2014年03月31日

on 笑っていいとも!

明日も見てくれるかな?

ゆうべ、夫を見て、「この人、私のダンナさんになってくれたんだ〜」ってあらためてしみじみと実感した2号です。
思えば、家族で同居していたころも、妹を見ては一度ならず「私には妹がいるんだ〜」って感慨深く思ったりすることがあったもんだった。

しかし。
「笑っていいとも!」に対しては、一度も、「日本のお昼にこういう番組がずっと続いてるのは○○xxだな〜」とか、「いいともって、まだやってるんだ〜」とか、あらためて感慨深く何かを思ったりしたことはなかったように思う。それくらい当たり前というか(妹の存在よりも!?)、その番組の存在について云々感じる隙も何もない、地球の自転に匹敵するようなもんだった。
それを先ほど、わたくし、粛々と見「終わった」ところでございます。

この番組を最初に視界の端にとらえたのは、大学でのこと。学食の2階、大学生協にちょっとしたロビー的なスペースがあって、そこにテレビがあったのだった。
ロビーには、昼食後に生協に買い物に立ち寄ってついでにちょっと休むとか、待ち合わせて何か打ち合わせたり、他愛のないおしゃべりをしたりするといったような学生たちがごちゃごちゃといて、テレビがついててもそれを見るっていうような感じはあまりないというか、ついてるから見てもいいけど、少なくともわざわざ「見に来る」というものではなかった気がする。
それが、「いいとも」は明らかに「見に来」て、ちゃんと「見ている」学生たちがいた。ウケながら見てる学生がいる一方、腕組みしてじっと見てる男子学生の姿が印象的だった。
チラッと見ては、へぇ〜今はこういう番組がウケてるんだ〜って、私は思った。確かに、ちょっと斬新な感じはした。テレビ全盛期(あるいは、そうなろうとしていた時)だった。

私が「ちゃんと見る」ようになったのは、バブル期(の終わりかけ)に、きちんとお昼休みが休めて優雅な打ち合わせスペースで堂々とテレビを見ながらお弁当を食べたりできる会社にいた時だった。同僚たちとお昼を楽しみながらいいともを見て、時には視聴者参加企画で会社からファックスを送ろうとしたこともあった(良い子はマネしないでね)。当然、回線混雑で送れなかったが。

それからは、つとめる会社の事情、環境によって、見られたり見られなかったりだったけど、テレビを見られる時は他番組ではなく「いいとも」だった。他局でどんな番組をやってるかすら知らなかった。
妹の会社では、まず、いいとも。12:45からNHK朝の連ドラ再放送に変えると言っていた。

明日のテレフォンゲストが好きな人だったりすると、帰ってから録画をセットした。友だちの好きな人がテレフォンに出る時には、その友だちに「明日出るよ」って連絡した。SMAPメンバーがレギュラーになってからは、その曜日は毎週録画した。スタジオ観覧に応募しようとしたこともあった(締め切りが意外に早くてダメだったが)。私が勤めてる会社が仕事でお世話になったタレントが出演する時には、会社からテレフォンのコーナーにご祝儀の品が送られたこともあった。
CM明けにスタジオが盛り上がっていると、どんな話をしていたのかがすごく気になるので、増刊号も欠かさず見るようになった。
家族と、友だちと、とにかくいいともの話を日常的にしていた。テレフォンの中で誰が何を言ったか。どんなおもしろいことが起こったか。「ねぇ、見た?」「ねぇ、知ってる?」。見てる時はもちろん、自分が見てなくても、いいともの話題がふられることは珍しいことではなく、自分が見てない部分だったりすると、すごく残念だった。

それが、いつしか、会社で見られない状況と、自分が「見ない」状況が混ざり合って、見なくなっていた。録画もやめた。追いつかないから。っていうか、いつもやってるんだから、この回を逃してもまた次いつでも見られる。なぜなら、いいともは永遠だから。
そう、見なくても、正午にそれは必ずやっているのだ。正午と言えばあのオープニングの映像と音楽のイメージが体内時計のように私の中にあった。やってる時間だなー(見てないけど)。っていう感じが漠然と。

ある時、主婦の友だちが、「最近、いいともおもしろくなくなったよね。私も、ほかの○○見てるもん」と言った時、内心「えぇ〜〜!?」って思った。身近で、正午にいいとも=テレビを見ないのではなく、ほかの番組を見てるという人の存在は、初めてだった。主婦ウケしそうなその番組のことは、まったく知らなかった。
大学生協の図を思った。いいともって、そういうものだった。若い人にウケた。その人たちが、どんどん大人に、社会人に主婦になって、なお存在し続けたいいともをそのまま見続けた。バブルもあったし、お昼(休み)はウキウキウォッチングな気分がずっとあった。

それが、景気が悪くなり、何でも利用できるものはするという効率主義も手伝ってテレビは宣伝宣伝の場となり、携帯電話の普及で若い人はリアルな人と架空につながるのに忙しくなり、主婦たちは笑ってる場合じゃなくて情報を求めるようになった。

それでもがんばっていてくれたいいとも。宣伝の場を淡々と与え、お笑いの若手の登竜門としての役割を受け入れ、コーナー企画だってネタ切れしても何とかアイデアをひねり出して、時々、これは見たいって新たに思わせる企画を出してきていた。タモリさんに関しては、言わずもがな、惰性だってここまで続かない。なぜ、いいともだけが「いいともありき」な番組になれたのか。最後は、タモリさんの持つ、惰性にまさる「自然体」的な摂理?

とにかく、私はタモリが好きなんだと思う。
タモリが坂道愛好会の会長だとかなんとか自ら言って、「坂が好き」っていう感覚は、ほかの人に公言していいものだったんだって、初めて知った。
はたまた、タモリが「うどんにコシは必要ですか?」って言った時。世の中、うどんにコシは必須と言うか、当たり前だ、なくちゃうどんじゃないみたいな風潮にいつの間にかなっていて、非常に違和感を感じていた私は、よくぞ言ってくれました!と快さいを叫んだ。それまで、コシは要らないと言わせない、言えない風潮だったので、これからは言ってもいいんだ…と拳を握ったもんだった。
そういう、私のツボにストンと落ちることを、サラッと言うのだ、タモリは。
このブログにも、これまで、いいともで見たことを書いたことがあった。それだけ、ジワッと感じ入ることをいろいろと私に投げかけてくれた番組だった。

この先、タモリに関してテレビがどうなるのか。他局も含めて新番組ができるのか、もっと違う使われ方のタモリを見ることがあるのか、わからない。
できればこれからも、私に上記どうでもいいような、でもちょっとしたモヤモヤの隙間にピタッとハマってピンポイントで私個人がわしづかみにされたような気分になるネタを与えてほしい。そうできるポジションで出られる番組があってほしい。コメンテーターとかは、ダメだ。タモリに自由に発言させてほしい。じゃないと、おもしろくないと思う。

でもね。これだけのものが終わって、じゃあすぐ新しいもので同じくらいの価値を生み出して行けるかって言ったら、タモリでも難しいかもしれない。しばらくは、継続する番組とこれまでで一定評価のある番組をさらに比重をかけてやるとか、そんな感じで様子見になるのだろうか。

とにかく、あの大学生協から時代は何巡りも変わり、そして、とうとういいともは終わった。32年。なんと長い時代だったことか。タモリさんも、私も、トシを取った。

このところ、終わる前から喪失感に苛まれていたけど、こうして振り返ると、これだけ長い時が流れたんだから、こういうこともあるよな、って、少し吹っ切れそうな気もして来た。人生で考えると、私の人生は、大部分が「いいとも」。タモリさんの人生も半分近くが「いいとも」。もう、本当に終わってもいいのかもね。。。
いつか終わるものならば、ちゃんと見届けられる時に終わってよかった。

「明日もまた見てくれるかな」「いいとも」のかけ声でいいともは終わった。私の中(体内時計)でも、いいともは永遠だろうと思う。
また言っちゃうけど、32年間、お疲れ様でした。ありがとうございました!!(2号)

※前回投稿で、31日のお昼には、もういいともはないって書いていたけど、その後、増刊号でお昼の最終回も31日って知りました。キリのいいところで終わらず、3月いっぱいにこだわったのか??フィナーレがあるから、昼もやった方がいいってことか?
いずれにしても、訂正しようしようと思ってるうちに、今日の最終回も終了してしまいました。なので、事後お詫びです。訂正して、おわびします。



posted by 2号 at 14:11| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | テレビ番組・ドラマ・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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