2012年08月21日

on 日記メモ。

大人って、なに?

いやいや、冬にどっぷり冬眠して、啓蟄を迎えるのも春も遅くなってからというサイクルのせいか、夏の忙しさは半端ない…2号です。人生のすべてが夏場に凝縮してる気がする今日このごろ。

そんな中、数日前から久々に古い日記を読んでます。
ちょうど、高校受験の合格発表があって、中学で仲の良かった女子や男子(例の、好きな相手が交差していたという私たち4人…)同士で、高校行ったらクラス離れるだろうけどどーしたこーした、制服の第二ボタンをもらえた、好きな男子に高校で会えるだけでいいとかやっぱりよくないとか、今日近所のショッピングセンターで見かけてあーだこーだといった話から始まって、高校に通い始めの夏前までの時期のもの。

せっかくなので、また、残りを読み進みながら、総括メモっておこうと思います。読み終わったら処分、なので。

まず、最初にやれやれ〜( - - ;と思ったのは、また、高校最初の試験の前に、全然勉強してないこと。今日もやろうと思ってできなかった。進まなかった。●●をしたので時間がなくなった。的な言い訳のオンパレード。そして、試験の前々日には「明日一夜漬けをするのに備えて、今日は早く寝よう」と来た。おぃおぃ〜今日もやれよ〜と、その時の自分にツッコミたい。
おそらく、こんな調子で大学受験の高3まで行ってしまったんだと思われる。そして、落っこちる。当たり前や。。。

中学の1年だったかで、わたくし2号の人生史上最低点というものを「地理」で取ったのだが(9点。100点満点だと18点か)、その時も特にこの地理という科目を見事にまったく勉強しなかった。答案用紙返してくれる時の先生のギロッとした目を鮮明に思い出す。「やればもっとできるんじゃないか」と苦々しく言った。いや、そうでしょう。いくらなんでも、少しでも勉強すれば、もう何点かは取れるでしょうよ。でも、やりたくないんだもん。。。特に地理とかは。。。しょうがないやん。
ちゅうか、こういう点数も、取ろうと思って取れるもんじゃないぜぇ〜という、自分史上ではとてもワイルドなことの一つと思う。

というわけで、この高1時の試験前の日記にも、「地理の『ち』は、致命的の『ち』」と記しておる。その予測は、間違いなかった。。。

試験は、欄外に一部の科目の点数がメモってある。それによると非常にチグハグな結果となり、「まさか数学が本当に私の敵に回ろうとは」と書いてある通り、数学は半分くらいしか取れてない。。。現国が80くらい、得意のはずの英語でリーダーは97点なのだが、「グラマーを甘く見ていた」と書いてる通り、グラマーは70点台にとどまっている。生物は、担当の先生が好きだったらしく88点。で、地理はまた確かにあまりよくない。
そして、中学で間違って英語で満点を取った時に、それがその後何回かの試験でプレッシャーになって「満点なんて取らなきゃよかった」と悶絶してたことがあったのだけど、高校一発目のこの中間考査で、わたくしは何をどうしたのか、古文で満点を取ったのだった。言語系(?)は、やはり多少素質があったのか。。。
というか、こうなると、よくも悪くも先生に目を付けられるので、ひっそりと日陰で目立たずに生きて行きたい、縁の下の力持ち、2番手以降タイプの自分としては、やりにくくなったとボヤいておる。

このころの私は、自分の性格を「奇妙」と形容している。おそらく大したことはなくて、思春期界隈で、いろんな感受性が暴走して自分を持て余していただけだと思われる。わたくしは、今、振り返っても、ごくふつうの少女だったと思うので。
それよりも、そこにカッコ書きで、(中学の同級生男子の)洋一は私のことを「風変わり」と言ったが、と書き添えてある、これが解せない。そもそも、洋一某に、そんなことを言われる筋合いはないのである。よっぽど、洋一某の方が変わっていた。最近も、同級生と話した時に洋一某の話が出て、ソヤツは洋一某が苦手だったと言っていた。私は、そこまでは思わなかったけど、やたら頭が良くて、それゆえか世俗とは一線を画し、ちょっとヒョウヒョウとして他を超越したようなところがあった。

事件的なこととしては、それまでの、乗り物の座席で隣のオッサンに妙に太ももを密着された的なモヤモヤした痴漢と比べると、明らかに狙い撃ちされた痴漢行為というものを初めて、小さな町の本屋さんでされたことが記してある。これは、記憶としても鮮明だ。もっと前だと思っていたけど、高1だったんだ。。。
それからン十代半ば(←けっこう長いゾ)まで続くわたくしの痴漢遭遇体質を、自助によって見事に撃退した歴史は、以前ここにも書いた。
この初めての「明らかな痴漢行為」の時は、大ショックで声も出ず(その後、何年も遭うたびにそうだったが)、みじめで、買ったものの荷物にしばらく顔を埋めていたようだ(ウブ過ぎる。。。)。相手は、近所のいわゆる「不良高校」と言われていたところの生徒だと思う。いかにも不良ないでたちで(今で言うと、ヤンキー?チャラ男?)。

それから、親戚が集まって動物園に行く時に、車が定員オーバーで、母の妹(私の叔母)が車のトランクに入って行ったこと。

「保健の授業が、ちょっと恥ずかしいところに入って来た。今度、あたって教科書読まされたらどうしよう」と書いた数日後、「今日、月経のところを読まされてしまった。うちのクラスの男子たち、ヘンに恥ずかしがるからこっちも意識してしまった」と書いてるのには、閉口した。このころから、すでにこういう体質だったんだ、私。イヤだなぁ〜と思ってることに、見事にあたってしまう。

それと、自分の見た美しいもの、感動したもの、想像したもの、夢で見たものを的確に表現できる絵の才能か文才をほしがっている。「ない」と思っていたようだ。確かに、今もないゾ。

一方で、音楽家とは好きな音楽で、作家とは好きな文学でつながってるんだ、とか、いきなり感動してる。自分に悩みがあっても、そう思うと心の支えになるそうだ。勇気が湧く、と。しかし、それを友だちに話したら(←そんな青いこと、話したらアカンやろ〜)、それは、悩みが大したものじゃないからだと一蹴されたようだ。撃沈。。。(けっこう、人に言えない大変な悩みもあるねんけどね…(-_-;)
それでも、長嶋選手を心の支えにしている白血病の少年と同じじゃないか!?とか書いてる。まあね、そういう話ならわかりやすいよ。友だちにも、そう言えばよかったんだよ、私。

笑ったのは、見た夢の話で、真っ白なドレスで妖精のような格好をさせられて、誰かほかの女の子と二人で知らないオッサンに写真を撮られて、それがコンクールに出品された。タイトルは「8月の乙女」。いっしょに写真を撮られた子は、もう一枚別に、ビキニを着て一人で写ってる写真も出品されて、それは(モデルとして)人々に絶賛されるんだけど、私と写ってるのは「もう一人の方(←私)がダメだ」的に言われてけなされてるという夢。こんなわかりやすい夢を見るなんて、よっぽどコンプレックスがあったと思われる。
しかも、それを夢の中で親に言ったらなぐさめてくれたみたいに書いてあるのだが、それが爆笑ものっていうか意味がわからない。
「(夢の中で親は)いつも現実で言ってるのとそっくりそのままのことを言った。私のことを『そのまま男にしてもいいくらいの立派な顔』と。夢の中でまで苦し紛れなお世辞を言われて、私はほろりと泣いた」。
まったく、こりゃ泣くわ。15歳の少女に向かって、いったい、これのどこが慰めなのか。。。

また別の夢の中では、大草原の小さな家のインガルス一家の一員になって、西部の荒くれ者たちの撃って来るピストルの弾をかわしながら、父さんの留守の家を守って、帰って来た父さんからその活躍ぶりを褒められている。。。

それと、草原に山があって、それを越えようとしてはいつも越えられない(悪天候とかいろいろあって)という、何かを象徴してるような夢を繰り返し見てるようだ。

その他、細い男性は好みじゃない件。映画のロッキーを見て、生卵を5個飲む、とメモしてある。

中学のころ一番仲がよかった女の子とは同じ高校に行ったのだけど、その子のカレシが地方の高校に行って遠恋になっていた。あまりうまく行ってなかった。そんな時、私にそのカレシから電話が数回来て、彼女の様子を訊かれたり、彼の悩みを聞かされたことも書いてある。私は、彼女の変わりようを見てるので、思い切って言った方がいいのかとか悩み、結局、言わないでおいたようだ。そして、いろんな誤解が解けて、彼女からまた「彼から電話が来て仲直りできた〜ラブラブ〜」みたいな報告が来ることを信じてる、などと書いている。しかし、そうはならなかった。
何年か前、そのカレシとネット上で再会して、当時の話などもした。やっぱり誤解もあったようだけど、それとは別に「彼女の方が変わった」というのもまた事実で、それは必然的にそうなる(別れる)ようになっていただけだったんだ、なんて思ったっけ。っていうか、彼女が変わったのが彼のせい(というか、離れてしまったこと)だったのかもしれないが。

今、ロンドンオリンピックが終わったばかりで、いろんな番組に選手が出たりしてるけど…。このころの私が、あるスポーツ選手に会いたいと何度も何度も書いているのに驚く。なにがって、「せめて声を聞いてみたい」って!
今は、テレビではスポーツ選手がふつうにバラエティなどに出て、何かのネタみたいに裏話なんかもバンバンしゃべってる。私ももはや慣れて当たり前に感じてるけど、最初はそういうのが(語弊はあるけど)スポーツの神聖さ、崇高さみたいなものをおとしめてるような気もしたものだった。でも、もう時代は後戻りしない。スポーツが身近になることのメリットもあるだろうし。選手も、ふつうの場では自分もほかの人と同じ生身の人間だと思われてる方がラクでもあるだろう。
ただ、「声を聞いてみたい」というような、雲の上みたいに感じる対象が減ってしまったんだなぁ、みたいな感慨があった。

最後の方、ページの下半分のスペースに、漢字が羅列してある。
『箋、縁起、蓋、噴慨、綴る、泉が涸れる、朦朧、虜、潔癖、喋る、嗜虐的、恰好、怪訝、馴染む、時折、鬱憤晴らし、傍若無人振り、呟き、脳裡、洗濯、博打、炬燵、覗く、衝立、暴露、驕り、凋落振り、余裕、嘘、溜飲、鬱々、鍛錬、自暴自棄、夕餉、亀裂、贖罪、御褒美、寂莫感、凱旋、達観』
たぶん、何かから読めない漢字、知らない言葉を拾ってメモったんだろうな。独特の漢字使いもあるから、文学作品かも。たっかん、ねぇ。

というわけで、今だに、自分が大人になった気がしない。(まだ、なってないのかも!?)(2号)



posted by 2号 at 12:47| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 回想・思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月19日

on 生き恥。

だって、人間なんだもの。。。

今日は、嵐の前の晴天なのか…2号です。
本当に、北海道神宮例大祭が終わって、やっとちゃんとした気温(?)になった感じです(やはり夜はちょっと寒いのだが)。(昔の)大人たちの言うことは正しかった。

さて。
読んだら処分しようと思って、まだ部屋の隅に積み重なっている古い日記たち、このところあんまり読み進んでませんでした。というのも、直近で手に取ったものが、おそらく中学生ころのものかと思われるのだけど、全然おもしろくないから、遅々として進まず、なわけで。

なんでおもしろくないかと言うと、この1冊は、どうやら、出来事を箇条書きみたいに淡々と書くと決めていたらしく、それって、あとから見ると、まったくおもしろくない。何時に起きて、何食べて、何時まで何して、それは買い物行ったり、何のテレビ見たか、何の宿題したか、などで、夜はお風呂入って、何時に寝る。って感じだ。時々、誰が何を言ったか、誰と何を話したか、どう思ったか、が、ちょろっとはさまるのだが、まあ、それくらいが多少おもしろいくらいで。。。
そして、この日記では、よく焼き芋を食べてるのがちょっと笑えるくらい。

なんで淡々方式にしたのかと言えば、おそらく、思いの丈を日々綴ると、ダラダラ長くなって書くことに時間を取られるからで、この時期、自分なりに忙しくてそう決めたような気がする。
忙しいと言っても、ごはん、テレビ、宿題、お風呂という、何の変哲もないふうに見える日々なのだが。

そして、そんなころを振り返りながら、思い出したことがある。

中学くらいからの十代の間ずっと続いた、あの気持ち、感覚。

今表現してみると、それは「生きて(存在して)るって、それだけでなんて恥ずかしいんだろう」っていう気持ち、と言えるかと思う。

一番鮮明に思い出すのは、「エスカレーター」と「長い髪を垂らした女」だ。

いつからか突然、デパートなんかでエスカレーターに乗ってる人がヘンに見えてしょうがなくなって、それからずっと自分も乗るのが恥ずかしかった。死んでも、乗ってるところを知ってる人に見られたくなかった。
だって、あんな動くものにただただ茫洋と乗っかって、なすがままにダラ〜っと上まで上って行ったり、下に下りて行ったり。その、機械に操られてるだけみたいな恥ずかしい姿。どう見ても、アホの極みだった。人々の顔も、バカっぽく見えた。
そうだ、それで、自分だけ階段使ったりしてたんだった。

友だちなどとデパートに行って、「あ、乗るの?」とか余裕で言っていっしょに乗ってみたりしてる時は、あくまでも、「本意ではないけど今はあなたに合わせて乗るのであって、かっこ悪いあなたの姿(乗れば自分もなのだが)も、バカにしないで広い心で受け入れてるのよ、私は」みたいなスタンスだった。そして、いっしょに乗ってる相手にも私の姿を見てほしくなく、実際、どういう顔して乗ってればいいのかわからなくて、困った。自分が先に乗って後ろから見られたくないし、あとから乗ったら相手に振り向くな振り向くなと念を送り、目をそらせていた。
そして、デートではゼッタイに自分が乗りたくないのはもちろん、彼にも乗ってほしくなかった。そんな姿見たくないから。それはまあ、中学くらいではデートらしいデートをした記憶がないので、杞憂だったのだが。。。

と、今、思い返してみると、そんな感覚もアホっぽいのだが、確かに、今もエスカレーターの人々を眺めていたら、ちょっとおもしろいかもという気がしないでもない。っていうか、私もアホ、アンタもアホ、みんなでアホればコワくないって感じに達観(?)している大人な自分がいる〜ヽ( ̄▽ ̄)ノ

もう一つの、髪の毛の問題。
自分も時々髪を伸ばしていたのだけど、必ず結んでいた。長い髪をただ垂らしていると、後ろから見ると、髪と胴体が茫洋とつながって、その下から脚が生えてるみたいな、いかにもアホっぽい姿に見えたし、横から見ると、ジャミラ?っていうか、クビのくびれはどこいった?って感じで、これまたアホっぽい姿としか、言いようがなかった。肩のところで髪が一回カーブするので、全体が台形みたいに見えるのも、かっこ悪ぅ〜って思っていた。

要するに、クビのところのくびれがあって、頭、胴体、下半身、みたいな、きちんとした3分割が見えてないと、違和感があってしょうがなかったということかと思う。

これもけっこう強烈な思いがあって、そういう人を見るたびに、内心「ねぇ、それゼッタイおかしいよね、おかしいと思わないの?自分で」と、すごく問いかけていた。
しかし、よく考えてみたら、特に中学、おそらく高校も、女子の髪は肩くらいで切るか、それ以上の場合は結ぶことっていう校則になっていたので、他人とともに過ごす時間としては一番長い時間を占めていた学校では、そういう人がいなかったのだ。だから、見慣れなくて、街とかでそういう人を見ると、違和感を感じるようになったのだろうか??
だとしたら、おそるべし、校則。。。って話だ。。。

とにかく、あのころは、この二つをはじめとして、いろんな恥ずかしいことが世の中にいっぱいあるような気がして、自分も生きてるだけで恥ずかしいみたいな、身動き取りづらい気分になっていた。

そういえば、人前でモノを食べるのも恥ずかしかった。男子に、パンに大口開けて食いつく時の顔がおかしいとか言われた記憶があるので、そこから始まったのかもしれない気もするけど。

近所に、あまり品行方正とは言えない高校があって、そこの生徒とすれ違うと、同年代のせいかからかったりしてくるので、道を歩くのも恥ずかしい、ってのもあった。

本当に、思い返せば、ありとあらゆる種類の恥ずかしいことがあった。


そして、さらに思うのは、いったいいつから、わたくしはこんなにも恥も外聞もないズゥズゥしい人間になってしまったのか!?ってことだ。。。

っていうか、生き恥のカタマリみたいになってても、全然気にしてない。っていうか、もう気にするのがメンドーになっている。
いや、たまには気にしてるのだが、以前の比じゃない。
昔の私にこれが将来のあなたの姿よ、と見せたら、自殺するかもしれない。

学校時代の、上記のようなどうでもいい下らない恥ずかしさは置いといても、今も若いがもっと若いころは、たとえば、仕事でも一応多少は気を張っていた。仕事のできばえそのものだけじゃなく、行動言動が人として恥ずかしくないように、しっかりちゃんと!とか、自分を律しなくては!とか、そういうの。
しかし、今は、仕事でも、いや、もっと広くふつうの社会生活全般でも、人として恥ずかしいことを、まぁまぁ、なぁなぁと垂れ流しているのではないか!?

しかも、ラクだ。。。ヘンな気負いがなくて。。。

つまり、アレだ、かっこつけなくていいんだね。しょせん、人間、恥ずかしい生き物なわけで、特にこのわたくしなんて、生きれば生きるほど、人として基本的な能力が複数欠けてることが次々判明して来る一方なわけで…
今さらナニを〜?( ̄ー ̄)ノみたいなことになっている。

これも一つの大人の達観。ということにしておこっと。(2号)

posted by 2号 at 17:47| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 回想・思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月08日

on 昔の私。

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願い申し上げます。2号です。
あまり遅くならないうちに、これを言っておかねば。

それにしても、12月はわたくし2号、師じゃなくても走り回るような忙しさで、倒れないように毎日ビタミン剤を気休めに飲んでおりました。
そんなこんなで、いろいろ事件やら事故やらもテンコ盛りで、どうなることかと。そのことについては、追々書くか、書かないでスルーするかわかりませんが、とにかく、なんだか山が動いてる気分=激動の日々です。

というわけで、今日この場は、たぶん逃避行動だろうと思います。やらねばならない案件を何日も延ばして、今日こそ朝からやってとっくにこの時間は片付いてるはずだったのだけど、まったく手を付けずに、今も、こうして言い訳しながら逃避してます。。。

ずっと古い日記を読んだりしてたのだけど、そういうところもまったく自分は変わってないんだなぁと。多少、世間の荒波にもまれて、変わらない自分を何とかごまかして、綱渡り状態でも渡って行けるスベは身につけたのかもしれないけど、本質は呆れるほど変わってません。
たとえば、高三の受験の時も、毎日毎日「明日こそやる」「今日もやらなかったけど、明日はやる」とか書き続けてる。年明けのいいだけ追い込みの時期になっても、まだ、判で押したように毎日同じや。。。今、おネエさんとなった私は、読んでて恥ずかしかったゾ。あれで現役合格していたら、間違いなく人生ナメてただろ。

しかし、浪人の憂き目にあって、ダメなものはどうやってもダメと必要以上の諦観は身につけたかもしれないけど、ナマケ癖は相変わらず。っていうか、ますます、追い込まれてからやって、何とか帳尻合わせる体質に磨きがかかってると思われる。。。

日記は年代をランダムに読んでるのだけど、今ちょうど、浪人時期の日記を読んでて、これが意外に忙しかったと判明。バイトと図書館通いと予備校潜り込みと模試の日々。そして、すごく孤独だった。予備校に正規で入ってる友だちにいろいろ助けてもらったりしてて、そこは本当に感謝なのだけど、本質的にはかわいそうなくらい孤独。毎日、自分で、その日は何をしてどこに行ってを決めるということに、自由の底知れぬ恐ろしさも感じていたようだ。

それと、その時期、昼間に一人で街をブラついてることもあったせいで、モルモン教(「正式には『末日聖徒イエス・ キリスト教会』らしい」と書いてある)の伝道師と知り合い、前からキリスト教について疑問に思っていたこととかを聞こうとしていた。要は興味があったのだろうけど、それはあくまでカトリックだった気がする。似たようなもんだと思って、モルモン教の人で代用していたのかも。でも、借りた聖書(?)が、やっぱりどうも違うと思った記憶はある。洗礼を受けることを強く勧められて、それはしたくないけど話はこれからも聞きたい、でも洗礼を断り続けたらもう会えないかも、どうしよう、と、迷ってるところまで今読んでる。とにかく、救いを求めていたとか心の拠り所とか、そういう意識は微塵もなく、以前からの興味と疑問を解決したいというだけの気持ちだった。相手があまりにいい人なので、戸惑ってもいる。結果、洗礼はもちろん受けてないけど、そのあとどうしたんだっけなぁ。それほどは長くつきあわなかったように記憶してるけど。

また、この時してたバイトの一つで、スーパーの棚卸しがあった。ある時、園芸コーナーで、威張り腐った男子と組まされて、その時のやり取り(←アタマに来ている)が書いてあったのだが、あっちはこっちが年下だと思ってるのかちら、でも、私もあっちを年下だと思ってナマイキなタイドに怒っている、となっているのだけど、あとで、スーパーの社員の息子だとわかった、と。そんなプチ思い出が掘り起こされておもしろい。

浪人時代は、飼っていたネコが前年に死んで、懇意にしていたペットショップから別のネコを譲り受けた年でもあった。その時のことも書いてある。最初は慣れてくれなくて、誰にも見つからないところにネコが隠れてしまうので、難儀していた。その後、バカみたいになついたのがウソみたいだ。そのネコも、もちろん、もういない。そして、私のネコアレルギーも悪化してしまった。。。

かと思えば、はたまた94年の日記には、なぜか、毎週月曜日に必ず「今日も乗り切った」と書いてある。これまた、判で押したように毎週必ず。ブルーマンデーがよっぽどつらかったに違いない。。。
昔から私を食事やお酒やカラオケに誘ってくれたりしてかわいがってくれていた先輩がいたのだけど、この年は、会うたびに「オレのこと好き?」と訊かれていたようだ。今読むと、不思議だ。でも、私がなんと答えていたのかが書いてない。たぶん、何かごまかしてはっきり答えていなかったのかも。その質問は、先輩の結婚後も続いていて、どういう意味だろう??と日記で疑問を呈している私であった。そんなウブだったんか!?(んな、バナな)

こうしてプレイバックしていると、旧知の各方面から連絡が来たりするようになって、シンクロニシティかと驚くばかりなのだけど、旧交を温めるだけでなく、今この時点に必然的に意味があるような再会もあったりする。
干支が何回りかすると、自分も古いものを掘り起こしたくなるし、お互いに巡り巡るのだろうかちら。還暦はまだまだ先だけど。。。

という、忙しくもおもしろい今日このごろ。2012年は、こんな感じのまま始まっています。今のところ。
今年もよろしくお願いします(^o^)/(2号)

posted by 2号 at 22:18| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 回想・思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月27日

on また手紙。

FBおそるべし。。。
〜そして、手紙のこと。

雨降るって言ってた?ったくもう、降らないはずなのに降ったらしい。2号です。

大変!
昨日、あんなコト書いて、今日、ふと気になって検索してみたら、FBにいた。。。

もしかしたら、生きていないかもしれないと、勝手に思っていた。
おそらく、手紙での、自分の家系の話の時に、早死にの家系とかなんとか書いてあったか、早死にの予感がする(職業柄?)とか言ってたかして、そんなようなイメージがあったのだろう。
しかも、今回の古い手紙の整理は年代順に見てるので、どこでどうなって文通が途絶えたのか、まだ調べ(?)がついてないのだが、最後は行方不明になったという印象が残っている。あっちがほかに気にかける人でもできたとか、結婚でもして消えただけだったかもしれないけど、放浪してどこか遠くで息絶えた!?みたいな妄想も、私の中にはあったりしたので。

そして、驚いたことに、FBによると、生きてはいるのだけど、放浪も大放浪、その結果、今、海外にいるみたいだ。

もともと、生い立ちが複雑な環境の人だった。
本当は、仲の良かった数人の男女で、いっしょの高校に行ってただろうに、突然、学費の要らない(給料の出る)学校へ入ることになり、遠くに行ってしまった人だった。(だからこそ、「文通」という形で交遊(?)していたのだが)。

しかし、手紙というのも、とっておくもんだ。
何年かで捨てちゃうって人もいるみたいだけど、今回、人生で初めて、膨大な量の古い手紙(8、9歳くらいからの)を見返すということをしてみて、これが、こんなにおもしろいことだったとは、驚きだ。
年代順に見ると、みんな、鉛筆書きの大きな字の短い手紙から始まって、だんだん字がうまくなり、内容も子供子供したものから、おませな感じになって、思春期特有な感じになって、急に大人びて行って…みたいな成長が、手に取るようにわかる。当たり前だけど。
そして、言葉の端々から、私が出したであろう手紙の内容も垣間見える。悩んでいたり、落ち込んでいたり、何枚もの旅行記を書き送ったらしいこととか、もちろん、恋をしていたこととか、勉強のこと、etc.
「長い間、お返事しなくてごめんね」とか「◎◎の長い手紙をしばらく読めなくてさびしかったよ」とか、お互いの返信がだんだん間隔があいていったような形跡が見え、次の年の束の中には、その子の手紙が一通もない、みたいなことになっていたり。子供のころの友だちは、会えずにいると、年代とともに疎遠になってしまうものなのか、と、しみじみとする。
自分も転校続きだったし、相手が転校して行ってしまったケースももちろんあるし、中学進学で別れたり、高校進学だったり、文通のきっかけは、ある種の別れがあってのことだったんだなぁと、当たり前のことも思う。差出人の住所もいろいろで、遠くは九州熊本だ。宛て名の私の住所も、東京、仙台、北海道山越郡、そして、札幌とさまざま。
「また引っ越したのね?」みたいな驚きを、正直に書いて来てる子もいる。1年に2回も住所が変われば、確かに驚くよね。
日本全国津々浦々、とまではいかないまでも、見てると、何か壮大なやり取りをしていたような、楽しい気分にもなる。

会いたい人がたくさんいる。
こんなにもたくさんの言葉を交わした人たち。どうして途絶えてしまったんだろうと、むしろ不思議に思う。私がもっと大切にするべきだったのか?理由はまだわからない。(まだ、全部見てないから)

ひとつ、達筆なハガキがあった。
なんと、その熊本に行ってしまった女の子のおじい様からで、一時期、祖父母宅に住んでいたらしいその子が引っ越して行って、おじい様はまだその住所を知らない、だから、わかってから私の手紙を転送するので、その孫娘からの返事が遅れていくと思うが、了承してください、みたいなことが書いてある。
なんかもう、胸が熱くなってしまった。なんと律儀な。もったいない。。。
確かに、そのようなあたたかいおじい様を持つその子の手紙は、特にたくさんあって、大人っぽくてやさしくて、とても素敵な友だちだったということが、文面からわかる。もちろん、ほかにも素敵な友だち、素敵な手紙がいっぱいあるのだけど、数において、その子のが群を抜いていた。

今思えば、祖父母宅に身を寄せていた、というのが、どういうことだったのか。当時の私は気にもしてなかったのか、子供ゆえにそこまで考え及ばなかったのか、単に忘れているのか…何があったんだろう?自分が祖父母宅に身を寄せていた時は、父が突然死して、ほかに行くところがなくて、という事情があったのだけど、その子にも、何かそういうことがあったのだろうか。
あぁ、会って、話したいねぇ。

っていうか、今、私は、たまたま三浦綾子さんの小説を読んでいる。
読み始める前、ちょっと躊躇した。というのも、最近読んでたのは現代的な軽め(?)のが続いていたので、小説然とした正統派のもの(と私は勝手に思っていた)に、気分的について行けるだろうかと。
ところが、これが、読んでてとっても気持ちがいい。文体とか表現とかが極めて「普通」で、それはむしろ、文や表現にムダがなく、スッキリ内容を淡々と伝えることに徹してる(作者の無意味なキャラが垣間見えない、みたいな?)からかもしれなくて、なんか、すごく新鮮なのだ。
そして、古い年代のことを書いてて、書かれたのもずいぶん前だからなのだけど、会話が古き佳き時代の礼節を漂わせた雰囲気で、女学生なんかが「〜じゃなくってよ」みたいなしゃべり方なのが、ミョーにグッと来てしまう。いいなぁ、こういう時代に行ってみたいな〜と、まさに萌え(←死語?)状態で読んでると言っていい。
そして、古い手紙の中の、私の友だちたちの言葉も、「〜なくってよ」までいかないまでも、それに近い趣きがあることに、感動してしまっておる。トシとともに、こなれたようなくだけた表現も増えるのだけど、要所にはていねい語が使ってある。これが、やはり新鮮で、気持ちがいいのだ。
これだけで、全員、すごくいい子に見える(!)。言葉って、大事だ。

世にメールというものが出て、カタいとかつまらないと思われないための、メール用の軽い言葉遣いが推奨され、「これ、誰?」みたいな、およそ本人のキャラとかけ離れた言葉遣いで、なおかつかえって無個性に見えるメール(の言葉)に反発を感じて(もともと手紙などを書きつけない人たちまでも、手紙(らしきもの)の世界に闖入して来てかき乱してる、みたいな?)、しばらくの間、私は従来の手紙みたいな言葉遣いのメールを書いて抵抗していたのだけど、古い手紙は、そんな私ですらいつの間にか忘れていた、かつて好きだった言葉の趣きみたいなものを、もう一度味わわせてもくれる。
こう言ってはクサイのだが、まさに「青春」の忘れ物が届いた感じ。そうとしか、言いようがない。

今でも、時々手紙をやり取りする友だちはいる。やはり、その手間、その時間、その人のために割くというのは、とても貴重な感じがする。それゆえに、その人との関係も、その分大切なものになっていく気がする。
今やり取りした手紙を見返す日が来るだろうか。それは、正真正銘、老後(の楽しみ)になるのかもしれないな。でも、やっぱり、楽しみ♪
あとから見て、恥ずかしくないものを書こう。それはつまり、恥ずかしくない生き方をしよう、ということでもあるのだが。。。(2号)

posted by 2号 at 18:13| 北海道 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 回想・思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月14日

on ムーミン。

ムーミンのお話。森のおばけきのこ!?

今日は、久々のマジ雨だった…2号です。ヒンヤリしてるような蒸してるような、よくわからない気候です。

さて、こんなわたくしでも、たまに、自分でもえらく感心することをしでかしてることがある。(特に、昔)

その一つが、「ムーミン紙芝居」なのである。

私は、子供のころからムーミンが大好きで、それは今も変わらない。
アニメから入っているので、のちに小説を買ってもらった時、まだメチャメチャ子供だった私は、そのあまりの大人っぽさ(?)に面食らったものだった。
なかなか読み進められないのを見て、親があとからコミック版などを買ってくれた。それも、TVアニメに比べると、若干大人ちっくだったのだけど、なにせ、あの絵が大好きだったので、全面が絵であるコミック版には満足した。

ちなみに、この、子供の頭で想像してたより意外に大人っぽい世界だった…という衝撃は、あのスヌーピーのコミックを初めて見た時と似ている。

というわけで、元来アニメ好き(正しくアニメを見て育った)の私は、そのほかにもいろいろなアニメを今も愛し続けているのだが、子供の時分に知ったもの以外は受け付けない。今のものは、世界観とか作風が、全然違う気がするのだ。
唯一大歓迎できたのは、ジブリくらいだ。
あ、あと、ちびまる子ちゃんとかあたしンちとか、何歩か譲ってクレヨンしんちゃんくらいまで。でも、あの、国民的アニメとなったまるちゃんでさえ、ちょっと違うものを感じないでもない。

そんなことはいいとして、ムーミン紙芝居である。
この、お手製の紙芝居(たぶん、20〜30枚以上の構成)は、まだ手元にある。がらくた処分をしてる時、これが出て来て、私は驚いた。記憶にはあったけど、まだ残っていて、しかも、こんな大作(?)だったとは。。。

忘れもしない、おそらく私が中学生くらいで、妹が小学校に入ったか入る前くらい。
せいぜい、低学年時だったはず。(私たちは8〜9歳離れている)

ある日、妹のところに、いつもの同級生の子が遊びに来ていた。
そこで何を思ったか、私は突然、頼まれもしないのに、紙芝居を作って読んであげたくなった。お手製の紙芝居で、びっくりさせようと思った気がする。
そして、自分ですごいと思うのは、その子が帰ってしまわないうちに!と、大急ぎでその場で完成させたことである。

もちろん、鉛筆描きで色も塗ってないし、絵がすごくうまいわけじゃない。
でも、とっても雰囲気が出ていて、今見てもストーリーを伝えるには十分過ぎるできばえだ。おそらく、2時間とかからずに出来上がったと思う。

かくして、頼まれてもいないのに、二人に見せながら声色を使い分けて読んで聞かせ、大した好評を博したのである。

なぜ、今、こんなことを書いているのかと言うと、そのストーリーまでをも、私はオリジナルでチャチャッと作ってしまったのか、ストーリーは、本家のお話、あるいは日本版TVアニメにあるものを拝借しているのか、それが覚えていなくて、知りたいと思っているということを記しておきたいから。ともすると、ストーリーまで自分で考えたと思い込みそうになるので。

よく、懸賞などで当選した作品が盗作だったとかあって、あとで、応募者が、そのモチーフなりが創作ノートに書いてあって、実はどこかで目にしてメモったものだったのに、それを忘れていて、自分が考えたとカン違いして使ってしまったという弁明が聞かれたりするけど、それって、すごく、わかる!って思うのだ。うっかりすると、ありがちだ。

ネットという便利なものがあるので調べてもみたのだけど、私の紙芝居と同じストーリーは見つからない(オリジナルのすべてのストーリーが網羅してある資料が見つかったわけじゃないけど)。唯一、アニメ版の全回のタイトルリストみたいなのはあって、それにあやしいのはあるのだけど、定かじゃない。

もし、誰かがいつか偶然ここを見て教えてくれるかもしれないし、ということで、一応、その紙芝居のお話を書いておきたいと思います。
お心当たりのある方は、ご一報願えれば幸いです。


「森のお化けきのこ」
ムーミンとノンノン(注:スノークのお嬢さん、あるいはのちのアニメでフローレンと呼ばれたムーミンの女友だち(?)が、最初のアニメではノンノンとなっていた)が遊んでいると、廃屋のはずのきこり小屋の方から不気味な音が。
二人が行ってみると、ミィが秘密の大工仕事をしている。誰にも言わないこと、そして、仲間になることを条件に、何をしているか教えてもらう。
なんと、ミィは、幽霊馬車と、張り子の大きなお化けきのこと、粘土のドロヘビを作って、森でみんなを脅かして遊ぼうと企んでいた。

気がノらないながらも、教えてもらってしまった手前、二人はそれを手伝って、森の近くでムーミン谷の人々にいたずらする。
おびえた住人たちはヘルム署長のところに駆け込み、大騒ぎ。恐ろしい化け物の正体も怪現象の原因もわからず、とりあえず、署長は森を立ち入り禁止にする。森は、誰も近づかない恐ろしい場所になってしまった。

そんなある日、3人はヘムレンさんのパーティに招かれ、おめかししていっしょに出かける。
ところが、急に天候が崩れて、ノンノンはリボンを濡らしたくない、ミィはミムラ姉さんからコッソリ借りて来た帽子を汚すわけにいかないという事情もあり、森の中の近道を通って行こうということになる。
しかし、森に入ると、天気はますます荒れ、困った3人は近くに小屋を見つけて逃げ込む。

そこには、おばあさんがすわっていた。
どうして、こんな暗いところに一人で座っているのかと問うと、あの音が聞こえるかい?とおばあさん。確かに、台所の方で、バリバリと大きな音がする。
「お化けきのこが食料を食いあさり、しまいに、この家も食べ始めた。もうすぐ、台所を食べ尽くしてこっちへやって来て、私も食べられてしまう。その運命の時を待つしかなくて、こうしている」とのこと。
すると、ついに、バリンとドアを破って、お化けきのこが現れて、みんなに襲いかかる。
それは、どう見ても、3人が作ったあの張り子のきのこそっくり。

ごめんなさい!と叫ぶ3人。
すると、きのこは輪郭がボンヤリとなり、森の動物たちが飛び出してくる。
そして、おばあさんは、若く美しい女性の姿に。
みんなの憩いの森を、恐ろしく、さびしい場所にしてしまった3人に反省を促すべく、動物たちがきのこに化け、女性もおばあさんに化けて、ひと芝居打ったというわけだった。
3人の反省の気持ちを確かめて、女性が、もうしないようにと念を押すと、動物たちも女性も小屋も消え、天気のよい美しい森の風景が現れる。

3人は、署長のところに謝りに行き、ムーミンは帰ってから両親に森での出来事を話す。それは、きっと森の精だよ、ということになる。
外では、ノンノンが誘いに来た声がして、ムーミンは元気に外へ飛び出し、二人は仲よく遊びに出かけて行く。

おしまい。


ということになっております。

中学生で即席で絵を描きながらストーリーもここまで考えたかどうか、かなりビミョーなので、誰かの記憶にあるのであれば、これはおそらくTVアニメ版にあった話なのだろうと思うところなのだが。。。(2号)

posted by 2号 at 18:56| 北海道 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 回想・思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月05日

on 居眠りメモ?

すみません。寝てました。。。

昔、女ばかり4人で車に乗っていた時、軽く事故が起きました、2号です。
運転手が一瞬眠っていたからで、彼女を眠らせてしまったということで、私たちも申し訳なくいたたまれない気持ちになりました。その魔の時間だけ、会話が途切れていたのでした。。。

しかし。
逆に、「しゃべっているのに眠い」というか、「しゃべりを聞いてると眠い」というのがあるわけで。。。
なんと罰当たりなことに、それが「講義」だったりする。


というわけで、大学の時のノートのラクガキ回顧。

「寝てました」篇-----

「ねむい」篇に引き続き。

あとでノートを見た時に、内容が抜けてるような抜けてないようなハッキリしないのはイヤだと思ったのか?
「寝た」ところがメモしてある。。。


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寝たのに、寝足りない??
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6時半起きの眠さを10分で解消。。。
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寝て、復活した(聴)のに、また寝たらしく、それを隣の友だちに指摘されてるらしい図。
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っていうか、この友だち↑はどうして眠くないのかちら。。。

予告篇??
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寝たというより、魂が抜けたという意味か?。。。
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番外。

寝坊の言い訳らしい。
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眠さ分析?
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っていうか、「あきちゃった。さいしょはおもしかったけど、いつも同じような話するの」と文句垂れてるのが、すごい平仮名だらけだ。。。


睡魔の誘惑に完全に翻弄されている。。。眠りへの激しい希求。。。
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眠り病だろうか?
ほかの人はどうだったんだろう。。。(2号)
posted by 2号 at 22:00| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 回想・思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月03日

on 睡魔との闘い。

ねむい。。。

睡眠は普通に長め…2号です。
トシを取ると睡眠は短くていいらしい…確かに、若い時も今と同じくらい寝ていたと思うけど、あのころは今の比じゃなく、やたらと眠かった記憶が。

非常に下らない回顧なのだが、あまりにたくさん書いてあったので、記録しておこう。。。


久々に、大学の時のノートのラクガキ。

ねむい10連発 篇-----

ただひたすら、ねむかったみたいだ。。。

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おバカを通り越して、つら過ぎる、こんなにねむいなんて。
講義中は、生理的欲求を存分に満たせる状況にないだけに、地獄だ。。。(2号)
posted by 2号 at 10:07| 🌀| Comment(0) | TrackBack(0) | 回想・思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月02日

on また世田谷の。

スッペと豪徳寺。

引き続き鋭意養生中、2号です。ちょっと飽きて来ました。ある地点までよくなって、それ以降はまったく変わらない感じがする。。。

昔、旅行中に友だちが高熱で1日寝込んだことがありました。で、今までの知り合いが夢にいっぱい出て来たから、もうすぐお迎えが?とか言ってたのだが。。。
年末に最高に具合が悪くてうつらうつらしてる時のわたくし2号も、まさにそんな感じ。なんだか昔の小さな出来事なんかがいろいろ思い出されました。要するに、アタマの中はヒマなわけだ。
(そのヒマな状態は今も継続中だが…)

そんな中、最近、何度も何度も思い出してるのが、先日、世田谷の話をしたせいか「豪徳寺」のこと。
実際の地理的にはどうあれ、私の感覚では、「豪徳寺」は、私が住んでた経堂(の宮坂)の隣町という感じでした。
ある日曜日、私は父と、その豪徳寺に歩いて行ったのです。子供の足では、けっこう遠い所まで行ったという印象だった。

当時通っていた小学校は、図工と音楽の先生は担任ではなくて、専門の先生が教えてました。
ある日の音楽室。私たち児童はその先生にねだって、何度も何度も、たぶん最低でも5回くらい、同じ曲をかけてもらう。
それは、スッペという作曲家の「軽騎兵序曲」という管弦楽でした。
名曲鑑賞の日だったのだろう、その日のその曲を、私たちのクラスはひどく気に入り、曲が終わるたびにみんなで「もう一回!」と言って、何度もウットリと聴き惚れてたのでした。
先生は、私たちのおねだりを「えー、また?」と半ば驚きながらも、ニコニコしながら最後までこたえてくれてました。

最後に感想文。
「本当に馬が走ってるみたいだった」「仲間の死を悲しんでるのがよくわかった」などなど。
今でも思い出せるけれど、その場で発表し合った感想は、お互いに「そうだねそうだね」と共感できて、ものすごい宝物をみんなで共有したような一体感が生まれていた。今表現すると、そんな感じでした。先生も、私たちの反応を大切にしてくれたのでしょう。
学校の授業で感動するということがあるとすれば、あの日の音楽室の出来事は、その一つに数えられると思います。

そのあと、私は、そのレコードを買ってほしいとねだったらしい。それで、日曜日になって、父が一緒に買いに連れて行ってくれたものと思われる。
ところが、経堂の町界隈では手に入らなかった。
ガッカリする私に父が、ちょっと足を伸ばして探してみようかと言って、おそらく豪徳寺方面へ行ったんだったと思います。
父もまた、私がそういうものをほしがったことを、大切に考えてくれたみたいで。

結局、豪徳寺の方へ行って、そのレコードを入手できたかどうか、あまり覚えていない。
今でもレコードは手元にあるけど、もしかすると、どこも小さい店にはなくて、後日父が大きな街の大きな店で買って来てくれたのかもしれない。そのへんの記憶は定かではない。

だけど、あの日見た豪徳寺の古びた駅や、その周辺を歩いてる時の、遠出が楽しいような、見慣れぬ風景が心細いような、ちょっと疲れたような、そんないろいろな気分や、父とつないでいた手の感触や、そうやって、隣町(?)まで歩いて探した、探してくれたということ、そういう全体が、自分の中にくっきり焼き付いている。

ものすごく日当りのいい明るい音楽室に響いていた序曲と、感動していた私たちと、父と行った豪徳寺。
これらはいつもセットで思い出せる。

そして、このたび、持ち物仕分けして出て来た世田谷ネタに、ひまひまさんからメールをいただき、幸運にも「豪徳寺の招き猫」なるものの写真をいただきました。(先日の世田谷めぐりの記事(※)に出て来た「清掃工場」も、煙突の写真を送ってくださったので、過去記事とこの記事の下に紹介します。きれいです)

(※)http://miha27kininaruki.seesaa.net/article/134722566.html

招福猫児.jpg

<ひまひまさん解説:
豪徳寺では「招福猫児(まねぎねこ)」というらしいです・・・
サイズのバリエーションはあるのですが、色や形はこの一種類のみなんですよ。
井伊直孝が鷹狩の帰りに、門前の白猫に招かれて雷雨を逃れた、という話が残っていて、その白猫をかたどっているらしいです。>

話が広がって、おかげさまで、また一つ思い出(?)が加わりました。
次に東京に行ったら、豪徳寺に行ってみようと思います。そしたら、思い出がまた増える〜?(2号)

※「軽騎兵序曲」。最近、何かのコマーシャルでかかっていた気がする。。。

雲の煙突.jpg
世田谷の清掃工場煙突(by ひまひまさん)
posted by 2号 at 10:02| ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 回想・思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月18日

on 落書き

知られざる大学生の実態。

前も書いたけど…相変わらず、事業仕分けはメチャメチャおもしろそうで目が離せません!な2号です。
しかし、政府が事業仕分けなら、わたくし2号は持ち物仕分けをまだやってるわけで…いい加減、危うく飽きそうになります。。。

そんなこんなで溜まりに溜まった大量の廃棄物を、2週間待ちわびた資源ゴミの日に出そうと、エイコラサッサと運んだらば、なんと、そんな日に限ってかなり早く収集車がやって来たらしく。。。泣きながら、またエイコラサッサと持ち帰りました。朝からかなりテンション下がりました。。。

前に、子供のころのおバカなモノがたくさん発掘されたと書いたけれど、子供って誰でもおバカなのだろう…って、内心は安心してました。
しかし、その後、持ち物の年代がだんだんと長じて行って、都合上、大学時代のモノを先に発掘したらば、私って、大人になってもおバカだったのね。。。ってことが判明しました。
確かに、講義中は、ノートにラクガキしたり、やたらと眠かったりしてた記憶はなんとなくはあったのだけど、こんなにもたくさんのラクガキをしていたとは。。。
そして、随所に「眠い」「今、寝てた」系のメモ書き(つまり、これもラクガキ?)が。。。
学校時代&大学時代を通じて、私が最も敵視していたモノの一つである数学のノートでは、わからなくて「逆ギレ」してるらしい場面も。。。
とにかく、アンタさー、ホントにちゃんと講義聞いてんの??的な状態が見て取れるのであった。
どうりで。。。

あまりにおバカで爆笑(っていうか、苦笑?)してしまった数々のラクガキを、これまた貴重な記録としてデジカメしました。(だから、仕分けが進まないっちゅう話だ。。。)。たとえば、こんなんだ。。。

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学芸員資格を取ろうとして受けていた博物館学かなんかのノートより。
なので、どうしてゴリラが出て来るのか、まったくわからない。
しかも、菜食主義って。。。

ほかのも、のちに気が向いたら、ここで回顧します。

ほかの人はどうだか知らないが、最近、寝入りバナに目が覚めてしまうということがよくあって、その原因は、眠りに落ちようとする瞬間に、頭に浮かぶストーリーと言うかイメージの、支離滅裂で下らない意味不明ぶりがあまりに可笑しいので、「それはヘン過ぎっ!!」とか「どこからこんな発想が!?」と、自分でいちいち反応してしまうからなのです。そして、「いゃ〜、今、エラい意味不明だったな〜」と自分で驚いたり、時には笑ったりしているうちに目が冴えてしまう。。。
この感じが、大学の講義ノートのラクガキの意味不明ぶり(というか、あまりに「そりゃあ、今、関係ないだろ〜」という脈絡のなさ)と、どうも一脈通じてる気がしてならない。。。

話戻って、思うに…大学生って、もっと大人なんじゃなかったのか!?
教授先生はそれなりに、えぇ話をしちょるのに、まったく国費のムダ遣いも甚だしい。反省しないといけない。
っていうか、たぶん、今なら、もっと楽しく講義を聴けるのに…と思うのだわ。(2号)
posted by 2号 at 23:55| ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 回想・思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月26日

on 競馬

そういえば、馬。。。

今日も外出の合間を縫って、処分品を片付けてました、2号です。
雨が降って、ゴミを出しに行くのも一苦労。。。

保管していた持ち物を発掘しているとトンでもないモノが出て来るって何度も書いてるけど、またまたビックリなモノが。
大学生のころ(身の程知らずにも大学に行ったと言うべきで、貧乏苦学生だったのだが)、競馬の場外馬券売り場でバイトをしてました。
時給が高い、憧れのバイトでした。

そこで、毎年、競走馬や馬場や牧場などの写真が載ったカレンダーなどをくれていたのは覚えていたんだけど、一つだけ保管してあったので、ナンだろう…と思って開いてみると。。。
なんと、レースの情報が書き込んであったのです!!
勝ち馬とか騎手名とか重賞レースの名前とか。
馬場状態まで書いてある。「ダート、やや重」とか。。。

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研究していたのか、それとも単なる記録だったのか!?

そういえば、学生だったので、誓って馬券を購入したことはなかったけど、クラシックレースを中心に予想はしていた。人にもアドバイス(?)したり。「ここは、複勝も買っておいた方がいい」とか。。。

んで、一番すごいのを当てたのは、ある年の「秋の天皇賞」。
当時ダントツ一番強くて一番人気だったシンボリルドルフを抜いて、「ギャロップダイナ」という馬が勝った。。。

まあ、当てたというか、名前が好き&かわいらしい馬だと思ってずっと応援していて、この時も、今度こそきっと勝つ!!と、気持ちだけ賭けていたというわけで。

馬はいい。
馬術部は、朝が早いので入部を断念したけど、乗馬には憧れてました。
人馬一体となって疾走する感じが、見てるだけで気持ちいい。

そういう意味でも、バイトをしていたという意味でも、競馬には馴染みがあったので、晴れて社会人になって何年も経ってからだったけど、何度か馬券買ったこともあります。
当時の札幌で、一番人が集まるのは、豊平川の花火大会と年末(12月)の有馬記念の時の場外馬券売り場だな…と知ったのも、このころ。
しかし、実際に買うと、ミョーにカタく買ってしまうので、ギャロップダイナの時みたいな当たり方をしたことはなくて、ある時などは、上司に託された出資金数万円を全部スッてしまうという有り様。
結果、ますますオッズの低い本命から流すみたいな買い方ばかりになって、元が取れないコトの方が多いので、やめました。

でも、天気のいい日に、果てしなく緑が広がる競馬場の芝生の上でマッタリとしながら、一日中、馬を見てるのは楽しかった(死ぬほど日焼けして、冬になっても取れないくらいだったことを除けば)。
一日の全レースで3000円と元手を決めて、一日のレジャー代と思えば、別に当たらなくてもよい。基本マッタリで、時々、おぉ〜!!とか、行けぇ〜!!とか、テンション上げて応援してみたり、いやん、写真判定〜?とかボヤいてみたり。
同行者がなかなかいないので、1回しかしたことがないけど、機会があれば、ぜひまた行きたいと思うところ。

とにかく、馬はいいです。心が繊細で優しい目をしていて、ちょっとイルカに通じるような精神を感じます。。。
と言いつつ、自分でもビックリ、そういえばまだ乗ったことがない!
一生に一度は乗ってみようと心に決め、つつしんでこのカレンダーを処分しました。(2号)
posted by 2号 at 23:52| 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 回想・思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月25日

on 子供の絵

アナタの顔。。。

今日はよい天気だった…2号です。
なのに、久しぶりの完全引きこもりデーにしました。
というのも、ホントに、なんでっ!?って思うくらい、毎日忙しくて(←プー太郎のわりには)、お疲れ気味なので。

しかし、休んでいられない。
忙しくしてる間に溜まりに溜まった、家の中の通常のアレコレをせねばならず、それに加えて、今、大処分大会の途中であり、明日は1カ月ぶりの燃えないゴミの日なので、燃えない区分の不要品は、できるだけ今日中に分別しておかねば…というわけで。。。

それにしても、また、オカしいモノがいっぱい出てきました。
相当おバカな子供だったようだ。。。
いや、子供はみんなおバカなのに違いない。

処分前に写真撮ったので、のちの機会に回顧しようと思うのだが…
今日は、自分のことは棚に上げて、人のものを掲載したいと思います。

私が小学校1年生を終えて転校することになった時、クラスのみんながお別れの一言と絵を贈ってくれたらしい(記憶になかったけど)。
「元気でね」などの月並みな短い一言が並ぶ中、2行にわたって長文(?)を書いてくれた男の子のがありました。

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名前を見ると、うっすら、そういう名の男の子がいたなぁ〜とよみがえる。
「○○さんも、△△くんとおなじところへいってしまうなんてつまんない」と書いてある。
おぬし、どうやら、わたくし2号のことが好きだったヤツだな?と、ますます思い出して来る。

しかーし。

オモテを返して、描いてくれた私の顔を見たらば、数ある絵の中で、一番、ものすごい顔が描かれていた。。。

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絶句のあと、大爆笑ー。

ちなみに、△△くんは、うちの父と同じ会社の人の息子で、同じ社宅にいた同級生なので、「おなじところへいってしまう」のも、ムリのないことだった。。。(2号)
posted by 2号 at 23:59| ☔| Comment(0) | TrackBack(1) | 回想・思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月11日

on 日本シリーズ

タイムワープ。

今日は、明日の朝までにどうしてもやらねばならぬものをやりつつ、BGVとして、日本シリーズの優勝が決まる試合を見てました、2号です。
98年のベイスターズのだけど。。。
こんな感じの胴上げが、来月、札幌ドームでまた見られるのね(イメージトレーニング)。

それで、ビックリするのもおかしいんだけど、松井稼頭央とか出てる。。。
おぉ〜鈴木健。。。
阿波野だ。。。
そして、日本シリーズで勝てない男、西口。。。。。。

横浜ベイスターズが日本一に王手をかけて、両者とも肩に力が入ったような緊迫した展開。
8回ウラに、私の駒田が先制2点タイムリーツーベースヒットを放つ。
っていうか、8回に先制って。。。

佐々木も人間ですから、打てないわけじゃありません。
と、実況は言うが、佐々木は人間じゃなくて(大魔)「神」と呼ばれていたはず。。。

なつかし過ぎ!!
あれから11年。。。。。。(2号)
posted by 2号 at 23:46| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 回想・思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月01日

on 宝物??

後生大事に。。。

昨日に続いて、ほぼ終日、発掘作業を進めました、2号です。
思えば、ずっとずっと心の底に引っかかってたような気がする。ここに引っ越して来てから、たぶん5年くらい経つし、去年から、十ン年の人生が変わったんだから、このタイミングでよけいなモノを処分すべきじゃないかと。
生きてる限り、モノは増えるし、持っているべきモノは時間とともに変化して行く。その時々の自分に合わせて持ち物を変えて行くと、今の自分がクリアになる感じがします。空いた所に、新しい風が吹いて来そうな気もするし。。。

とか言いつつ、やっぱり捨てられない…と悩むのがイヤだったので、今回、これまでの自分の傾向にかんがみて、あらかじめルールを決めました。
モノが古ければ古いほど長い間持ってるということで、つまりは何度も引っ越しや大掃除を経ても生き残って来たモノなので、それは最初からスルーしようと。もうここまで持って来たら、今さら悩んで、一部分ずつチマチマと切り離して処分して行っても、スッキリしないし、取捨選択するその時間がムダ。
新しいモノや現在進行形で使っているモノも、当然スルー。
狙い目は、最古ではないけど、最近の関心からも外れかかっているモノ。
あとは、大事だと思っても、経年劣化して触りたくないような状態になってるモノ。
いつか使うと思って、結局使ってないモノ。など。

そんな感じで、今回はわりと捨ての鬼モードに入って、処分したモノの中に、こんなモノがありました。
思えば、しまってから一度も中を開けてなかったと思われる。。。

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初めての海外旅行(ギリシャ〜モスクワ)で、後生大事に持ち帰って、後生大事に保存(?)してあった、アエロフロート(※)の砂糖。
中身入ってます。。。
あ〜ビックリした!!

ホント、今回は、今まで開けなかった所も開けたせいか、ものすごいモノを数々発掘しました。
おもしろかった!!そして、サヨナラした。スッキリ。

気が向いたら、また、写真で回想します(←実は、未練たっぷり??)(2号)

(※)http://miha27kininaruki.seesaa.net/article/125993061.html
posted by 2号 at 23:01| ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 回想・思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月30日

on 結婚式代理?

一日一善??

気持ちのよいお天気の中、部屋の中の発掘作業をしました、2号です。
化石と化してるモノは、博物館送りに。
明日も続く。。。

さて、ガラリと話は変わるけど…
さる情報筋によると、結婚式や披露宴の列席代行という仕事があるらしい。確かに、「結婚式代理出席」などで検索すると出て来る。。。

関連記事を眺めつつ、私のアタマの中には、今までもふとした時に何度も思い出してきた、不思議な出来事がまたしてもフツフツとよみがえって来ました。
それは、もしかして夢だったんじゃないか?いや、でも、写真が残ってるから現実だ。という感じの、何とも言えない感触の出来事だったのでした。

始まりは、私がある職種の人と接触する必要があり、そのために行った先に、担当者としてA子がいた、ということ。A子が、その職種の人を紹介してくれることになったのだ。
最初、私たちは食事をしたのだけど、A子は初対面の私に、ずいぶんとプライベートな話をして来た。そして、なぜか再び会う機会があって、そこから私たちは急速に個人的に仲良くなった。当時、A子は、結婚を考えてる相手がいて、相手の両親や親族との間に、何か解決しなければならない問題があるとのことで、精力的に奔走してるようだった。

ほどなく、結婚式の案内が来た。その瞬間は、私たちは仲が良かった、というか、A子は本当にいい人で、ちょっとしたことで親切にしてくれたりしていたので、喜んでお祝いしてあげたいと思い、知り合ったばかりではあったけど、出席することに。

案内状には、披露宴(祝賀会)だけでなく、式の方にも出席してほしい旨、書いてあった。キリスト教式の式に出るのは好きだし…、その時間に行くと返事した。

当日。
朝も早よからJRに乗って、とある地方都市へと向かう。
駅からもけっこう歩いて、早くも多少疲れたうえ、知ってる人は誰もいないので、近くの人に軽く自己紹介のあいさつをしてから式が始まるまで、私はポツネンと華やいだ人々の様子を眺めていた。
やがて、式が始まるアナウンス。
ゾロゾロと式場に移動する人々に混ざって、私も歩き出した。
そして、廊下を進み、いくつか角を曲がった時…♪ぴょ〜〜 ひょろひょろりぃ〜♪みたいな音楽(?)が聞こえ始め、明らかに「神前式」で執り行われることが判明。私はひるんだ。
手違いだ。
手違いで、私に「式に列席するように」という案内が来てしまったのだ。。。
慌てて立ち去ろうとする私に気づいた人が、「いいんですよ。そのまま進んでください!」と言う。
「いえ、私、親族じゃないんですっ!」
「いいんです、ぜひ、出席してください」
なヌっ!?

親族以外が神前式の式に出席するなんて、あり!?(※今どきは、あるらしいけど…)

オロオロするままに、神様の部屋へと、否応なく流されて行く私。
しかも、なにげに押されて、「どうぞどうぞ」と、新郎新婦の後ろに用意された一列の親族席に通されそうになる。
青くなってアタフタした私は「ですから、わ、私は親族では…」
「いいんですよ!」
って、いったいどこの世界に、この前知り合ったばかりの者が、親族席にドッカリって…ありえない。。。
ふと見ると、先ほど、新婦の友人だと言っていた人が親族席にいるじゃあ、ありませんか!!
なヌっ!?
しかし、私は固辞。
っていうか、ワケがわかんない〜っ!!

ソソクサと、最後部のその他大勢立ち見席に隠れるように紛れ、一息つきながら、コトの成り行きを見つめる。。。
式次第が進み、親族紹介。
新郎側は、着席コーナーの親族がちゃんと親族としての続柄(?)を言って名乗って行く。
そして、新婦側。
両親、兄夫婦の次、なんといきなり、元の職場の上司とか、友人(さっきの人だ)などなど。そして、席が一つ空いている。。。
後ろのその他大勢席も紹介されることになり、それが全員新郎の親族で、最後の最後に「新婦友人」として名前が呼ばれてしまう私。。。
場違いな気分が拭えず、「あ、いや、ど〜も〜」みたいにしか言えず。。。

何とか終わって、額の汗を拭き拭きしてると、次に祝宴の間に案内されました。
ここまで来たら想定しておくべきだったのだが、あまりのことにそんな知恵も湧かないままに通された席が、なんと、今度は新婦の両親の隣。
なヌっ!?バリバリの親族席じゃあ、ありませんか!!
もう一人のご友人と私で、ご両親を挟んでいる。なんでやねん。。。

まったくの初対面のご両親のお相手をさせていただき、一つも気が抜けないままに、宴もたけなわ。新郎の父のスピーチが止まらず、会場を縦横無尽に移動しいしい涙ながらに語る浪花節さながらの身の上話に、あちこちからすすり泣きが。。。
そういえば、会場内は、テーブル一つにおさまってる新婦側親族(+友人)以外は、全部、新郎関係者なのだった。。。

そして、最後に、「新郎新婦が全員に当たるように心を込めて選んだプレゼント」の大抽選会。
次々と名前を呼ばれて前に出て、二人から包みを渡される列席者の方々。家電が当たってる人が何人かいたりして、あちこちから歓声が上がる。けっこう豪華だ。
私のテーブルも全員呼ばれ、「あれ?呼ばれました??」と私に集まる視線。
「いえ、まだ。。。」
私も周りも、何となく心配になって来たところ、最後の最後に私の名前が。。。
ご両親、「残り物には福があるから、きっと一番いいモノよ〜!」と。
「恐縮です〜」と言いながら前に進み出て、小さな包みを受け取って席に戻る。

見たところ細長い箱なので、お母様が「ネックレスかしら〜?」なんて言ってしまうのもムリはない。開けるように促されて包みから取り出したモノを見て、全員のアタマの上に「???」が並ぶ。。。
果たしてそれは、プラスチックの持ち手にステンレスの細かい刃を並べた長ネギカッターだった。。。

「あらっ!!」と声をあげたお母様、「ごめんなさ〜い。それじゃあ、あんまりだから、よかったらこっちも持って行ってください」と、自分に当たったお菓子の箱を渡そうとするので、「いえ、そんなけっこうです。カッターは、あれば使うモノですから(しかし、今だに未使用)、うれしいです。。。」
しかし、お母様はムリヤリ、私の引き出物の紙袋にお菓子の箱を押し込んだ。

なんだか、ヘンにじっとりとした疲労感に包まれる中、お開き。
あいさつをして、帰り際のロビーで、もう一人のご友人と一息ついていると、お父様がやって来た。「今日は遠い中、本当にありがとうございました」と深々と頭を下げ、「少ないですが、お車代の足しにしてください」と封筒を差し出す。そういえば、あちこちで、そういう受け渡しらしき光景が展開されていた。
「ありがたく、駅までタクシー乗っちゃおうかな〜」と内心つぶやいたのもつかの間、お父様と古くから顔見知りらしいもう一人のご友人が「そんな、お気づかいなく。車で来てますから」と封筒を受け取るのを拒否した。
お父様は、二人分の封筒を持っていたのだけど、その一言で、「あぁ、そうでしたか。それでしたら…」みたいな感じで、「気をつけてお帰りくださいね。これからも、○○子と●●男をよろしくお願いしますね」と、私もひっくるめてだったらしいあいさつを終えて去って行ってしまう。
えっと〜、あのぉ〜!?
私、このご友人とも初対面で、いっしょに来たわけでも、これから送っていただくわけでもないんですけど??
とは、もちろん言えないので、アレレ〜??なまま、私は一人、駅までの道のりを、引き出物と着替えの一部と長ネギカッターとお菓子を持って、死んでもタクシーには乗らず、ダラダラと歩き、ぐったりとJRに乗り込んだのであった。

その後は、新婚旅行のお土産と結婚式の日の写真を送っていただいたり、近況が年賀状で2年間届いたりしたのだけど、いつしか音信は途絶えました。

今思い出しても、その日一日の出来事は、まるでキツネにつままれたみたいに現実感がない。けど、写真には私が写ってるし、それを見ると、あのヘンな疲労感と、♪ぴょ〜〜 ひょろひょろりぃ〜♪の音、それとともに感じた衝撃だけはよみがえる。

っていうか、ホントのところ、いったいぜんたいナンだったんだろ??
一日、いいことをした、ということで、いいのだろうか。。。(2号)
posted by 2号 at 22:48| ☀| Comment(10) | TrackBack(0) | 回想・思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月15日

on 皆既日食09

愛と哀しみの天文ショー。

日食もいよいよ来週に迫りました、2号です。

天体に関するイベント(?)は大好きです。
何とか彗星とか、惑星の並びがどーのこーのとか、土星の輪っかがどうしたとか(←好きなわりに忘れる)、そういうのがあるたびに天文台や科学館に行って、専門のお兄さんやお姉さんに見せてもらいます。そして、それにも飽き足らず、実際のその天体ショーを再現するプラネタリウムのプログラムが公開されると見に行き、必ず泣きます。。。

なので、今回の日食もものすごく楽しみにしているのだけど…いかんせん、わたくし2号@北海道在住なせいで、どうもワリにあわない思いをしてることが多い気がしてならない。。。

まず、今回の日食が最大食分約51%。。。地図の下へ行くほど100%に近くなるのに、北海道は上にあるせいで、しょぼい。
それでも、ちょっとは楽しみにしてたのに、この前、電車の中で、過去に70%の日食を見たという人が「完全に欠けない限り、周りは全然普通に明るいから何も大したことはなかった」ということを力説してるのを聞いてしまって、70で大したことないなら、50なんてますますしょぼい。。。と意気消沈しました。

そして、忘れもしない、あの獅子座流星群の年。
日本で、北海道だけが悪天だった。。。
私と、これまた天文好きの友だちと、夜中何時に起きる?とか盛り上がっていたのに、当日、あまりの天気の悪さに、一応2時とか起きてみる?とそれでも一縷の望みをかけて臨んだけれど、やっぱりまったく見えませんでした。
次の日は朝から、テレビで各地の観測の様子が楽しそうに流れ、キャスターの人も「私も帰りに偶然見ました」などとうれしそうに話してるのを見るにつけ、北海道はなんて虐げられてるんだ!!と怒りさえ覚えたものでした。

次の年も見えるっていうので、1年越しのリベンジに臨んだものの、なんでその日に限って…という曇天。
それでも諦めない私は、見えっこないと言う家族をムシして、一人夜中に起き出して、マンションの共有スペースの窓に陣取り、粘ること数十分。やっぱりダメかと諦めて部屋に引っ込もうと窓を背にしかけたその時…ん?視界の隅っこに一瞬閃光が走った気がしました。
見たさのあまり幻覚か?と思いつつ、もう一度窓の外を見据えると、ある程度厚い雲がかかっているのに、ところどころに切れ目があって、その間隙をぬって星が飛び交っているのが見え始めたのでした!!しかも、雲を通しても透けて見えるくらいものすごい閃光を放つものもあり、あまりの激しさに、流星が頭にぶつかったかと思うくらいビックリ。しばし見惚れてから、慌てて家族を起こして連れて来ると、クールに構えていた家族も、おぉ〜!と感嘆の声。すると今度は、その騒々しさに気づいたマンションの隣の人が起きて来て、いやはやどうも、って感じで、一緒に観測。私たちは、うひょ〜とか、わぁお〜とか言ってるのに、あとから来た人たちは遠慮があるのか、おとなしく見て、少ししたら満足したらしく先に帰って行きました。
とにかく、あれは本当にスゴかった。いつまで見てても飽きることなく、確か、八十いくつまで数えた記憶があります。当然、一番先に来て、去りがたく一番最後まで残って見ていたのは私。

それまで見た流星と言えば、小学校3年の夏休み、千葉の海岸で花火をした時に父と見たきりだったのが、獅子座流星群で一生分くらい見た気分で、いっぱいお願いもしたけど、叶うのには時間がかかってるみたいだ。

まあ、北海道が虐げられてるって言っても、この獅子座流星群の初年度の仕打ちがあまりに強烈だったので、そう思い込んでたんだけど、しかし、今回の日食もやっぱり虐げられてる気分。
(たぶん部分)日食の記憶を掘り起こしてみると、確か、本州(東京か神奈川)に住んでいた小学生時分に、担任の先生と生徒たちで、校庭に出て見た記憶があります。それが、先生に言われるままに色付きの下敷きから透かして見てたのだけど、今となっては、そんなことしたら目にメチャメチャ悪いっていうのは常識で、どうしてくれるんだ!って感じ。
というわけで、北海道は虐げられてると思いつつ、今回はちゃんと買っちゃいました〜♪日食めがね〜(^o^)。

P7130280_2.jpg

これまた天文好きな友だちも、当日仕事だっちゅうのに、一緒に買いました。持ち場を離れられない仕事なのに…トイレに行くふりして見るそうだ。がんばれ!
しかし、これでまた北海道だけ天気悪いとかなったら、マジで泣きます。。。(2号)
posted by 2号 at 11:02| 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 回想・思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月20日

on 転校&ご近所さん

さよなら、もっこみちくん。
〜愛と哀しみの転居〜

うららかな春の日、トコトコと買い物に行って来ました、2号です。
この季節、外を歩くだけで、幸せな気分になります。

しかし、たった今から、わたくし2号は、悲しくて悲しくてたまらなくなっている。
ちょうど、もっこみちくん夫妻から、お礼のメールが来たところです。昨日、お別れ会があったので。

思えば、近くにいた人が遠くに行ってしまう、あるいは、自分が去るという、距離的な別離というのは、最近、あまりなかったような気がする。

そんなことを考えていたら、昔、親が転勤族で、友だちや学校と別れては遠い土地へ引っ越していたころのことを思い出して、本当に泣きそうになっています。
社宅住まいだった時は、仲のよかった何家族かが見送ってくれる。その中に、仲の良かった子たちも、当然いる。お別れの記念品などを交換して、手紙書くねとか、遊びに来てね(実際はほとんどあり得ない)とか…。子供なので、お互いなりふり構わず泣いてる。
車が動き出して、私はいつまでも車の中で後ろを振り向いていたし、みんなもずっと手を振って見送っていてくれた。その小さくなっていく光景。

あの悲しみは、新しい土地、新しい学校への不安とあいまって、しばらくの間、尾を引いていたものだった。
そして、また、新しい環境に慣れる。
それはそれでいいのだけど、そういう繰り返し自体は、やっぱりあまりない方がいい気がする。父に転勤を告げられた日から、学校での日々がカウントダウンになる。校庭で遊んでいても、悲しかったりする。

私は、2つの幼稚園と、6つの小学校の8つのクラスに在籍した。学校の最長は2年、最短は数カ月。クラスの最長は1年、最短は3学期だけ。
札幌→神奈川→東京→仙台(父死去)→北海道八雲町→札幌と、そのつどカルチャーショックに打たれながら、北上して来ました。

この話をすると、どこにいた時が一番よかった?って訊かれたりします。
「どこ」ということとは、ちょっと違うのかもしれないけど、私の人生で、家庭が標準的なスタイルで、平和で落ち着いていて、日常生活を心底楽しめて幸せだったと思えるのは、東京にいた2年間だったので、そう答えます。
その時は、年度の始めから終わりまでの1年間を、一つのクラスできっちりと腰を落ち着けて過ごすというのを、2年間まっとうできたことが、まず大きい。
さらには、ぼぉっとして奥手だったのが、やっと物心もついてたし、友だちやクラスにも恵まれた。イジメもなかったし、イヤな子もいなかった。毎日、男子や女子と暗くなるまで遊び、社宅で私を(自分の子供と比べて)目の敵にしていたオバはんが一人いたことと、ピアノのおけいこがしばしば苦痛だったことを除けば、本当に幸せだった。無邪気だったし、守られてもいたのだと思う。
おそらく、地域的な環境もかなりよかった。

そして、このことを思い出しながらいつも感じるのは、子供のころの2年間だけが幸せだったなんて、なんて短いんだろうということ。
だけど、私の場合は、土地が変わり、環境が変わり、周りの人も全部変わり…という区切り区切りがあって、たまたまその中の2年間がよかったということになっているけど、ずっと同じ学校に通えた人などにとって、子供時代とはどういう感覚なのだろう。同じ所にいても、自分や周りが成長する中で、いろんなことが変わっていくのかと想像されるけど、そういう感覚が私にはまったくわからない。私の中では、家庭以外で感じる違いや変化は全部、土地や環境、周囲の顔ぶれの違いに由来しているかのようにインプットされてしまっているから。

さておき。
お互いにさびしい、もっこみちくん夫妻の転居。
だけど、そうは言いながら、新たな環境に向かう二人には、希望や期待も見える。それが、残される方にすると、ちょっとまぶしかったりもする。偶然にも、引っ越し先は、私が住んでいた世田谷らしい。

もしかすると、二度と会えないかもしれない。仲が良かったといっても、わざわざ機会を作ってまで再会しようとするとは限らない、そういう微妙な関係というものも、ある。
そして、このマンションでも、住人同士が集まることは二度とないだろうと思うし、今後も、バラバラと転出していってしまうだろう。
もっこみちくん夫妻の存在は、奇跡だった。
本当に、ありがとうという気持ち。

彼らが、将来、どこに住んでいた時が一番よかった?って訊かれた時に、このマンションにいた時と答えることがあるかどうかはわからないけど、せめて、忘れないでいてくれたらうれしいです。(2号)
posted by 2号 at 18:59| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 回想・思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月03日

on ひな祭り

永遠の恋人。

今も昔も女の子、2号です。
これは、うちのひな人形の左大臣です。

Image1430.jpg

どうですか!この「いい男」っぷり!!

私は、物心ついたころからホレてしまったらしく、この人(こういう人?)と結婚すると決めてました。。。
そして、なぜか、右大臣にヒゲがあるので、左大臣の顔にもヒゲを書いたらしいです。鉛筆だったので、何とか消したそうなのだけど、よく見ると、今もうっすら鉛筆の黒い跡が…。

この話を、ひな人形を飾るたびにお約束のように家人に言われ、今年でン十年。。。暗に、早く結婚しろ!の意味がこもっているのだろうか。。。(2号)
posted by 2号 at 23:43| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 回想・思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月02日

on 名前

今どきの名前。

最近、20歳過ぎの若っきゃ〜い女の子と知り合い、仲良くしてもらっている2号です。たぶん、ものすごく気を使ってくれてるんだろーなーと、恐縮しながら。

世代が離れてると、話していても流行りものの歴史とかいろんな違いがあって、とっても新鮮なのだけど、そのうちの一つが「名前」。
彼女は、三文字の名前で、漢字も3つ。
そりゃあ、このワタシだって、(はるか昔の)学校時代には、クラスにこのような名前の人がマイナーながら、いたにはいました。せいぜい、一人とか。そして、そういう名前を見た時の、周りの者としての反応というか感想は、「一文字一文字に漢字当てはめるなんて…、親もご苦労なこった」とか、「一文字ずつ漢字にするなんて…漢字にする意味があるのか!?」とか、要するに、横目で一瞥、的な感じでした。
しかし、イマドキの子である彼女によれば、漢字三文字の人は周りにゴロゴロいるとのこと。
そしてなにより、それらの名前の音(おん)の響きそのものが、彼女を含め、いわゆるかわゆらしいのだったり、洋風だったり、おっされ〜だったり。隔世の感。。。
これまた、昔だったら、たとえば「まりあ」程度の名前であっても、「そんな(変わった)名前、つけられた子供が将来苦労するだけなのに」(って、何の苦労だ?)とか、「だいたい、そんな名前で、おばあさんになったらどうするんだ!?」とか、あちゃちゃ〜的な反応を示してました。後者は特に、当時、おばあさんと言えば、モンペにかっぽう着という図しか連想できなかったので、その名前の似合わなさに、子供ながらにガク然としていたんでした。
あのころは、個性重視の今と違って、横並び=事なかれ主義みたいな時代だったのでしょーか。

しかし、今となっては、若い子たちを見て、今どきの名前でいいなぁ〜と、私もちょっと思ったりする。
そして、彼女が自分のことを名前で呼ぶことがあるのだけど、「自分のことを名前で呼ぶなんて、子供じゃあるまいし〜」と、子供のころの私は思ったに違いないのに、今は、自分で自分を呼ぶ時にしっくりと使える名前と、使えない名前がある(そして、自分の名前はダンゼン後者である)ということなどを、発見している次第です。。。

一方、某生命保険会社だったか、毎年、1年間で最も多くつけられた赤ちゃんの名前のランキングを発表してたと思うけど、あれを見ると、日本の伝統的、ひいては文化的(?)な部分を、もっと守らなくていいのか?っていうのも、いつも思ってます。
で、今どきの名前を容認しつつも、私は、女の子が生まれたら絶対に「子]のつく名前にしたいとかねがね思ってきたのだけど、いまだチャンス訪れず。。。
ついでに、漢字の意味を熟考してつけて、かえって名前負けしたり(イチローの名付け親によると、いいイメージの漢字が、意外に統計的にはあまり運勢がよくなかったりするらしいので)するのもイヤなので、それだったら文化的側面からも意義があると思われる、花の名前をつけたいという思いもあって…。

しかーし。この、「子」と花の名前の組み合わせが、なかなか難しかったりもするわけだ(取り越し苦労??)。なので、結局、もしかすると、横目で一瞥されるような名前が出来上がってしまうかもしれない。
っていうか、その前に、名前を付けるチャンスが今だないことをなんとかしなくてはならないのだが…。(2号)

追記)
習字などが苦手で、ペン字も汚い私に言わせると、漢字三文字の名前って、習字で小筆で名前書く時、面倒だし、スペース取るし、小さく隅に書くのが大変なんじゃない?って、まずそのことが心配になるので、その子にも訊いてみました。
すると、その子の答えは、
「っていうか、私の場合は、『ふじ』の段階ですでにデッカくなっちゃってたので…、大変だったんですぅ」とのこと。
そういえば、彼女の名字は「○藤」なのでした。。。(全体として、画数多過ぎ)
posted by 2号 at 15:55| ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 回想・思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月13日

08.02.13 on 千円札

先生、お久しぶりです。

天気が荒れている札幌から、2号です。よくよく考えてみれば、まだ真冬と呼ぶべき季節なのだろうけど、今や17時でもほんのり明るいし、いくら、日中の最高気温がマイナス5度とか言われても、なんとなく日差しの熱が違う。確実に、春に近づいてるのを感じる今日この頃。ここまでくれば、多少天気が荒れようが、んなことはどうでもよい、という余裕の構えでいられます。

さて、いつ私のところにいらっしゃったのか、夏目先生!
お会いしとうございました。

080208_1154natume

私は、これまでのお札の中で、夏目先生の千円札が一番好き。おヒゲがよいです。
そして、次に好きなのは、野口先生の千円札です。こちらもヒゲ付き。

しかし、小学2年生で野口先生の伝記を読んでから、私は眠れなくなったんでした。幼少時、先生が火傷され、物心ついてから、近所の子供らに「てんぼうてんぼう」といじめられてシクシク泣いてる姿が、寝ようとすると部屋の白い壁にリアルに映し出されて、なぜかすごくコワくてコワくて。かと言って、布団に潜ってしまうと、そのリアルな映像がどうなるのか見張ることができなくなってしまうというか、万一襲ってきてもわからないというのも困る、というわけで、薄目で耐えてました。

野口先生が発見されたのは、本当は黄熱病の病原体ではなかったのですが、千円札を見るたびに、その生涯を研究に捧げられ、犠牲となって亡くなったという、尊い生き方に感動を覚えます。
でも、夏目先生の不器用な生き方(英国留学でホームシックにかかられたというエピソードは特に好き)と、残した作品が今も私たちを楽しませてくれるということと、夏目先生のお顔が、野口先生よりは好き度が若干上、ということで、夏目先生が1番です。

あんまりお会いできない福沢先生より、夏目&野口先生の方が好きって…、だから貧乏から抜けられないんだろうか?(2号)
posted by 2号 at 18:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 回想・思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月14日

07.02.14 on バレンタインデー

聖なるバレンタインデー。

チョコレート大好き、2号です。
今日は、バレンタインデー。
今年も、去年に引き続き、店長へのお世話チョコのみ。自分用には、目下、売れ残りチョコの叩き売りを待っているところです。

さて。
取引先にして店長のお友だちのオジさん、予想どおり、午前中来社。毎年、バレンタインデーには必ずやって来る、皆勤賞です。
さすが。逃しません。

「みんな用」(←自分も含む)のチョコをふるまい、皆勤賞のことをご本人に伝えると、「いや、仕事があるから来たんだよー」と。
だから、毎年必ずこの日にうちとの仕事が入ってるってことが、すごいんですってば。

店長の娘さんは、ゆうべ手作りチョコを作ったそうです。誰でも、学校時代に最低一度はやります。
こう見えて、わたくし2号(にも、学校時代はありました)、手作りチョコのハシリではないかとひそかに自負しています。
運命のその日、本命の男子に渡してもらおうと、友だちである男子Aに「手作りだから」と念を押して託しました。
男子A「手作り!?」
2号「そう、手作り」
A「だって、チョコなんて、作れんの?」
2「作れるんだよ。ウソじゃないよ」
A「へぇ、すごいじゃん」
男子A、かなり感心した様子。とくれば、本命くんにもインパクト大のはず(だったのだが…)。

たぶん、男子Aは、カカオの粉から作ったというような手順を想像したと思われます。というか、私が、そう思わせようとし向けたわけで。
でも、もちろん、そんな大それたことはしてなくて、既製のチョコを溶かしてクッキー用のハートの型に入れて固めただけだったのだけど、これを自分で考えついたというところがすごかったと、今でも思っています。
その後、ほどなくして、このようなカンタン手作りチョコもどきなやり方があちこちで紹介されるようになり、私は「バラすなょ〜」と心の中で叫びました。カカオ豆から作ったと、思わせとけばいいものを。
そうよそうよ、こういう浅知恵を、自分で思いついた女子だけが一歩リードできる(はずだった)のに。

まあ、でも、思い返せば、手作りもどきチョコっていうのは、製作中にそれなりの気づかいがないと、指紋がいっぱいつきます。あ、もしかしたら、成就のおまじないとしてクチビルのあともついてるかも。要注意。(2号)
posted by 2号 at 18:08| Comment(0) | TrackBack(5) | 回想・思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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