2011年07月26日

on 手紙。

過去の栄光(?)。

予想最高気温と、体感温度が一致しない今日このごろ、それなりに生きております2号です。

さて、このようなわたくしでも、何度かラブレターをもらったことがあります。
まあ、子供のころは、みんな、そういう経験があるでしょう。

一番よく覚えているのは、「君のためなら死ねる」って書いてあるものだった。
これは、文字通り強烈で、小学生が買うにしては高価なぬいぐるみとともに、放課後の教室で渡された。
ほかに数人の見物者がいたので、恥ずかしくて死にそうだった私は、どうしていいかわからずに、火照った顔を隠すのに机に突っ伏して、そのまま動けなくなってしまった。

そうして、どう収束させたのか記憶があいまいだけど、返事を待っていたその男子も結論を翌日以降に持ち越したらしく、私が友だちに促されて下校する気になった時には、教室からいなくなっていた。
もう暗くなっていた。

ぬいぐるみは、持って帰った。
大人になっても、しばらく部屋にあったから。

そういう行為も好意も、うれしくなかったかと言えばもちろんそんなことはなかったろうし、その後もお互い意識していたことは確かなんだけど、小学生だったし、特段つきあったりという具体的な展開はなかった気がする。

とまあ、このラブレター事件はクラスも注目していたところで、自分でもショーゲキの瞬間とか鮮明に覚えているし、その時の手紙がのちのち、古い荷物の中から出て来て大いに懐かしんだという経緯もあった。

その他、私の下校途中に家があって、私が通るのを待っていて、王子よろしくウヤウヤしくひざまずいて手の甲にキスしたがった男子(小学生)というのもいた。
中学では、卒業間近の時に、ある女子の写真をもらって来てほしいと私に頼んできて、その人の名前は明日メモに書いて渡すからよろしくなんて言って、翌日「あなたの写真をください」って書いたメモをよこしたヤツがいたり、男女4、5人くらいで、お互いに直接気持ちを言えないのを伝え回し合ったりとか、まどろこしいこともしていた。
別な男子に私の好意を伝えてくれた男子から、ずいぶんあとになって、告白を受けたりなんていう後日談もあった。
その人とは、その後、大人になっても文通していた。
一度、プロポーズめいたことを書かれたけど、ほかに好きな人がいたので、ウヤムヤになってしまった。(当時から、実は一番大事にすべきだったかもしれない人から告白される時に限って、別の人に不毛な片思い中で、大きな魚を逃すという、間の悪い女だったみたいだ)。

卒業後、1年以上経って、「誰これ?」な人から手紙が来て、デートに誘われたこともあった。あぁ、あの小デブちゃんだ!と思い出し、興味を持って出かけてみたら、やせて、あまりにカッコよく変わっていてドキマギし、むしろ引いてしまった。何度か会ったり、手紙をやり取りしたりしたけど、突然現れられてもピンと来ないし、別人になってて違和感もあったしで、ついていけなかった。

今、こんなことを書いているのは、たまたま古い手紙を整理していたら、これら思い出せる記憶のほかに、まったく忘れていたものがあって、その手紙がひょっこり出て来て驚いたからなのだ。
それはなぜか、ある女の子からの普通の手紙の封筒の中にいっしょに入っていた。

勉強のノートを細長くちぎった紙に書いて、同じノートでホチキス留めして作ったポチ袋くらいの大きさの封筒に入っている。
「ぼくは、◎◎さんのことが好きです。あなたはどうですか。もし好きなら手紙をください(100字以上)。●●(←私の仲良しだった女子)にはぜったいわたさないこと。自分でもってくること。へんな顔をしないこと。(←意味不明)
もし約束をやぶるとぼくはだれかさんを好きになります。明日の放課後まで。一人でくること。もし守れたらかわいいかわいいしてあげる。
△△より」
裏には、相合い傘に自分と私の名前。その下に、「とってもあいしてる」と書いてある。

なんと、それは、私もひそかに好きだった男の子だった。
これが入っていた封筒の中の、女の子(転校して行った子)からの手紙には、書き出しの私の名前の上に、その男の子の名字がついてる。(お互い、好きな人の名字をつけて手紙のやり取りするような、他愛ない年ごろだった…)。
それで、なんとなく記憶がよみがえってきたのだけど、私はこの子が好きだったので、ほかの子が注目する中、「死ねる」の子に対してどうしていいかわからないというのと、そういうことされて注目されるのがあまりに恥ずかしい年ごろだったせいで、ずいぶん長く机に突っ伏していたのだった(のであろう)と。
で、この二つのラブレターは、おそらく、同じころ、競うようにしてもらったんだったと、おぼろに思い出した。
そして、やはり小学生ゆえ、相思相愛を確認して満足して終わったのか、こっちの子ともつきあったりなんてことはなかった。(あぁ、昭和の純情。。。)

ここで、今の私が驚くのは、(長じるにつれ、こういうモテ期がなだらかに下降したことを悔やむ、というのはさておき)、好きな人以外からのものであっても「君のためなら死ねる」という文句は、子供ながらに(子供ゆえに?)あんなにもショーゲキ的に心を打ったということなのか、好きな人からも告白の手紙をもらってうれしかったはずなのに、それは忘れていて、あっちのショーゲキと恥ずかしさの方が強烈に刻まれて、いつまでも覚えていたということだ。
女の子との文通では、長期にわたり毎回△△の名字が私の名前につけてあるので、「死ねる」発言で心変わりしたということもなかったようなのに。

そして、もう一つ驚くのは。
この△△の手紙。
ナニ?この上から目線。命令口調。わずか11、12歳くらいで!
当時はそんなふうに思わなかっただろうけど…私って、男を見る目が、このころからなかったのか。確かに、見た目は不良ぽくてカッコいい感じではあったが。
おそらく、「死ねる」クンの方が、思春期のこの思い詰めた重たさを克服したあかつきには、△△よりずっといい男になっていたに違いない。と思える。まあ、見た目はアレだったけど、私も高校くらいからは決して面食いではなくなっていたゆえ。

っていうか、あのころにもどりたい。。。あの栄光の日々を、もう一度!今度こそ、わたくしは、対応を間違えません!!(2号)

※しかし、不思議なのは、当時の写真を見ても、自分がどうしてそれなりにモテたのかが、あまりピンと来ないことなのである。。。クラス写真を見ても、こっちの子の方がかわいいのにって子がいるのだが。。。



posted by 2号 at 19:11| 北海道 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 恋愛・結婚・男と女・人生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。