2015年04月21日

on やさしい

『夫ネタ』

思えば遠くへ来たもんだ、2号です。ダーリンと同居を始めて、はや丸2年。それまで住んでいたところとも、距離的に離れた。
いろんなものを得て、代わりに手放したものもあり、いろんなことが変わった。

しようしようと思いながらブログの更新が滞っていたこともそうなんだけど、今またなぜかこのタイミングで書いてみたりすると、今のところ内容も前とは違っている(or偏っている?)。
江國さんの本を読んでいて、旦那さまが「自分のことを書いてくれてかまわない」というようなことを言っている、ということで、時々旦那さまのことが書いてあるのを見て、私もそういうの書きたいっていうか、結婚したら書くだろうなと思っていたことは、ずっと前にここに書いた(気がする)。

この話をダーリンにしたら、ダーリンも「別にいいよ」って言っていた。
だけど、彼はこのブログは知らない(はず)。
うん、一生知らないでいてもらおう。。。

というわけで、許可のもとに書いてるのだけど、実際、書こうとしてみると、何やら以前とは違う衝動がそこには厳然としてある。以前は「夫」のことは私の中で「ネタ」という感覚で、だからこそ書きたいとか言っていた気がするのだけど、今は、結婚で得たこの世で一番「大切な人」についてメモって残しておきたいという感覚なのだ。

まず、最初に特筆したいのは、うちのダーリンがとにかくやさしい、ってことだ。
会話は多少アレなことがごくたまにある、ということをさんざん書いておいて言うのもなんだけど。。。

たとえば、ちょっと疲れた顔すると、「夕はん作ろうか?」ってこともなげに言ってきたりするので、「いやいや、働いて帰って来た人にそれはさせられないっす」などと言って、押しとどめている。休みの日には作ってもらうこともあるけど。

こっちが何をどうする的な質問をすると、「どうしたい?」って、まず私の意向を訊いてくる。いつも、合わせてくれようとする。あとからわかったことだけど、合わせてくれた結果、多少不満が残ったりすることもあるらしく、それをまったく言わないこともないのだけど、それでも、次も私に合わせてくれようとしてる(諦めている?)ようなのです。
それでいて、もちろん、ダーリンの方からすごくいい提案をしてくれることもある。だから、いつも楽しく過ごしている。

具合が悪そうだと「病院行く?」って、すごく心配してくれる。これはもちろん、連れて行ってくれるっていう意味で、行かないって言うと怒る。

私が甘えたい時は、よしよししてくれる。
逆に、私がダーリンを甘やかしたい時は、甘やかさせてくれる。
私はいつも、トトロの胸の上で遊んでいるメイ状態なのだ。。。
(実際、ダーリンはいくつかの方面で「トトロ」というあだ名を付けられているようだが、大のオッサンがトトロもないだろうということで、オッサン仲間からは「トロ○」と言われてるらしい)。

ダーリンといる時、結婚当初はよく、村上春樹の「ノルウェイの森(下)」の春の熊のくだりを連想していたもんだ。

「君が大好きだよ、ミドリ」
「どれくらい好き?」
「春の熊くらい好きだよ」
「春の熊?」と緑がまた顔を上げた。「それ何よ、春の熊って?」
「春の野原を君が一人で歩いているとね、向うからビロードみたいな毛なみの目のくりっとした可愛い子熊がやってくるんだ。そして君にこう言うんだよ。『今日は、お嬢さん、僕と一緒に転がりっこしませんか』って言うんだ。そして君と子熊で抱きあってクローバーの茂った丘の斜面をころころと転がって一日中遊ぶんだ。そういうのって素敵だろ?」
「すごく素敵」
「そのくらい君のこと好きだ」」

どうでしょう、このほっこりと和む感じ。とろけちゃいそうだよねー。
この二人は結婚してないけど、あまりにもこのくだりが思い出されるので、誰はばかることなく、はずかしげもなく惜しみなく、こんな会話するような世界に飛んでっちゃうのが結婚なのか!?と驚いたよねー。しかも、この小説はクマのことは「たとえ」で言ってるんだけど、うちは実際にクマと転がりっこしてる感触を味わえるからね。その幸せと言ったら、もう、頭の中がお花畑だよね。

一度、「どうしてそんなにやさしいの?」と私は訊いてみた。昔の私は、まさか将来自分が、この質問を誰かにする場面が訪れるとは夢にも思ってなかっただろうけど。

ダーリンのこたえは「う〜ん、体質かな」だった。

つまり、自分はそのへんを意識もしてなくて、ごくふつうでいるので、もしそれがやさしいと言うのであれば、それはもう生来のものだ、という意味かと思います。
確かに、ダーリンのおうちはお父さんもそういう人で、ダーリンは三兄弟なんだけど、それも揃いも揃ってテキパキ動き、周りを時にはやさしく、時にはさりげなく気遣い、女性陣の出る幕がないくらいな感じなのだ。そんなんで、初めて実家にお邪魔した時はどう振る舞えばいいのかかえってオロオロしたくらいなんだけど、先にお嫁に来ていた義妹にあたる方が、「ここは男性が動くおうちで、うろうろするとかえって邪魔になるので、任せちゃった方が効率よく進むのよ」なんか言っちゃっていたので、結局は私もそうした。

今も若いが、もっと若かったころのわたくしの、男性のタイプを表すボキャブラリーには「やさしい」という形容詞は入ってなかったもんだけど、必要だね、「やさしさ」って。っていうか、もっと若かったころのわたくしは、「やさしさ」がどんなに人を心地よくさせるか知らなかったんだろう。違うものに、価値を置いていたってことだ。

「やさしさ」を求めたわけじゃなかったのに、フタを開けてみたら、ダーリンにはこんな大きなおまけがついていたってわけだ。これは、何のご褒美だろうか!?

結婚以来、私がダーリンを表現すると、「心が広く、器が大きく、懐が深い」ということになっている。
細かいことを言い出したら、そりゃお互いにいろいろあるのだろうけど、ダーリンの圧倒的なやさしさの前には、いつもそんなもんは吹っ飛ばされてしまっている。

本当に体質なのだろうか?
今は、ダーリン自身が確信的にそう言ってるけど、もしかしたらそれが無尽蔵じゃないかもしれなくて、尽きてしまったらどうなる!? って、そんな心配をしてしまうくらいの大きすぎるやさしさに、日々感謝しておる。(オチはない!)(2号)



posted by 2号 at 13:02| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 恋愛・結婚・男と女・人生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月20日

on 男と女 2

女のおしゃべり、男の(建設的)会話。その2

長いので、前置きを省いて前回の続き行きます、2号です。


前回、男女の会話の相違に、双方主に困惑してるというニュアンスで書いていたけど、それはまだいい。私の中で問題となったのは、「ちょっと悲しい」と思うような場合なのだ。もちろん、夫は相手を悲しませようとはまったく思っていないのだけど。。。

繰り返しになるけど、女がグチを言う時はたいていの場合、内容の正否を断じてほしいとは露ほども思っておらず(思ってる時は、そう言う)、「そういう状況に陥った(陥っている)『私』がどう思っているか、どう感じたか」に共感してほしくて言っている。
乱暴に言うと、グチに対しては正論はいらない。もっと乱暴に言うと、「私が間違っていても、私の味方をしてほしい」くらいの精神状態の時だってあるくらい。
百歩譲って、アドバイスしよう、間違いを正してあげようと思ってくれるなら、それを聞くべきであるとは思うけど、言うタイミングは全然別の時にしてほしい、あるいは、いったん「わかるわかる」と否定せずに受け止めてから、決して「でもね」などの逆接の接続詞を使わずに「こうできたらよかったんだよね」などと付け加える程度にしてほしいのだ。。。

なのに、そういう話の向こうにある女の気持ちは関係なく、話の内容だけを聞いて、正論で、誰々が(も)悪いとか、相手は悪くないとか、こうすべきだったとか、「冷静に」「公正に」言ってきたりする。
そして、グチの対象となっている全然知らない人について、「こう思ってそうしたのかもしれない」とか「何か事情があってそう言ったんだ、きっと」とか想像力を持って酌量しようとするのに、目の前で言ってる私の気持ちをわかろうとしない(ように見える)。
もしかすると、その腑に落ちない相手の行動や言動を解明してあげることで、私の負の感情を和らげようとしてくれてるのかもしれないけど、こっちの気持ちがこじれてる時は「どうして、私じゃなくて相手をかばうの?」ってなる。だから、ちょっと悲しくなる。。。

私が負の感情を抱くこと自体がおかしいとか、怒る必要がないとか、グチそのものを否定することもある。
そういう時は、「そんなの別にいいじゃない」「何でもないことなのに怒る方がおかしい」などと否定してみせることでこちらの気持ちをおさめさせようとしてるのか??と慮らないと納得いかないくらい、衝撃的な受け答えに感じる。
グチらないではいられない時は、あくまでも「味方」「共感」「慰め」がほしい状態なので、否定はその負の感情に「追い討ち」をかけることにほかならないのだが。

私たちはなるべくハラに溜めないで、言えることは言い合おうって思ってるので、これについても話したことがある。
すると、言われてみると確かに自分はそういう受け答えになりがちだ、ということを、夫も認めた。そのうえで、自分は「教える立場」「偏らず、偏見を持たず、決めつけず、公平公正でいることが求められる立場」だという縛りがどこかにあって、プライベートでもそこから抜け出せないのかもしれないとか言っていた。
まさしく、夫は「男はこう、女はこう」という決めつけた考え方や、何かを一般論化することや十把一絡げにするのが大嫌いで、個々を見ることをよしとする。なので、自分は「男だから」グチを聞くのが苦手なのかもとか言うはずもないのだけど、私から見ると、典型的に理系くんなんだなぁってことになる(←これを言っちゃうと、不機嫌になる)。

まあ、こうして見ると、男は理性的で杓子定規、女は感情的でワガママみたいな、単純な構図にも見えるのだけど、一つのグチ的な話を前に、こんなにも双方のスタンスが違うのかっていう実感が、最初は新鮮な驚きでもあり、深いミゾにも思えた。今までのたまたま話した男性とは、こういう違和感を感じることがあっても、その場限りで受け流せたけど、夫は一番身近な存在となっているので、何とかなるならしたいと思うのである。
理系くんに加えて、立場的な制約があるとなると、人間関係が絡むようなデリケートな話の場合はますます、それを丸くおさめようとか、双方の言い分を十分に吟味するまではどっちの味方もしないみたいなことになるのかなぁ。

こんなこと書いてると、あそこのうちはうまく行ってないのではないかと思われるかもしれないけど、大きなグチは数カ月に1回くらいの程度だし、今は違いがあることも既成のこととして承知のうえ、お互いに慣れて来ているので、特にこのことが大問題になってるというわけではない。
強いて言うなら、私が気軽に口にしたちょっとしたことが、実は向こうにとってはグチっぽく聞こえて、え、このくらいのことも気軽に言ったらダメ?ってなるケースがあることか。今となっては、大きなグチの方が市民権を得ているかもしれない。夫もそういう時はそれなりの気構えで聞くし、こっちもあらゆる反応を想定の範囲に入れて話すから。

夫の仕事柄、うちでは子育てとか子供の教育、保育などに関心が高く、そういう観点でものを見ることがよくあって、これについても、もしかすると男女の持つ(生来的or社会的はさておき)父性と母性の違いみたいなことなのだろうか、と思うこともある。
つまり、家庭内で子供が何かを訴える時に、「そう、大変だわね」「わかるよ、つらいよね」などと、何はさておき受け止めて、寄り添い共感して「よしよし」してあげるのと、「それは○○が悪い」「そういう場合はこうしたらいい」など善悪の判断やらアドバイスやらを公正に社会的規範に照らして言うのと、両方の要素が必要に応じて与えられるのが理想だとすると、前者が母親的な役割、後者が父親的な役割ってよく言われるじゃないですか。それがそれぞれ生来的に(社会的でもいいけど)男女の違いとしてそなわっていると仮定すると、会話における受け答えの違いもそこから来るのか?などと思うわけです。
だとしたら、ある程度、しょうがないのかも。

さて、なんだか思ったより「グチ」の話に終始しちゃってるのだけど、それ以外に違いを感じる点、それは、夫が想像でものを言わない、言ってはいけないと思ってるフシがあって、会話が成立しない場合があること。「あれって、こういうことかな」「きっと○○だね」とか、好き勝手な妄想を話しても差し障りがないようなことでも、「わからない」「知らない」「訊かれても困る」と、逃げる(?)。せめて、「さあ、どうだろうね、よくわからないね」くらい言ってもよさそうなものだけど。。。
それは、さっきも書いた「教える立場」「公正さ」を重んじて、不用意に間違ったことを言ったり、無責任に想像による曖昧なことを言ったりしないように気をつけることが身に付いちゃってるのか? さらには、正しく知らないことについては「こたえられない」というスタンスを明確に表明する必要があると思ってるのか??
必要のあること、興味のあることは、面倒がらずにすごくよく調べるし、多くのことを詳しく知ってる一方、そうじゃないことは人の話を聞くのも面倒なのだろうか。
特に、テレビを見ないので(本当に好きなものだけピンポイントで見ることはある)、私から見ても下らないことは本当に知らない。で、私は下らないこともキライじゃないので、時々、夫にとってどうでもいいことを話しては、そこでも困惑させている。
知らないことは「『知らない』で済ませる」というアンバランスなところは、夫の面白い部分でもあるので、それはそれでいいけど。

要するに、夫にとっての会話とは、何か必要なことを決める、話し合う、問題を解決する、有益なことを知らせる教える、教えてもらう、面白いことを言い合って楽しむ、そして、時には他愛のない日常的な話をして和む(←決して、芸能ネタではない)、というものなのだろう。どれも前向きで、気持ちがいい。ムダなおしゃべりは、自分からはしない。

こんな私たちの間で、調子良く楽しく会話が盛り上がるのは、音楽、野球、二十歳前後の女子のトレンド、動物、天気、宇宙、自然、物理化学数学、地学、地理、外国、文学、映画、ちょっとした豆知識など。
危険なのは、ご多分に漏れず、政治と宗教と、特定の外国の話。たぶん、これらは密接に関連し合ってる場合も多く、偏見に陥りやすい分野だからだと思う。二人とも冠婚葬祭以外は無宗教に近いけど、一般論でするにしても話し方には気をつける。
政治の話は、女子の場合は、無責任に「もっとこうできないのか」とか「こうなればいいのに」とか願望を軽く話したりできるし、知らないことやわからないことも、仮定の話や想像を広げたりして話せる。さらには、独断と偏見も「私は」こう思うのよって言える。
夫は、これがまったくできない。というか、しない。想像でものを言わないという意味でもそうだし、私見は裏を取ってから、という感じ。

ある時など、「人が何かについて熱く語ってるのを見ると、『自分には意見というものがないのかもしれない』と思うことがある」と言っていた。自分の言葉について厳しく律してるうちに、そうなってしまったのか??
だから、私が何かについて熱く意見を語っていると、どうしてそんなに熱くなれるのか?っていう顔をして、自分の意見を言わないだけでなく、反応しあぐねている。
なのに、時々、こちらの意見の否定だけはしたりするもんから、じゃあ、夫はどう思うのかって訊くと、それにはこたえない、ってことになるんだな、これが。
政治なんて、互いの支持政党が対立してるわけじゃなし(そんなものは私にはない)、好きなことを言っていいと思うのだけど、意見があったとしても立場的に言いたくないのか?

周りには、男を相手に「おしゃべり」はしないとか、グチは言わない、言ってもよけい腹が立つだけだからって言ってる人がいたりする。ダンナさんからはっきりと、どうでもいい話は聞きたくないとか、俺にそういう話をしてくれるなと言われているって話も聞く。
女友だちや家族と夫とで、話す内容を使い分けるなんて話も聞いたことある。確かに、そういうのは賢いのかもしれない。
でも、私は夫とはそういうふうにはしたくない。
生返事を返されたり、思いがけない反応をされたりすることがあっても、こちらからは何でも話せるようでいたいと思っている。
それに、近くに友だちがいないので、話す相手を使い分けるなんてことも、実際にはできないし。

男と女、違いがあるから面白いのだし、違いがあるから歩み寄るしかない。時にはこっちのおしゃべりにつきあってもらうかわりに、私ができることは。。。
グチを言わないのが一番いいのだろうけど、まったく言わないようにすることはムリっぽいので、言う前にいろいろ断りを入れるとか?
「これから言うことは、あなたに怒ってるんじゃないからね」「これから、ただ聞いてほしいだけのことを言うね」「かなり頭に来てるから、不適切な表現も出て来るかもしれないけど、大目に見て聞いてね」「落ち込んでるから、厳しい意見は今は言わないでね」など。そして、話し終わったら、「聞いてくれてありがとう」「イヤな話を聞かせてごめんね」など。
これで、どうだっっ。

今、気づいたけど、グチにこういう断りを入れると、その時点でグチりたい不満とか怒りとか不快感とか疑問も少しトーンダウンするかも。。。
そして何より、そこまでしてグチをやめる自信がない自分にひきかえ、グチを言わないダーリンを、それはそれでとても尊敬してる。(2号)

posted by 2号 at 17:00| 北海道 ☔| Comment(4) | TrackBack(0) | 恋愛・結婚・男と女・人生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月18日

on 男と女

女のおしゃべり、男の(建設的)会話。

お久しぶりの2号@ダーリン出張中、です。
皆様、お元気でしょうか。皆様と言っても、そもそもの数が少なかったであろうところに、長らく更新もままなってない状態で、そこにはもう誰もいないと思いますが。。。
いや、毎度、言い訳になりますが、決してブログが忘却の彼方に行っているわけじゃないです。いつもいつも頭の中には、アレも書きたいコレも書きたいって思いが渦巻いてるのであって、それも、時たま読んでくださる数少ない稀有な関心の持ち主の方々を差し置いて、ひたすら自分のメモとして、あるいは行き場のないアレコレの収めどころとして書き散らしたいという利己的な動機で。

とか言ってる間に、結婚による同居生活も丸2年が過ぎました。
その間にわかって来たこと、いや、わりと早い時期にわかったことですが、つくづく男と女は今日のタイトルにあるような違いがあるもんで、うちは特に、ダーリンがこれまで女性というものと個人的に積極的に関わろうとして来なかった&表向き文系っぽい稼業でありながら、頭の構造は今流行の(それとも、もう流行は終わってるのだろうか?)ガチ理系くんであるがために、違いが顕著に現れるのであった。
もちろん、これだけ生きて来ると、世の中の男性と話してて、時々、予期せぬ反応を唐突にされて「へっ!?」ってなる場面を何度も何度も経験してるし、一方で、いわゆる「おしゃべり」のできる、または、おしゃべりに上手につきあえる男性がまれにいることもわかってる。
で、フタを開けてみたら、うちのダーリンは意外に…ってことはなくて、わたくし2号がこのブログにキーボードから垂れ流してるように、気を抜いて、思ったことを口からダダ漏れさせてると、思わぬ反応が返って来て、びーーっくりするってことは、うちでもよくある。

そう、よくある、ので、さっそくわたくし、分析してみました。

するとまあ、面白いというか、逆にあまりに「理系くん」「男は火星、女は金星」的な話にはまり過ぎてて今さら面白くもないというか。。。

まず、うちの夫は(これより先、うちの夫=特に理系の「男」と読み替えていただいてもいいかと)、そもそも人がグチを言う、それも自分に関係のない内容であっても自分に向かってそれが話される、という場面にあまりに慣れていなくて、そのシチュエーション自体がすごく苦手なようだ。見てると、時には、もしかして自分が怒られてるような気分になってるの?(←お互いのグチを聞きあうことに慣れた女にはわからない混乱ぶりである)と思うこともある。
もちろん、どんな勢いで言っていようと、それがグチである限り、夫に対して怒っているわけではない。そんなに見極めが難しいのだろうか。。。
とにかく、当初は、ただ(肯定的に)聞いてくれてるだけでいいのに、その困惑ぶりにこっちが困惑するくらい、グチに対してひたすら困惑していた。

生理的に、グチを言ってる人を見るのがキライっていうのもあるのかもしれない。内容をきっちり聞く前から、雰囲気を伺って身構えたような顔をしてることもある。これも、単なる慣れの問題なのか、それとも、男のいかんともしがたい生体反応(?)なのか??
ちなみに断っておくと、私が格別に常軌を逸した感じでギャーギャーとグチをまくしたててるわけじゃない、ふだん、女友だちや親兄弟にグチって、ふつうに会話が成り立っていた時と同じトーンだと思う。

と、ここまで、広義で「グチ」と言ってるけど、まあ、あったことを何でも話したい女の習性と言うか、いわゆる(下らない)おしゃべりと思ってください。

次に、夫にとってはさらに高度な対応能力が必要とされるらしい事例、いってみよう。
注)夫が「ハードルが高すぎる」と言ったので「高度」と表現したけど、女から見ると、むしろ最も無意識にできるレベルのことである。

ある日、私がタクシーに乗った時、運転手が私にとっては首を傾げるような対応をしたという案件があり、それを夫に話した時、確かに私は「なんでだろう??」とは言った。でも、話の根底には「大変な目にあった私の心中をわかってほしい」という目的があることは、はっきり言葉では示されていない。
という場合、女性と話してると、「なんでだろう??」に対しては、なんでかがわからなくても「えー、何それ!なんでだろうね!?」と言ってくれる。人によっては、あーでもないこーでもないと、その疑問についていっしょに想像して考えてくれるかもしれない。だけど、そうしてる間にも、最後には「イヤだよね、そういうの」「頭に来るよね!」が来るだろうという安心感がある。
ところが、夫にこれを話した時、一足飛びに「共感」ワードが来なかったのは想定内だったとして、しばらく無言、という思いがけない反応だったのである。
何か気を悪くしたのかしら。あ、これもダーリンにとっては「出来事の報告」ではなくてグチの部類?、だったら、これを話したこと自体がアウトだったか。。。あー、油断してたよ〜〜
なとど、しばし思いめぐらしていると、私にはもう別の話題に移ったか?と思われるくらい悠久の時間が経ったころに、「うん、今、いろいろ考えてみたけど、やっぱり今の話だけでは道路状況とか周りの様子とか具体的な背景がはっきりと把握できてこないから、(運転手の対応の理由が)どうしてなのか自分にはこたえられないな」と言ったのである。。。
え、今まで「考えて」いたの!?
っていうか、ポイントは『そこ』じゃないし!
と、私がブッ飛んだことは、言うまでもない。

確かに、理由が明らかになれば、私のモヤモヤも「具体的に」スッキリと晴れるかもしれない。
しかし、求めてるのは、大変なことがあった私の気持ちに対する慰め、共感であり、一番のポイントは「そこ」じゃないのである。

わたくし2号、こういうことが数回あったのち、ざっくばらんにそのへんの話をしました。
夫のこたえは、そもそも人が自分にそういう話をしてくる時、どうにかしてほしい、あるいは、こたえを知りたい、意見を言ってほしいと思って言って来る、と、思ってるから、とのことだ。(もちろん、こっちだって、そういう場合もあるが)
で、そういう時に、話の内容が「言われてもどうしようもない(何もしてあげられない)」「(その話を聞いても)何を言ってあげればいいのかわからない」「そもそも、話すことで自分に何を求めてるのかわからない」ことだったりすると、とたんに「どう反応していいのかわからない」となり、それをそのまま口に出したり、困惑して何も言わなかったりと、相手(女)の気分を害してしまうことになる、ということらしい。
で、タクシーの話の例では、話の根底の目的を察知するなど「ハードルが高すぎる!」と叫んだのである。
ちなみに、タクシーの話の場合は、ちゃんと考えて適切に反応を返したつもり、自分としてはうまく受け答えした例だ、と考えていたようだ。

そこで、ここは夫婦二人、話す相手も限られるのだし、話す前に話題をあれこれ吟味して選ぶなぞ、逆に女にとっては高度すぎるというか面倒なので、女のおしゃべりにつきあう(フリをする)のに便利な言葉を教えてあげよう、と、わたくし「へぇ、大変だったね」という言葉を伝授しました。
すると、本心でそう思ってない場合は言えない、と言うので、その場合は「へぇ、そうなの(そうだったの)」、それも言えない場合は「ふ〜ん」でいいから、と。でも、「ふ〜ん」はちゃんと聞いてないナマ返事の典型だろうと言うので、たとえ聞き流しての返事だとしても、今までの「無言」とかトンチンカンな反応よりはずっとマシだから、と、わたくし言いました。
とにかく、最低でも、女は何らかの相づちを入れてもらって、最後まで「違和感なく」話し終えられれば、それであらかた満足なのだと。

ちなみに、私が「ざっくばらんに」話したこの会話の最中、夫が、ものすごい大切な世紀の新説を「宇宙語」で解説されてるのを聞いてるかのような顔をしていたことを申し添えておきます。

ずいぶん長くなりました。なのに、まだまだこのテーマは尽きない模様なので、いったんアップして、書いた続きは後日アップされるようにしておこうと思います。(2号)

posted by 2号 at 14:42| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 恋愛・結婚・男と女・人生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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