2012年03月28日

on 日食。

これは、奇跡かも。。。

今、日が暮れました、2号です。明らかに、昼の方が長いのを実感する。。。

さて、例年、わたくし2号が「全国球場巡り&坂の旅」シリーズを決行するのは、本州以南の暑っついのが鎮まって来て、なおかつ、行楽シーズンが終わって各交通手段の運賃が値下がって来たころ、つまり、秋、それも終わりの方と相場が決まっておりました。

しかし、去年気づいたのだが、それだと日が暮れるのが早い。
一昨年の京都も、龍馬のお墓に着いたころは真っ暗で肝試し状態だったし、奈良でも、某高校を見学した時は真っ暗闇で、月がやたらときれいな時分だった。去年も、長崎での某F山雅○邸訪問は夕闇迫り来るころ…と、まあ、こんな感じで。

そこで、夏至の前後だと、めいっぱい時間を使えるのではないかと思いついた。暑くなく暖かいし、GWの高くて混んでる時期をハズして梅雨に入る前というのはどうか?

調べてみたら、交通運賃は若干お高いものの、まあまあギリギリ許容範囲かな、と。
いや、やっぱりお高いのだけど、そういう時期の旅というのを試してみたいと思ってしまい、決行することに決めました。

GWから2週くらい遅らせて、梅雨だの台風だの大丈夫そうな5月19、20あたりの週末。

ここでフトコロ具合とともに痛すぎるのが、GWという祝日週間が終わっているため、そこはすでに祝日がなくて、連休にできないので仕事が心配だっちゅうことだ。

いや、でも決めてしまったのでやるしかない。21日は、仕事しません!!

というわけで、宿以外の手配を済ませてしまった。

それから突然、そういえば、今年は金環日食がウンタラカンタラ言っていたんではなかったか!?ということを思い出した。
私はこういう天体ショー(?)が大好きで、できれば見たいタチなので、ふだんから位置的にとか天候的に、条件に恵まれない感のある北海道を呪っていたのだが、確か、今回も北海道は金環にはならず、東京とかアチャラの方しか該当しないとか言ってて、またしても、チッと思った記憶もある。

もしかして、このへんをきちんと調べて、行く価値があるようだったら、時期、場所ともそっち方面への旅行を企画した方がよかったかもしれないなぁ。だって、場所によって何十年とか何百年単位でしか見られないって言うじゃないですか。(※1)
なので、早まったことをちょっと後悔しながら、調べてみたら。。。

な、なんと、日食の日は5月21日じゃあ、ありませんか。
しかも、高知あたりが金環になるエリアにギリギリ入っておるっっ!(※2)
しかも、朝!!
いるいる、ちょうどこの時、わたくしは高知にいるゾ!!

もうこれは、奇跡としか言いようがない。。。(T ^ T)(2号)

(※1)なんと、調査(単なる検索だが)の結果、次回、日本で見られるのは18年後の北海道とのこと。間の悪い女であるわたくしは、こういう時に限ってすでに北海道にいない可能性が高い。。。

(※2)若干、輪がズレるようだが、北海道の部分日食に比べれば、んなもんナンボのモンでもない!!



posted by 2号 at 18:08| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 地域・地図・地理・習慣・名物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月23日

on SNSの罠。

リアルの恋となんちゃらブック。

ヒマなわけじゃありません、2号です。
ただ、このところ、一時期の超多忙が抜けて、来週締め切りの仕事がミョーに余裕があるように感じられてしまって…つまり、やっぱり逃避してます。なので、来週また多忙になるでしょう。。。

さて。
友だちにカレシができてはや1年。(あれっ??2年かなぁ…どっちでもいいけど)。

この友だち、パソコンとかネットとかまったく興味なくて(私の女友だちは圧倒的にみんなそうだけど)、ケータイメールしかしない(このブログも、私が広めたくないから公言してないせいもあるけど、もちろん知らない)。なので、mixiの時もまったくムシで、今もFBとかTwitterとか、どこ吹く風って感じだった(私のFBのお友だちが男ばっかなのはそのせいなので、誤解なきようお願いします)。

それが、一昨日。
FBについて教えてほしい、ということになった。これは大事件である。家パソなんか、化石化してるはずの彼女なんだから。
教えるって言っても、FBと検索して、登録するようなページに行けばよいと言っただけでは済まないような、「検索」ってことすらおぼつかないような人です。

いや、こんな話は前置きなので、どうでもよかった。
なんとか登録できたけど、私たちはお友だちにならない。というのも、リアルで十分お友だちで、必要な連絡はリアルタイムで(とはいえ、互いに若干遅れ気味ではあるが)ピンポイントでメールで取り合ってる。仕事など忙しくて頻繁に会えないにしても、積もる話は、直接会ってしている。
これのどこに、FBとか必要なんだろうか!?

まあ、そういうのに登録しても、あまりお互いマメに更新しないだろうし、常に人のところを開いてチェックするようなタイプじゃないから、お友だちになったところで、今までの付き合いにプラスα何かがつくわけでもないってのも大きな理由かもしれないけど、何よりも、これから書く話にいたく共感する者同士なので。。。

「これから書く話」の前に、最初に戻るけど、友だちは現在カレシ持ちです。
それも、バリバリ遠距離です。県内レベルの話じゃなくて、気候区分レベルでも遠く離れている。

彼女がいつも私にグチってくるのは「○○(←カレシのあだ名)からメールの返事来ない」「もう●週間音沙汰ない」「もしかしたら、死んでるのかも(一人暮らしで身寄りもないから)」などなど。つまり、連絡の間隔が異常に長いということ。せっかく、今はメールという便利なツールがあるのに、いや、あるゆえに気になるのだろうけど、メールしても返事が2週間とか来ないことがザラみたいだ。

最初にこういう話をされた時、私には思い当たることがあった。昔つきあっていた中に、そのころメールはなかったけど、まさにこういうタイプの男子がいたので、置かれてる状況が手に取るように(?)わかったのだ。
だから、「きっとXXなんだよ」「それは△△だからじゃない?」とか、そのころの経験から想像して、励まし慰めして、「大丈夫」と自信を持たせて、僭越ながら二人が交際をうまく続けられるように協力(?)してきたつもりだ。

で、その現状解釈において、私が最大に強調して来たのが、「男の人って、トシ取ってる人ほど、メールとかめんどくさいってタイプが多いから、彼もそういう人で、しかも、照れ屋っていうか、好きだからこそマメにするのが照れくさいんじゃない?(←若干意味不明だが、男というのはそういう不可解な生き物でしょ?)。慣れてないんだよ、そういうつきあい方に」ってのと、それにたたみかけて「仕事が忙しい人だから、なかなかメールとかそういうことができないだけだよ」ってのだ。

ところが、なんとやっかいなことに!!
いつものように彼女が「もっと連絡して。生きてるのかどうかも心配になる」「やきもきしてこっちが病気になりそう」って感じの催促というか脅迫というか、そういうメールをしたら(今までもし続けていたのだが)、なぜか一昨日というタイミングでいきなり(思い出したように?)「なかなかメールできないけど、FBではよく近況を書いてるから」というだけの返信が2日遅れくらいで来たんだそうだ。
FBがどういうモノか「なんとなく聞いたことはある」程度の彼女は、最初、その思いがけない返信に、どういう意味だろうと思って、いつものようにとりあえず私にそのまま相談して来た。
「見てくれってことでしょう?お友だちになってそっちでやり取りしたいんじゃないの?」と、私も最初は深く考えずに、そう言った。で、「じゃあ、教えて」となったわけだ。突然、彼女が友だち申請とかして来たら、彼もうれしいビックリなんじゃないか!?と無邪気に考えもした。

そして、彼女は登録後、お友だち申請する前に彼のページを見た。私も私で見せてもらった。
なんとまぁ、1年も前から書いてる書いてる。。。若干は手間も要る写真アップもバンバンしてる。。。お友だちは100人に迫っている。
案の定、「なにこれ。。。」火山噴火、地雷爆発の彼女。
私も、思った。
メールがメンドーな男って誰だっけ?マメじゃない?仕事が忙しくてメール打つヒマもない??
そんな男はどこにも存在してなかったのだ。。。

私も、彼女がつきあい出す前に彼とは帰省の折りとかに何度も会ったことがあるのだが(っていうか、最初、彼女が彼と私をくっつけようとしていた!)、FBの彼はまるで別人、別キャラで大活躍で、驚くばかり。
あの年代にありがちな、不器用そうな、人付き合いに疎そうな(人見知り?)雰囲気とは大違い。2チャン由来の記述(これについては、私ももともとモノ申したいのだが)も手慣れたもので。それを読む限り、同じ人物とは思えない。

私からしてそうなのだから、彼女のショックは相当だった。そもそもネット自体しないので、2チャン的な言い回しでやり取りする人々にも慣れてない。誰これ!?状態みたいだ。

それから1日経って少し冷静になった彼女は、怒りというよりも、深刻に悩み落ち込んでしまっているのだけど、彼女の感じ方はよくわかるし、その言い分にもなかなか反論しにくくて困ってます。

曰く:
毎日のようにFBを更新してるようだけど、もし私に2、3行のメールをくれるヒマがないって言うんだとしたら、私との付き合いは、FBすることやそのネットワークの人たちとやり取りすることよりも優先順位が低いってことだよね?
ひいては、その人たちよりも、私の方が大事じゃないってことだよね?
つきあってすぐにFBのことを言ってくれなかったのは、なぜ?
(注:彼女は、常々、彼が友だちや同僚に自分を紹介してくれないどころか、つきあってる人がいることすら今だに内緒にされてることに不満を持っていた)
それが、今になって言うのは、メール催促されるのがメンドーになって、こっちでいっしょに済ませちゃえってことなの?その他大勢のお友だちの中の一人にされたの?
でも彼は、私がここにほかの人みたいにコメント書いたりしない人間だってわかってるはずだから、ただ、メールの代わりに読めってことだよね?結局、私に対する手抜きじゃないの?
不特定多数に向けて発信してるものを読めで済まされるようになったら、もう、つきあってる意味ないよね?

って感じだ、まとめると。

まあ、後半の言い分については、そんな深い意味はなくて、FBで「生きてるよ」ってことの確認(!?)をしてもらえれば…って程度の話なんじゃないの?とか言ってみたりするものの、過去の恋愛では私も、たとえば、私との付き合いより友だちとの付き合いばかりを優先されたとかいう時にいろいろ感じたので、彼女の気持ちは全体としてよくわかる。
いつも、連絡がなくてさびしい思いをしているので、FBの中でほかの人たちと毎日楽しそうにやり取りしてる彼を見てしまって、疎外感を感じてるのだと思う。

彼女は昨日現在で、FBを読んだとか登録したとかまだ言ってないどころか、くだんのメールへの返信もしてないらしい。
「私が必要じゃないんじゃないか」「たまに会って、えっちして終わりなだけの関係なんじゃないか」と、彼女は言う。
私は彼じゃないので、わからない。でも、現状を見ると、確かに、そうと言えなくもない。
いや、本当に私も返答に困っておるところ。そして、私が過去その同タイプとつきあっていたころのあれこれが思い出されて、こっちまでなんだかイヤな気分になっている。
ソヤツは、一度別れて、そのあと2回復縁を迫って来たヤツだ。そのたびプロポーズされて、最後は挙式時期まで決めたけど、この話のような経緯とは別の問題で、実際の結婚には至らなかった。それさえなければ、していただろう。
彼女は、私に自分のカレシのことを言う時、当時私がソヤツにつけていたあだ名●●に2号とつけて「●●2号」と呼んでいるのだけど、これは、私がソヤツとカレシは同じタイプだねって言ったからだ。
なので、もし、それにあやかって同じ経過を辿るとすれば、いつかカレシは彼女の大切さ、特別さに気づいて、ちゃんと結婚とか言って来る可能性があるよって、私は言ってる。だから、今は、もし本当に「私が必要じゃないんじゃないか」「たまに会って、えっちして終わりなだけの関係なんじゃないか」ということなんだとしても、それをわざわざ口にして、彼にそうと気づかせちゃいけない。たぶん、彼はそうは思ってないけど、言われたら、「あれ、そうかも?」って気づいてしまって、下手すると、じゃあさようなら、ってなっちゃうかもしれない。遠距離なだけに。(そもそも、私がソヤツと1回目に別れた時がそうだった。私も多少若かったので早まってしまったのであった)

ここは、なんとか上手に耐え忍んで、乗り越えていただきたい。いつか、本当に大切さに気づいて、一生そばにいてほしいってなるかもしれないから。

とか、言いつつ。カレシ殿のFB見てると、若い女の子と思われる(同僚か??)相手とデレデレコメントし合ってたりするんだな、これが。耐え忍んでと言っても、遠距離だし、つらいかもなぁ。見れば、生きてることはわかるけど、別の意味でやきもきして、心がザワザワしっ放しかもしれない。

こういう時、やっぱり、FBってナニ!?って思うわたくしなのでありました。。。(2号)

※結婚してしまえば、妻と夫という公認の立場でお互いのFBに登場して、何の違和感(?)も問題もないってのをよく見かけるけど、つきあってるだけの段階って、こういうビミョーなことがあるよね。。。(だから、最初からいっしょに始めれば、まだしもいいのだろうか!?)

posted by 2号 at 14:36| 北海道 ☔| Comment(4) | TrackBack(0) | 恋愛・結婚・男と女・人生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月21日

on 落書き。

そんな時代もあった。。。

北海道もやっと氷点下を昨日で卒業、と、ニュースで言ってました、2号です。私も卒業だ!!

昔のノートを見ていたら、こんな落書きがあったのだが、いったいナンだ!?
自分で考えたとも思えず、何かの歌だろうかちら。。。

PB180726.JPG

と思ってググってみたら、「愛國戰隊 大日本 主題歌」って出て来た。なんでそんなものを突然書きなぐったのか、まったく意味不明。

っていうか、ロシアも変わったよね。ぷーちんだもの。。。(2号)

posted by 2号 at 17:06| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 学校・教育・勉強・先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月16日

on 昔の絵。

いいかげんな記憶。。。

穏やかな日和、ほっこりしてる2号です。やっと、税理士打ち合わせが終わった。。。

3年くらい前だったか、いろいろ処分した時に、学校で描いた絵も捨てたのだけど、写真に撮ったような気がしていたので、ちょっと見てみたら、ありました。

koma.jpg

例の、雪祭りの狛犬の絵。
なんだかミョーにほめられた記憶が鮮明で、自分でも子供のころは部屋にずっと貼っていたので、もうちょっとうまいのかと思ったら、こんなんでした。普通にヘタクソやん。。。(まあ、これは輪郭がすばらしいということでしかなかったのだが)


と、思ったので、ついでに「贋作」の方も探してみたら、すぐ見つかって、これもこの程度でした。3や4の美術が5になるほどか!?

bara.jpg

しょせん、こんなもんだ。。。(2号)

posted by 2号 at 16:03| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 学校・教育・勉強・先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月15日

on ダルくん。

ダルビッシュくん退団の(個人的)余波。

今、久しぶりに郵便局と戦い終えた2号です。回り道もいいとこだった(だから、最初から上の人を出せっちゅうねん。。。)。

まったく関係ない話は、さておき。
こうなってみると(=退団)、どうしてどうして、結局みんなダルビッシュくんが大好きで大ファンだったってことじゃないんですか!?
なのに、ふだんは、やれ「マック金子のファンです」とか「スレッジ大好き」とか「一番は栄ちゃん(小谷野)」とか「中田がイチオシ」「稲葉さん♡」とか言ってたよね?
とにかく、私の周りではただ一人、このわたくし2号だけが素直に「ダルくん命」とずっと表明していたわけだ。

この方々が、いざ、ダルビッシュくんがいなくなるとなったら、やれ「年末の特番(ローカル番組の)をダビングしてくれ」とか「ダルくんユニを買うのをつきあってくれ」とか「ダルくんのDVDを予約するには、どこが一番おトクか?」とか大挙してきて大騒ぎしてるのである。
このわたくしでさえ、札ドのお見送り会見でBGMの「セイリング」(by ROD STEWART)をバックに去って行く姿に号泣して以来、静かに静かにダルくんを見守っているというのに。

アメリカ人の知人に頼まれて、日ハムのダルくんユニの一番大きいサイズを入手しなければならないという友だちがいて、これには苦労した。だって、もう売ってないし。

そして、極めつけが、ダルくんの特番のダビング。
これまた別の友だちなのだけど、いきなり「メカに詳しい」とかいうダンナ様までが出て来て、なぜかDVDディスクにコピーしてって言うから、言われるままにしてあげようと、手持ちの古いDVDでやろうとしたら古過ぎてデジタルに対応してなくてディスクをダメにしてしまって、わざわざ街まで新しいDVDディスク買いに行って、店員に説明してもらって、3時間の番組をリアルタイムでダビングして渡したら、画像が悪いからBDでもダビングしてほしいって。それさぁ、最初から(手持ちの)BDでやってって言ってくれれば、失敗することもなく、画像もきれいで、しかも高速でチャチャッとやってすぐ済む話だったよね?って思ったゾ。ダメにしたり、買いに行ったり、3時間かけてわざわざ孫コピーで汚い映像ダビングしたりって、ただでさえ忙しかったので、何週間もかかったんだゾ。
ちゅうか、メカに詳しいダンナって、いったいナニ?

というわけで、そんなにみんな、やっぱりダルくん好きだったんじゃん。だったら、在籍中から、もっと一緒に盛り上がってほしかったよ。人のことミーハー呼ばわりしたり、「いつもと(好きになる)タイプ違うよね」とか冷静に言ったりしないでさぁ〜(○`ε´○)!

まあ、それはどうでもいいとして、自分に当てはめて考えてみると、たとえば、かつての横浜ベイスターズで、一番好きだった駒田とかローズ以外の主力選手(たとえば、石井琢ちゃんとか)が退団することになったとしたら、その選手個人のDVDが発売されても買わないだろうし、ユニももちろんだし、TVの録画もしないかも。
とすると、ダルビッシュくんって、やっぱりタダ者じゃないのだなと思う。一番のファンじゃなくて、他選手ファンを標榜していた人たちまでもが、いなくなる時にはこんなに騒いで惜しむのだから。

かくいう私は、今年の日ハムカレンダーの2月のビジュアルがダルくんだったために、今もまだカレンダーが2月のまま、時が止まっています。。。(2号)

2012年03月14日

on 占い2。

雨後の占い師。

花粉お見舞い申し上げます、2号です。
花粉症じゃない人も、季節の変わり目、特に春は、体調を崩しやすいのでご自愛ください。

それで、前回の続きなのだが…

最近、私の周りに、ミョーに占い師が生えて来て、すごいことになっている。

もともと、何年か越しでたまに会ってる占いの人はいるにはいたのだが、去年の秋くらいに、ン年(←二ケタ)ぶりに会った古い知り合いが、いきなり「いい人を紹介してやる」と言い、それが「男」ではなく、「占い師」だった、というところからニョキニョキが始まった。
その人は、まったくその手の話を受け付けない体質だったはずなのに、自分の身内が亡くなってからかなり不思議な体験をして、とある人から、霊感のあるその占い師を紹介されたらしい。ここには書かないけど、その体験というのは、私が友だちなどに話すとみんな「うわぁ、鳥肌立った」と必ず言われるような内容の話で、私も、聞いた時はアゴが床くらいまで落ちた。
てなわけで、その人は、そういう世界に、今や私以上に興味を持つようになったようだ。

で、しばらくしてその占い師に会うことになったのだけど、相性はよかった。
その日、私はたまたま白いものは一つも身につけていなかったのだけど、ラッキーカラーは白だと言われ、どうりで、放っておくと白っぽい服ばかり買ってしまうという自分の性向に納得し、これまた2番目によい色と言われたグレーも同様で、好きな色は違うのに、なぜかこれらを買ってしまうワケがわかったりした。
具体的な案件がなかったので、適当に世間話や身の上話などして、その中から思いがけない収穫もあって、さっそく友だちにその話をすると、「私も予知できる」とか言い出し、もちろん冗談で片付けていたのだけど、それがあとから当たったりしたので、それからその友だちも「第3の占い師」を自称するようになった。

そして、先月。
これまたン年ぶり(←二ケタ)に会った古い友だちが、宴の席でいきなり、「じゃあ、見てあげるよ」と言った。また自称(第4の)占い師登場か!?と内心思いながらスルーしようとしたら、「オレのバアちゃんはな、恐山のイタコだったんだ」と真顔で言い出し、自分はそこまでのものは受け継いでないけど、人よりは「わかる」んだそうで、年内くらいのことなら「見える」とか言う。
で、私に関して「見えてる」ことと「見えない(=起こらない)」ことを言って、「自分は未熟なので、それ以上の具体的なことは道具の力を借りなくちゃならないから、あとで見てあげる」とのたまうのであった。水晶玉でも持ってんのかと思ったら、そうではないらしい。「今まで、ハズしたことないんだからな」と豪語もしておった。
っていうか、そんな能力のこと、昔は言ってなかったよね!?と思ったのだが、会ってなかった間の半生の波瀾万丈ぶりからしてもけっこう不思議なヤツなので、経験から能力を磨いたのかもしれない。おそるべし。
ちなみに彼は、去年の震災の3日前から頭の中がスパークしていた。んだそうだ。。。

というわけで、今、私の周りに4人の占い師がいる。
一番古い辛口の人と、もしかすると一番能力がすごいかもしれないけど、それゆえにお高過ぎて&いつも予約がいっぱいでなかなかお会いできない方を加えると6人になるのだが。
これはこれでよいとして、一番困るのはみんながバラバラのことを言い出す、ってことなので、うまく使い分けなくてはならない。バランスとって。これも人間関係なので、こちらも大変なのだ。。。

そんな、占い師を引き寄せる体質(?)のわたくし自身はといえば、朝のテレビの占いコーナーで、その日の1位の星座を見れば、自分の「水がめ座」が6位以内のGOODか7位以下のBADかがわかる。という能力だけはある。この何年もの間、ハズしたことは3回しかないのだが、自称占い師になれますか?(2号)

※本当は、この占いの話は、最後の「自身はと言えば」の部分を姉妹ブログの方で軽くモノして終わりのはずだったのだが、中島知子騒動が起こったために、このように長い話になってしまいました。
ちなみに、朝の占いコーナーのソレは、長年1回しかハズしてなかったのだけど、最近立て続けに2回ハズしたのはどういうわけなのだろうかちら。。。

posted by 2号 at 17:18| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 人物列伝・友だち・家族・人づきあい | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月13日

on 占い。

当たらなくても2度美味しい。

一時期あまりテレビを見てなかったのだけど、この1〜2年、ドラマを見るというのが復活しました、2号です。
一番見ないのは、バラエティか?とにかく、見るものはだいたい決まってます。

ワイドショーもそうで、ほとんどが決まったのをチラチラとしか見てないので、ほかのワイドショーがどうだったのかわからないけど、このところウンザリしていたのが、オセロの中島知子と占い師のアレ。私の見てる朝の番組では、毎日やってた。
どうでもいいとは言わないけど、あれほどコト細かに連日やるようなことなんだろうか??
(そして、後半出て来るようになった内田裕也のコメントが、ミョーに軽くアタマに来たことを、付記しておく。。。)

だいたい、占いなんていうものは、私もけっこうキライじゃなくて、たまにいろいろな方法で利用したりもするけど、それは、あくまでも「利用」で、こっちが支配されるべきものじゃないのだ。

占い。
それが、統計学などであったり、霊感であったり、一応何らかの根拠に基づいてるものだとすると、こんなに興味深いものはない。
特に、霊感、あるいは「人一倍鋭い勘」と言ってもいいのかもしれないけど、これが私にとってはカッコウの好奇心の対象となる。
まず、私は、生き物の(不思議な?)能力を信じている。ある種の生物たちが遠くのものを感知したり、遠くの仲間と交信したりする能力は科学的に解明されてるようだけど、古来、虫の知らせとか以心伝心とか、人間同士もなんらかの伝わり合う能力っていうのがある気がするし、犬は人が死ぬとわかるとか実際あるようだし。こういうのを、科学的に解明してくれてもいいけど、科学で解明できない場合に、「ない」と短絡的に否定する姿勢にはやっぱり違和感がある。
パワースポットとか大昔に神社仏閣が建てられてるような霊験あらたかな場所とかいうのも、やはり昔、土地のよい性質を判別できる人がいたってことだと思ってるのだけど、同じ場所で同じ現象を見たり感じたりした時に、そういう判断につなげられる人とそうじゃない人がいる限り、それはある種の「能力」と言ってもいいのじゃないかと考える。まったく何も感じない人もいることを思うと、なおさらだ。

詐欺や確信犯的な悪徳(自称)霊能力者はアカンが、やっぱり、「何かを感じる」ことができる人たちというのが、この世にいるのだと思う。それを役立てたいとか、何かを伝えたいって言うのならやればいいし、私みたいなスタンスでそれを利用する人がいるのも、別にいいと思う。娯楽的文化として楽しむもよし、何か大事な決断の時の判断材料の一つとするのだって、納得して自己責任の上で利用するなら、その人の自由だろう。
ただし、絶対に当たるとか思っちゃいけないし、ハズレたからって殴り込みに行っちゃいけない。

私について言えば、まず、そういう人自体に興味がある。
占いというものが人間が行うものである限り、相性というものもあり、そういう人間くささが絡んでくるところもオモシロい。鑑定(?)にも、互いの人間関係が微妙に反映されて来たりするところも。
で、私と相性が悪い場合、続けても互いにいいことないので、1回限りとする。
いい場合は、同じ人と何度か会ったりする。毎週通う人もいるみたいだけど、私はせいぜい年1回とか、よっぽど何か確認したい具体的なことがあった場合に2回とか。コトによって、人を使い分けることもある。

ハズレたらハズレたで、これがまた興味深い。
私は、どうしてハズレたのか、というか、結局は当たらなかった見立てをした時の、相手のことを考える。霊感なりなんなり、相手は何らかの自分なりのよりどころはあるわけなので(ということを前提にすると)、それがどう働いたのだろう?とか、私が言った内容を思い出して、それとどう響き合ったのだろう?とか、相手の精神状態はどうだったか、どういう気持ちでいたか、はたまた、私がその「予言」を狂わせるような突拍子もない何かをあとからしたのか、とか、どっかから予期せぬ邪魔が入ったのか、とか。
まあ、小説かなんかを楽しむみたいにあれこれ思い巡らせるわけで、これがまた一興なのでした。

一人、とても「よい人」がいて、この人は、私のことをいろいろ言い当てるので、何かは感じたり見えたりしてるらしいと思って、何度か会ったことがあるのだけど、ある時、「あぁ、この人には、私が望んでることが言わなくても伝わっているんだな」と気づいた。だから、話していて気持ちがよくて(まるで以心伝心そのものみたいだから)、その人も私の夢が叶うことを心から応援してくれるスタンスだから、こういう気持ちのよい鑑定結果になるのだな、と、思った。
もちろん、夢のすべてが叶うほど世の中甘くなく、ハズレたこともある。でも、私が自分の心の中で夢が叶った時の映像をイメージすると、おそらく、それがその人にも見えるのだと思われ、それをその人は未来の予言みたいに言っていたのかもしれないなぁ、なんて想像する。

いーのである。それで。
当たってもハズレても私は楽しいし、いいことを言ってもらってる瞬間は、友だちと話してる時とはまたちょっと違った感覚で前向きな気持ちになり、がんばろう!と元気をみなぎらせることができる。これこそが、効用なのだと思っております。

もう慣れたもので、ちょっと辛口の人も用意してある。凹んでも何でもいいから現実を見る必要がある!みたいな時は、気持ちのいい人じゃなくて、わざと辛口の人のところへ行ったり、みたいに。


というわけで、占いは支配されるものではなく、利用するもの。と思っているわたくしにとって、今回の連日の報道は、多少気を引き締めようとは思わされはしたものの、信じられない話でした。
万一本当に当たってること言われて、それが耳に痛いことだったりした場合、私だったら切る。自分と相性が合う人からは、同じイヤなことを言われても、そこに愛情みたいなものが感じられるのだ。ただ痛いだけのことを言われたら、たとえ当たっていても、自分に合わないと思ってそれっきりにする。

それに、ナニ!?神が肉を食べろと言ってる??
んな、バナな。。。その時点でアウトですな。
神は、どっちか言うとベジタリアンやろ。そういう神じゃないと、私と相性合わんと思うし。(私はお肉も大好きだが、そういう問題ではない)。
ってなスタンスじゃないと、占いなんて利用できまへん。

心底弱ってる時も、そこにツケ入ろうとする人なのか、本当に親身に助けようとしてくれる人なのか、その違いを見分けるだけの理性とか余裕は持ち合わせていたい。
とかいう私は、まだ本当の地獄を見たことがないだけなのだろうか。いや、そこまでの地獄は見ない方がいいけど。。。(2号)

posted by 2号 at 15:13| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース・時事・芸能界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月08日

on 手筋。

デカい女。

1月は行き、2月は逃げ、3月も1週間が去りました、2号です。。。
相変わらず超忙しいのだが、今、待ち時間がてら逃避します。

わたくし2号、ライターです。デザイナーではありません。
と、何度も何度も皆さんに言ってるのですが、よく、「デザイナーに頼むほどのことじゃないから、○○さん(←私の名前)でいいからさ。ちょちょいとやって」と、カンタンなデザインを頼まれます。
このわたくし『で』いいから、とは。。。(失敬な。。。)
つまり、たいしたレベルを求めてないから、誰でもいい、○○さん程度でも。ということだ。
なるほど、そういうレベルなんだったら、まあ、わたくしなぞがやってもいいのかと、できる範囲で謙虚にやる。
しかし、そんなわたくしに『ちょちょい』っていうのもおかしな話で、ちょちょいとできるのは、手慣れたベテランの人だよね??私がやると、プロの人よりは時間もかかるし、持てるワザも見よう見まねの範囲で多くないし、ちょちょいというわけにはいかない。ちょっとは苦労する。でも、もらえる報酬は少ない。
考えてみると、皆さんはカンタンに頼んでくるけど、逆にこっちは汗水たらして少ないお小遣いを稼ぐって感じだ。なんか腑に落ちない気もするけど、お小遣い程度でもあった方がいいし、そうやって要望にこたえていると、次に大きな仕事につながる可能性もかすかにあると信じて、わたくしもがんばっておるのだ。

以上が長い前置きだったのだが、そんな、もぐりのニセデザイナーのわたくしのデザインに対して、「おぉ、豪快だね」的な反応が多いことに、最近気づいた。女性的なデザインというのは、上品に、かわいく、こぢんまり、みたいなことらしいのだけど(そりゃまあわかるし、私だってそういうのは好きだし、できないことはないのだが)、デザインの対象自体が(=頼まれる案件のジャンルが)必ずしも女性的なものではないのが多いせいか、「豪快」なものになってしまってるのかも。とか、思いながら、改めて自分のやったデザインを眺めていたら、ふと、子供のころの記憶がよみがえって来た。それが、今日のタイトルなわけで。。。

私は、美術系の科目は特にいいというわけではなく、唯一、5段階評価で「5」を取った時もあったのだが、それがズバリ「模写」という単元があった時であり、なんだよ…要はパクリだけは得意ってことじゃんか。。。と、自分で嘲笑したものだったのだが、それよりずっと前の小学生の図工の時間、クラス中で私のもう一つの才能がもてはやされた瞬間があった。
それは、絵を描く時に、最初にアウトラインというか、輪郭を描く。ということだった。
その時は、「雪祭りの絵を描きましょう」というテーマで、見に行った人は記憶で描いてもいいし、そうじゃない人は絵はがきなどを見て描くということになっていた。
そこで、私は巨大な狛犬の雪像の絵はがきを見て、画用紙からはみ出すくらいの豪胆な大きさで、画面いっぱい狛犬の輪郭を取った。そして、先生が通りかかり、その「のびのびさ」を褒めちぎったのだった。
たったそれだけのことだったのだが、輪郭を取るだけのことにえらく苦心していた近くの席のクラスメートが、「お願いだから、輪郭だけ描いてくれない?」とこっそり頼んで来た。こんなことでよければ、と、私は快く引き受けて、サラサラとデッかく、その子の雪像の輪郭を描いてあげた。すると、周りの数人が、我も我もと言い出したのだ。たぶん、4、5人のを描いてあげたと思う。
まさか、輪郭を描く、というだけの「才能」が、この世に存在しようとは。。。

きっと、絵を全部完成させろとなったら、誰も私に頼まないと思う。(しかし、その狛犬は、のちのちまで自室の壁に貼っていたくらいの、なかなかのできばえだった)。頼んでいいのは、輪郭描きとパクリだけです。

そんなわけで、元気のいい自分のデザインを眺めてる時、ふと、狛犬の記憶がよみがえったのでした。

すると、また、別の記憶もよみがえってきたので、ここにまとめて記しておこうとなったのだが…
それは、忘れもしない、母校の高校での教育実習の時のこと。
実習の監督(?)としてついてくれた担当の先生の計らいで、授業を受け持ったいくつかのクラスで、実習生の授業を受けての感想などを入れた手紙を最後に書いてくれることになっていた。
これがすごくおもしろくて、ずっととってあったので、古い日記の整理とともに読み返したりもしてたのだが、それによると、私は初日に教壇から落っこちたことになっている。そうだ、思い出した。。。それで親近感が湧いたと書いてくれた男子生徒がいた。もちろんワザとではないけど、結果、つかみはOKだったようだ。
いや、それは余談で、圧倒的多数が書いていた共通の感想、第1位は「字がデカい」ということだった。
初めて黒板に字を書いた時、「あっっっデカい!!」というヒソヒソ声やクスクス笑う声があちこちから聞こえてはいたけど、こんなに多くの子が最後の手紙に書くほどインパクトがあることだったの??。。。と驚いた。なにしろ、「字の『バカ』デカい教生」というウワサが学年中に轟いていたようなのだ。先生は、それで有名でした。と書いてる子がいた。確かに、監督の先生は達筆で細かい字でびっしり板書するタイプだったので、デカデカと最小限の箇条書きしかしない私は、かなりのギャップを生んでいたとは思われるが。。。
字がデカいのは、目の悪い一部の生徒には好評だったようだけど、字はもっと練習した方がいい。とか、大丈夫、だんだんうまくなりますよ、最後の方はよくなってました。とか、暖かくも厳しい言葉も、多くの生徒が書いてくれた。なんて、いい子たちなのぉ〜!!

ちなみに、ここでも、視覚に訴えるのが一番いいのよ!とばかりに、美術が3とか4ばかりだったありもしない才能を駆使して、アルパカやリャマという動物の絵を黒板に描いて披露していた(南米の古代文明の単元だったため)。アルパカとリャマは一生忘れないと書いてくれた生徒もいた。余談だけど。

で、つまり、私って「デカい」女なのかちら?というまとめになるのだが、それが、何か人生の役に立ってるかと言われると、むしろ、住所氏名を書く時に枠に収まりきらないではみ出す、とか、デメリットの方が多い気がして、すこぶる残念です。。。(2号)

posted by 2号 at 13:33| 北海道 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 学校・教育・勉強・先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。