。それは、なんとなく危うい感じの、無防備に突っ走るタイプの交際だったと記憶している。
そんなこんなのせいなのか、彼女の「ポエム」は瞬く間に白熱し、大人び、私の目にはどんどんうまくなっていったように見えた。

それでも、よっぽど才能がなければ、素人の遊びの域は越えられない。
ましてや、子供だ。
いや、子供がみずみずしい感性ですばらしい詩を書く例もあるけど、今あえてこう書いたのは、ある日突然、彼女が「ものすごく大人な」「ビックリするほど上手な」「玄人的な」詩を書いて来たから。

それを読んだ時、正直、あぁ、追い抜かれちゃったなと思った。
どれも、何度でも読み返したくなるほど味わい深く、すぐに好きになるような詩だった。

どうかな、うまく書けたかな?みたいなコメントがついていた。
もちろん、私は手放しで褒めた。

そして、それからしばらくのち。

私は、彼女の4、5遍の詩とまったく同じ詩を発見してしまった。

当時、雑誌やら漫画本の巻頭やら、あらゆるところに詩が掲載されていた。
きれいな絵や写真にも必ずと言っていいほど詩が添えられ、学校でもやたらと詩を書かされ、それらは冊子にまとめられたりしていた。
そんな時代だった。

私がそれらの詩を発見したのも、確か、詩とは関係ない雑誌で、「詩の添えてある絵」の写真という形(インテリアパネルの通販?)でチョロっと載っていたものだったと思う。
こんなの誰も読まないだろうというくらい、その写真の中の詩の文字が小さかったのを覚えている。

発見して合点が行くと同時に、ものすごくショックで、どうしたらいいか悩んだ。
言うべきか。つまり、そういうことはやめよう、みたいに。
それとも、黙って胸にしまっておくか。

結局、後者を選んだのだけど、なんだか私の方が後ろめたいような、胸の奥にしまっておくのも重たくてイヤ、というような、起こってほしくなかった、忘れてしまいたい出来事だった。

その後、その事件とは別に、危うい恋愛に突っ走る彼女は、クラス内でもキャラ的に不思議な存在になっていった。
そして、そういうある意味大人過ぎるような、少し普通とは違う(極度ではないけどやや不良っぽい、でもガラスのように繊細で傷つきやすい、みたいな)感じの人と私が、昔と変わらないつきあいを続けていくのもムリがあったのかと思うし、彼女の方がカレシと交換日記を始めて忙しくなったのもあって、だんだん私たちのノートは交換されなくなっていった。

ひょろひょろとして、子供子供していた小学生のころ。
急に背が伸びて体つきが変わって、言動も行動も見る見る大人になった中学生のころ。
いろんな彼女の姿が思い出される。
そして、青っチョロいカレシの姿とともに思い出すのが、彼女のお母さんだ。

何度か家に遊びに行った。
お母さんから、私は好ましい友だちとして歓迎されていたようだ。
いつも愛想よく迎えてくれて、子供なのに、行くと少しの間はお客として相手をしてくれた。「○○と仲良くしてくれてありがとう」みたいなことを誰かのお母さんに言われたのも初めてだった。

お母さんは、私が知ってるどのお母さんとも違っていた。
声が男の人みたいに低くてガラガラ、タバコを吸い(←吸う女性を初めて見た)、化粧をしてなくて、でも、夕方化粧をしてどこかに出かけて行った(←これについては、ひそかに彼女に同情した)。

今思えば、夜、お店をやるというような仕事だったのかもしれない。
そうだとすると、すべてがうまくつながる気がする。

彼女は、まったくの子供だった私に、いろんな意味で大人の世界を垣間見せた人だったかもしれない。
彼女にまつわる、ほの暗い記憶のすべてが、今になると当たり前に知ってる(大人の世界の)あれやこれやのイメージと親和する。

今、どうしてるかな?
夕方からお母さんが出かけて、取り残された部屋で、独りぼっち、ノートに詩を書いていただろう彼女。
今想像すると、その後ろ姿は、大人の感覚では悲しく映る。
さびしかったんだと思う。
そういうことを、当時の私は、まったくわかってあげられてなかった。
ごめんね。
きっと、青っチョロいカレシだけが、唯一、彼女の心を理解していたんだろうな。

というわけで、過去の忘れ物を拾いながら、日記の整理は続くのであった。(2号)

posted by 2号 at 15:04| 北海道 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 人物列伝・友だち・家族・人づきあい | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月11日

on 日記をひもとく。

カムバック サーモン。。。

鮭が上って来ているらしい、そんな季節、2号です。紅葉もチラホラ。

思えば、わたくし2号、人生初のプロポーズを受けたのは、大学1年の時だった。。。
その事件、というか、その時の苦難はずっと鮮明に覚えていた(つもりだった)。もちろん断ったのだけど、とにかく、結婚の「ケ」の字も考えたことなかったころだったし、ましてや、恋愛だってまだまともにしたことがなかったころだったので、ただただ戸惑った、とか、その後ずっとトラウマになった、とか、あまりいい印象がなかった。

ところが、このたび、古い日記を読んでいたら…(また、それかぃ!)

私は、彼のことを本当に得がたい友だちと思っていて、死ぬほど悩んだという意味では記憶どおりなのだけど、意外にも(←つまり、忘れていたとも言えるのだが)単なる友だち以上には「好き」だったらしく、「ただただ問題なのは、彼の「性急さ」その一点だけなのだ」的なことが、日記に何度も書いてある。「そこまで言わないでいてくれたらよかったのに」とか。
彼は、(小太りな)関西人だった。で、私は、ときめくという意味での恋は、別の(標準体型+α=小・小太りの)関西人にしていた。一目ボレだった。
彼と二人で遊んだりすることがある一方で、別の人に片思いしていた、ということだ。この片思いの記述は、まあまあ恥ずかしくない程度にかわいいもんで、本当にドキドキするタイプの恋だったみたいだ。途中、まったく自分のタイプじゃない人(いわゆる今で言うイケメン)にも一瞬ひそかに惹かれて、そのタイプ違いの思いを断ち切ろう断ち切ろうと苦労してる様も書かれている。ったく、なんて気が多かったんだ!!ビックリしたゾ。当時も、「私の非面食い体質に反する!」と、かなり自分で自分にダメ出ししている。おもしろい。。。

高校時代、すでに、非面食いは自覚していて、実際、中学からは見た目はアレな人ばかり好きになっていたという実績は十分に積まれていた。だから、大学で、たまたま惹かれたイケメンをこんなに否定していたんだろう。確か、仮装行列の衣装のデザインと作成を一手に任されて、その衣装を着る役の一人としての彼と親しく接したのがきっかけだった気がするけど、その時の雰囲気が良かったんだろうと思われる。
彼が「彼女」と歩いてるところを目撃して、アッサリこの気の迷いは吹っ切れて、メデタシメデタシだったようだ。

そういえば、社会に出てからの一時期、何人かで飲みに行くようになった同級生男子たちがいたのだけど、ある時からこのイケメンくんが加わるようになっていたことがあったり、私が入った会社で同期だった女子が、まさにこのイケメンくんと当時いっしょに歩いていた「彼女」だったと判明したり、その後も何かとヘンなご縁はあった。
社会に出てからいっしょに飲みに行ってたころのイケメンくんは、何やらワケのわからない恋愛論を展開していて、私も含めた全員からそれはおかしいだろ〜と言われていた。もしかして、学生時代からそういう浮世離れした雰囲気があって、それがよかったのかもしれない。残念ながら、私がこの再会で再度惹かれるということもなく、彼は、浮世離れした恋愛論のお相手(私の知らない人)と、ずいぶん長くつきあったあとに結婚した。

だいぶ横道にそれたので、話を戻します。
プロポーズして来た性急な彼は、その時こう言った。「好きなんじゃない、愛してるんだ。卒業と同時に結婚しよう。今、YESと言ってくれたら、オレはこの4年間、気持ちが変わらない自信がある」と。
んな、バナな。。。
っちゅうか、その時の私は、「結婚?ってナニ??」くらいな状態だったと思う。
とにかく、私にはそんな約束はできない。4年間の保証もできない。その時現在だって、好きは好きにしても、そこまでの「好き」かと言われたら、たぶん違う、となったのだろう。秋ころのことだった。

彼からもらった手紙もたくさん残っていてビックリしたんだけど、いったいぜんたい、半年ほどの間に何度かいっしょに遊んだくらいでそこまで言い切るってことが私には疑問だったし、そこまで情熱的になれるということがこわかった。
ハタから見ると私のどっちつかずな状態(本人的にはひたすら困って戸惑い悩みしていただけなのだが)が、一部の男子陣の非難を買うことにもなり、クラスの雑記帳に嫌みなことを書かれたこともあった。日記には、女子同級生に彼のことを相談して、いっしょに泣いたりしたことが書かれている。ホントにホントに悩んでいた。
小太りだった彼が、しばらく大学に来ない&久しぶりに来るを繰り返すたびに、青白くゲッソリと痩せていってる、というのも、ものすごく私に罪の意識を抱かせた。ずっと来ない時の日記では、そのことをとても心配していて、自分を責めたりしている。

と、そのあとのことを全部読んだわけじゃないので、詳細はまだ不明なのだけど、その顛末として私が記憶してるのは、2年生の秋ころ、つまり、それから1年後に、学食でバッタリ彼に会った時、思わず「○○くん!」と声をかけた私の横を、彼は何も目に入ってないかのようにすぅっと素通りして行った。ということだ。
「あ、終わったんだな」と思ったことを、よっく覚えてます。
彼の中では、なかったこと、もういない人、に、なったんだ、と。

今もって、彼が私の何にそんなにのめり込んだのか、まったく理解できない。ものすごく深いつきあいをしていたわけじゃなし、私の何を知っていた?否、誤解していた?あるいは、逆に、そこまでよく知らなかったからなのか?
例によって、そのころの写真を見ても、私よりこっちの子の方が百倍かわいいよね!?って感じなのだが。。。

そして、さらに思うのは、彼もきっと子供、いや、そこまで言わなくても、おシリの青いヴァカ者だったんだろう。それ以上に、私は子供だったんだろう。
あの時の私に言ってあげたい。
結婚するまでは、いや、結婚してからだって、そんな男女関係の契約(保証)なんてその気になればホゴにできるのだ。いっしょにいて楽しいなら、上手にキープしておいて、万一、卒業まで奇跡的にその関係がもったとしたら、その時にまた考えればいいのだ。とにかく、せっかく寄って来てくれたものは、カンタンに逃してはいけない。その結果が、これだ。。。と。

純真で、正直過ぎだった。「約束」、ましてや、一生を左右するような約束を、軽々にはできないとマジメに思った。(あるいは、ほかに、チョロチョロ好きな人がいたってのも問題だったのだろうか!?)。卒業までの数年、ほかにも何度かカンタンにリリースしていた。まったく、先見の明がなかったことこの上ない!孝行したい時に親はなし。にも、似ている。

もっと、したたかに生きねば。
と、古い日記から人生を学ぶ今日このごろ。。。(2号)

※古い日記に混じって、小学校卒業時にクラスの人に書いてもらう「サイン帳」なるものが出て来て、例の「君のためなら死ねる」というラブレターをくれた男子の書いたページがあった。
「ちゃんとお嫁に行けよ」って書いてあった。
そうだ、当時は、これを見て、ある種清々しい気分になったことを、おぼろに思い出した。
しかし。。。
この大学時の事件のせいで、その後、不遇な恋愛をするたびに「呪いか!?」「天罰か!?」みたいに恐れたものだったけど、こうして小学校からの歴史(?)を見ると、呪いも二重にかかってたのかも…と、ふと思ってしまった。
などという、いいトシした私は、別の意味での反省が必要なようです。。。

posted by 2号 at 16:39| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 恋愛・結婚・男と女・人生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月07日

on それは先生。

さよなら、私の恋。

9歳時より日記を書き続けております、2号です。しばらく書けないとか、毎日じゃないとか、いろいろあったけど、今でも「生活メモ」「ちょっとした記録」程度のことは書き続けてます。(一部クラウド化)

もちろん、今までの日記もずっととってあったのだけど、このたび、手紙を整理したりしてた延長でなんとなく日記の束にも手が伸び、いつか読み返すだろうと当然のように思ってン十年来たわりには、開いてみたことがこれまで2度以上もあっただろうか、という状態だったことに気づいたのと、人の手紙でも、子供時代や思春期時代のものはけっこう恥ずかしい内容だったりするものもないこともないのだから、いわんや自分の日記をや…と思ったのとで、また少しずつ適当に拾い読みして楽しんだあとで思い切って整理しよう、ということにしたんでした。
読むと、案の定、穴があったら入りたい心境には、なる。。。

そして、昨日読んだところには。。。
(以下、本日の日記)

***

古い日記を見ていたら、
高校で政経の先生に恋してた時のことが書いてあった。。。

確か、小太りのオッサンだった。

あのころから、そういう好みだったのか。。。

せめて、先生の息子と結婚して義理の娘になりたい、と、思っていたようだ。
当然、この、小太りなオッサンへの恋心は周りの同級生女子から理解されず、
非難(?)ゴウゴウだった様子も書いてある。

受験のために添削も受けていたので、
ちょっとした補講とかノートの受け渡しの時にいちいちドキドキときめいて、
そのせいで、先生に「どうしてそんなに恥ずかしがり屋なの?」と言われ、
戸惑ったことも書いてある。
その先生の前でだけ、そうだったんだろう。

そして、なんとなく、その恋心を貫いて卒業した気になっていたのだけど、
なんと、途中で冷めていたことが判明。

それは、球技大会の時だった。
先生は、男女混合バレーに出場して、レシーブで派手に倒れてアキレス腱を断裂。
体育の先生たちの介抱を受けた。
私は遠くから、倒れ込んだ先生の勇姿を見ていたのだけど、
その時先生が倒れた現場の近くにいたという女子からあとで
「○○先生は、体育の先生たちからものすごくバカにされていた」と聞かされ、
さらに、それは、ヘタなのに張り切り過ぎる先生が、
ほかの先生の間では以前から困った存在であったというようなストーリーだった。

あぁ、私の先生。。。そうだったのですか?。。。

そして、先生はしばらく入院した。

「今、先生は遠い存在になってしまいました。
私が先生のことを考えない限り、もう先生はいないのと同じです」
という記述を最後に、日記にも登場しなくなっている。

さようならぁ〜〜 私の淡い恋〜。。。


※途中、同級生が飛び降り自殺をしたことが書いてある日があり、
その中で、「彼には、幸せを感じるちょっとした瞬間もなかったのでしょうか。
もしあれば、そんなことはしなかったでしょうに」などと書き、
その幸せの一例として、自分の先生への思いを記すなどしている。。。


***

ということでございました。。。(2号)

posted by 2号 at 12:29| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 学校・教育・勉強・先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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