2014年07月02日

on 虫の知らせ。

天国のお酒。

母や叔母にはあるらしいのだけど、わたくしにはこれまでまったく霊感はございませんでした、2号です。
ところが、昨日のこと。。。

台所に立っている時に、誰かがスゥッと近づいたような気配を感じて、んん?と思うこと、数回。で、なんとなく、そっち側の空気が寒いと言うか涼しいと言うか冷たいと言うか、一瞬ヒヤッと感じた。霊感のないわたくしは、「たとえば将来、ダーリンが先に亡くなって悲しみの中にいたりする時に、『あ、今そばに来てくれた?』なんて思う時はこんな感じなのかな」ってヘンな妄想に走ったのだった。

でも、である。
うちのダーリンは死後の世界を真っ向から否定する人で、死んだら無、終わりっ!!ってきーーっぱりと言い切ったりするので、私など一度ならず、お願いだからさびしい時には慰めに来てよとか、私にその時が来たらちゃんと迎えに来てねとか、涙目になりながら懇願したくらいなのだ。だから、こんなふうに来てくれたりはしないのかもなぁ、と思いつつ、一方で、将来こんな感じを受けるたびに、きっと私は、まさかね、ダーリンは来てくれないよって否定したり、もしかして行ってみたら死後の世界があったので、しかたなく出て来てくれたのかも?なんて肯定してみたり、あれこれ想像するんだろうなって、昨日も思っていたところ。

そして、今日、洗濯をしながら、ふと、ネタはあるのに最近はブログを書いてないなぁって思い、これまで読んでくださったり、コメントしてくださったりした方々の中でも、ある特定の方がとても気になった。お元気だろうか、と。

すると、なんと、昼前に携帯のメールをチェックしたところ、その方からメールが入っており、一つの訃報が伝えられたのです。

こういうことって、あるんだなぁ。
亡くなった方は、私が以前とてもお世話になった方。もう6年くらい前になるけど、最後にいっしょにお仕事させていただいた時も、とても楽しかった。

太く生きた人だったと思う。

いい言葉、コピーをたくさん残した。

「楽しいこと」の詰まった人だった。

人を元気する元気を持っていた。

オーラに説得力があった。

懐が深かった。

そして、いい声をしていた。


早過ぎると思う。惜し過ぎると思う。
せめて、やりたいことをやりたいだけたくさんして、の旅立ちであったことを願う。

本当にお世話になりました。
ありがとうございました、の言葉しかありません。
心から、ご冥福をお祈りいたします。(2号)

※天国のお酒は、とびきりおいしいはずです。一杯やりながらたくさんの言葉をひねり出して、いつかまたみんなにプレゼンしてください。



posted by 2号 at 12:49| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 人物列伝・友だち・家族・人づきあい | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月14日

on 占い2。

雨後の占い師。

花粉お見舞い申し上げます、2号です。
花粉症じゃない人も、季節の変わり目、特に春は、体調を崩しやすいのでご自愛ください。

それで、前回の続きなのだが…

最近、私の周りに、ミョーに占い師が生えて来て、すごいことになっている。

もともと、何年か越しでたまに会ってる占いの人はいるにはいたのだが、去年の秋くらいに、ン年(←二ケタ)ぶりに会った古い知り合いが、いきなり「いい人を紹介してやる」と言い、それが「男」ではなく、「占い師」だった、というところからニョキニョキが始まった。
その人は、まったくその手の話を受け付けない体質だったはずなのに、自分の身内が亡くなってからかなり不思議な体験をして、とある人から、霊感のあるその占い師を紹介されたらしい。ここには書かないけど、その体験というのは、私が友だちなどに話すとみんな「うわぁ、鳥肌立った」と必ず言われるような内容の話で、私も、聞いた時はアゴが床くらいまで落ちた。
てなわけで、その人は、そういう世界に、今や私以上に興味を持つようになったようだ。

で、しばらくしてその占い師に会うことになったのだけど、相性はよかった。
その日、私はたまたま白いものは一つも身につけていなかったのだけど、ラッキーカラーは白だと言われ、どうりで、放っておくと白っぽい服ばかり買ってしまうという自分の性向に納得し、これまた2番目によい色と言われたグレーも同様で、好きな色は違うのに、なぜかこれらを買ってしまうワケがわかったりした。
具体的な案件がなかったので、適当に世間話や身の上話などして、その中から思いがけない収穫もあって、さっそく友だちにその話をすると、「私も予知できる」とか言い出し、もちろん冗談で片付けていたのだけど、それがあとから当たったりしたので、それからその友だちも「第3の占い師」を自称するようになった。

そして、先月。
これまたン年ぶり(←二ケタ)に会った古い友だちが、宴の席でいきなり、「じゃあ、見てあげるよ」と言った。また自称(第4の)占い師登場か!?と内心思いながらスルーしようとしたら、「オレのバアちゃんはな、恐山のイタコだったんだ」と真顔で言い出し、自分はそこまでのものは受け継いでないけど、人よりは「わかる」んだそうで、年内くらいのことなら「見える」とか言う。
で、私に関して「見えてる」ことと「見えない(=起こらない)」ことを言って、「自分は未熟なので、それ以上の具体的なことは道具の力を借りなくちゃならないから、あとで見てあげる」とのたまうのであった。水晶玉でも持ってんのかと思ったら、そうではないらしい。「今まで、ハズしたことないんだからな」と豪語もしておった。
っていうか、そんな能力のこと、昔は言ってなかったよね!?と思ったのだが、会ってなかった間の半生の波瀾万丈ぶりからしてもけっこう不思議なヤツなので、経験から能力を磨いたのかもしれない。おそるべし。
ちなみに彼は、去年の震災の3日前から頭の中がスパークしていた。んだそうだ。。。

というわけで、今、私の周りに4人の占い師がいる。
一番古い辛口の人と、もしかすると一番能力がすごいかもしれないけど、それゆえにお高過ぎて&いつも予約がいっぱいでなかなかお会いできない方を加えると6人になるのだが。
これはこれでよいとして、一番困るのはみんながバラバラのことを言い出す、ってことなので、うまく使い分けなくてはならない。バランスとって。これも人間関係なので、こちらも大変なのだ。。。

そんな、占い師を引き寄せる体質(?)のわたくし自身はといえば、朝のテレビの占いコーナーで、その日の1位の星座を見れば、自分の「水がめ座」が6位以内のGOODか7位以下のBADかがわかる。という能力だけはある。この何年もの間、ハズしたことは3回しかないのだが、自称占い師になれますか?(2号)

※本当は、この占いの話は、最後の「自身はと言えば」の部分を姉妹ブログの方で軽くモノして終わりのはずだったのだが、中島知子騒動が起こったために、このように長い話になってしまいました。
ちなみに、朝の占いコーナーのソレは、長年1回しかハズしてなかったのだけど、最近立て続けに2回ハズしたのはどういうわけなのだろうかちら。。。

posted by 2号 at 17:18| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 人物列伝・友だち・家族・人づきあい | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月21日

on 日記の整理2。

ポエムな時代。。。

ついに、雪虫出現!!
まだ、見たくなかった…2号です。。。

しかし。
そんなことより、もっとショーゲキの発見をしてしまいました。

ゆうべ、中学生のころの日記を見ていたら、例によって「ポエ〜ム」がいっぱい書いてあったのだが。。。(- -;
その中に、こんなようなのがあった。

曰く、
「いつか、私が一人で旅に出る日のために
大きなトランクを一つ用意しなくては(後略)」みたいな。。。

まあ、これはギリギリ切腹しなくてもいいか…程度のシロモノだったのだが、驚いたのは、そのページの余白に、明らかに私の字とは違う字で、「あなたが旅に出る時は、私と○○(妹の名)も大きなトランクに入れていっしょに連れて行ってね」みたいなことが書いてあるのを発見したことだ!!!

最初、目を疑って、目ん玉が落っこちるくらい目を見開いて見てみたのだが、やはり、どう見ても親が書いたものと思われる。。。

この発見に際し、私のアゴは床まで落ち、背筋には戦慄が走り、頭の上には何百という「?」が連なることになった。

まず第一に、これは日記である!!
人の日記を見たのか!?
いや、日記を見たのみならず、勝手に書き込むとは!!!

母よ、母よ、我が母よ。アナタはいったい。。。ヽ( ̄▽ ̄;)ノ

いや、落ち着こう。なんとなく記憶もよみがえった。
当時も、リアルタイムでこの書き込みを見た気がする。そして、その時の私がどんな行動言動をしたかはあまり思い出せないのだけど、書かれた内容自体には、そんなに戦慄しなかったような…。
その後の人生で何が起こるのか、まだ知らなかった幸せな時代だった、ということだ。。。

次。
第二に、これは「自立」がテーマの詩である!!
親元を飛び立つ子供に、トランクに入れて連れて行けとは、親としていかがなものか。。。

っていうか、これすなわち、のちの親子の確執に発展することになる思考傾向の萌芽がすでにここにっ!というショーゲキの発見なのだ。

おそるべし。。。

子離れは、清く正しく美しく厳しく行わなければならない。
と、ここから教訓を得てみたものの、それが役立ちそうな場面は、今後の私の人生において、ありそうもない。。。orz
我が母、反面教師になれず。。。残念(2号)

posted by 2号 at 17:48| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 人物列伝・友だち・家族・人づきあい | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月20日

on 日記の整理。

ポエムな時代。。。

部屋はすっかり寒いのだが(18°Cとか)、まだ10月ということでストーブはいまだガマンの子。の2号です。風邪引きそうです!

さて、手紙の整理も完了してないまま日記の整理に突入してしまったわけなのだけど、ほんと、こんな楽しいこと、どうしてもっと早くやらなかったのかちら。いや、今このトシにしてやることに意味があるのか。。。

ダンボール一つに入り切ってなかった大量の日記の束の中には、交換日記もたくさんあったのでした。

そして。。。

確かに、昔は「ポエム」が流行っていて、自分もそのようなものを作っては書き付けていたことは記憶していたのだが。

しかし、これほどの量が発掘されようとは。。。

実際、こ、こんなに書いていたのか〜っっ!!と、驚いた。
日記にももちろんチラホラ書いてあるのだが、詩のためのノートが1冊ならずあり、ご多分に漏れず、交換日記までも(お互い)詩のオンパレード。

そして、ちょっと哀しいと言うか、いたたまれないと言うか、子供ながらにショックだった事件を思い出した。

その交換日記で、最初に詩を書いたのは私だったと思う。
今読むと、コッ恥ずかしくて切腹したくなるのだが、そんなものに感化されたらしい相手の女子も、「私も書いてみる」となって、当初は、ヘタクソだから気づいたところは直してね、みたいなノリだった。

小学校の高学年から中学のいつごろまでか、私は多い時で4人の女子と交換日記をしていた。その中で、その子との日記は特に長く続いた方だったと思う。
とてもおませで、恋愛ネタも大人びていたし、エッチな話題も振って来たりしてたし、青っチョロい男子とつきあったりもしていた。それは、なんとなく危うい感じの、無防備に突っ走るタイプの交際だったと記憶している。
そんなこんなのせいなのか、彼女の「ポエム」は瞬く間に白熱し、大人び、私の目にはどんどんうまくなっていったように見えた。

それでも、よっぽど才能がなければ、素人の遊びの域は越えられない。
ましてや、子供だ。
いや、子供がみずみずしい感性ですばらしい詩を書く例もあるけど、今あえてこう書いたのは、ある日突然、彼女が「ものすごく大人な」「ビックリするほど上手な」「玄人的な」詩を書いて来たから。

それを読んだ時、正直、あぁ、追い抜かれちゃったなと思った。
どれも、何度でも読み返したくなるほど味わい深く、すぐに好きになるような詩だった。

どうかな、うまく書けたかな?みたいなコメントがついていた。
もちろん、私は手放しで褒めた。

そして、それからしばらくのち。

私は、彼女の4、5遍の詩とまったく同じ詩を発見してしまった。

当時、雑誌やら漫画本の巻頭やら、あらゆるところに詩が掲載されていた。
きれいな絵や写真にも必ずと言っていいほど詩が添えられ、学校でもやたらと詩を書かされ、それらは冊子にまとめられたりしていた。
そんな時代だった。

私がそれらの詩を発見したのも、確か、詩とは関係ない雑誌で、「詩の添えてある絵」の写真という形(インテリアパネルの通販?)でチョロっと載っていたものだったと思う。
こんなの誰も読まないだろうというくらい、その写真の中の詩の文字が小さかったのを覚えている。

発見して合点が行くと同時に、ものすごくショックで、どうしたらいいか悩んだ。
言うべきか。つまり、そういうことはやめよう、みたいに。
それとも、黙って胸にしまっておくか。

結局、後者を選んだのだけど、なんだか私の方が後ろめたいような、胸の奥にしまっておくのも重たくてイヤ、というような、起こってほしくなかった、忘れてしまいたい出来事だった。

その後、その事件とは別に、危うい恋愛に突っ走る彼女は、クラス内でもキャラ的に不思議な存在になっていった。
そして、そういうある意味大人過ぎるような、少し普通とは違う(極度ではないけどやや不良っぽい、でもガラスのように繊細で傷つきやすい、みたいな)感じの人と私が、昔と変わらないつきあいを続けていくのもムリがあったのかと思うし、彼女の方がカレシと交換日記を始めて忙しくなったのもあって、だんだん私たちのノートは交換されなくなっていった。

ひょろひょろとして、子供子供していた小学生のころ。
急に背が伸びて体つきが変わって、言動も行動も見る見る大人になった中学生のころ。
いろんな彼女の姿が思い出される。
そして、青っチョロいカレシの姿とともに思い出すのが、彼女のお母さんだ。

何度か家に遊びに行った。
お母さんから、私は好ましい友だちとして歓迎されていたようだ。
いつも愛想よく迎えてくれて、子供なのに、行くと少しの間はお客として相手をしてくれた。「○○と仲良くしてくれてありがとう」みたいなことを誰かのお母さんに言われたのも初めてだった。

お母さんは、私が知ってるどのお母さんとも違っていた。
声が男の人みたいに低くてガラガラ、タバコを吸い(←吸う女性を初めて見た)、化粧をしてなくて、でも、夕方化粧をしてどこかに出かけて行った(←これについては、ひそかに彼女に同情した)。

今思えば、夜、お店をやるというような仕事だったのかもしれない。
そうだとすると、すべてがうまくつながる気がする。

彼女は、まったくの子供だった私に、いろんな意味で大人の世界を垣間見せた人だったかもしれない。
彼女にまつわる、ほの暗い記憶のすべてが、今になると当たり前に知ってる(大人の世界の)あれやこれやのイメージと親和する。

今、どうしてるかな?
夕方からお母さんが出かけて、取り残された部屋で、独りぼっち、ノートに詩を書いていただろう彼女。
今想像すると、その後ろ姿は、大人の感覚では悲しく映る。
さびしかったんだと思う。
そういうことを、当時の私は、まったくわかってあげられてなかった。
ごめんね。
きっと、青っチョロいカレシだけが、唯一、彼女の心を理解していたんだろうな。

というわけで、過去の忘れ物を拾いながら、日記の整理は続くのであった。(2号)

posted by 2号 at 15:04| 北海道 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 人物列伝・友だち・家族・人づきあい | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月29日

on 小さな友だち。

トーリャとゴジラ。

一時期、ロシア語を学んでいました、2号です。マスターしてませんが。

んで、どういういきさつだったか全然思い出せないのだけど、エクスチェンジレッスンというのをやってました。国際交流の組織の掲示板か何かで見つけたのかもしれない。
名前は、ナターシャさん。ダンナ様が研究員としてこっちの大学に来ていた。
彼女が帰国する時、同じようにダンナ様と来ていたイーラさんを紹介してくれた。

ナターシャさんには大学生の息子がいて、夏休みに遊びにきたので、一度会った。ナターシャさんがアリョーシャと呼んでいたのを覚えてるので、名前はアレクセイくんだったのだろう。ちなみに、ダンナ様も何度かお会いしたけど、サーシャと呼んでいたので、アレクサンドルさん。ナターシャさんは言わずもがな、ナターリアさんです。

そして、イーラ(イリーナ)さんのところには、アナトリィくん、愛称トーリャがいたのです。7歳か8歳くらいで、こっちの小学校に楽しそうに通う元気のいい男の子でした。

トーリャは、私(だけでなく、たぶんすべての来客)が来るのを楽しみにしていて、なついてくれていた。私からイーラさんへの日本語レッスン、イーラさんから私へのロシア語レッスンが終わると、トーリャは私と遊びたがった。私のロシア語は全然上達しなかったけど、トーリャとのコミュニケーションはあまり困らなかった。ある時、イーラさんが、「○○(←私の名前)、彼のロシア語わかる?」ってロシア語で訊いてきた。そう問われると、確かに聞き取りにくくはあったので、そう言った。すると、「●●だからでしょう?」と。その時、ロシア語の●●という単語を知らなかったので首を傾げると、「子供特有のマンブリング」と英語で言ってくれた。
なるほど、そうだ。
でも、子供とて、文法とかは間違っていないらしい。聞き取らなくてもコミュニケーションできていたのではっきりとはわからない。けど、日本の子供だってそうだもんね。
まさにdetiという「子供たち」という単語の発音で、私はよくナターシャさんに最後の「i」をちゃんと発音することと注意されていた。何度もそういうことがあったので、「ロシア人の子供(deti)も間違えますか?」って訊いたら、驚いて「まさか!」と言った。そういうことらしい。
これらのレッスンを経て、日本語をアルファベットで書くと子音のあとに母音がつくけど、日本人の日本語の発音は、必ずしもこの母音をちゃんとは発音していないということに気づいた。しかも、子音もけっこうあいまいで、同じ文字を違うふうに発音してることがあるとロシア人に指摘された次第。その区別は?と訊かれ、日本人はそれを区別してないし、違っていたとしても気にしてないと言ったら、お手上げというふうに首を横に振られた。欧米式に。

話がズレました。
とにかく、トーリャとは言葉を越えて(?)仲良しだった。
この話を書いておこうと思ったのは、日々、原発のニュースを見てて、ふだんより頻繁にトーリャとイーラさんを思い出すようになってるから。
ロシアロシアと書いたけど、実は、この一家はウクライナ人だった。首都キエフ出身だという。
(※そういえば、以前、こんなのを書いた↓
http://miha27kininaruki.seesaa.net/article/102530881.html
これは、この母子のことだった)

ある日、イーラさんが突然語ったところによると、トーリャを妊娠中にあのチェルノブイリの事故があったと言う。私はビックリした。大丈夫だったのか訊いたら、トーリャには被曝したことの特徴が現れていたの、と、彼女は言った。それがロシア語だったので、どこまで正確に私が理解したかあやしいのだが、私の記憶の中では、その特徴は「歯」だと言っていたことになっている。もちろん、先天的な障害もなく、その後の全体的な健康状態にも問題ないということ(だったと思う)で、ただただ、それは大変だったですね、ということと、何ともなくてよかったね、という方へ話は流れたのだけど、「歯」に現れていた、というのが、今思えばどういうことだったのだろうと、とても気になるようになった。

それで、ネットで胎児、被曝、歯と調べても、なかなかわからなかった。歯医者でのレントゲンのことだったり、胎児でも安全みたいな記事ばかりで。
もしかして、「歯」という記憶は、私のカン違い、あるいは記憶違いだったのかな?と思い始め。。。
そうこうしていて、やっとこれを見つけた。
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/reports/kr79/kr79pdf/abstract-JF.pdf
この何ページ目かによると、歯を見ると被曝量がわかるってことが書いてあるように思う。おそらく、トーリャは子供にしてはその値が高かったということだったのかな。
そういえば、イーラさんはジェスチュアで歯を示しながら、何かが蓄積されてると言っていたようなことを思い出してきた。それは、放射線ということだったのか??

トーリャは、ゴジラが大好きだった。何から何までゴジラ。だから、私も誕生日やクリスマスには、ゴジラグッズや、ゴジラのビデオ(を違法に?コピーして)を贈ったりしていた。よくゴジラがどうしたとか、テレビやビデオや本、漫画で見たゴジラの話をしてくれた。札幌も攻撃されたということを、トーリャから教えてもらった。すごくコーフンしてうれしそうに(?)話していたのをよく覚えている。

奇しくも、ゴジラは反原子力がテーマではなかったかちら?
偶然とはいえ、私にとっては意味のある符合に思える。。。

そして、トーリャの一家は、ダンナ様の研究の都合でアメリカに行くことになった。私のエクスチェンジレッスンと、トーリャに遊んでもらうのも終了となった。
私たちはお互いとてもさびしく感じ、ちょっと泣いた。
最後の日、いつもそうだったのだけど、いつにも増して、まだ帰らないでとトーリャはダダをこねた。

その日、トーリャは、私に手作りのプレゼントを用意してくれていた。
お母さんが絵がうまかったので、その血を継いでいるのだろう。紙粘土でゴジラを作ってくれてたのだ。一生懸命作ったのよ〜と、イーラさんが言った。
それはまるでジオラマみたいに、プラスティックのトレイにテレビ塔と、キャラメルくらいの大きさのビル群(細かく窓がついていた)が配置され、竹ヒゴの先に刺さった飛行機はちゃんと飛んでるように見えた。
そして、ゴジラはこれ。

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とてもうれしくてずっと大事にしていたけど、ホコリをよけながらそのまま保存するのがけっこう難しくて、引っ越しの時に写真に撮って、今はゴジラだけを保管している。

愛嬌たっぷりで人なつこかったトーリャは、日本の学校に馴染み、わんぱくに楽しそうに暮らしていた。最終的には日本語にも困らなくなっていた。日本の友だちと別れるのはさびしいと言っていたけど、アメリカに行くこと自体はワクワクしていたようだった。たくましく育っている感じで、どこでもちゃんとやっていくだろうと思えた。将来の夢は、ウクライナの大統領。きっとなれるよ!って、私は心から言っていた。

イーラさんは、行く先々で日本文化を広める活動をしていることが、手紙に書いてあった。その写真と、トーリャからの手紙も同封してあった。

今は音信は途絶えてしまったけど、元気かな。私のこと、覚えてるかな。私の名前を欧米式に呼び捨てで呼ぶ時の、独特のイントネーションを持つ声を今でも覚えている。でも、もうすっかり大人になってしまったよね。
いつか、トーリャが大統領になるといいな。その日を楽しみに待ってるね。(2号)

posted by 2号 at 23:49| 北海道 ☔| Comment(4) | TrackBack(0) | 人物列伝・友だち・家族・人づきあい | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月06日

on 会いたい人。

よきライバル。

ますます涼しい今日は曇りだ、2号です。
全然関係ないけど、朝ご飯の前に銀行行ったりするのって、生まれて初めてかも。
なんだか、今日は朝から事件がいっぱい。。。


昨日、目立つのがキライとか、人の期待にこたえ続けられないとか、不肖わたくし2号の、まさに不肖ぶりというか、軟弱ぶりについて書いたのだが…
この「人の期待」という話から派生して、前からずっと気になっていることを、これを機に書き記しておこうと思います。

このような不肖わたくし2号ではありますが、昨日の「人の期待」というくだりで、いくつか頭に浮かんだケースの中に、学校時代の成績というのがあります。
というのも、なぜか、英語と古典がとても性に合ったらしく、突然、満点を取ったりしてしまったことがあった。そして、それはどっちかと言うと、悩ましいことだったのです。
例えば、中学の時。
先生は、テストを返し終わって、一人満点がいます。とか言う。言わなくていいのに。
そして、わたくしの名前が呼ばれる。その時の、クラスのものすごい驚き。満点というより、「このわたくし」が満点!?という驚きだと思う。
実際、「え〜〜っ!?○○ちゃんが??」と言いながら振り向いた女子もいたから。
その時の、同級生たちの信じられないという表情も、一斉に振り向くときのザッという音も思い出せる。
困って、デヘヘ…と下を向く私は、ひたすら、穴があったら入りたかった。
ああいう思いはゼッタイにしたくないのが私であり、さらには満点を取ったことを後悔するのが私なのである。

だって、次のテストですごい悪い点数だったらどうする!?

満点はまぐれだったと言われるくらいならいいけど、あの時はカンニングでもしたんじゃないかとか、何か勉強に身が入らないことがあって悪い点数になったんじゃないかとか、あらぬことを言われちゃうかもという妄想とか、先生(や親)が次のテストの成績を注目してるかもしれないとしたら、私は期待を裏切ることになるのではないか?とか。
そういうよけいなことを、先にグダグダ心配する、しょーもない性格だったのである。。。

しかも、中学の時は、遠くから転校して来た女子が、なぜかそんな私に目を付け、テストのたびに私の成績を訊いて来て、それについてあることないことをクラスメートに吹聴したりする、ということがあった。
今思えば、転校生なのにクラスで幅を利かせていたその性格の太さはアッパレなのだが(小学生までは同じ転勤族だった私にはあり得ないことだった)、どうやら、前の学校では成績が良かったのが、転校すると1年くらいは少し成績が低く抑えられるということで、思うように成績が伸びないことを、彼女は気にしていたのかもしれない。
とにかく、そんな彼女のせいで、テストの後に一部の人からよくわからない陰口を言われるとかいうことが、1度ならずあった。あれは、本当にイヤだった。彼女の方が点数が良いと、ホッとしたくらい。

ところが、高校では、少なくとも生徒の間でそういうことはなく、「先生の無言の期待(?)」だけを妄想して悩んでいればよかった。
そして、本日の本題。2年の時に同じクラスになったある女子と、私はとてもいい関係になった。

彼女も英語が得意で、クラスではテストのあとに先生が90点以上の人を発表していたので、いつもだいたい二人で名前を呼ばれていた(注:しかし、私は理系の教科はまったくダメだった!)。
それで、なんとなく互いに気になるようになっていて、席が近くなった時に、お互いの趣味とかについて話し、たとえば音楽は洋楽が好きとか共通点が見つかると、彼女は自分のお気に入りの曲をダビングして持って来てくれたりした。それは、まだ手元にある。
二人とも、いつもいっしょにいるような一番仲がいい友だちはほかにいたのだが、それとは違う、特別の絆みたいなものが、私たちの間にはあった。

しばらくしてわかったことには、彼女は、とある有名企業の社長令嬢で(そういえば、名字は社名そのものだった)、全国をまたにかけてる両親は、当時本州にいるらしかった。なので、彼女はお姉さんと二人でこちらに住んでるとのことだった。
なんて、大人なんだろう。
きっと、家のことをしながら勉強もしてるんだ。
勝手に想像して、ちょっと尊敬していた。

そして、彼女は、なんというか男前だった。性格がサッパリしていて、かっこ良かった。中学時代に卓球をしていたらしく、球技大会で大活躍していた。基礎体力だけはあるという私と違って、彼女には競技センスというものが備わっているようだった。

3年になって、クラスは離れてしまった。でも、テストのあとなんかに廊下で会うと、いつも彼女の方からススッと近寄って来て、「何点だった?」と訊いて来る。言わずもがな、それは英語のことである。「○点」と答えると、「ちっ。負けた!」とか、カッコよく言うのだ。それが、全然いやらしくなくさわやかで、単純に同志(?)のような感じだったかと思う。なんだか、男同士の友情みたいな。
そういえば、英語以外の相手の成績については、お互いに気にしたこともないと思う。本当に、「英語のテスト」だけが私たちを結びつけたのだろう。
時々、教室に声をかけに来てくれたりもしていた。私が現役時代に唯一受験勉強らしきことをしたのは、先生がボランティアで(?)やってくれていた添削指導というものだったのだが(そして、そこでまさに私は、先生の期待を裏切ったのだが)、彼女もそれを受けていて、そんなこんなでクラスが離れても話すことがあったのだと思う。お互いによい意味で何となく意識し合っていた。


添削以外は見事に不真面目だった私は落っこちたわけだが、彼女が志望校に受かったのか、それが今は思い出せない。当時は知っていたと思うのだけど。
記憶が確かなら、学生の時に一度だけ、街の中でばったり彼女に会ったことがあった気がする。びっくりして、でも、あまり話はできなかったと思う。なんだか、お互いにテレていたような。今にしてみれば、残念。
それから、私の人生はいろんな意味で荒波に飲み込まれていたので、彼女とのいい思い出も薄れてしまっていたのだけど、社会に出て何年かした時、何かきっかけがあったのかどうか、ふいに彼女のことを思い出し、気になってしかたなくなった。いろいろ調べてみたこともあった。でも、今のところ、消息はわかっていない。

いつもいっしょにいるくらい仲が良かった、というわけではないのに、とても気になる人。いつかゼッタイに会いたい人。元気でいるかな、とか、今はどんなことしているんだろう?とか、気持ちよく思い出し、さわやかに思いを馳せられる人。そういう人が心の中にいるのは、けっこう素敵なことだ。
もしかすると、彼女は、もう私のことは忘れてるかもしれない。サッパリしてる人だから。でも、もし会えた時に、私が彼女に対してどう思っているかを話したら、きっとさわやかに笑ってくれるだろう。カッコいい余裕の表情で。

いつかきっと会おうね!(2号)

posted by 2号 at 13:57| 北海道 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 人物列伝・友だち・家族・人づきあい | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月18日

on 宅配便のナゾ。

豆腐をめぐる、ミステリー。ー後編ー

北海道日本ハムファイターズもやっと勝ってよかった、2号です。昨日負けたら、本当にヤバかった、気持ち的にダメージ大き過ぎる。。。
ダルビッシュくん、1イニングに5失点なんて…半屋外球場で寒かったのかな〜。しかし、連打され、押し出し四球も与え…というダルビッシュくんを、おネエさんは静かに受け止めていました。WBCの時みたいに、顔面蒼白で腰がヌケたりしませんでした。おネエさんも、ダルビッシュくんとともに大人になっていってるのだよ。。。

さておき。
後編。

お豆腐は、はるばる関西から届けられました。
箱には「とうふ」という印刷された赤いラベルが貼ってありました。普通の人には用意できないような公式っぽいもの。

当地に行った時、美味しいお豆腐屋さんでも発見して、試しに購入して送ってくれたのか?
しかし、送り状の字は送り主のものではない。
通販などで買って、ギフト便のようにして送ったのか?
しかし、だったら、お店の名前や住所も書いてあるのでは?

お店で買って、その場で送り先と送り主の住所を伝えて送り状をお店の人に書いてもらって、梱包・発送もおまかせとしたのか…?
すると、送り状の字も、「とうふ」という公式っぽいラベルも説明がつく。

ただ、気になったのは、発送元住所には、今まで本人が住所を書く時には必ず省略されていたマンション名までがていねいに記してあったこと。
お店の人に住所告げる時に限って、わざわざマンション名を明かすだろうか??
お店に誰かと同行していて、メンドーだからと、同行者に住所を書いてもらったら、それが勝手知ったる同行者でマンション名まで入れたのか…?

とにかく、不思議な送り状だ。。。

そんなことを何秒かの間にグルグルと思いめぐらせながら、梱包を解いたらば、なんとビックリ!
関西から来てるはずが、中に入ってるのは静岡県産のお豆腐じゃあ、ありませんか!!
関西の店で、全国の旨い豆腐大会!!でもやってたのかちら。。。
それとも、やっぱり通販?
それとも、静岡に行って、そこから送った?いや、でも、宅配業者からの再配達の電話は、関西弁の人だった。
どうして静岡名産(?)が関西から??。。。

それに、もう一つの不思議発見。。。
お豆腐と豆乳のほかに、小さな箱入りのお茶が入っていたのでした。
これも、関連商品だろうか??
しかし、よく見ると、それは中国茶で、しかも中国語しか書かれていない。どう見ても関連商品ではなさそう。
いや、その前にさらに不思議なのは、そのお茶が、関西ではない、送り主の自宅近くの本屋さんのブックカバーで包んであるということ。まるで、さっきまで本にかかってたのを、引っぱがして使いました!みたいな、文庫本サイズの折り目がついたまま。

通販説、消える。
お店で発送してもらった説、要再検証。
関西の宿泊先から自分で発送説、最有力に?

お店でその場で発送頼んだとして、まさか、梱包の一部始終に立ち合って、お茶を、これもいっしょに入れてもらえまっか〜と依頼?? あ、この本のカバー、よかったら使いまっか〜とかなんとか言って?
そんなん、お店と親し過ぎる。。。

やはり、購入して宿泊先に持ち帰り、梱包から発送まで自分で、となる。。。
送り状を誰が書いたかの問題は残るけど。
それと「とうふ」ラベルの問題もあるけど、当地ではその店関連の発送数が多くて、そういうものが宅配業者に用意してあるってことなのかちら。
それにしても、箱もジャストサイズ過ぎるし、梱包材や間仕切りもサイズがピッタリで、専用っぽい。こんなの宿泊先で自分で用意できるだろうか。発送用の梱包セットまで、お店からもらって来たのだろうか。えらくサービスの行き届いた店だなぁ。。。

宿泊先でたまたま中国茶を持ち合わせていた??っていうのも、ちょっとナゾめいている。本からはずしたブックカバーで包むっていうのは、泊まり先で即席っていう感じがしてうなずけるのだが。

というわけで、
1.そもそも、なぜお豆腐が私に送られることになったのか?
2.なぜ、静岡産のものを関西から?
3.なぜ、自宅近くの本屋さんのカバーで包んだお茶が入ってたのか(どうやって入れたのか)
4.そのお茶はどこから?
5.送り状のナゾ

以上のようにまとめると、一番ポイントとなるナゾは、送り状を書いたのは誰か。その状況が明らかになれば、すべてのナゾが解けるはず。とみた。

というわけで、届いた中身を美味しくいただきながら、最初からすべてを解明すべく欲張ってはいけないと思い、順を追って一つずつ本人に問い合わせ、判明したのは。。。

まず、お豆腐は、仕事で知り合った関係で、ぜひ実際に食してみてくださいとのことで静岡の工場から送られることになったものであり、一人で食べきれないかもしれないので、自宅ではなく関西の実家に送ってもらうことにしたらしい。
そこで梱包し直して、以前買ってあったお茶も入れて、送り状はお身内の方が書いてくれた。

…話はカンタンだった。
私の妄想の中に、最初から「現地のお店」というのがあったせいで、話がややこしくなっていただけだった。。。
まあ、実家に送ってもらったというところは、どう逆立ちしても思いつかないけれど。

しかし、まったくワケがわからなかった時は、超ミステリアスでとっても面白かった〜。美味しい楽しいで、大変けっこうなお届けものでした。。。(2号)

2009年10月16日

on 出演

テレビから。。。

今日も午前から出かけ、夕方からもう一個用事、そして飲み会だ、2号です。
プー太郎は、職業柄もっとヒマでなくてはいけない。。。

いつものように全然関係ないけど、テレビをつけっ放しにしていたら、どこかで聞いたことのある話とそっくりな話が聞こえてきました。
視聴者が電話をかけて、ナマ番組の中でMCやコメンテーターとしゃべるのをそのまま放送するという、よくあるパターンのヤツ。
出だしの話は、それでもまあ、ありがちと言えばありがちなので、聞いたことあるのも当然かもしれなかった。
そんなことを思いながら、ほかのことをしつつ、なにげに耳だけ傾けていたら、核心に迫っていくその話は、だんだんと詳細が絞られてきて、ありがちな話がある種の独自性を帯びてきた。

間違いない。。。

作業を中断してテレビの前に行ってかぶりつき、よくよく耳を澄ませると、声も間違いない。そして、その明るく饒舌で、物怖じしないしゃべり方。

A子(※)だ。。。

最後の最後、「は〜い!!私も応募しま〜す♪」と言って、電話が切れた。

最近、トンとご無沙汰していたけど、相変わらず元気らしい。
番組では匿名で話すのだけど、どこの誰かわかっていたら、普通は話せないような内容である(だから、ここにも内容は書けない)。

A子、おそるべし。。。(2号)

(※)A子=以下の記事のAちゃん
http://miha27.seesaa.net/article/97385820.html

2009年09月20日

on ダメ人間

二人いる。。。

ダメ人間2号です。。。

人から、しっかりしてるねって言われたことが、ないわけではない。もちろん、買いかぶり過ぎですよ!って場合もあるのだけど。

しかし、最近思うに、相手によって、2種類の自分がいる気がする。
言い換えれば、ある程度しっかりした良い面をお見せできることが多い相手がいるかと思えば、いつもいつもどうしてこうなっちゃうんだろう〜(ToT)みたいな、ダメダメ人間っぷりばっかりを見せてしまうことになる相手がいるみたいだ。

この違いはナンだろう?と、昨日考えました。
というのも、昨日、いっしょに遊んだ友だちが、どっちかと言うと、なぜかダメっぷりばかりを見せてしまう相手だったので。。。

昨日、私は、室蘭のあと、夜にはさっぽろ駅近辺に行かねばならず、だったらJRの方が便利かもという友だちの助言に従って、そうすることにしました。
友だちの話によると、地下鉄より速い上に安く、乗り換えなくてよいと。
「特に、『快速エアポート』に乗れれば、ノンストップかもしれない」。
この言葉がクセモノでした。

新札幌という所で車を降ろしてもらってから、勇んでJRの駅へ。
本数はあまりないかもとのことだったのだけど、電光表示を見ると、数分後に「快速エアポート」が来ることになっている。
ラッキ〜♪と思って、表示のホームへ行き、ほどなくそれは来ました。
慣れない交通手段やルートは何かと苦手というか、必ずと言っていいくらい問題を起こしがちだけど、これくらいカンタンだと余裕だわ〜と、これまた一つだけ空いてる席を見つけてドッカリと座り、どれくらい速く着くのかな〜と時計を見ました。
○時48分。
地下鉄より速いんだったら、もしかすると、△時過ぎくらいには着いちゃう!?

何分か経過。
ん?まだ北広島。
。。。
恵庭。おぉ…友だちの実家がある所だわ〜。
。。。
(なんだか、すでに地下鉄の所要時間と同じくらい経過してる気がするのに、まだ着かない。。。)

そして、「次は〜、千歳〜。千歳を出ますと、□分でナンチャラカンチャラ〜。空港へおいでの方はウンタラカンタラ〜」。

そこで、初めて、私は逆方向のに乗ったことに気づいたのであった。
そして、「千歳」の声を聞くまで、そのことにまったく気づいてなかった自分にものすごく驚き、前にも、何度もこういうことがあったのに、どうして同じことが起こるんだろう!?と、ア然としました。

△時10分。千歳で降りる。
掲示の時刻表を見ると、11分に逆方向のが来るらしく、大急ぎでそれに間に合ったものの、地下鉄に乗っていたら、そろそろ目的地へ着いていたはず。
そして、地下鉄なら始発の駅だったので、間違えるはずもなかった。
悶々。。。

そこへ、自宅に着いた友だちから、「ちゃんと着けた?」と絶妙なタイミングでメールが。。。
「っていうか、今、千歳で乗り換えた〜(ピースの絵文字)」
さすがは、友だち。それだけで、事情を察したらしく、「なんで、そうなっちゃうかな〜(あきれ顔絵文字)。ま、列車の旅を楽しんで!」と返事が。。。

結局、地下鉄の場合の2倍半の時間をかけて、打ちひしがれた気分で目的地に到着。確かに、間違えなければ、地下鉄の半分以下の時間で着けていた、ということがわかった。。。

というわけで、千歳から引き返して来ながら、この友だちとか、あの友だちとか、あの人とか…いつも、ダメダメな自分ばかり見せてしまう相手の顔を思い浮かべつつ、どうしてだろうと考えました。(実は、昨日は朝一で、すでに一度ダメっぷりをお見せしていた…)

考えた結論は、相手がしっかりした人だと、自分が安心してしまうと言うか油断してしまうと言うか…。すべてお任せしてしまう??
その前後も、万事が万事、そのモードに身を委ねてしまう??

逆に、自分がしっかりしなくちゃというモードになる相手というのもいて、そういう相手は、このようなワタクシであっても、頼って来ていたりする。すると、私はシャキッとなるのである。一応、お仕事も、一生懸命シャキッとやっています。。。(たぶん)

っていうか、なんだかよくわからんが…。ま、いいかー。
ダメっぷりにあきれて、付き合いきれん…と思ったら、相手が見捨てるでしょう。まだ首の皮一枚つながってるうちは、恥をさらしつつも、ほかの部分でお返しをしながら、ご厚意をありがたくいただいて。。。
自分が役に立てる場面では、がんばる。
と考える私は、けっこうしっかりしてないか?(2号)

2009年09月11日

on 兄弟姉妹

姉妹愛。

妹います、2号です。

昨日書いた、カバンの中身の話には続き(?)があって、その思い出し笑いからさらに想起されたのは、美しき姉妹愛。

以前、お姉様を持つ友だちが、子供のころ、お姉様にどんなイタズラをされたかを語ってくれました。
主に、学校に持って行くカバンに対するイタズラで、なんか重いな〜と思って学校に着いて開けたら鉄アレイが入っていたとか、一番上に捨てるはずのボロボロの便所スリッパ(WCと書いてある)が入っていて回りの子たちに見られて恥ずかしかったとか…。ノートが全部、前学年時とかの使い切ったヤツと入れ替えられていたという手の込んだワザもあったらしい。恐るべし。。。

爆笑しながら聞いていると、「○○ちゃん(←私のこと)って、自分が上でしょ?やっぱ、妹にイタズラした?」と訊かれました。

そういうイタズラはしなかったな〜。オモシロそうだから、すればよかったなー。
強いて言えば、私がしてたのは、無防備にしてるヒザ小僧にカプッと噛み付くとか〜、ヒザとか足の裏を見ると無性にくすぐりたくなるので、スキを狙ってくすぐるとか〜、そんなもんかな…。

すると、友だちは、「そっちの方がイヤだね」と鼻にシワを寄せて言い放った。。。

友だちはわかっていない。
そういえば、うちの妹も、同じくお姉様を持つ友だちと「『姉』っていう生き物は、バカだよね〜」「いや、ヘンタイだよ」と常々話していると言っていたが、まったくもって、わかっていない。
それもこれも、すべてお姉様の愛情表現なのだ。
妹がかわいいからこそ、かまいたくてしょーがなくて(かまってほしくて、か?)、でも、身内のテレがあるから、そういう不器用な表現になってしまうのだ!

それをわかっていない妹は、最初のころこそ、私がカプッと噛みついて、スキあり!とか言うと、大いに反応して逆上していたが(それが兄弟のジャレ合いの楽しさなのに!)、そのうち、思いっきりバカにした顔でクールに「やめてっ」と言うのみになっていった。相手にしてませんと言わんばかりに。
まったくわかってない。せっかくかまってあげてるのに。。。

それでも、キゲンがいい時は、「お願いだから、ちょっとだけくすぐってもいい?」とか訊くと、「んー、ちょっとだけなら、いいよ…」って言ってくれることもあり、ありがたく、思いっきり心を込めてヒザ小僧や足裏をくすぐると、「ふふ」とか声にならない声でクールに笑いをこらえているのがわかる。笑いそうになると、「はい、終わりー」とごまかして手で払う。ほんとはスキなくせにーとお姉様は思う。。。

そういう愛情表現がまったくなかったら、さびしいでしょ?でしょ?
と、お姉様は何度か訊いたことがあった。なのに、「いいや、さびしいどころかスッキリする」と強がりを言う。
きっと、今ごろさびしがってるに違いない。

しかるに、男の兄弟は、どんなジャレ合いをしてるのか?そういえば、聞いたことも想像してみたこともなかった。ちょっとしたことで取っ組み合いとかに発展して、ジャレ合いなんてできないのでしょうか??(2号)

2009年07月31日

on ガールズシリアストーク(+ダルビッシュくん)

女の生きる道。

今日、福岡ソフトバンクホークスvs北海道日本ハムファイターズin札幌ドームに行って、ダルビッシュくんを援護して来ました、2号です。
一瞬の危機x2以外は、快投でした。その危機の抑え方もアッパレ。オールスターで負った打撲は、大丈夫だったみたいです。

っていうか、最近、ダルビッシュくんがおネエさんから自立しつつあるのが、とてもさびしい。。。
インタビューも、インタビュー慣れしてしまっていて、答える内容がそれほどオモロくなくてもクスッと笑えるキャラだったところがオイシかったのに、このごろはそれすらありません。大人になるって、大人になるって……つまらない。。。

そして、今日のおネエさんには、危険な兆候が…。
なんと、5回のYMCAダンスコーナーで、マスコットのB☆Bとファイターズガールの皆さん、ボールボーイの皆さんが、お客さんを楽しませるという自らの仕事を一生懸命に全うしている姿を見て、不覚にもウルウルしてしまいました。一生懸命(たぶん、誇りを持って)お仕事してる人たちはエラい!!と、ミョーに胸を打たれました。。。(もちろん、こんなことは初めて。っていうか、YMCAダンスを見て泣いた人が、未だかつているのか!?)


さておき。
先日、A子と飲みに行きました。そしたら、私もよく知ってるB子も登場。カシマシ3人になりました。
そこでまた、心に沁みるお話があったので、記しておきます。

まずは、南の島談義。
A子と私は、これまでも会えば必ずいかに北海道の冬(=雪)がイヤか文句を言い合い、かつてはA子は私に山形を勧めていて、私も山形に憧れていたのだけど、いつからか、それがさらにはるか遠くの沖縄に住みたいねということになっている。A子は、少しずつ夫を洗脳してるらしい。
実現の可能性としてはA子の方が高いので、先に行ったら、ぜひ呼んでいただきたい。(せめて、水着が着れる年齢のうちにお願いします)。
沖縄はすごい。何と言っても、ここだけの話、本人曰くは生まれてこのかた恋愛感情というものを持ったことがなく、結婚もほとんど恋愛感情ゼロでいたしたA子に、唯一、「いい男がウジャウジャいて、全員にホレた」と言わしめたのが、沖縄なのだ。(A子、北海道に生まれて、残念っ!)
南方志向はB子も同様らしく。そこで私は、実家が沖縄に引っ越したという人から聞いた話、「籐製の家具は、最初の梅雨の季節に全部黴びて捨てたらしいよ」というのを、沖縄マメ知識として提供。話が盛り上がる。
ちなみに、去年、広島に行ってからは、私は、住むのは広島でもいいと思っているという新しい見解も発表しておいた。(っていうか、要するに、雪があまり降らなければどこでもいいのだが、できれば名古屋以外がいい=中日だけは応援できないから)。
A子は尾道が大好きで、かねてからいつか行きたいと言っていたので、近い将来、私に連れて行ってほしいと言う(この私が、人を連れて行けるのか??)。これからは、行き先は厳選せねばと思っているので、一度行った地域にまた行くというのは、私としては避けたい感じもあるのだが、尾道散策をした日は記録すべき豪雨だったので、まあ、特別にもう一度行ってもいいかもしれない。山のてっぺんまで行けてないし。

そして、ガールズトークは、当然のように結婚話に。
A子は一児の母。一方、そういう意味では似たモン同士のB子と私。双方、(近い)将来、結婚はする(と思っている)。
今となっては、私たちは奇しくも3人ともすでに父を失っている。亡くした歴は、私がダントツで長いのだけど…。
んで、昨日の話に続き、B子のプライベートは、私は詳しくは知らなかったのだけど、実は、病気のため、生活の介助が必要なお母様がおられるようだ。
そのような境遇に置かれれば、たいていの人はそれなりに対処すると思われるけど、やはり、置かれてない段階では、そのような人のことをとてつもなくエラいと感じるもの。というわけで、私も、初めて聞くB子の話に恐れ入りました。
そんな中、A子はB子と仲がいいので、「もし南方の人を好きになったら、ついて行くの?」と、直球の質問を繰り出した。それは、私も、人生の参考に、ちょっと訊きたかったポイントではあったのだけど、遠慮してたのだが。っていうか、B子もまだ南方の人と付き合ってるわけじゃなし。
すると、昔から男前のB子は、キッパリと「行くよ」と言ったのでした。「お母さんどうするんだろう?」と内心思った私を見透かすように、私の方をまっすぐに見て、「○○ちゃん(←私)だったら、親のために、自分の幸せ諦める?」と、これまた直球な…。
むしろ、その速攻ぶりに「んー」と一瞬ヒルんでいると、「だって、そんなの、お互いイヤでしょう。心にシコリが残る方が、親子関係としては悲しくない?」とB子。
いや、その通りです。全面同意。(っていうか、私はむしろ、相手が親のために私を捨てたという経験があるだけに、同意しない人もいるだろうとは思うのだが)

そして、そのあとのB子の言葉がとても印象的だった。
「一人一人の幸せの最大公約数が絶対見つかるはず。一人だけが何かを諦めるなんてダメ。前向きに考えれば方法は絶対ある。○○ちゃんだって(と、なぜかまた私
だ)、そういう立場になったら、お母さんに『手当て』して、行くでしょ?」
全体的に異論ナシ、なのだが、特に『手当て』という言葉にミョーにグッと来たのだった。そこには、彼女が離れてもお母さんが困らないように、あらゆる手を尽くした対策を講じるという、精一杯の心というか気持ちがこもってる感じがする。B子は一人っ子なのだ。
なんなら連れて行って、近くに住まわせる手もある。実際、そうしてる友だちもいるし。

っていうか、その時、私の頭に浮かんだのは、かつて私が付き合った中で一番年上だった人の話。彼は転勤族なのだけど、奥さんの親御さんの介護が必要となったため、14年の結婚生活で奥さんと一緒に住めたのは正味2年だったという…(そのせいで若いころは遊び人になっていたと豪語していた)。そして結局、離婚になったと。どうして、もっと打つ手を打たなかったのかという意味で、この話はショーゲキ的だった。(結局、私と別れて元奥さんとヨリを戻していた(再入籍したかは不明))
もちろん、この件は口に出さなかった。。。


これ↑も、さておき。
なんと、今、B子もプー太郎。
しかし、仲間意識に浸ってはいられない。B子には、親の持ち家がある。そういうことが、私にはとても心強いことに思える。
いつも私を不安にさせるのは、「私には、帰るところがないんだな」ということ。うちには自分の土地や家といったものがない。
やはり親の持ち家がある独身の友だちが、「2人とも生涯一人だったら、老後は一緒に住もう」と言ってくれていて、この約束は心の慰めにはなるけど、保障にはならないだろうと覚悟してます。
こんなことを漏らすと、B子は言った。「オンナは、昔から、自分で家を見つけるものなんだよ。昔だって、親の家は長男のものでしょ?オンナは嫁に行って、先方の家を自分の居場所にして行って、最後も向こうのお墓に入るんだよ。まあ、でも現代は、自分で見つけるってのは、(前者)自分で稼いでマンションでも買うか、(後者)結婚して内助の功か共働きで建てるか、だよね」。
もう、前者はムリです。。。
っていうか、この話、前半の昔部分は「ほぅ…」と思ったけど、一番大事な後半部分はB子にも当てはまらないわけなのであって、あまり慰めにはならなかった。。。

しかし、全体的になかなか心に残る飲み会でした。

ちなみに、実家がないということのもう一つの弊害は、普通、実家に置きっ放しになるであろう昔のガラクタを、一人暮らしの部屋に持って来てるということ。これを、取捨選択して処分しようとかねがね思ってるのだが、開けてない段ボールなどもあり、開けるのがコワい。。。(2号)

2009年04月22日

on ご近所さんの引っ越し

新時代の幕開け。

ハローワークの雇用保険受給説明会に行って来ました、2号です。
眠くて、トロけそうでした。。。

今日は朝から、大忙し。
まず、9時にもっこみちくん夫妻の引っ越しが始まったので、それを見守らなくちゃいけない。

朝ご飯を食べながら、見守る。。。

来ていたのは、JR貨物のコンテナだった。
近距離のトラックでは、ない。
今まで、ここで、いくつもの引っ越しを見物したけど、JR貨物のコンテナが来たのは初めてだった。
そして、すべてが積み込まれたあと、運転手だけが乗り込み、運び去った。クロ○コの作業員二人は、別の車で帰っていった。
つまり、そういうことだ。

あのコンテナは、海を渡っていくのだ。
その遥かな距離に、しみじみと思いを馳せる。彼らの住む新しい土地、新しい暮らし。

やがて、もっこみちくん夫妻が降りて来て、車に小さな荷物を積んで、走り去っていった。
昨日あいさつしたので、今日は遠慮した。たぶん、私が泣くだろうから。
切ない気分で、窓から静かに二人の車を見送った。

1週間かけて、車で東京をめざすそうだ。
バイバイ、ありがと、気をつけて。あちらでも、お元気でがんばってね。


それから、ハローワークへ。
それから、なんやかんやで、22時に帰宅。

もっこみちくんの車がなくなって、空いた駐車場。真っ暗な窓。空虚な洞穴を思わせる。
うちの上階は、入居者が決まったらしいのだけど、当然、入居者募集の張り紙はそのまま。

っていうか、新築当初からここにいて、すべて(?)を知ってるのは、もう私だけ。責任重大だ。。。(2号)

2009年04月08日

on ご近所さん

”もっこみちくん”と愉快な仲間たち。

まだ春浅い札幌から、2号です。
とは言っても、今年は、いつもなら4月になっても雪が残ってるような住宅街の道も、3月の下旬にはすっかり乾いてアスファルトが完全露出、日陰になった場所に残る雪もどんどん小さくなっていっています。
昨日は、銀行に行く関係で、通常より早めの時間に買い物に出たのだけど、あまりの気持ちのよい気候に、思わずうっとりするくらいでした。

ここに引っ越して来たのも、ちょうど春。季節は、5巡したということになります。

私と同じく、新築当初からいる住人、それが「もっこみちくん」です。
かの「速水もこみち」を、オブジェクトとして70%縮小したような、いや、それだと細くなりすぎるので、文字として70%平体かけて、さらに、庶民的な味わいを加えたような、そんな男性です。
それで、私は彼をひそかに「もっこみちくん」と呼ぶようになったわけです。

最初はほとんど会わなかったので存在を知らなかったのだけど、ある時、これまた私の知り合い二人を足して2で割ったような女性にあいさつされ、その背後でニコニコしていたのが、もっこみちくんでした。
ここで大学生カップルが同棲してるのね…と、微笑ましく思ったものです。

それ以来、ほんの何度かではあったけど、会うたびにあいさつを交わし、ある冬、実家からということでおすそ分けを持って来てくれた際に、今度鍋しましょうという話になりました。
その鍋の会には、他の住人も2組加わり、私たち住人同士は互いをそこそこ知り合い、仲良くなりました。

もっこみちくんが、私と同じく新築当初からいるということを知ったのも、その時。
そして、見た目は若いけど、実は私とトシが近いということ。
同棲ではなく、結婚して一緒に住むようになったこと。
もうひと組のカップルも、もうすぐ結婚することになってること。
うちのお隣さんの男性は、けっこう年上で独身だということ(一時期いっしょにいたのは、親戚の子だったらしい)。
男性陣のうちの二人が、偶然にも実は職場が同じだったこと。
などなど、いろいろわかって、わけもなく安心感も増しました。

そして、私には誰もトシを訊かなかった。
わきまえた方たちだ。。。

最初に私が訊かれたのは、どこかでピアノを弾いてる人がいるみたいだけど、それが私か?ってこと。
一瞬怖じ気づき、「うるさいですよね?迷惑かけてすみません」と恐縮すると、3階の人は階段を下りて近くまで来てやっと聞こえるくらいのもんで、それを、お世辞にも、楽しく聞かせてもらってます、と言う。
うちの反対側の2階の人は、自分の部屋でテレビを消してシーンとしてると、何となく聞こえる程度だそうで、これまた、なんか好きな曲だった…、などと言ってくれる。そして、休日にまったりしてる時に、かすかにピアノが聞こえてくるという状況がとても好きだとまで。それって、私もよそのマンションに住んでた時なんかに同じように思っていたので、同類を得たようでうれしかった。いい人だ。。。

常々、苦情が来ないかとビクビクしながら弾いてた身としては、お世辞を言ってくれるということは、大迷惑してるというほどでもないのかもしれないと思い、まずまずホッとしたし、お隣さんに至っては、最初、一度も聞いたことないと言ってて、2回目に集まった時に、「この前、初めて聞こえました」ということだったので、この建物では、床や壁に直接衝撃を与えるような音でなければそれほど響かないということがわかりました。
住人同士集まると、楽しい時間を過ごせるということはもちろん、正面玄関のカギがこの前どうしたとか、インターホンのテレビモニターは実は壊れていたのか?とか、最近来るセールスは本物か?とか、いろんな情報を確認したり、共有したりできて、いいことづくめ。
住人の半分は、誘っても参加したくないということだったらしいのだけど、近所付き合いって、やっぱり、してみるもんだな〜と思ったものです。

こうして数年間、もう何回集まったかわからないけど、都度、外部のゲストも加わったりしながら、親交を続けてきました。

そんな先日。
もっこみちくんは、東京で何カ月もかかる仕事に携わることが多くなり、長期留守にするということが数回続いて、とうとう東京に引っ越す決意をしたと言うのです。結局、この1年のうち東京滞在の期間の方が長かったということで。
私たちは、彼が一時戻るたびに集まったりしていたのだけど、おそらく、来週のお別れ会を最後に、もっこみちくん夫妻がいなくなったら、このような会は二度と開かれないだろうと予想しています。これは、もっこみちくんの会だったのです。
そしてなんと、もう一組のカップルは、もっこみちくんが東京に移るという話にえらく色めきだって、自分も東京に転勤願いを出すと言い出す始末。かなり本気の模様で、出せば叶う可能性が高いとのこと。そうなったら、東京でまた鍋やろうと盛り上がってました。
となると、ミョーにさびしいのは、残される私たち。しかも、お隣のオジちゃんは、近々転職したいので、それによってはここを出ることになるとか言う。

えー。残るのは私だけ??
さびし過ぎる。しかも、もっこみちくんがいなくなれば、正真正銘、ますますここの「主」になってしまう。。。

春は別れの季節。
もっこみちくん夫妻は、4月の末に行ってしまう。
ここのマンション史における、一つの時代が終わろうとしています。(2号)


※そういえば、先日の、今はなきうちの階上の住人の真夜中の事件は、私以外、誰も知らなかった(聞こえてなかった)ということが判明。
夜中の入浴音とか、聞こえなくていい音が聞こえて、こういう音が聞こえないとなれば、この建物では、本当にヤバい事件が起こっても、誰にも気づかれない恐れがある。。。

2009年03月12日

on 隣人

春のお別れ。

ゆうべから強風吹き荒れた札幌にて、2号です。

昨日は朝早く6時台から、うちの上の階の部屋の住人がドタバタゴツゴツとうるさくて、何ごと!?って思うくらいでした。縦横無尽に走り回るわ、壁に物は当たるわ、その上、ガムシャラに掃除機かけてる模様。

そのあと、例の防音がされていない玄関のタタキでガツガツと音がして、共用階段の激しい上り下りの音。

しょーがないので、おもむろに起きて、なにげにカーテンを開けると、窓の外がない。っていうか、景色がバーンと何かですっかり遮られてるじゃあ、ありませんか〜!
寝ぼけマナコでよく見ると、目の前に「0123」の文字。
そうなのですっ!!
そこには○ート引っ越しセンターのどデカいトラックが停まっていたんでした。。。

なんと、階上の住人は、この前の騒動のオトシマエをつけずに、サッサとズラかるつもりらしいのです。

しかし、わたくし2号、自分が引っ越すのはメンドくさいが、人の引っ越しを見るのは大好き。
朝食と朝のワイドショーの間、楽しく見物させていただきました。
ホントにホントにホント〜に、ご苦労さま♪って思いながら。

それにしても、やはり、引っ越しはヤバい。
なんと言っても、引っ越しのお兄さんがヤバい。
段ボール一気5個運びとか、冷蔵庫一人運びとか、見せられると。。。ホレる。
必ず、ゼッッタイ、ホレてしまう!!
私も運んでぇ〜♪状態になる。
こんなおネエさんを許して。

っていうか、そんなこと思ってる場合じゃなかった。
あの事件は、結局、迷宮入りになるし、もしかして、キミたちは結婚でもするつもりなのか!?自分たち的には解決できたの??
今となっては、ここの建物の主として君臨するわたくし2号、上の階の住人を3人迎えて3人見送ったわけだが、みんないったいどこへ行くのだろう。。。
素朴な疑問が湧く。
自分のことを考えてみても、こんな短期サイクルで転職や転勤で遠くへ行くとか考えづらい。これが、脂の乗ったビジネスマンか、20代くらいの男子ならよくありそうだけど、いずれの住人もそんな感じのしない女子だった。
学生が、卒業とともに違う地域へ就職?っていうほど、若い年ごろでもなかったような気がするし。
ってことは、やはり結婚なのか。
ただ住んでるだけで、私はすでに3人に先を越されたってことなの?

今は考えないことにしよう。

それより、前から上の住人はけっこううるさい方だって思ってはいたけど、この前の騒動で、頼むからお引っ越ししてくださいって切に願ったら、本当に引っ越して行ってしまった。このグー然が、われながら、ちょっとこわい。(2号)

※次は、普通の生活サイクルの、静かな人の入居を希望。

2007年07月19日

07.07.19 on おそるべき「血」

血は、確かに濃かった。

昔、学校の保護者面談の翌日、担任から呼び止められ、「あれはお前の本当のお母さんか?」と訊かれた2号です。
確かに、まったく似ていません。妹とも似てません。
拾われた子なのかも。
いや、しかし、父(故人)とはソックリと言われるので…。

そんな子供心の心配もどこかに吹き飛び、すっかりいいトシとなったある日。
妹と母が、嬌声を上げながら大盛り上がりしてました。
どしたの??
話題は、どうやら「キャッシュカードの暗証番号」らしい。
なんでも、母が妹に、ATMからの引き出しを頼むのに暗証番号を教えたら、その番号が妹の番号とソックリだということで、二人で大騒ぎしてたんでした。
訊くと、
母のを ○×△□  とすると、
妹のが ×○□△  だったというわけ。
前半と後半に分けて、それぞれの並び方をちょうど逆さまにした形です。

しかーし。
話はそこで終わらなかった。
それを聞いて、もーーっとビックリしたのは、この私。
妹の番号と私の番号が、まったく同じじゃあ、ありませんかっ!!

これには、一同、「ちょっと、血が濃すぎじゃない!?」と、逆に、気持ち悪がる始末。

ちなみに、その番号を設定したそれぞれの理由は、もちろんまったく違うもの。

母:好きな作家の名前を語呂合わせして、最後に一番好きな数字を付けた。
妹:好きな食べ物を語呂合わせして、二つつなげた。
私:とある記念日の前に、一番好きな数字を付けた。

その結果が、こんなふうにシンクロするとは…。いったい、どーゆーことなんだ。

さておき。
私の「とある記念日」とは、本当は番号設定当時に好きだった人の誕生日。だけど、共通の友人がタレ込んできたその誕生日情報は、のちに、5日もズレたガセネタだったことが判明。
どうしてくれんの? 私はこの意味のない暗証番号と、一生つき合っていかなくちゃなんないのよ!! と、当時はかなりご立腹状態だったのだけど、結果、誰もが知る記念日とグーゼン同じだったため、今となっては、理由づけもちゃんとできて、重宝してます。

というわけで、本当は違う暗証番号になってたはず。そう考えれば、血が濃いっていうのも、ちょっとは薄まることになるのかも。(2号)

2006年10月02日

06.10.02 on コンビニと店長

開運金箔だより

〜店長、またしても…

開運金箔ドットコムの店員をつとめる2号です。

店長が最近よく話題にしていたお知り合いの方は、Sというコンビニにお勤めの方、とのことでした。
何度かの会話ですっかりお馴染みになり、私も「その人はSの方ですね」と。
「うん」と適当に返事する店長。

この前、いつものように会話してると、店長は突然「フッ」と笑い、「その人、本当はSじゃなくて7●●なんだけどね」と言うのです。
しかも、今まで私がずっと間違って言っていたのをあえて訂正せずにいたけど、そろそろ見かねて注意したって感じで。

あのですね。最初に、Sと言ったのは店長です。


思えば、今の事務所に引っ越す前に、会社から一番近かったのはSでした。だから、店長にとって、コンビニ=Sだったわけです。
それが、しばらくして、より近いところにLができて、それ以来、Sも店長の中ではなぜかLと呼ばれるようになったのです。

しかし、引っ越して、今度はLの方が遠くなったのです。
すると、店長の中で、コンビニの多くは、再びSと呼ばれるようになったのです。
その後、すぐ隣に別のLができて、さすがに、隣のLはLと呼ばれるのだけど、離れた場所のコンビニは相変わらずの十把一絡げぶりで、各コンビニが正しく区別されて呼ばれるのは、どこのお弁当がおいしいかといった比較検討の際だけなのです。

ああ、このようにきっちり説明できる私でありながら、今日も、店長の「S」にまんまと引っかかっている…。
学習能力がないというか…、どっちもどっちの懲りない面々なのでした。(2号)

2006年08月16日

06.08.16 on 同窓会

めくるめく、友だちの輪

2号です。昨日、不思議な飲み会に行きました。
以前、同じビル内の別の会社にいた女の子と、今も仲良くしてもらっているのだけど、その人の高校の同窓会にお呼ばれしたのでした。
部外者が行っていいの?って感じだったんだけど、結果、大変に盛り上がりました。

完全部外者のつもりで行ったのに、まず、私と大学が同じ人が5人。友だちの職場の人で、以前も会ったことのある女の子が一人。家が近所の人が一人。以前私が住んでいた所のすぐ近くに実家がある人が一人。しかも、その人の弟が私の中学同級生で、クラスが違ったのによく覚えている人だった。さらに、うちの会社がお取引してる、とある会社の関係者が一人(←東京からのお盆帰省組)。それが、ものすごく離れた地域にある会社なので、十分にビックリとなるのです。(相手の方がもっとビックリしてたけど)。
おまけに、2次会で行った店は、昔、会社で時々行ってた店。昨日の同窓会メンバーは学生時代からそこで飲んでたそうで。その店では、昔の会社の人たちの最近の動向なんかも聞くことができて、もう、お腹いっぱい。
それぞれと、それぞれの話題で盛り上がり、アッという間の6時間でした。
気づいたら、なんでかよくわかんないんだけど、次回の幹事をやれって話。あくまで、部外者なんですけど。

それにしても、こういうことって、続く時には続くもの。
ちょっと前にも、仕事で会った人が高校の先輩でした。自分の高校的には、こういう偶然はそんなにあることじゃないから、まるで、漂流して別れ別れになっていた身内が10年ぶりに会えたくらいの勢いで盛り上がります。

人間って、それまで生きながら広げてきた、いろんな人つながり(モノやコトもあるかも)を、回収(?)する方向に向かう時期ってあるのかも。世界は思った以上に広くはあるけど、その人なりの領域っていうのはある程度決まっていて、それによって、一生のうちに出会う人っていうのも、ある程度必然的に決まってくるのかなぁ、みたいな、至極当たり前のことを大げさに思ってみたり。
でも、出会いは死ぬまで続くというのもまた、真実。もっと、海外なんかにバンバン行ける人生だったら、すごくいいなぁ。
ともあれ、出会った人、これから出会う人、ふつつか者ですが、よろしくお願いします。(2号)

2006年04月26日

06.04.26 on 開運金箔だより

開運金箔だより

〜ふたりのおじさん

開運金箔ドットコムの店員をつとめる2号です。
うちの店長、年頃は天命を知る50代。おそらく、「車両出入り口につき、駐車禁止」となってるスペースに車を置くタイプです。なぜって、そこはいつも空いてるから。
実際は、店長は車を運転しないのだけど、うちの事務所では、引き出しの前、棚の扉の前、通り道、コピー機の前、印鑑置き場などに、物が放置されています。犯人は店長。空いてるところに物を置き去ります。空けておく必要があるスペースだから空いてるのに。
おかげで、引き出しを開けるとか、棚の扉を開くとか、コピーをとるとか、印鑑を押すとか、そうことをしなくてはならないたびに、その置かれた物を移動させなければなりません。しかも、その障害物を移動させる場所がない場合も多々あって、けっこう面倒なので、店長に言いたい。空いてるスペースを見つけたら、まず、そこがなぜ空いてるか考えてください。っていうか、物は、もとあった場所もしくは適正な場所に置くように、切にお願いします。

店長の同級生で、いっしょにお仕事もしているおじさん。時々、開運金箔ドットコムの事務所にやって来る。そのたたずまいは、となりのトトロを彷彿とさせます(和み系)。
おじさんのあいさつは、「おぉ。恋をしてるね」。根拠は不明です。
2号が身につけている物を見ては、「それは、ボクがプレゼントしたヤツかな?」。
ゴハンごちそうになったことしかないです。

ヘンなおじさん、2名。今日も平和な、開運金箔ドットコムなのでした。(2号)

2006年02月02日

06.02.02 on 開運金箔便り〜北海道弁

開運金箔だより


〜店長は道産子

開運金箔ドットコムの店員を勤める2号です。
うちの店長、生まれも育ちも北海道です。

よく、人から聞いた話を、ほかの人にすることがありますよね。その話の中に、会話体が挿入されてることも、よくありますよね。まるで、その場で聞いてたかのように、「○×△」って言ったら「□§◇」って言ったーーみたいに。
で、いったん、店長の手に渡ってしまった話の登場人物が、その後の伝言の過程でどうなってしまうか。
全員、語尾に「〜べや」をつけられ、北海道弁の人になります。
道内や東北の人以外でも「べや」族がいないこともないらしいけど、少なくとも、東京の人は言わないでしょー、と、私は思います。
でも、話のコシを折ると悪いので、そのようには言いません。っていうか、おもしろいので、そのまま言わないでおきます。(2号)

2006年01月30日

06.01.30 on 名セリフ

暮らしの中の名セリフ

映画大好き2号です。
以前、映画の中のセリフで心に残ってるのを書いたあと、第二弾もやろうとひそかに思ってたのだけど、いろいろ記憶をたぐっていると、どうしてもぐぃぐぃと前に出て来てしまう、映画じゃなくて個人的な日常の中で引っ掛かったセリフたち。
あまりにしつこく甦ってきてうるさいので、先に、これらを片づけることにしました。

というわけで、私の好きな超個人的名セリフ集。5題。


■みんな過去形で訊くけど、私は、まだ、あきらめてないのよね。

このトシになると、みんな私の顔見れば「どうして結婚しなかったの?」って過去形で訊くんだけど、私はしなかったんじゃなくて、これからだって、しようと思ってるの!と、飲んでる時に唐突にキレた会社の大先輩。
思い出すだに、私はこのセリフが好き。私だって、まだいろいろなことを諦めてない。未来も希望もあるんだわと、可能性を信じる気持ちになれるセリフ。


■自分には今まで本当の悩みなんてなかったんじゃないかと思うの。

友人、ある日ポツリと真顔で。
そんなこと言われれば、これまでの悩み全部併せたよりも深刻な悩みができたのか?と心配になるもの。
いったいぜんたい、どうしたの?と訊くと、
「あたしってさぁ、何か悩んでても、今晩○○のテレビがあるって思えば、悩みが吹っ飛んじゃうの」とのたまった。
内心「へっ?」と思いつつ、「それって、テレビを見たら、あまりにもおもしろくて…とか、そういうこと?」
「うぅん、違うの。そのテレビが今夜あるって思った瞬間に、なの」
悩みが大したことないのか、切り替えが上手いのか、彼女の愛するテレビの力がスゴいってことなのか…
いずれにしても、幸せってことで、別にいいんじゃないの?と思った私であった。


■オレは、支配されたいんだ!

昔の彼氏のセリフ。
幼少時から、好きなようにおやり、ただし、自由には責任があるのよ、みたいに、自立志向で育てられたらしくて。
支配されることに憧れ、望んでいた彼は、のちに、5つだか6つだか年上のおネエ様と結婚しました。
大変よくできました。すばらしい。


■眠くなれば寝てしまう。それが人間なんです。

「はぁ〜」と、思わず大きくうなずいてしまった、このふってわいたようなセリフは、 コンタクトの着脱指導の時に、指導のおじさんが発した一言。
確か、レンズをはめたまま寝るとどうなるかとか、そういう話をしてる時だったと思う。コンタクトは、眠くなる時間になる前に、ハズしましょう。


■オレたちは始まらないの?

同級生と飲みに行った時。
男女の親密な関係は、一般的にどういうきっかけで始まるかとか、そういう話をしてたら、突然そのようにヤツは言った。
残念ながら、始まらなかった。
でも、この一言は、すごく印象的だった。


スンバラしい名言を残したみんな。元気かなぁ。(2号)
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