2012年09月19日

on 平均。

このわたくしの中を駆け抜けていった
日本人の体躯の向上。。。


雨ですね〜2号です。週末晴れてくれればいいんです。

さて。これを、わたくしはずっとメモっておこうと思っていました。
日本人女子の体躯がいかに変わっていったか。

まず、私について言えば、身長160センチ、体重ン…キロ。おそらく、かなり平均的かと思われます。少なくとも、同年代においては。
多少、昭和のニオイはしますが、昭和の中でもやや先端くらいは行っていたのではないかとも思います。なぜかと言うと。。。

ちなみに断っておきますが、これはいわゆる美容的に言うところの「スタイル」の話ではありません。あくまで、「体躯」の話です。

で、なぜかと言うと。。。
私が子供のころは、既成の服を買うと、袖が短かったのです。それはなんとなく覚えてました。親もそう言っていたし。
ある日(中学生くらいか??)、鏡の前で全身を見ていた私は、何かがおかしいことに気づきました。どういう勘違いか、人間たるもの、腕を両脇に垂らすと手先(までの腕の長さ)は脚の付け根のところで終わっているものだと思い込んでいたので、自分の手先が脚の付け根ラインを大幅に超えていることに驚いたのだった。本当は誰でもそうなのだけど、私の体は間違っている、おかしいと、親に文句を言おうかと思ったくらいショックだった。
自分は異常に「腕が長い」のだ(なのに、脚は短い!とWのショック)というコンプレックスを持つことになった。

これはもちろん、その後、誰でも脚の付け根以上に手は長いと気づいたし、「手脚は長い方がいい」(あくまでも、「脚も」なのだが)という意見もあると知って、どうでもよくなった。そして、ここが大事なのだけど、子供のころみたいに、既成の服を買って袖が短いということもだんだんなくなっていった(そのかわり、肩周りがきついとか袖ぐり(ワキ)から胸にかけてがきゅうくつということはよくあったけど、たぶん肩張り体型のせい)。

さらにその後、今よりもっと若かったころのけっこう長い期間、洋服屋さんで試着をすると、「採寸して作ったみたいにピッタリですね」と言われていた。それは、いわゆる「M」とか9号とかそういうサイズで、つまりはごくごく標準的ということだ。私が、日本人の平均にぴったりとおさまっている時代がやってきた。

それからしばらくすると、スカートなどのウエストがふつうサイズで63センチだったものが、64という商品が出始める。まあ、お年ごろ的にその部分はそうあってくれるようになって助かったのだが。

しかし。さらにのち、今度は、ふつうサイズのスカート全体がガフガフするようになった。いや、正直に言うと、ウエストはあっていても、おケツ周り(自分ではおケツも十分幅をきかせてると思っていたのだが)が大きい。(ワンサイズ下げるといいのだけど、それだとハラが。。。)

こ、これはつまり。。。
日本人女子の下半身が、いよいよ欧米化してきたってことなのでしょうか!?

腰が張って脚が長い。ついに、昭和の私を超えて、そういう女子が平均化しつつあるということ。これを、既製服が如実に物語っている。

なで肩が減り、腕が長くなり、胸も大きくなり、というところまではリアルタイムで身近に見てきた感じがするけど、それ以上の、下半身の話になると、もはや世代が違う遠い世界という気がする。街中でしかお目にかかれない、何か珍しいものっていうか。

このわたくしも、上半身まではやや昭和の先端だったと思うのだが、下半身は昭和のど真ん中止まりだったようだ。まさに、昭和と平成の間に位置する標本。そして、もうすぐ完全に淘汰される体型に違いない。
というわけで、最近、パンツの裾を上げてもらうと、これ見よがしの長〜い切れ端が返ってくるようになっております…(T ^ T)(2号)

※っていうか、ごく最近は、上半身も背中周りとかだんだん標準サイズが合わない(大きい)感じがするようになってきた気がする。それでいて、ハラ周りだけが標準以上サイズとは、いったいどういうことなのか。。。



posted by 2号 at 14:05| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 流行・社会現象・ブームなど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月03日

on 東日本大震災。

震災から3週間、今の気持ち。

しっかし、明けない夜はないとよく言うけど、溶けない雪もないね〜2号です。なぜか今年は春の入り口がビローンと引き延ばされて、この週末も平気で雪が降ったりしてるけど、もう道路のアスファルトはほとんど出てるし、積もることはない。昼間は「寒い」と意識することもない、そんな気候になってます。

さて、今日書くこと、こんなふうに感じるなんて、私、ちょっとアタマがおかしくなってるのかもしれないけど、このごろの同じ言葉、言い回しの蔓延に、ちょっとゲンナリしてます。

一般の人は、「自分に何ができるのか、どうしたらいいのかわからなかったので、(有名人が)こうして募金活動してくれて、協力できてよかった」

有名人は、「自分にできることをしようと思って…」「自分が○○することで勇気や元気(や感動)を与えれればいいなと…」

同じ国民として、未曾有の国難に心一つに立ち向かうのはいいことだし、そうすべき、そうあるべきだし、みんな同じこと言うのも心が一つであることの証左だと思えばいいのかもしれないけど、同じ内容を言うのでも、もう少しそれぞれ違うふうに言えないのかなぁ。
マイクを向けられることに慣れてない一般の人がいきなり問われて、どこかで聞いたことあるセリフをとっさに言ってしまうのはしかたないとしても(私もそうなるだろう)、著名な人たちはもうちょっと自分なりの言葉、表現ってできないのだろうか?

あるいは、一般の人の場合は、ちょっと個性的なことを言ったとしても、マスコミが放送時にカットしてるのだろうか?つまり、言ってほしいことを言ってくれたコメントだけを選んで放送してるとか?

それに比べて、被災された方々の言葉は、それぞれがそれぞれに個別で、重い。当然と言えば当然なのだけど、とおり一辺のことしか言えない非被災者の言葉とそれぞれの思いを口にする被災者の方々の言葉の間に感じるギャップというものが、また例の、被災しなかった自分のミョーな罪悪感をよみがえらせそうになって、心を遮断したくなったりする。

それにしても、です。
自分がアスリートだったとしたら、「私が○○する姿を見ることで(被災者が)勇気や元気を〜」なんて、口が裂けても言えないな。
もちろん、一部、そういう発言してもこっちも違和感なく受け取れる人もいるんだけど(こればっかりはどうしようもなく)、どうして猫もシャクシもみんな同じこと言うんだろう。自分を見てどうこう思ってもらうなんて、どうでもいいじゃない。
復旧・復興のためにできる支援をしていきたい。そして、少しでも早くスポーツを見ることを楽しめるくらい元気になってほしいと思います、とか、それくらいでいいんじゃないの?って思っちゃいますが、そんなところに違和感持つ私って、やっぱりアタマおかしくなってるでしょうか。
一人くらい、私にできることは微々たることですが、被災者の方々が力強く町を復興させ、平穏な日常を取り戻す日が来ることを信じています。みなさんの強さに負けないように、私もがんばって行こうと思います。みたいに言う人はいないのか。どっちかと言うと、ヘタレな私はこっちな感じなんですけど。

原発の問題はまだまだ進行形だし、いぜん行方不明のままの方々も多いことから、今はまだ前を向けない方もいるでしょう。でも、そろそろ、非被災者の私たちは多少の落ち着きと余裕を持って、冷静に自分の頭でものを考えたり行動したりする時が来てるように思います。募金ほか、有形無形の支援行動はもちろん続けていきたい。でも、それと同時に、紋切り型の言葉と思考ではなく、一人一人がこの震災後の日本をどうしていきたいのか、自分の意見を持ってそれを発言していかなくちゃいけない。
16年前、阪神大震災の時のあの大ショックを受けて、日本人の価値観がガラリと(よりいい方、より高次な方へ)変わるのではないかと言われていたし、私もそんな気がしたものだった。でも、世の中はよくなったようには思えない。もちろんその他の要因もあってのことだけど。
今回はさらに規模の大きな災害となり、再びいろいろなことが問われている。被災地の復興と平行して、今出てきた問題を解決していくことで、元に戻す以上に前よりもよい日本に変えていかなくちゃいけないんだよね。と、相変わらず紋切り型の多いテレビ放送を見ながら思っておる今日このごろです。(2号)

※あ、近年少なくなってきてるけど、永久凍土というものがあったか。。。(冒頭のどうでもいい前フリの話だけど)

posted by 2号 at 22:25| 北海道 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 流行・社会現象・ブームなど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月24日

on 植村花菜「トイレの神様」

トイレの神様。

天気はいいけど、寒い…2号です。
もうこの話題はやめようと思っても、やはり天気の話は不滅だ。。。

今、「トイレの神様」という歌が好評のよう。
何度かラジオで聞きました。
そして、驚いたのは、これを作って歌ってる人も、これを聞いてラジオ番組に反応して来たリスナーもそうだったのだけど、「トイレに神様がいる」というような伝承(?)は、自分の家だけで言われていたことだと思っていたという人が多いってことです。
私は、夜に爪を切ると親の死に目に会えないとか、夜口笛を吹くとお化けが来るとか、その手の「注意事項」的なものと同じくらい、「トイレの神様」は普及してる話だと思ってました。もちろん、うちでも言われていたし。

ただし、このトイレの神様については、上記の言い伝え(?)のように、決まった言い方ではなく、個々の家や状況によってアレンジがされているようです。
たとえば、この歌に出て来るおばあちゃん(歌を作った人の実話)は、「トイレにはべっぴんの神様がいて、トイレをきれいにすると、べっぴんにしてくれる」みたいな言い方をしてたようだけど、よくあるのは、妊婦向けに言う「トイレ掃除を一生懸命すると美人(美男)の赤ちゃんが生まれる」ってヤツだろうと思います。

”夜爪”とか”夜口笛”とか、この手のは、そうするとダメな理由が別にあって、それをさせないための脅かしとして、子供だましなわかりやすい警告になってると思う。つまり、昔は明かりが十分でなかったので、夜に爪を切ると切り過ぎたりしてケガしやすいとか、爪の形が悪くなるとか、パチンパチンの音が夜には気味悪いとか、そういうことだろう。
口笛も、夜は気持ち悪いから、ってことだろう。本当に呼んじゃうかもしれないし。

トイレ掃除は、中腰とかしゃがんだりした状態で手を動かしてやるので、それが妊婦にちょうど良い運動になり、安産につながるということや、(美人な)赤ちゃん(を生む)のためと思って心を込めてやると、穏やかな気持ちになって胎児によい影響を与える(一種の胎教?)みたいなことがあるのだろう。あとは、下世話な話、胎児のいる位置とトイレは近いので、トイレが汚いと赤ちゃん的にもイヤだろうってこともあるかも。

妊婦に言う場合じゃない時は、トイレをいつもきれいにしてると幸せになるみたいな言い方が多いと思う。人間の生理的なことを処理する場所として、地域や時代によってはトイレは神聖な場所とされたこともあるみたいだし(汚いところを汚いと思わせないための知恵?)、排泄は人間の営みの基本の一つなので、そういう暮らしの根っこの部分はきれいにしておくべきということを、誰かに喜んでやらせるために、そんな言い方をするのでしょう。半分だましてるようなもんかも。

自分の家だけで言われてることかと思っていたと言う人が多いのは、もしかして、その家でトイレ掃除を担当させられる役回りの人が限られていて、その人にしか語られないことだから、かも。少なくとも、その家の夫や息子は、そんな話を聞かされることなんてないのが、今まではふつうだったと思われる。

でも、人の嫌がることを進んでするということは、やはり尊いことで、それは、トイレのじゃなくても、どこかの神様が見ていてくれるかも。そして、ご褒美として幸せをくれることはあるかもしれない。いずれにしても、それがどこであれ、きれいにしておくのは悪いことじゃないし、楽しい気分でできるなら、それに越したことはない。

かく言うわたくし2号。
これまで、さまざまなクジ運の悪さを何度もここで嘆いているのだけど、高校の時、2期もトイレ掃除が当たりました!
我が母校の放課後の掃除当番は、自分たちの教室のほかに、共有部分のどこか1カ所がクラスごとに割り当てられることになっていて、1年を2つか3つに分けた期間ごとに担当部分が改編されてたのでした。
私の(いた)クラスは、1年の時にトイレが1回当たり、そして、2年だったかクラスも変わってたのだけど、私はまたトイレが当たりました。たとえば、音楽室、なんてのが当たるクラスと、何という雲泥の差なのでしょう!!
私はこんなころから見事なクジ運を発揮していたってことなのか。クラスのみんなは、まさか私のクジ運のせいでトイレが当たったのだとは露知らずだったと思うけど。

当時は和式が主流で、かなりつらいものがあり、ある時なんぞは、穴ではなく、穴の脇、つまり床部分に立派なソレがのっそりと鎮座していたことがあり、その時はさすがに絶句しました。
先生に泣きついたら、先生は、掃除ブラシでソレを穴(つまり○器)に落としてくれたのだけど、みんな終始無言でした。。。(若干、涙目で)

一方で、手洗いの洗面台の、排水口の中に引っかかってる髪の毛まで取り除いてきれいにしていたということで、褒められたりもしてました。

結局、この2期にわたるトイレ掃除担当で、神様がご褒美をくれたかどうかは、よくわからない。現役で大学入試に落ちたことだけは覚えているが。。。一番の汚れ仕事を先生にやってもらったので、自分にはウンがつかなかったということかちら。。。(2号)
posted by 2号 at 20:46| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 流行・社会現象・ブームなど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月12日

on 同級生

会いたいお年ごろ。

私には、常日ごろ不思議に思うことがある…2号です。

秋からのお部屋の大お片づけ大会(別名、持ち物仕分け)で発掘したモノの中に、学校時代の文集というのがありました。
その中に、課外クラブじゃなくて、必修クラブで入っていた文芸クラブの作品集があって、自分のもののほかに、とある人の作文を見つけました。
そのページを切り離して、私は、その人の兄弟を通じて本人に渡しました。

そんなことができた理由が、上記、不思議に思うことから来ています。

人はなぜ、ある年代になると、それまで以上に昔が懐かしくなり、その気持ちが高じて、実際に会ったりまでするのでしょうか。

「ある年代」というのは、諸事情からあえてぼかしてますが、そう言われただけで「あぁ、○歳前後だな」って誰しも心当たるのではないかと思うくらい、みんなもそうだと私は確信してます。

私自身は、いろんな理由から、長い間、自分が生きてるのが仮の人生という気がどこかでしていて、本当の人生になるまではこんな自分を昔の知人たちの前に出せないと思ってるところがありました。
誰の歌だったか、「クラス会に誘われても行かない自分」というのが出て来る歌があって、「その気持ち、すごくわかるなぁ〜」と聴いていたものです。

ところが、です。
なぜか私の中学や高校では、大々的な同窓会をやっていないか、大々的じゃないために一介の普通の生徒だった私のところまでは開催のお知らせが来てなかったか、とにかく、一度も同窓会というものがないor参加したことがない状態。
それが、「ある年代」にさしかかった途端に、毎年「今年こそ会いたいねー」と結局は社交辞令のごとくに書き続けて来た年賀状のセリフが、いきなり本当になり、仲の良かった女子数人と集まることに。
その声がかかった時はビックリしたものの、「クラス会に誘われても行かない(だろう)自分」がすっかり変わっていたのか、自分自身も実際本当に会いたいという思いが不思議とものすごく強くなっていて、素直に喜んで会いに行ったのでした。その後、それは、幹事役だった子の家庭にある事情が生じるまでは毎年続いてました。

さらには、そうやって会い始めた2年めくらいだったか、今度はなんと、同学年の全クラスという規模の同窓会のお知らせが来てビックリ。発起人のところに、ちょっとワルかったアイツやアイツの名前が…。でも、そんなことはおかまいなく、当然行く!という気持ちでホイホイと出かけて行き、懐かしい面々と会って楽しんでる自分がいました。

あとから、この自分(たち)の変化はナンだ!?と思ったものです。
しかも、そんな年代になってるせいかミョーに懐かしいのはもちろん、彼らとともに過ごしていたその時代が必要以上に(?)愛おしい感じがして、グッと来てしまうのです。

私の場合は、そもそもが同窓会、クラス会と縁がなかったから、よけいにそう感じるのかとも思い、ちなみに周りに調査。
すると、友だちの学校なぞは伝統的に、○年卒組がその「ある年代」になる時に全同窓生を対象にした大々的な同窓会の幹事をやることになってることが判明。しかも、それを機に、同期生たちの交流が復活して、定期的に飲み会などやって会うようになるという現象が例外なく起こっているらしかった。(なぜか私も誘われて、全然関係ないのに友だちのその飲み会に行っていたこともあった)。だから、1個上の先輩たちから次の年の幹事役を引き継ぐ時は、幹事をやればそういう「いいこと」があるから、率先してやれと勧められるのだとか。

また、ある友だちは、これまた驚いたことに、既成の同窓会は普通にやっているのは知っていたけど、自分の仲の良かった同期生も出席しないので、一度も出席したことがなかったのが、やはり「ある年代」前後に突然、親しい間柄の人たちが有志で独自の同窓会を開いて、喜んでそれに出席し、楽しかったと。

やっぱりだ。。。

そういえば、ついでに、同級生とやり取りしてる年賀状には毎年メールアドレスが書いてあったのだけど、その「ある年代」の時に初めて実際にメールが来たってこともありました。それで、しばらくの間、懐かしネタや近況をやり取りしてた。
そうだ、それとはまた別の同級生たちの間でメーリングリストができたのも、まさに「ある年代」の時!

人間の老化(?)のプログラムに、この「ある年代」が何らかの節目としてそういう行動を起こさせるように、遺伝的にインプットされてるのかなー。
確かに、人間のライフステージを追って行くと、何らかの区切りがありそうな年代でもあるし、ある意味、それだから少し余裕が出るのか、昔をふと振り返るタイミングなのかもしれない。

というわけで、私は「ある年代」時の同窓会で同級生と会っていたために連絡先を知るところとなっており、今回出て来た作文を渡すことができたのです。その作文は、その人の1期上のお姉さんのものでした。
まあ、そんな昔のものを渡された本人は迷惑だったかもしれないけど、すばらしい内容だったので、ぜひ渡したいと思って。

以上。
時々この年代現象のことを思い出してはバク然と不思議に感じて来たのだけど、今回の作文の一件があるまでは、こんなふうに文章にして記そうとまでは思わず、葬り去られていたかもしれないくらいのちょっとした「?」だったのだが…。持ち物仕分けのおかげで、思いがけずよい機会になった。。。(2号)
posted by 2号 at 23:56| ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 流行・社会現象・ブームなど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月13日

on 基準

仕訳基準と、なぜか鼻毛。

事業仕訳って…楽しそうだな〜2号です。

全然関係ないけど、わたくし2号、先月から「モノ仕訳」をしてるわけで、必要かどうか、必要だけど今保管しておく必要があるか…などと、一人議論してるところです。税金を投入してるわけじゃないので誰が文句言うんでもなく、また、この1週間以上、何かと忙しくて途中で放ったらかしにしてるので、遅々として進まず。。。

さらに全然関係ないけど、ずっと気になっているのが、「鼻毛」。
よく、恋愛トーク番組やお笑い番組で、「鼻毛が出てる」のがどーのこーのって話題に上ることが多いけど、この鼻毛ってヤツが、ことさら、何らかの基準になってることが、どうしても私にはピンと来ないのです。
だいたい、テレビで頻繁に話されるようになる以前には、私の中には「鼻毛」という概念はないに等しかった。
確かに、鼻の中に毛は生えてるが、その存在をまったく意識しないままに生きてました。
さらに、それが「出てる」とは??
しかも、それはそんなにいけないことなのか???

そういう人を見たことがないと思っているのは、ふだん、まったく気にも留めてないからなのか??

そういう状態を見たら、幻滅するものなのか?
人間なんだから、毛は生えるもんだし…。そんなの、かわいいもんじゃないのか??
少なくとも、好きな相手なら無問題と思われる。。。

試しに、誰か、私とまったく利害関係のない人に、鼻毛が出てる状態を見せてもらいたいと、ずっと思っているのだが、いまだかなわず。。。(2号)
posted by 2号 at 23:41| ☁| Comment(6) | TrackBack(0) | 流行・社会現象・ブームなど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月18日

on 心理テスト?

アメリカのゲーム??

よくだまされます、2号です。
昨日、友だちからメールが来て、こんなのがコピペしてありました。
「けっこう当たるから〜やってみて〜♪」とのこと。

ゲームは好きだし、3分でできるって言うし…別にやってソンはないし…
あえて、だまされてやってみるか〜と、やってみて、「え”〜〜っ!!」と肌が粟立ちました。
っていうか、ショーゲキ的過ぎて、倒れそうになった部分もありました。

しばらくして、冷静になって見てみると、「まあ、普通はそうなるわな〜」という部分もなきにしもなのだけど、それにしても…。
思わず、心の中が整理されたり、あらためて「そうなんだよな〜」と再認識させられちゃったりするかも。

一応、コピペします。興味のある人はやってみてください。。。


これはアメリカのゲームです。一度やってみてください。
これは、たった三分でできるゲームです。
試してみてください。
驚く結果をご覧いただけます。
このゲームを考えた本人は、メールを読んでからたった10分で願い事が叶ったそうです。
このゲームは、面白く、かつ、あっと驚く結果を貴方にもたらすでしょう。
約束してください。絶対に先を読まず、一行ずつ進む事。
たった三分ですから試す価値ありです。
まず、ペンと紙をご用意下さい。先を読むと願い事が叶わなくなります。
1、まず1番から、11番まで縦に数字をお書き下さい。
2、1番と2番の横に好きな3〜7の数字をお書き下さい。
3、3番と7番の横に知っている人の名前をお書き下さい。(必ず、興味のある性別の名前を書く事。男なら女、女なら男、ゲイなら同姓の名前を書く。)
必ず一行ずつ進んでください。先を読むとなにもかもなくなります。
4、4、5、6番横それぞれに自分の知っている人の名前をお書き下さい。これは家族、友人誰でも結構です。
まだ先を見てはいけませんよ!
5、8、9、10、11番の横に歌のタイトルをお書き下さい。
6、最後にお願い事をしてください。さてゲームの解説です。
※続きは→このエントリの自己コメ欄を見てください。


部分、部分で、ふと選んでいる順番というか、潜在意識的な優先順位というか…そういうビミョーな心理的なアヤがポイントなのかな。

わたくし2号…、この結果に、マジでちょっとショックを受けてます。
っていうか、皆さん、明日からの人間関係に注意してください。決して、この結果に振り回されないように!!(って、自戒か!?)(2号)

※細かい疑問:
>このゲームを考えた本人は、メールを読んでからたった10分で願い事が叶ったそうです。

って、ナニ??
「ゲームを考えた本人がメールを読む」って…なんのこっちゃ??



posted by 2号 at 10:02| ☁| Comment(5) | TrackBack(0) | 流行・社会現象・ブームなど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月22日

on ダルビッシュくんと皆既日食

ダルビッシュくんと皆既日食。

プロ野球公式戦、前半戦の最終戦in札幌ドームに行って来ました、2号です。

日食?
そんなもん、ありましたっけ??

っていうか、その時間帯だけ絵に描いたように、完璧きれいな曇りだった札幌。
朝、ゴミを出しに行った時は、もっと空も明るくて、見上げると雲があってもまぶしいくらいで、これから晴れるかも?な雰囲気だったのに、その時間が近づくにつれて暗くなって行き…もしかして、すでに欠けてるせいで暗いのかも〜??と気を取り直し、わたくし2号としては、かなり不自然な時間に(つまり午前早々の11時10分ころ)、広めの駐車場があるという意味不明の理由で、いつもとは違うスーパーへウロウロと買い物に行ったのだけど(手提げの中にミョーなメガネをしのばせて)…。本当にきれいに全体に雲がかかっていて、どこに太陽があるのかもまったくわからず。見ていてまぶしい部分もない。
曇り空のことを、こんなに端正で、あっぱれなまでに完璧だ、と、逆に賞賛したのは生まれて初めてだった。。。
っていうか、行き会う人誰一人、空なんか気にしてない。皆さん、大人ですな〜。

悪石島まで行って、雨にたたられたよりはいいか。(でも、あちらは、真っ暗体験はできてよかったね。。。)

しかし、ちょっと気になっているのは、夕刊を見ると、札幌でも別の地区では、「雲に見え隠れする部分日食を観測する人々」の記事が出ているじゃあ、ありませんか。。。
もしかして、私(=私の住んでるところ)だけがたたられているのか??
さらに気になることに、東日本は全滅と思っていたのに、今、ニュースで東京辺りで一瞬見ることができた人々の映像が流れていた。
やはり、私?(こんな感じで
私がダメなの?安易に、近所で見ようとしていてはダメだったのか。。。

っていうか、昼過ぎて、ハッと気づくと、外がパァ〜っと明るくなり、日が射しているようだったので、時計を見ると、12時15分。
あわてて資料を見ると、札幌の日食終了は12時16分と書いてある。。。
日食メガネを引っつかんで外に出て、大慌てでフィルターを透かして見ると…、果たしてそこには、きれいに真ん丸の太陽が見えました。(満月じゃあるまいし。。。)

ふんっ。最後に日食メガネを使えてよかったぜ。

大人の対応として、さっさと気持ちを切り替えて(だって、自然を相手に怒ってもしょーがないし…)、スーパーに行く前後、テレビで日食中継見たからいいよと、夕刊や夜のニュースを見るまでは思っていたのだが…どうも、腑に落ちない。。。

しかし。
夕方、のんきに日食の疲れを癒している時、ふと気になって北海道日本ハムファイターズの予定表を見たら、曜日を勘違いしていて、今日はまだ試合がある日だった。
でも、オールスターで投げるから、今日は違うよね!?と思いつつ、ちなみに朝刊を見たら、予告先発がダルビッシュくんになってるじゃあ、ありませんか。
飛び上がるくらいビックリして、大慌てで着替えて、20分遅れで札幌ドームに駆けつけました。

それにしても、ダルビッシュくんったら。。。
おネエさんが日食でガッカリしてる日に、(おネエさんが見始めた以降は)途中までノーヒットの胸のすくようなナイスなピッチングで、完封は逃したものの、モヤモヤした気分を吹っ飛ばしてくれました。
久々に試合時間も短く、終わった時は8時20分くらい。
最後は、すべての打点を(と言っても2点だが)たたき出した女房役の鶴岡ツルちゃんとのお立ち台。
ツルちゃんが「(ダルビッシュくんの去年と違うところは)大人になったと思います」と言えば、ダルビッシュくんも「(捕手鶴岡ツルちゃんの去年と違うところは)大人になったと思います」と返す、これまた予定調和な応酬をかましてくれて、おネエさんは楽しい気分になりました(夕刊と夜のニュースを見るまでは)。

ありがとう、ダルビッシュくん。

約3カ所の違いを探せ!
before
P7220290_2.JPG

after
P7220291_2.JPG


っていうか、26年後の皆既日食まで、ゼッタイ生き延びてやる。。。(2号)


※違うところ探しの答え:
1.バッターを示す赤いランプの位置。
2.現打席のバッター情報の部分。
3.千葉ロッテマリーンズのヒット数。。。
posted by 2号 at 23:57| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 流行・社会現象・ブームなど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月15日

on 草食男子

草食男子、出現のナゾ。

プー太郎の使命として、朝のワイドショーは欠かさない2号です。

今朝は、「草食男子」の話題を、激しくうなずきながら見てました。
しかも、「添い寝男子」??
何も始まらないじゃないかっ!!
そして、ワイドショーの結論は、「地球上にオスがいなくなる日が来る」。。。

そんな、ちょうど昨日のこと。
わたくし2号と友だちは、私たちの身にいよいよ現実的に迫り来る「一生結婚できないかもしれない」危機について、話し合っていました。
友だちは、同級生の間で、同じ境遇の女子3人併せて「3匹の女妖怪」と呼ばれていることが、最近判明したらしい。
そんな中、結婚相談所に行ったのに、入らなかったとおっしゃる(お金があったら、私が入りたいゾ!)。もうすっかり、あきらめモード。
そんなのダメよ〜と、強く励ましていると、
「実は、バレンタインに職場の男女全員に義理チョコを配りまくっていたら…」という話が始まりました。
なんでも、その相手のオジちゃんは、ホワイトデーに、お返しとともに電話番号のメモを友だちに寄越したらしい。
なので、一応、お礼のメールをした。けど、ナシのつぶて。
そして、1カ月ほど経ったつい最近、返事が来たと。しかも、返事が「遅れた」ことについては一切触れずに。というか、遅れたと思ってないらしいのです。
「そういう感覚のズレがイヤなの…」だそうだ。

まあ、その気持ちはよくわかる。特に、別に相手のことを好きってわけじゃない場合は、そういうちょっとした行き違いは決定的かも。(このテの話は、前にも書いた)。
そのうえ、「あの人と結婚しても、食べて行けないと思うの」だそうだ。
それは、わたくしとしては、同意しかねます。今どき、いつ誰がどんな目に遭うかわかりません。そんな時も、愛があれば、お互いに支え合って生きていけるということで、全然いいじゃん!
と、言ってみたけど、彼女は「結婚で食って行く」つもりらしく…。

しかし、改めて考えるに、なんだかんだ言われてるわりには、パートナー募集中の人が世の中にこんなにもいっぱいいるのに、どうして出会えないのでしょう。全国展開の大手の組織に入会しても、ダメだったりする。
さらに言えば、ちょっとしたタイミングさえ外さなければ全然OKだったのに…っていう出会いがあっても、何らかのアヤでダメになったり。もし、そういう(ハズしまくるという)機微こそが人生だということなら、今の世の中、というか、今朝のワイドショー的に言えば、今の地球上で起こっている未婚率の上昇という現象は、今どき当然の自然の摂理ということなのだろうか。
っていうか、なんで草食男子とかが、この地球上に現れたわけ?
やっぱり、これ以上人間は増えなくていいっていう、自然の摂理なの?

っていうか、私は、不本意ではありつつも、このままいけば、最新の自然の摂理にもとることはないような気がするので、せめて、パートナーだけは授けていただけませんかね?と思う今日このごろ。(2号)
posted by 2号 at 16:25| ☁| Comment(8) | TrackBack(1) | 流行・社会現象・ブームなど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月25日

06.05.25 on 液晶TVとミュール

悪いのだぁれ??

液晶TV生活中の2号です。
なにかと不穏な動きを見せては私の心の平安を脅かすDVDプレーヤーに比べ、液晶TVくんは、今のところ、マジメに働いてくれてます。

液晶だからとかいうことじゃなくて、たぶん、私が10年以上越しの古〜いブラウン管TVくんを使ってる間に、テレビジョンセットの機能というものが格段に進歩していたということなのだろうとは思うけど、今の液晶TVくんの一番感心なところは、人の話し声を強調してくれる機能がついてること。
そうなの、これなのよ! 膝ポン。

今までのTVだと、ドラマなんかでBGMともども盛り上がる場面は、BGMがうるさ過ぎて何て言ってるか聞こえないことがすごく多かったのです。録画してる場合なんかは、大事なセリフと思われるところでボリュームをガンガンに上げて、何度も巻き戻したりしながらTVのスピーカーに耳を近づけて聞いて、それでも聞き取れない(ボリューム上げるとBGMも大きくなるし)ってこともあり、「BGよりセリフの方が大事なのになぜ?」という思いがしたものです。(役者の滑舌に問題ある場合もあるけど)。
たまに、TVのご意見欄に同じような苦情が載ったりもしてて、答えは、制作者の制作上のこだわりで、バックの音楽を小さくするわけにはいかないみたいな感じだったりして、「ケッ」とか思ったものです。誰のためのドラマじゃい!!と。

で、このように、制作者の制作上のこだわりなのかなんなのか(←そんなのブタに食わせろ)知らないけど、いっこうに改善されない現状を、じゃあ、消費者の側で解決しましょう、というのが、上記の機能なわけです。
時々、黒木瞳さんなんかが、ドキッとするようなドスのきいた発声をしたように感じられたりもするけど、声を強調してくれるのは、本当に助かります。だいたい、スムーズに視聴できています。めでたしめでたし。

しかし。
これって、ちょっとヘン?って感じも拭えないのです。
声強調の機能は、テレビジョンセットのメーカーが、消費者のニーズにこたえて開発したものなんだろうけど、本当にニーズに耳を傾けるべきなのは、制作者なんじゃないのかなぁと思ってしまう。

そして、そんなことを思う時、必ず同時に脳裏をよぎるのが、女子の靴。
よく、マナーやエチケットの話で、女子のミュールやサンダルの靴音が、特に階段なんかで「パァン パァン パァン」とうるさいことこの上ないと。足の裏に力を入れて、気を使えば、あんなものすごい音を立てずに歩けるはずだということで、お叱りを受けます。おっしゃるとおり。気づかいは必要。閉口するくらい鳴らし放題の人も多いし、言われてもしかたないとは思う。
でも、ミュールじゃなくてサンダルの私でも、力を入れて気を使っても、音は消しきれないし、とっても疲れます。ミュールなら、もっと大変なはず。
こういう時、靴のメーカーはどう思ってるのか、聞きたいです。音があんなに出なくて、しかも耐用性のあるカカトの素材って、ないんでしょーか?
「靴が鳴る〜♪」っていう歌があるように、草履や下駄から「鳴る」靴へなったのはいいことだったんだろうけど、さすがに最近のは鳴り過ぎ。女子のマナーが悪いと責めるばっかりじゃなくて、メーカーも策を考えてください。(2号)

2004年12月08日

04.12.08 on 韓流

やっぱ、日本人でしょう。

「韓流」に、まったくついていってない2号です。
NHK大河の「新選組!」を見るたびに、自家製のイケメン軍団大会(?)を見ずして、なんで韓流? っていうのが、どうしても解せない毎日です。
だって、人気の俳優が何人かいるみたいだけど、これだったら「イノッチ」見てればいいじゃん、って、思ってしまうような方も中にはいらっしゃるようだし(イノッチには失礼かもしれないけど)、言葉だって通じないし、どうせ通じないなら、私は一気に欧米に行くわ!って思います。だって、顔が似てるのに言葉が通じないって、すごい違和感。
その話をしてたら、ワーキングホリデーでカナダに行った友だちが、「でも、欧米顔ばかりの中にいたら、やっぱりアジア人同士は顔が似てるせいか近親感が湧いて、自然と仲良くなるよ」と。 そりゃあ、欧米にいるならそうかもしれないけど、ここはバリバリ日本だし。
っていうか、うちの近くに国際交流関係の施設があったり、インターナショナルスクールらしきものがあったりして、欧米系の人が駅とかスーパーとかそのへんにたくさん歩いてるんで、どっちかというと、欧米系の人の方が身近だよ〜って感じです。
でも、よっく考えてみたら、東洋系の人がそのへんを歩いてても、口利いてみるまでは日本人と見分けがつかないから、実は、思ってるよりたくさんの東洋系の方々が歩いてるのかもしれません。
と思いきや、以前、交流があったウクライナの人は、日本人は日本人だってわかるって言ってました。「あかぬけてる」んだそうです。まあ、それはお世辞半分として、シビアなところでは、日本の女性の脚は、正直言ってダメ、って言ってました。「あ、あなたは例外だけど」って取ってつけたように言われたけど、バリバリ日本人脚の2号です。今さら、気にしませ〜ん。
興味深いところでは、通訳者の米原万里さんの話で、「欧米の人に言わせると、日本人の顔はバラエティに富んでるらしい」っていうのがありました。
仮説としては、島国だから、他民族に対して自分たちのアイデンティティの一つとして、その民族らしい顔つきというのを作り上げて常に一致団結して構えてる必要もなかったかわりに、限られた土地の中で互いを区別したり、限られた地域だからこそ、最大限の多様性を生み出す必要があったから、みたいなことでした(曖昧な記憶)。
それが本当だとしたら、おもしろい。似てると思われる東洋系の顔の中に、民族の歴史とか遺伝子の策略が詰まってるんだから。
で、うちの店長は、モッコ大王の子孫だとか言ってたけど、そう思って見ると…なるほど、なかなか奥深いものがあります。 あ、ってことは、うちの会社はひそかに韓流? (2号)

2004年08月14日

なにもそんなふうにしなくても…

2号@朝晩はめっきり涼しい札幌です。

先日、まだまだすごく暑〜いころ。郵便局で順番待ちをしていると、小包みの窓口に某コンビニの制服を着た若い男性がいて、窓口の女性と長々とやり取りをしてました。いかにも「いらっしゃいませ、こんにちはぁ〜♪」っぽい男だと思い、なにげに見ていると、彼は突然、窓口に向いた姿勢のまま後ろに3歩くらい下がり、うやうやしくひざまずいたではあーりませんか。「へ?」と思いながら、当然、もう目が離せない私。バッと両腕を上げる男。郵便局で白昼堂々、愛の告白か? いくら暑いとはいえ、そこまで壊れていーんでしょうか? いーんです、面白いから。スタイルは古風だけど、この派手さは現代っ子らしいと、あたたかく見守る私。
しかーし。上げられた両腕は、ふた呼吸くらいおいてから、空中に四角を描きつつ床に下ろされたのです。なんだ、荷物のサイズを体現したかっただけか。わざわざ、そんな派手なパフォーマンスで。っていうか、そんな大きな荷物、ゆうパックにできるんだ? どうでもいいけど。 急速にしぼむ私の好奇心。
すると、次の瞬間、窓口の女性はよく通る声で「それはかわいそうでしたねぇ…」と心から同情した様子。「え?何がかわいそうなの?誰かがその荷物の下敷きになったの?」。再び火がつく、私の好奇心。謎が謎を呼び、結局、謎のまま、別の窓口に呼ばれる私。
真夏の昼下がりの郵便局では、誰もが退屈でヒマ、っていうことを絵に描いてみせてくれた出来事でした。

チャンチャン。

…で終わるはずが、
これが思わぬ方向へ発展。というわけじゃなけど、ゆうべ、帰宅途中、街灯のうす暗がりの中、前方の歩道に正座しているらしい人影を発見。一軒家の門扉の前で、家に向かい合った状態で。
「いったい、なに?」。 またしても、目まぐるしく働く2号の小さな脳のコンピュータ。はじき出した結果は、(1)学校でケンカしてケガを負わせた相手の家に来て土下座して謝っている。(2)今度こそ、愛の告白? の二つに一つだろうと。
ドキドキしながら近くまで来ると、ボソボソと話し声。ただ単に、その家の住人と喋っているだけでした。相手は、玄関口の段々に座っていました。まったく、紛らわしい話です。なんで、わざわざ外で、しかも正座して?
つまり。 最近の若い人たちの、ジベタリアンと称されるような、地べた直座りへの抵抗のなさ! 一度、言おうと思ってました。抗菌グッズが流行ってたり、布の臭いをスプレーで取ったりしてるようだが、君たちの、その、下半身にまとってる服が一番ばっちぃじゃないか! そんなんで、電車のシートに座んないで!!
でも、こわいから、直接言えない。(2号)
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