2009年06月22日

on 村上春樹1Q84と読書

1Q84。
〜村上春樹と私の読書〜

夏至には思い入れのある2号です。
今年の夏至だった昨日、例年だと落日を見届ける儀式を行うところ、そんな適当な場所に出かけるモードでもなかったので、日没とともに鍵盤が見えなくなるまでおピアノ弾いてみよう…という、なんだかよくわからないことを行いました。近隣の方々には迷惑千万だったかも。。。

さて、人並みに(?)村上春樹が好きなわたくし2号、昨日までに3人の人から「1Q84」を読んだか?的な質問を受けました。おそらく、今週会う予定の人からも訊かれると踏んでるところ。

結論から言うと、読んでません。

前にも、言った人には言ったと思うのだけど、ここでもう一度、私の、本好きでありながら決して読書好きとは公言できない読書方針というか、読書スタイルについて記しておこうと思います。

まず、長年、普通の勤労者だった私としては、いつしか、本を読むのはもっぱら通勤の行き帰りの交通機関の中になっていました。
よく、寝る前に本を読むという人がいて、本好きとしては、生活サイクル的に考えてもそれが最も適当な読書習慣だろうと思えるのだけど、人並み以上に目が疲れやすいためか、寝る前に本を読むと翌日の体調にすごく悪影響があることに気づいて以来、寝る前に本を読むのはやめました。
したがって、通勤のない今は、思いつかないとなかなか本を読みません。家で本を手に取るということが、上記理由から、ないに等しくなってるので、よっぽど意識しないと。
しかし、よっぽど意識しつつ、チラホラとは読んでるものもなくはないけど。

ちなみに、昔、借りた本を、誓って言うけど、本当に本当にホンの(シャレではない)ちょっぴりだけシナれた状態で返したら、えらく怒られたことがあって、それはすなわち、借りても読まずに返せってことか!?(つまり、手に持ってはいけないという意味で)と思って以来、借りた本を返すのは遅いです。借りた本は極力きれいな状態で返さねばという強い強迫観念が働くので、通勤時間に読むためにバッグに入れて持ち歩くなんてトンでもないということになり、すると、家で読むことになる=読書時間の確保がなかなかされないからです。

そして、私はタダでさえ、読むのが異常に遅い。
これは中学生の時にわかったのだけど、友だちといっしょに漫画を読んでる時、友だちがページをめくろうとすると、私が必ず「待った」をかける。その時、「まさか、この『シャーッ』とか『ボコッ』とかいうのまで、全部読んでないよね?」と冗談で言われて、「え?みんなは読んでないの!?」と答えた時点で判明した。
なんというか、私にとっては表現されてる文字のすべてが、とてつもなくありがたくてもったいない神聖なもので、一字一句を味わい尽くしたいという意識があるようで、加えて、漫画じゃない文字だけの小説などでは、著者がどのように表現なり描写なりをしてるかをじっくり吟味しつつ読みたくて、すると、読み方としてはゆっくり心の中で音読という形になり、味わい方としては一節一節立ち止まりつつ表現内容のすべてを頭の中で細かく映像化してみないと気が済まないということになっているのでした。
この世に、自分が生涯読まずに終わる本がいったい何冊あるだろうと絶望していた時期があり、しかし、このような私は、どんなにたくさんの本を読みたいと思っても速読術の習得は難しいだろうと、今ではあきらめました。
さすがに、社会に出てからは、仕事で必要な資料を必要な時間内に読まなければならなかったりする時に、ある程度斜めに読むということは覚えたものの、これも、自分が自ら望んで選んだ本じゃないからできること。

さておき、読書スタイルの第二。
まさに村上春樹氏に、世の中的には遅ればせで手を出した時にはじめて、なぜかそうしたいと思ってしたことなのだけど、そして、してみて自分的には大正解だったのだけど、執筆順(あるいは出版順)に読むということ。
別に誰から言われたわけでもなんでもなく、ただ直感的に、どうせ遅ればせで読むのなら、この人自身の変遷をたどりながら読んでいきたいと思ったのでした。
忘れもしない、世の中に、「ノルウェイの森」が出ていたころだったか。
プロの作家とて、文章がだんだんうまくなって行ったり、表現がこなれて行ったり、発想がだんだんすごくなって行ったり、ある作品から微妙に変わったり、新しいものが加わったり…絶対そういう変化はあるだろう、だったら、ちょうどいい機会だし、遅ればせながらこの人とともに時代を進み、この人とともに成長し、この人の変化をつぶさに感じてみたい。結果、春樹さんと同時代に、”春樹さん自身”と”春樹さんの描くもの”を体験しながら生きられることは、私の数少ない幸運の一つと思うに至る。
それ以来、その他の作家についても、この人はきっと私の気に入るだろうと思った人については、春樹さんの時ほど厳密ではないにしても、極力、順番に読むようにしてきました。たとえば、よしもとばなな、江國香織などは、その部類。
ちなみに、文章がうまくなって行く様が、一番如実に体感できたのは、よしもとばなな。
書く内容の変化して行く様がおもしろかったのは、やはり、春樹さん。特に、初めてセックス描写が出て来た時は「おぉっ、ついに!」と思った(下世話かもしれないけど、一番印象的だったので)。もちろん、社会的な関心の変遷や人生の変化(外国生活など)も著作に顕れてます。

その三。
本は文庫に限る。
部屋にハードカバーを保有する場所がありません。それに、本好きとしては、作家の方々を儲けさせたい気持ちはヤマヤマなれど、やはり、文庫の安さ、それと、通勤時に読むべく、バッグに入れて持ち歩いてもかさばらないコンパクトさ。
その三の2。
本は文庫、のみならず、仕入れは古本屋。
どんなにオモシロかった本でも、スペースがなくなれば古本屋に売ることになる。なので、しつこいようだけど、作家の方々を儲けさせたい気持ちはヤマヤマにもかかわらず、出費は小さい方がいいかと(でも、結局、春樹さんは売っ払ってません)。
ちなみに、この結果、読むのは文庫化後に古本屋に出てからということになり、私がやっと手にするその時は、もう次の次くらいの新作が世に出てるころということになる。。。

以上、本好きながら、読書好きとは公言できないわけなのでした。

で、話戻って、私がまだ1Q84を読めない理由。
もちろん、新作なのでまだ文庫になってない。当然、古本屋に文庫が出てるはずもない。
そして、実はなんと、この同じ理由が何冊分か滞って溜まっていて、私がつい先日やっと入手したのが「神の子どもたちはみな踊る」。その前に、「海辺のカフカ」を友だちから誕生日プレゼントでもらっていたにもかかわらず、「神の子どもたち〜」がどうしても入手できずに、そこで止まっていたために、カフカを含めた以降の作品も持っていても着手できずにいたのであり、したがって、今、1Q84を読むわけには、ゼッタイにいかない。
春樹さんの最大の難点は、古本屋でも常に品薄または在庫ゼロのことさえあるということなのだ。

ちなみに、私の春樹さん体験にも、ちゃんと現実時間に追いついて、ほぼリアルタイムに読んだ唯一の時期というのがあって、それが「ねじまき鳥クロニクル」の時でした。なぜ、それが実現できたかと言うと、友だちが出たばかりのハードカバーを貸してくれたからで、あの時ばかりは、やっと追いついたこともあり、重たいのをモノともせずにバッグに入れて通勤で読み、面白くて家でも読んでた気がする。
さらにちなみに、通勤時だけでなく家でも読まずにいられなかった本としては、春樹さんではクロニクルのほか「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」「羊をめぐる冒険」、ブロンテの「ジェーン・エア」、アーウィン・ショーの「はじまりはセントラルパークから」、ジョン・ダニングの「死の蔵書」などを覚えてます。

しかし、負け惜しみでは決してなく、どうせ遅ればせでスタートした春樹さん体験なので、今さら、厳密にリアルタイムで読まなくても(多少の同時代性は損なわれるのだが)。。。
それに、以前、何かに書いてあった、他作家(藤沢周平?)の熱心なファンの話はあながち冗談ではないと思ったりする。
すなわち、「これを読み終わってしまったら、次の新作が出るまでその作家の作品を読めないというのがイヤなので、次の新作が出るまで、今の新作を読まない。つまり、読む時は、これを読み終わっても次のがすぐに読めるんだという余裕を常に持っていないと」。結局、どこかで禁欲的な「待ち」があることにはなるっていうことなのだけど、この気持ちはわかる。私の場合は、ちょっと溜まり過ぎてる気がしないでもないけど。

いずれにしても、今しばらく通勤もないだろうし、がんばって長生きして、少しずつ読んでいくしかない。(2号)


この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。