2012年01月30日

on お知らせ。

わたくしにやさしく。

なんだかめまいがする…2号です。
山が動いている気がするって新年早々(?)書いたのだけど、本当に富士山のあたりがあやしくなって来てビックリ。なにせ、このわたくし2号が入院すると必ず火山が噴火するので、笑い事じゃないです。

去年の後半あたりから(厳密には震災前くらいから始まっていたと思われるのだが)、私には悲しいことがたくさん起こって、この前もめくるめく巡りあわせで恩師が亡くなっていたことを知って、それ以来またずっと悲しいなど、そろそろいっぱいいっぱいになって来ました。
実は今、親がこれまた新年早々から骨折して、その身の回りのことをあれやこれややっているので、体力的にもかなりキツいです。仕事やらないでいるわけにもイカンし。

そんなこんなのストレスか、なんだか最近めまいがするゾ、ってわけだ。

皆様、のちのち、このわたくし2号にもっとやさしくしておけばよかったと後悔しないためにも、今、うんとやさしくしておいた方が。。。

そういえば、私はアクセサリーなど身につける物を落としたりなくしたりしても、だいたい出てくる(というか、大事な物は執念で出て来させることも?)。
それでも、たま〜に、どうやっても出て来ないことはある。それが、いつもちょうど自分にとって何かが区切りを迎える時期だったりするので、私のもとを去っていったなくし物は、その象徴として捧げたんだ、そして、それと交換されて、何か新しいものがやって来るんだと思うようにしてます。
で、この前、お気に入りのピンクのアクセサリーがなくなった。通った道を探したりしたけどなかった。それでその後、いつものように警察とか駅事務とかに問い合わせることはしなかった。まさにいかにも今が区切りの時期だと思うこともあって、神妙に受け止めたから。
ダルビッシュくんのローテにあわせて私の生活もローテを組んで回っていたのだけど、そのダルくんが旅立ったことも区切りの一つだし、ほかにもいろいろ思い当たることがある。

ところがどっこい。
それから数日すると、自室の玄関のたたきの上に、そのアクセサリーがポツネンとあるじゃあ、ありませんか。

出戻ってきた。。。

と、私はボー然とした。いったい、これはどこから入って来たのか!?
ちゅうか、そんなわかりやすいところにいるものが、なぜそれまでまったく目に入らなかったのかと、自分のボンヤリさに驚いた。

これって、ダルくんが戻ってくるってことなのかちら??
この激動の日々に、一条の光がさしたっていう解釈でいいの!?

とにかく、どうでもいいので、わたくしにはやさしくしてください。。。(2号)



posted by 2号 at 15:36| 北海道 ☔| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記・雑記・雑感・よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月27日

on 恩師。

いなくなっていた先生。

寒さにもすっかり慣れた今日このごろ、風邪など引いてません、2号です!!

しかし、私の胸の中はすぅ〜すぅ〜すすぃ〜っと冷たいすきま風。今でも思うと時々泣けてしまう。
ダルビッシュくんの旅立ちを見送ったことは、本当はここに書かなければならない最重要案件なのだが、まだ気持ちの整理ができないのでダメだ。

そんなこんなで、最高に涙腺がユルい毎日となっているのだけど、ちょうど今朝、ある人と「大学の先生」について話していて、私が一番お世話になった先生は厳しい人だったと、私は語った。
そのあと、ふと気になって、すっかり白髪になってもしかしたら腰も少し曲がったりして足元もおぼつかなくなってるかもしれない先生の姿を想像しながら、検索してみたのでした。

すると、なんと。。。

先生は何年も前に、けっこう若くして亡くなっていました。。。

それから、また胸のすぅすぅが一段と激しくなって、何かあったらきっとすぐ泣いちゃいます。だから、今日は私にはやさしくしてくだされ。。。

先生を追悼した文章を見つけて読んでみたら、功績のところに書いてあったあることに、もしかしたら自分がかかわってるのではないかと思ってドキリとした。
私が学生だった時、大学に、ある資格を取りたいということで食い下がって掛け合って、結局認められないと言われたことに憤慨して、その足で文学部の建物の階段を4階まで一気に駆け上がり(その時の階段の風景を今でもはっきりと思い出せる)、息をはぁはぁさせながら先生の部屋のドアをノックした。そして、先生にことの一部始終を話すと、先生は「あなたは学士として卒業証書という形あるものをもらえるだけでは満足しないのですか?」というような質問をした。もっと自分なりのものがほしいとこたえると、先生、一言「よござんす」と言った。
先生は、私の専攻科の先生ではなかった。私は、若気の至りで専攻を間違ったので、自分の好きな勉強に該当する方の専攻科のその先生などの講義に、ちょろちょろと顔を出していたのだった。
それから、話が早かった。おそらく先生は大学に掛け合って認めさせ、私のわがままのために新たな講座をいくつか開設して自ら担当し、私が資格を取れるようにしてくれた。その講座は正規に認められたので、そっちの専攻の学生も何人か履修して来た。

その時開設された講座の名前の一つが、功績のところに書いてあったのだ。そういう教育に尽力したという感じで。

講座は実践的なのが多かったので、ただ聞くという感じではなく、だから、先生の厳しさの洗礼も受けることになったのだが、やさしさとかあたたかさとか、ほんの小娘の一世一代の熱意(わがまま?)を認めてくれた人間としての大きさ、懐の深さみたいなイメージがより強く残っている。あの行動力とその速さ、そして、大学にウンと言わせた先生の力(?)などを思うと感謝でいっぱいで、私は卒業するまで先生にホレボレしていた。もちろんオッさんだったけど、カッコいいと思った(実際、今思うと、いつも黒っぽいタートルを着ていた姿はなかなかよかったかも)。

というわけで、がんばらざるを得なくて、卒業する時には売るほどたくさんの単位をもって(自分の専攻科とそっちの分とあと一つで取れるはずだった学芸員資格のせいで)、晴れて念願の資格も手にしたのだった。
確かに有名無実の資格だったかもしれない。
それは、私も先生もわかっていた。だからこそ、大学は最初認めなかったのだし。
でも、私だけでなく、おそらく先生もある種の達成感を感じてくれたのではないかと、確信してます。のちに就職した会社の社長がたまたまその先生と古い知り合いで、先生と社長が私のことを話題にした時の会話をあとから社長が教えてくれて、先生が満足してくれてることがわかったから。

そんなにお世話になって、大好きだったのに、亡くなったことを知らなかったなんて。っていうか、90過ぎても生きていそうなイメージがあったから、相変わらずな感じで活躍されてるんだろうなって信じて疑ってませんでした。

先生、天国はどんなですか?あまりにたくさんのことに精力的に取り組んだので、神様に早く呼ばれちゃったんじゃないですか?
先生に限っては、ご冥福を祈って、のんびりお休みになっていただくというのもなんだか似合わない感じがしますね。近々、先生のお墓を調べてお参りに行きたいと思います。相変わらずなので、特に新しくご報告することも今はないのですが、思い出話だけはたっぷりできますから。(2号)

posted by 2号 at 17:41| 北海道 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 学校・教育・勉強・先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月13日

on 落とし前。

仁義なきナンタラ。。。

寒い日々、皆様、しもやけできてませんか?2号です。

このところ、寒さと乾燥のせいで鼻の奥がヒリヒリするので、マスクをして外出してます。
これが、自分でアレほどまでにヒヤリとする事態になろうとは。。。

わたくし、年末はある特別な料理をするために、いつもの切れなくなってる包丁(研ごう研ごうと思って3年くらい経過)では心もとないと思っていたところ、ひょんなことから、ある人によく切れる包丁を借りられることになり、借りてました。
それを、今日、返すべく、バッグに入れてました。

その包丁はその人にとっては使ってないスペアらしく、お店に売ってた時のままのパッケージに入っていたので、私も、元通りパッケージに戻して持ち運んでいたのだけど、それは透明なプラスチックのケースで刃の部分だけを覆う形になっていて、つまり、柄の部分はナマのまま露出してました。全体のサイズは、普通の家庭用のもの。
パッケージし直して、横着にも、そのままバッグに入れたのだけど、確かに、バッグの幅ギリギリな長さだったかも。

電車の中でも、何かヘンだ、とは思った。

そして、今日の私の最初の行き先は、銀行だった。

銀行近くで、銀行のエントランスで、列に並んでる時などなども、なぜか、人の意味ありげな視線を感じる。

え?なに?ナニ!?
マスクしてるのがおかしい??
いや、このお気に入りのピンクのマスクは時々するけど、こんなにも人に見られたことはない。

そして、私の番が来て、脇に挟むような形で肩にかけていたバッグを手前に下ろして、ギョギョッと目ん玉飛び出しました。。。

つまり、私の脇の下から背中の方へと携えられていたそのバッグのオープンな口から、ニョッキリと、誰が見ても包丁とわかる柄の部分だけが突き出してるじゃあ、あ〜りませんか!!

いや〜ん。
ちゃんと中に押し込んだつもりが、持ち歩いてるうちにズリズリとせり出して来たのだわ。

それで、あのマスク姿……そりゃあね、見るね。。。

なんか、マジで自分でも背筋が凍ったゾ。
警備員とかこっちに向かって来てないよね!?と、とっさに銀行の窓口の方を見ちゃったし、慌ててバッグに押し戻す時も、恥ずかしさのあまり動揺していた。このようなミョーチキリンな事態に対しては特に平静を装うべきところ、まったく修業が足りてなかった。。。

っていうか、ずっとその状態で歩いて来た、道々を思う。
あやしすぎる。。。
警官とすれ違わなくてよかった〜(-。-;)

反面、こんな教訓を得ることは、誰の人生にでもあることじゃない、とも思う。貴重な体験かも。
包丁を持ち歩く時は、ちゃんと全体を包みましょう!!(2号)

posted by 2号 at 18:39| 北海道 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 実録・事件簿または頭に来た! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月08日

on 昔の私。

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願い申し上げます。2号です。
あまり遅くならないうちに、これを言っておかねば。

それにしても、12月はわたくし2号、師じゃなくても走り回るような忙しさで、倒れないように毎日ビタミン剤を気休めに飲んでおりました。
そんなこんなで、いろいろ事件やら事故やらもテンコ盛りで、どうなることかと。そのことについては、追々書くか、書かないでスルーするかわかりませんが、とにかく、なんだか山が動いてる気分=激動の日々です。

というわけで、今日この場は、たぶん逃避行動だろうと思います。やらねばならない案件を何日も延ばして、今日こそ朝からやってとっくにこの時間は片付いてるはずだったのだけど、まったく手を付けずに、今も、こうして言い訳しながら逃避してます。。。

ずっと古い日記を読んだりしてたのだけど、そういうところもまったく自分は変わってないんだなぁと。多少、世間の荒波にもまれて、変わらない自分を何とかごまかして、綱渡り状態でも渡って行けるスベは身につけたのかもしれないけど、本質は呆れるほど変わってません。
たとえば、高三の受験の時も、毎日毎日「明日こそやる」「今日もやらなかったけど、明日はやる」とか書き続けてる。年明けのいいだけ追い込みの時期になっても、まだ、判で押したように毎日同じや。。。今、おネエさんとなった私は、読んでて恥ずかしかったゾ。あれで現役合格していたら、間違いなく人生ナメてただろ。

しかし、浪人の憂き目にあって、ダメなものはどうやってもダメと必要以上の諦観は身につけたかもしれないけど、ナマケ癖は相変わらず。っていうか、ますます、追い込まれてからやって、何とか帳尻合わせる体質に磨きがかかってると思われる。。。

日記は年代をランダムに読んでるのだけど、今ちょうど、浪人時期の日記を読んでて、これが意外に忙しかったと判明。バイトと図書館通いと予備校潜り込みと模試の日々。そして、すごく孤独だった。予備校に正規で入ってる友だちにいろいろ助けてもらったりしてて、そこは本当に感謝なのだけど、本質的にはかわいそうなくらい孤独。毎日、自分で、その日は何をしてどこに行ってを決めるということに、自由の底知れぬ恐ろしさも感じていたようだ。

それと、その時期、昼間に一人で街をブラついてることもあったせいで、モルモン教(「正式には『末日聖徒イエス・ キリスト教会』らしい」と書いてある)の伝道師と知り合い、前からキリスト教について疑問に思っていたこととかを聞こうとしていた。要は興味があったのだろうけど、それはあくまでカトリックだった気がする。似たようなもんだと思って、モルモン教の人で代用していたのかも。でも、借りた聖書(?)が、やっぱりどうも違うと思った記憶はある。洗礼を受けることを強く勧められて、それはしたくないけど話はこれからも聞きたい、でも洗礼を断り続けたらもう会えないかも、どうしよう、と、迷ってるところまで今読んでる。とにかく、救いを求めていたとか心の拠り所とか、そういう意識は微塵もなく、以前からの興味と疑問を解決したいというだけの気持ちだった。相手があまりにいい人なので、戸惑ってもいる。結果、洗礼はもちろん受けてないけど、そのあとどうしたんだっけなぁ。それほどは長くつきあわなかったように記憶してるけど。

また、この時してたバイトの一つで、スーパーの棚卸しがあった。ある時、園芸コーナーで、威張り腐った男子と組まされて、その時のやり取り(←アタマに来ている)が書いてあったのだが、あっちはこっちが年下だと思ってるのかちら、でも、私もあっちを年下だと思ってナマイキなタイドに怒っている、となっているのだけど、あとで、スーパーの社員の息子だとわかった、と。そんなプチ思い出が掘り起こされておもしろい。

浪人時代は、飼っていたネコが前年に死んで、懇意にしていたペットショップから別のネコを譲り受けた年でもあった。その時のことも書いてある。最初は慣れてくれなくて、誰にも見つからないところにネコが隠れてしまうので、難儀していた。その後、バカみたいになついたのがウソみたいだ。そのネコも、もちろん、もういない。そして、私のネコアレルギーも悪化してしまった。。。

かと思えば、はたまた94年の日記には、なぜか、毎週月曜日に必ず「今日も乗り切った」と書いてある。これまた、判で押したように毎週必ず。ブルーマンデーがよっぽどつらかったに違いない。。。
昔から私を食事やお酒やカラオケに誘ってくれたりしてかわいがってくれていた先輩がいたのだけど、この年は、会うたびに「オレのこと好き?」と訊かれていたようだ。今読むと、不思議だ。でも、私がなんと答えていたのかが書いてない。たぶん、何かごまかしてはっきり答えていなかったのかも。その質問は、先輩の結婚後も続いていて、どういう意味だろう??と日記で疑問を呈している私であった。そんなウブだったんか!?(んな、バナな)

こうしてプレイバックしていると、旧知の各方面から連絡が来たりするようになって、シンクロニシティかと驚くばかりなのだけど、旧交を温めるだけでなく、今この時点に必然的に意味があるような再会もあったりする。
干支が何回りかすると、自分も古いものを掘り起こしたくなるし、お互いに巡り巡るのだろうかちら。還暦はまだまだ先だけど。。。

という、忙しくもおもしろい今日このごろ。2012年は、こんな感じのまま始まっています。今のところ。
今年もよろしくお願いします(^o^)/(2号)

posted by 2号 at 22:18| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 回想・思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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