2010年07月31日

on 駅員。

今ごろ、村上春樹『アンダーグラウンド』。

さわやかな気候の7月末日、2号です。いつの間に7月になっていたのだろう?っていうか、あまり気づいてないうちに終わってしまうところだ。。。
どうも、コトが順調に進まず、時間を止めておきたいと思うようなことがあると、こういう感覚に陥るようだ。

というわけで、それとは全然関係ないけど、「アンダーグラウンド」を読んでます。

出た当時けっこう話題になっていたのだけど、あのころは報道や何かであまりに多くのことが取りざたされていたので、不謹慎ながら、オウムはもういいよ…という気分だったのと、この本の厚さ、しかも2段組み!?ってところでちょっと敬遠して、春樹作品としては例外的にすっ飛ばしていた本です。

その後、何年かして、古本屋に並んでるのを見て、一応春樹作品だから…ということで購入しておいたのだけど、やはりまったく読む気になれず、さらに何年も本棚に寝かせてました。その間、何作かほかの春樹作品を読みながら。

これは、今さら言うまでもなく、地下鉄サリン事件の被害者を中心に、さらには弁護士や医療関係者などにもインタビューしたものをまとめた本。
重症だった方も含まれていて、出版から10年以上が経っている現在、その方が回復されたのかどうかなど、今でも決して終わってはいない事件なのだろうなぁと噛みしめながら読んでいます。

で、このインタビュー集の中で私がえらく感じ入ったのは、千代田線の駅員さんの話。
これまで、刑事、警察官とか、消防士とか、パイロットとか、自衛官とか、工事現場の作業員とかetc.…奥さんなど身内に、オレはいつ何があるかわからないから常に覚悟だけはしておいてくれって言ってるような人の職業って、だいたいそんなふうに想像していたけど、実は駅員さんもそうなんだなぁと。
確かに、列車はサリン事件などのようにテロの標的になることもあるだろうし、乗客が線路に落ちて助けなくてはという場面もあるだろうし、客同士のトラブルの仲裁に入って自分が刺されるとか、興奮したクレーマーにホームから突き落とされるとか、駅員の仕事って命の危険と隣り合わせと言えなくもない。実際、サリン事件でも、この方の同僚が亡くなってるし。
昔なんかは特に、けっこうラクでおいしそうな仕事というイメージで見がちだったのだけど、駅員って、そういう覚悟のもとに真摯に職責と向き合ってる人たちなのだなぁって、初めて知りました。
救命にかかわる訓練も一応受けてるんだなぁとか、あまり想像してなかった世界をかいま見て、ちょっと尊敬の念も。
CAとか、よく「私たちはお客様の命をお預かりしてます」とか「安全をお守りしてます」みたいに言うけど、考えてみたら駅員も似たようなもんだ。何も、運転士だけが背負ってるわけじゃないのね。

このトシにして、まるで「お父さんの仕事」の作文の題材みたいなことを発見しつつ、ページはまだ3分の1を過ぎたくらいのところ。
厚くてバッグでかさばるし、重い!!
それはそれとして、また、オウムの処罰等々は別にして、人はいつ何どきどうなるかわからない。日々を大切に生きなくてはいけない。ということを、とてもリアルに再認識させられる1冊です。(2号)



posted by 2号 at 14:18| 北海道 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・雑誌・コミック・読書・作家など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月15日

on 読書。

江國香織『ぬるい眠り』ほか。

さわやか〜な気候、お留守番もはかどります、2号です。
今日はちょっと気分に余裕が。。。

さておき。

江國香織さんの本に『ぬるい眠り』というのがある。
短編集なのだけど、その中に「災難の顛末」という一篇があって、これがミョーに印象的だった。

災難というのが何なのかは、ネタバレになるので言えない。
ちょっとだけ言うとしたら、ある朝、主人公の脚がものすごく腫れていたってこと。
私は、いつものように電車の中だけでこの本を読み継いでいたのだけど、まさにこれが、いったいどうしてなのか原因が判明する前に降りる駅となってしまったので、それから次の日に電車に乗るまで、気になって気になってしょーがなかった。推理小説以外でこんなふうに先が知りたくて知りたくて…という思いは久しぶりのことだ。

そして、その「顛末」というのが、これまた、そんなことでそうなっちゃうの!?っていう顛末で、でも、その機微が、ちょっとわからないでもないなぁ…みたいでもあり、妙に感じ入ったのでした。

読書と言うと、私の場合は、本当は幅広くいろんな人の作品を読むというふうにしたいのだけど、今のところそうはなってなくて、あまり語ると無知が露呈、ボロが出るので、全体を俯瞰したようなことは言えない。でも、少なくとも、江國さんの本を読んでると、短編がたくさん含まれてるせいもあるかもしれないけど、人間って実にいろいろいて、普通に見えてるあの人この人も、本当はこんなふうな面を持ってるかもしれないよなぁ〜と、ついつい周りを見回して妄想したくなる。こういう作家は、あまりほかに知らない。たぶん、私が狭くしか読んでないせいだと思うけど。

今、『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』を読んでます(短編集)。表題作の、It's not safe or suitable to swim.というのは、アメリカの田舎町を旅行中、川べりで見つけた看板の注意書きだ、と、主人公は語る。
こんなことを、日常ありきたりなテーマ、情景と重ねる感覚が、あぁ、シックリ来るなぁ…と思いながら、これもぐいぐい読んで、もうすぐ終わる。
これで、江國さんの本のストックはなくなる。

また、古本屋巡りをしないといけない。(2号)
posted by 2号 at 15:52| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・雑誌・コミック・読書・作家など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月23日

on 追悼。

井上ひさしさんのこと。

晴れてるような曇ってるような空の下、2号です。
とうとう、今年は冷夏だっていうお告げ(?)を、テレビで聞いてしまいました。
だったら、キャミソールなんて着る機会ないのかも。。。そんな夏は、1993年以来だ。

さておき。
大変遅ればせながら、先日、井上ひさしさんが亡くなりました。

私は、人柄が好きでした。(遅筆なところも。。。)
何か少なくとも一つくらい読んだ気がしなくもないけれど、ナンだったか思い出せません。
逆に、読もう読もうと思って結局読んでない「吉里吉里人」が、読んでないのに印象的です。
一人の読者が、吉里吉里人を読破して、ふと時計を見ると作中の時間と同じで、そういえば、読み始めた時間帯も、たまたま作中、物語が始まる時間帯と同じだったのだけど、まさか、それはそう図って書いたんじゃないですよね!?ってお手紙を書いた。
それに答えて、井上さんは、日本人の標準的な読書スピードに合わせて、実際の読み進むペースと同じように作中の時間が経過するように書いたんだってことを明かした。っていうエピソードがあった。
それにビックリしたこと。そして、これは、実際に試してみるために、まとまった時間を取って読まないといけないと思った。自分は読書スピードが遅いってことにまだあまり気づいてなくて、そんな無謀なことを思ってしまったために、結局、読む機会(まとまった時間が取れる機会)がなかなかないまま、今まで来てしまったこと。
そんな、あれこれが思い出されます。

井上さん、あれは本当なんですか?
って、訊きたくても、もういません。
もしかして、読者にそう言われて、ついそう答えたってことはないんですか?
もしそうでも、井上さんなら許せるけど。

ドラマ「24」が始まって、「事件はリアルタイムで起こっている」(だっけ?)ことを知った時、私が真っ先に思い出したのが「吉里吉里人」だったことは言うまでもありません。

司馬遼太郎さんが亡くなった時、井上さんが語ったこと。
あれも、肌が泡立つくらい感じ入ったのを覚えています。
それは「この国のかたち」についての話で、私の記憶が確かなら、英語で憲法を表す単語(constitution?)は、日常的にほかの意味でも使われる普通の言葉と同じだけど、日本語の「憲法」は「憲法」しか指さない言葉で、そういう意味でも、日常と切り離されたよそ行きのシャッチョコばった言葉だ。それが、日本人が、自分たちの国をどうするのか、どうしたいのかという意識も含めてアイデンティティのよりどころが希薄であることとも一脈通じているかもしれない。
自分たちの国をどうするのか(「憲法」)という決めごとは、自分たちの立ち位置や立ち方をはっきりさせるための基本として、みんながしっかり日常的に意識の中で共有すべきもので、もっとわかりやすく親しみやすいものにすべきではないかという意味を込めて、司馬さんはその呼び名も「かたち」という易しい言葉にして、しかも平がなにしたんだ。そして、真に日本人のための憲法(この国のかたち)を作りたいというようなことを考えて、あの本を書いた。
そんなふうに、井上さんは話してたように思います。
それが、井上さんの解釈なのか、司馬さんご本人から聞いた話なのか、はたまた、「この国のかたち」を読めば書いてあることなのかは、全然わからないのだけど…とても素敵な話だなぁと思って、友だちにも話したりしてました。
そして、井上さんのそのお話を通して、司馬遼太郎さんのお名前は重々承知しながらもご本なぞ全然読んだこともない私が、「日本は惜しい人を亡くした!」と心から悼むに至ったのだった。。。

井上さんがいることは、日本の私にとって、とても安心なことでした。
なので、心細いです。あとを担う人が十分に出て来ないうちに、こういう方々が亡くなってしまうのは、ご本人の死を悲しむだけでは終わらない、心にとてつもない大きな空白ができたような気分になります。(読んでもいないのに司馬さん亡き後そうだったように…)

娘さんの会見によると、井上さんは、「作品を読んでいただくこと、劇場に足を運んでいただくことが幸せですと言って旅立った」そうです。これまた、井上さんらしい、飾らない素敵な言葉を残されたものです。

いつか、「吉里吉里人」を読みたいと思います。心からご冥福をお祈りいたします。(2号)

2009年06月27日

on 雑草

ねじまき鳥と雑草の園。

さわやかな土曜の昼下がり、2号です。今日の日記。

朝から天気がよかったので、寝具を干しました。一時期の蝦夷梅雨っぽい天候で、湿湿っぽい感じになっていたであろう寝具たちが、今、気持ちよさそうにベランダでヌクヌクしてます。
ついでに、シーツやカバーもお洗濯。部屋に差し込む日差しに程よく陰を作ってくれながら、もうすぐ乾くところ。

気持ちがよいので、2カ所の窓を朝から開け放っていると、時々、カーテンがソヨとそよぐので気づくくらいのやわらかい風が。少し雲があって、時折、太陽をちょっと隠す。ゆっくりとまた雲が退(の)くと、サアッと陽が入り込んで来て、部屋の色合いが変わるのが心地よいです。

うちのお隣は、今、空き家なのだけど、隣接する敷地をオッちゃんがセッセと手入れしていたころは、私の部屋の窓から見る限りは、究極につまらない空間になっていたのが、空き家になって、放ったらかしになると、そこには実にさまざまな雑草が生い茂り、隣の芝生的に無責任に眺めてる分には、とても魅力的な空間と化しました。

今は、小さなピンクの花がそこここに咲きにぎわい、さらに小さな小さな薄紫の花がその間を縫って、低くひっそりと咲いている。ペンペン草らしき姿も見える。ヒメジオンと思われるつぼみはふくらみ、まだ何かわからないモノがぐんぐんと背を伸ばしている。もちろん、オオバコやシロツメクサもある。
不思議なことに、この3年見て来て、年々、ちょっとずつ植生が変わっているようなのです。最初の年に、ずいぶんと楽しませてくれた、背が高めで紅花をピンクにしたような大きな花は、次の年には影も形も見られませんでした。今年も。「キング」の称号を与えたいくらいの勢いで君臨していたのに。綿毛がすごかったので、うちの建物の管理会社が抜いてしまったのかもしれない。
去年あったはずの黄色い花も、今年はまだ見られません。
こんな狭い空間でも、植物たちの激しいサバイバル競争があるのかも。

私は、この、日当たりの悪いささやかな空間を「雑草の園」と名付け、朝と夕方、カーテンや窓を開け閉めする時に必ずワクワクしながら眺めています。
一度、ここに足を踏み入れて、一つ一つの草花をじっくりと観察し、名前を調べたりもしたいと思っていたのが、いざ行こうとしてみると、窓から見ている時にはわからなかったくらい、実は深い深いプチジャングルだったのでした。カンタンには人を寄せ付けない、完璧に雑草だけの世界。

ここを眺めてワクワクする理由は、ほかにもあって、この小さいながらも雑草たちが自由を謳歌している空間は、村上春樹の「ねじまき鳥と火曜日の女たち」という短編のイメージを連れて来るのです。足りないのは、鳥の石像だけ。
空き家と草ボウボウの庭。主人公は失業中。奥さんは事務仕事をしながら、特技を生かした副業も楽しんでいる(なんて、理想的なんだ!)。あと3カ月で失業保険が切れる「僕」は、心穏やかとはいかない日々。だけど、うらはらに時間はまったりとしていて、僕がちょっとヘンな女たちとかかわろうとも、ビクともしない。そして、ネコ。
あの話の中には、私が心惹かれる(または共通/共感する)要素が詰まっている。

今日は、窓辺のお掃除をしたので、午前中に2回もわが雑草の園を観賞。
なので、土曜日ではあるものの、ねじまき鳥な日にすることを思い立ち、お昼はスパゲッティにしました。
BGMは、ロッシーニ「泥棒かささぎ」を探すのは面倒だったので、かわりにMジャクソンを追悼。
そして、昼食も終わり、ねじまき鳥はおろか、カラスすら鳴かない静かな午後となっています。
残念なことに、誰からも電話もかかって来ない。10分と言わず、心ゆくまでお相手するのに。

ネコを探す必要もないし…、あとちょっとしたら寝具を取り込んで、豆乳でも買いに行くか。。。(2号)

2009年06月22日

on 村上春樹1Q84と読書

1Q84。
〜村上春樹と私の読書〜

夏至には思い入れのある2号です。
今年の夏至だった昨日、例年だと落日を見届ける儀式を行うところ、そんな適当な場所に出かけるモードでもなかったので、日没とともに鍵盤が見えなくなるまでおピアノ弾いてみよう…という、なんだかよくわからないことを行いました。近隣の方々には迷惑千万だったかも。。。

さて、人並みに(?)村上春樹が好きなわたくし2号、昨日までに3人の人から「1Q84」を読んだか?的な質問を受けました。おそらく、今週会う予定の人からも訊かれると踏んでるところ。

結論から言うと、読んでません。

前にも、言った人には言ったと思うのだけど、ここでもう一度、私の、本好きでありながら決して読書好きとは公言できない読書方針というか、読書スタイルについて記しておこうと思います。

まず、長年、普通の勤労者だった私としては、いつしか、本を読むのはもっぱら通勤の行き帰りの交通機関の中になっていました。
よく、寝る前に本を読むという人がいて、本好きとしては、生活サイクル的に考えてもそれが最も適当な読書習慣だろうと思えるのだけど、人並み以上に目が疲れやすいためか、寝る前に本を読むと翌日の体調にすごく悪影響があることに気づいて以来、寝る前に本を読むのはやめました。
したがって、通勤のない今は、思いつかないとなかなか本を読みません。家で本を手に取るということが、上記理由から、ないに等しくなってるので、よっぽど意識しないと。
しかし、よっぽど意識しつつ、チラホラとは読んでるものもなくはないけど。

ちなみに、昔、借りた本を、誓って言うけど、本当に本当にホンの(シャレではない)ちょっぴりだけシナれた状態で返したら、えらく怒られたことがあって、それはすなわち、借りても読まずに返せってことか!?(つまり、手に持ってはいけないという意味で)と思って以来、借りた本を返すのは遅いです。借りた本は極力きれいな状態で返さねばという強い強迫観念が働くので、通勤時間に読むためにバッグに入れて持ち歩くなんてトンでもないということになり、すると、家で読むことになる=読書時間の確保がなかなかされないからです。

そして、私はタダでさえ、読むのが異常に遅い。
これは中学生の時にわかったのだけど、友だちといっしょに漫画を読んでる時、友だちがページをめくろうとすると、私が必ず「待った」をかける。その時、「まさか、この『シャーッ』とか『ボコッ』とかいうのまで、全部読んでないよね?」と冗談で言われて、「え?みんなは読んでないの!?」と答えた時点で判明した。
なんというか、私にとっては表現されてる文字のすべてが、とてつもなくありがたくてもったいない神聖なもので、一字一句を味わい尽くしたいという意識があるようで、加えて、漫画じゃない文字だけの小説などでは、著者がどのように表現なり描写なりをしてるかをじっくり吟味しつつ読みたくて、すると、読み方としてはゆっくり心の中で音読という形になり、味わい方としては一節一節立ち止まりつつ表現内容のすべてを頭の中で細かく映像化してみないと気が済まないということになっているのでした。
この世に、自分が生涯読まずに終わる本がいったい何冊あるだろうと絶望していた時期があり、しかし、このような私は、どんなにたくさんの本を読みたいと思っても速読術の習得は難しいだろうと、今ではあきらめました。
さすがに、社会に出てからは、仕事で必要な資料を必要な時間内に読まなければならなかったりする時に、ある程度斜めに読むということは覚えたものの、これも、自分が自ら望んで選んだ本じゃないからできること。

さておき、読書スタイルの第二。
まさに村上春樹氏に、世の中的には遅ればせで手を出した時にはじめて、なぜかそうしたいと思ってしたことなのだけど、そして、してみて自分的には大正解だったのだけど、執筆順(あるいは出版順)に読むということ。
別に誰から言われたわけでもなんでもなく、ただ直感的に、どうせ遅ればせで読むのなら、この人自身の変遷をたどりながら読んでいきたいと思ったのでした。
忘れもしない、世の中に、「ノルウェイの森」が出ていたころだったか。
プロの作家とて、文章がだんだんうまくなって行ったり、表現がこなれて行ったり、発想がだんだんすごくなって行ったり、ある作品から微妙に変わったり、新しいものが加わったり…絶対そういう変化はあるだろう、だったら、ちょうどいい機会だし、遅ればせながらこの人とともに時代を進み、この人とともに成長し、この人の変化をつぶさに感じてみたい。結果、春樹さんと同時代に、”春樹さん自身”と”春樹さんの描くもの”を体験しながら生きられることは、私の数少ない幸運の一つと思うに至る。
それ以来、その他の作家についても、この人はきっと私の気に入るだろうと思った人については、春樹さんの時ほど厳密ではないにしても、極力、順番に読むようにしてきました。たとえば、よしもとばなな、江國香織などは、その部類。
ちなみに、文章がうまくなって行く様が、一番如実に体感できたのは、よしもとばなな。
書く内容の変化して行く様がおもしろかったのは、やはり、春樹さん。特に、初めてセックス描写が出て来た時は「おぉっ、ついに!」と思った(下世話かもしれないけど、一番印象的だったので)。もちろん、社会的な関心の変遷や人生の変化(外国生活など)も著作に顕れてます。

その三。
本は文庫に限る。
部屋にハードカバーを保有する場所がありません。それに、本好きとしては、作家の方々を儲けさせたい気持ちはヤマヤマなれど、やはり、文庫の安さ、それと、通勤時に読むべく、バッグに入れて持ち歩いてもかさばらないコンパクトさ。
その三の2。
本は文庫、のみならず、仕入れは古本屋。
どんなにオモシロかった本でも、スペースがなくなれば古本屋に売ることになる。なので、しつこいようだけど、作家の方々を儲けさせたい気持ちはヤマヤマにもかかわらず、出費は小さい方がいいかと(でも、結局、春樹さんは売っ払ってません)。
ちなみに、この結果、読むのは文庫化後に古本屋に出てからということになり、私がやっと手にするその時は、もう次の次くらいの新作が世に出てるころということになる。。。

以上、本好きながら、読書好きとは公言できないわけなのでした。

で、話戻って、私がまだ1Q84を読めない理由。
もちろん、新作なのでまだ文庫になってない。当然、古本屋に文庫が出てるはずもない。
そして、実はなんと、この同じ理由が何冊分か滞って溜まっていて、私がつい先日やっと入手したのが「神の子どもたちはみな踊る」。その前に、「海辺のカフカ」を友だちから誕生日プレゼントでもらっていたにもかかわらず、「神の子どもたち〜」がどうしても入手できずに、そこで止まっていたために、カフカを含めた以降の作品も持っていても着手できずにいたのであり、したがって、今、1Q84を読むわけには、ゼッタイにいかない。
春樹さんの最大の難点は、古本屋でも常に品薄または在庫ゼロのことさえあるということなのだ。

ちなみに、私の春樹さん体験にも、ちゃんと現実時間に追いついて、ほぼリアルタイムに読んだ唯一の時期というのがあって、それが「ねじまき鳥クロニクル」の時でした。なぜ、それが実現できたかと言うと、友だちが出たばかりのハードカバーを貸してくれたからで、あの時ばかりは、やっと追いついたこともあり、重たいのをモノともせずにバッグに入れて通勤で読み、面白くて家でも読んでた気がする。
さらにちなみに、通勤時だけでなく家でも読まずにいられなかった本としては、春樹さんではクロニクルのほか「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」「羊をめぐる冒険」、ブロンテの「ジェーン・エア」、アーウィン・ショーの「はじまりはセントラルパークから」、ジョン・ダニングの「死の蔵書」などを覚えてます。

しかし、負け惜しみでは決してなく、どうせ遅ればせでスタートした春樹さん体験なので、今さら、厳密にリアルタイムで読まなくても(多少の同時代性は損なわれるのだが)。。。
それに、以前、何かに書いてあった、他作家(藤沢周平?)の熱心なファンの話はあながち冗談ではないと思ったりする。
すなわち、「これを読み終わってしまったら、次の新作が出るまでその作家の作品を読めないというのがイヤなので、次の新作が出るまで、今の新作を読まない。つまり、読む時は、これを読み終わっても次のがすぐに読めるんだという余裕を常に持っていないと」。結局、どこかで禁欲的な「待ち」があることにはなるっていうことなのだけど、この気持ちはわかる。私の場合は、ちょっと溜まり過ぎてる気がしないでもないけど。

いずれにしても、今しばらく通勤もないだろうし、がんばって長生きして、少しずつ読んでいくしかない。(2号)

2009年04月25日

on 町の本屋さんとミステリ

がんばる町の本屋さん(と作家)。

本を読むのは好きだが、読むスピードは異常に遅い、2号です。

時々、新聞のローカルページに、地元の本屋さんのコラムが載っています。
書いてるのは、「くすみ書房」の店主、久住邦晴氏です。

これまで読んだコラムを総合すると、雑誌や本に取り上げられたり、テレビに紹介されそうになったり(?)(何かの事情でその部分がぶっ飛んだ?)してる、知る人ぞ知る、ちょっと有名な町の本屋さんらしいです。
コラムも親しみやすいタッチで、楽しく読んでるのだけど、印象的なのは、当然と言えば当然なのだろうけど、よい本を紹介して、売れてくれたらうれしいという、そこへ向かう並々ならぬ情熱です。
まず、フェアが面白い。(コラムで見た)有名どころでは、「なぜだ!?売れない文庫フェア」とか「本屋のオヤジのおせっかい 中学生はこれを読め」とか。
後者は、リストを作って配布したりしてるうちに、某ローカル新聞社から刊行までされてしまった模様(たぶん)。

自分も本は好きなので、これまでの人生で、小説家になりたいとか、本の編集者になりたいとか、いろいろ思ってはみたわけで、もし、本を読むスピードが速かったら、本屋になって、じゃんじゃん読んで、自分が面白かったのを自前のP.O.P.なんか作ってどんどん紹介して、みんなに読んでもらいたい、そういう仕事もいいな〜なんて、思わないでもなかった。この久住のおじさんのコラムを読みながら、そんなウズウズをちょっと呼び覚まされたりしてます。

そして、このたび!!
ついに、わたくし2号、明日、この本屋に偵察に行くことにしました。
というのも、つい先日、また、コラムにちょっと惹かれることが書いてあったもんで、いざ鎌倉というか、善は急げな気分になったわけです。
くすみ書房では、地下のスペース(ソクラテスのカフェ)でイベントもいろいろやっていて、明日、ゲストに札幌在住の作家、松本寛大(かんだい)さんがやって来るのです。これまた(たぶん)地元にゆかりの柄刀 一(つかとうはじめ)さんとの本談義とのことで、テーマはミステリー。

何が興味深いかって言うと、松本さんは、サラリーマンのかたわら「玻璃の家」というミステリーを書いて、「第1回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞」を取った人で、この作品は、この本屋さんの第1回のイベントを聞きに来て、ゲストだった柄刀さんに励まされたことによって、なんとか完成させることができたというつながりがあるらしい。
それと、この賞が、広島県福山市主催で、かの地出身の島田荘司さんがたった一人で審査して決めるというものらしい。(なんて強引なんだ。。。)
たまたま立ち寄った本屋でこの「玻璃の家」を見たら、島田さんは、第1回にこの作品が来てくれて幸せ、みたいなことを帯に書いてた。
なんか、一人で決める賞っていうのも、潔いっていうか、ムリヤリっていうか…なのだけど、そこでここまで絶賛してるし、そういうのをサラリーマン生活のかたわら書いちゃうっていうのも(時々そういう人いるけど)なんなんでしょう…とにかく、そのコラムには、「この人たちって、いったいナニ?」が満載だったわけだ。福山市の担当者も含めて。

要は、松本さんががんばって執筆したお話を聞いて、心洗われつつ、努力というものと縁遠い引きこもり生活のプー太郎が、少しでも何らかの刺激を受けられればいいかな〜と。
それと、ちょっと面白そうな本屋さんの空気でも吸って、何か発見があれば楽しいかな。

ちなみに、「玻璃の家」には、参考文献がどっさり山のように書いてあって、これはナニ!?状態だったのだけど、すごく気になる。
ミステリは、そればっかり読むわけじゃないけど、決してキライじゃないジャンルで、知的好奇心をくすぐられる作品は、特にゾクゾクします。たとえば、私の数少ないミステリ経験の中では、ジョン・ダニングの「死の蔵書」と「幻の特装本」なんかはワクワクものでした。古本(稀覯本)がいっぱい出て来て、これも注釈の嵐な感じで…さらに本が読みたくなる(実際、読んだ)。

「玻璃の家」も、文庫になって、それがさらに古本屋に出て来たら、読んでみよう。(2号)

2007年08月14日

07.08.14 on 暑い!

あぢぃ。。。。。。

札幌在住 2号です。
この日曜日から、札幌も夏になりました。

今年の札幌は、6月とか早い時期に「暑いなー♪」(北海道人は、暑くなることを喜ぶ傾向がある)となり、7月のこれからだんだん本当の夏になるというころには、「さわやかだなー♪(しかし、ちょっと涼し過ぎ?)」みたいな感じになり、7月終わりから8月はじめにかけて、2週間くらい曇りと雨の毎日。気温のわりにムシムシ&ジメジメして、不快きわまりなく、「よくわからん気候だなー」となっていました。
なので、7月の、本当だったら夏らしい気候になるはずのころは、もしかして今年は、自宅の室内(かなり涼しい部屋なので)ではノースリーブを着たり、短パンやミニスカートをはいたりする必要のない夏なのかも…と、ちょっとさびしい気分でした。とはいえ、お風呂上がりとか、会社から帰って来たばかりの時は、汗が引くまで「セミ裸族」(日本の海辺でギリギリ違和感ない程度のカッコウ)してたんですけど。
それが、この前の日曜日、部屋の中にいても「なんだか、暑いなー」といぶかしく思っていたところ、友だちから電話が来て、話の最後に、ちなみに「今日暑いよね?」と訊いてみると、「外は30度を軽く超えてるらしいよ」とのこと。
そりゃあ、暑いわけだった。
だったら、昼間っからセミ裸族したい。法に触れるだろうか、年齢制限はあるんだろうかと思いつつ、いずれにしても、自宅内までは逮捕しに来ないだろう。。。と自主解禁しました。宅配便が来る予定もないし。

そして、週が明けても、依然として暑いわけです。この程度で暑いとか言うと、本州以南の皆さんには申し訳ないんだけど、今朝も、顔をまとう気になれず、化粧したくなーい。と思いました。が、朝から、公衆に見せてはいけないものを見せたとかで通報されてもイヤなんで、しかたなく、塗って描いてきました。でも、お盆休みの留守番で一人出社なのをいいことに、肩は丸出しのカッコウで、仕事させてもらってます(喋る人もいないので、はかどるはかどる〜。今は昼休み)。

全然関係ないけど、村上春樹のエッセイで、「全裸で家事をする人」について書いたのがあって、本人も、その反響(私もそうです!という人が、思いのほか多かった)に驚いたという後日談まであったんだけど、想像してみるに、私だったら、やっぱり最低限のものはまといたいだろうなと思います。形式的ではあっても、ある程度固定しないと(男女とも)なんとなくジャマだし、そういう時に限って、滑って転んだりしたら不必要に痛そうだな〜とか。。。(普段、掃除とかしてて転んだことはないけど)。

とにかく、暑いんで、今日はこういう内容になってるらしい。
暑苦しいから、何かを身につけてる状態が、気になってしょーがないわけです。。。

ついでに。暑いと、トイレになかなか行きませんね。
そういえば、妹と妹の友だちと私の3人でコンサートに行った時のこと。妹だけが途中でトイレに行ったのだけど、あとから妹が「二人ともトイレ行かない人だよねー」と。
その時のそれぞれの答え。
妹友「汗にして飛ばしてるから」(若さ溢れる発言)
2号「もう一度、体内回してるから」(若さ溢れない発言)

っていうか、本当のお年寄りなんか見てると、この暑さでもノースリーブ着てる人はめったにいないし、水分を積極的に取ってるようにも見えません。昨日、お墓参りで同行したうちの親も長袖着てたのでビックリ。暑くないの?と訊いたら、そうねぇと言って、袖をヒジのところまで折ってたけど、暑くてしょーがないって感じじゃないのです。代謝は落ちてるんだろうけど、熱中症で亡くなってる人もいることだし、おトシの方は汗をかいてる自覚がなくても、水分不足にはくれぐれもご注意ください。
暑さのため、とりとめがなくなって来たので、仕事に戻ります。(2号)

2007年06月27日

07.06.27 on 中年童貞

「中年童貞」

読書好きなのに、読むのが異常に遅い2号です。

こんな本が出たそうです。
渡辺伸さん著、だそうです。

そういうこと(=中年にして童貞)もあるんですね。。。

どうやったら(生きたら?)そうなるのか、興味あり。なので、本の紹介をチラッと見たのだけど、たぶん、スゴく腹が立つ内容なのではないかと思い、読むのやめようと。
自身のことを語った本という意味では、実話(?)なんだろうけど…。

というわけで、読後感を想像で↓。

なんだかんだ言っても、『努力』ってやっぱり大切なんだなぁ。。。(含自戒)(2号)

2005年11月16日

05.11.16 on きょうの猫村さん

一家に一人!「きょうの猫村さん」

雪の降る札幌から、2号です。

先週末、遠くに住む友だちに、久しぶりに会いました。
会う何日か前、「ネコ、好きだったでしょ?」との確認メールがやってきました。
ネコ好きの私が泣いて喜ぶものを持参するので、楽しみにするようにとのお達し。

フタを開けてみると、それは「きょうの猫村さん」でした。
表紙をひとめ見ただけで、絶対おもしろいに違いないと確信。どうして、今まで知らないで生きて来られたんだろう?あまりに遅ればせの出会いだったわけだ。

友だちの解説によると、会員だけが見られるCATV向けのネットサービスのサイト(http://www.jp.home.com)の中で、毎日一コマずつ更新されているマンガを本にしたものとのことで、この「毎日一コマだけ更新」されているということを肝に銘じて読むこと、と、念を押されました。
なるほど、それを意識しないで読むと何ということもない一コマ一コマが、おそらく、ネット上でリアルタイムだと、「へっ? 今日はこれだけ?」っていう日が何度かあっただろうと思われ、ソコハカとなくおかしいのでした。
あるいは、続けて読むとすっ飛ばされるようなコマが、ものすごく意味ありげでナゾに満ちた重要なシーンだっただろうと想像されたり。

ちょっと、ネタバレありのツボ紹介を。
猫村ねこ。彼女は、正真正銘ネコなんだけど、スーパー家政婦なのです。
ネコの常として、掃除機かけだけは、最初は苦手だったらしいけど。
そして、「できる」家政婦なのに、エプロンのヒモは「たてむすび」。
流し台が高すぎるので、スツールに乗っかって茶碗洗い。
「あたしンち」の母のように、家事の時、いつも同じ鼻歌を歌う。
得意料理は「ネコムライス」。
猫舌なので、自分のいれるお茶がぬるいのではないかと気にしている。

ネコの常として、時々、ゴロンとして、まったりする。
同様に、ソワソワするとツメを研ぐ(段ボールなどで)。
ビックリ(コーフン)すると、やっぱり毛が逆立ってしまう。
マッハで走る時は、四本脚になる。

得意ワザは、マッサージ。これが、ネコをよく知る人にはたまらない、あの「モミモミ攻撃」なのであった。(やってほしー)。

プロ意識は、イチロー以上(かも)。
大マジメなところが、けなげで涙を誘う反面、時々、トンチンカンとなる。
連ドラや2時間ドラマが好き。しかも、それを日常生活に生かしている。
頑固なまでに我が道を行ってて、負けず嫌いでもある。
(でも、夜行性なのに、暗がりが怖い?)

そして、本物のネコがそうであるように、上からの視線で見ると、頭のラインがとってもかわいい。

絵柄は、私が子供のころに描いてたマンガ(らしきもの)を彷彿とさせるタッチで、しかも、たぶん鉛筆描き。そこに加えて、いかにも「セリフ」という感じのネーム。登場人物たちの濃すぎるリアクション。
どれをとっても、誰もが子供のころに遊びで描いてたマンガを思い出させるという意味で、懐かしくて、ついでにちょっと気恥ずかしい。全体に漂う雰囲気も、少し前の時代、って感じだし。
ステレオタイプなストーリーばかりを何重にも組み合わせてるところが、逆に、王道を行ってて大変よろしいです。ポイントは、猫村さんがネコであること。これに、尽きます。

会員じゃないので、サイトのコマ更新をリアルタイムで見られません。間違って、このために会員になってしまう人が少なからずいるだろうと思われるほど、続きが待ち遠しい。今、いったいどこらヘンまで進んでるんだろう? 外国語の勉強は始めたんだろうか? っていうか、2巻めはいったいいつ出るんだろう?(2号)

SS-1595

きょうの猫村さんお試し版はこちら

2005年07月22日

05.07.22 on いるかホテル/電車男

夕暮れ時のいるかホテル

村上春樹好きの2号です。
でも、古本屋に文庫が並ぶタイミングで読んでるので、ちまたの正しいファンの方々より何クール(?)も遅れています。

さておき。
今の時期、日が長いので、一日の仕事が一段落して、もう一段落やるか店じまいするかっていう時間帯(18〜19時くらいの間)には、まだ、外が薄暮だったりします。だから、ぼんやりと窓の外を眺めたりします。この感じが、とても好きです。
そして、暮れていく空や、道を歩いてる人たちや、周りのビルたち、その中で働く(まあ、残業中ってことです)人たちを眺めてる時、たびたび頭に浮かぶのが「羊をめぐる冒険」です。

札幌の、古びた「ドルフィンホテル」。
その向かいにあるビルと、その中で働く人たち。
これを初めて読んでる時、私の頭の中では、札幌の街の中の最中心部を若干はずれた、とある一角の風景がだんだんと定着していって、絶対あのへんのエリアだという確信を持つようになってました。
実在はするけど、ひょっとしたらあちこちに分散して存在する風景をかき集めたものかもしれないなぁとも思いながら。

ちなみに、ドルフィンホテルのモデル(モデルがあるならば)に関しては、私の頭の中のマップの同じようなエリアに似たようなホテルが二つあって、どっちも捨てがたく、どっちでも大差ないか…って感じです。
これらのホテルは、私が最初に思い至ったころと同じように今も存在してるのかすら定かじゃありません。確か、片方は改装したような気もするし。もう片方はなくなってるかも(?)。
しかも当時、実際にそれらのホテルに入って、雰囲気や内装などを確かめたわけでもなく、しかも、おそらく内装なんかは違うんだろうなという確信まであったのに、どうしても、「あそこだ」という思い込みから抜け出せません。
とにかく、それらのホテルの外観と周りの環境、そのエリアのイメージ、それらのホテルの名前の醸し出すイメージ、ホテルの規模、ランク(?)的なイメージetc.  そういうものの総体として、ドルフィンホテルにぴったり来てたのでした。

それからだいぶ経って、友だちと村上春樹の話をしてたら、なんともびっくりしたことに、その友だちが同じことを言ったのです。「あれって、あそこらへんじゃない?」と。
なんとまぁ。
それ以来、たぶん、だから、ひょっとして、本当にそうかも、と、密かに思ったりしてます。

札幌のその界隈を、村上春樹は少なくとも歩いたことがある。たぶん、夕暮れ時に。
そして、中には入らなかったかもしれないけど、とにかく、自分の中にある古びてこじんまりしたホテルのイメージとぴったり結びついた。
周りの、決して新しくない中小規模のビル群の独特のイメージもしっくり来た。
もしかして、泊まって、向かいのビルの中で働く人たちを実際に見たのかも。私が会社の窓から時々するように。

どうでしょ。 違いますか? 春樹さん。(2号)

※札幌の中心部を挟んで、うちの会社と対角線上のかなたにあるそのエリアに、行って見定めたい衝動に、時々、駆られたりもするのだけど、なんとなくもったいなくて、できずにいます。
もしかして全然違ったら、夢(?)が壊れるし。
※ちなみに、読み返してみたら、「僕」(=春樹氏?)は、札幌の街は広すぎて直線的で、歩いてると疲れる。と、述べています。残念ながら、お嫌いなようです。

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電車男、加速

けっこうちょくちょく、このブログに「電車男 愛別」の検索でお越しになる方がいて、同じ部分が気になった人がたくさんいるんだなぁ、と、感慨深く思っています。
昨日、愛別町の人が登場しなかった気がしたんだけど、先週からそういう流れになったのか、たまたま出なかったのか。 あれ? 奥さんのところに帰ったの?
集中力が途切れてその部分を見てなかったのかな、どうして昨日出て来なかったのかわかりませ〜ん。
とにかく、昨日も思わず声に出して何度も笑い、はたまたホロリとし、今や、かつての「エースをねらえ!実写版」の時を再現するかのように、毎週木曜の夜は、TV見て一人で泣いてます。エースは滝のように泣き、電車はウルウル程度(+笑い)っていう違いはあるけど。
それにしても、あんなにうまく行くもんだろうか??

2004年10月28日

04.10.28 on 読書の秋

昨日のDVDの投稿を見て、その長さに自分でイヤになった2号です。申し訳ありませんでした〜。でも、どこかにメモしておきたかったっていうか…。

それと、書かなくちゃと思っていて、ずっと忘れていたことがありました。
1号ファンの皆様、最近、1号の投稿がないのは、諸事情から2回目の隠遁生活をしていたからです。今は、下界に下りてきましたが、隠遁中にたまった仕事で忙しいとのこと。ちなみに、差し迫った必要から、禁煙には成功したようです。
しばらくは、書き手でいてもらいたいと思ってますので、最低でも3号を見つけるまでは手放しません。ファンの皆様、ご安心ください。

以上、お知らせでした。

開運金箔だより

〜店員の本棚

秋をすっ飛ばして、ほとんど冬に突入かという感じの札幌です。溶け残った雪の上に、まだ全然紅葉してないイチョウの葉っぱがたくさん散ってました。
ともあれ、本州以南では、正真正銘「読書の秋」。
秋の夜長は、ゆっくり読書。 ああ、ぜいたく。

さて、開運金箔ドットコム店長の本棚は、斉藤一人さんの本でいっぱい。
店員2号の本棚は、というと、娯楽関係ばかりなので、あまり紹介する価値ありません。
でも、します。

【日本】
・村上春樹 ほぼ網羅。
・よしもとばなな ほぼ網羅。
・江國香織 半分くらい。
・昔の落合恵子。
・詩集 ちらほら。
・その他 「天上の青」「理由」などなど雑多に。
※次は、「博士の愛した数式」など行きたい。

【海外】
・レイモンド・カーヴァーもの。
・カポーティの短編集。
・赤毛のアン 全部。
・ムーミンのコミックス 3巻。
・その他 「はじまりはセントラル・パークから」、「さようならコロンバス」、「ジェーン・エア」、「あしながおじさん」(笑)などなど雑多に。

【ミステリー】
・検屍官シリーズ 全部。
・Jダニング 「死の蔵書」「幻の特装本」。
・「図書館の死体」シリーズ 全部。
・その他 「理由」などなど多少。
※次は、ちょっと、逢坂剛とか行ってみようと企み中。

【その他】 絵本、童話、児童文学がけっこういっぱい。(かさばるので場所を取ってます)。
あぁ、漫画もあるなぁ…。

読み終わっても手放さずに所有してるのは、こんな感じです。まったく、節操なし。しかも、古い本ほど捨てられません。

Jダニングは、店長のおすすめでした。
自分の知的好奇心をくすぐられてみたい人は、ぜひ、どうぞ。
最近は、ダヴィンチ・コードなども、食指が動きますね。

読むのは、もっぱら通勤途中が多いうえ、読むスピードも遅いので、一生のうちに読みたい本を全部読めないだろうって思うと、とってもさびしい気分になる今日この頃です。(2号)
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