2012年01月27日

on 恩師。

いなくなっていた先生。

寒さにもすっかり慣れた今日このごろ、風邪など引いてません、2号です!!

しかし、私の胸の中はすぅ〜すぅ〜すすぃ〜っと冷たいすきま風。今でも思うと時々泣けてしまう。
ダルビッシュくんの旅立ちを見送ったことは、本当はここに書かなければならない最重要案件なのだが、まだ気持ちの整理ができないのでダメだ。

そんなこんなで、最高に涙腺がユルい毎日となっているのだけど、ちょうど今朝、ある人と「大学の先生」について話していて、私が一番お世話になった先生は厳しい人だったと、私は語った。
そのあと、ふと気になって、すっかり白髪になってもしかしたら腰も少し曲がったりして足元もおぼつかなくなってるかもしれない先生の姿を想像しながら、検索してみたのでした。

すると、なんと。。。

先生は何年も前に、けっこう若くして亡くなっていました。。。

それから、また胸のすぅすぅが一段と激しくなって、何かあったらきっとすぐ泣いちゃいます。だから、今日は私にはやさしくしてくだされ。。。

先生を追悼した文章を見つけて読んでみたら、功績のところに書いてあったあることに、もしかしたら自分がかかわってるのではないかと思ってドキリとした。
私が学生だった時、大学に、ある資格を取りたいということで食い下がって掛け合って、結局認められないと言われたことに憤慨して、その足で文学部の建物の階段を4階まで一気に駆け上がり(その時の階段の風景を今でもはっきりと思い出せる)、息をはぁはぁさせながら先生の部屋のドアをノックした。そして、先生にことの一部始終を話すと、先生は「あなたは学士として卒業証書という形あるものをもらえるだけでは満足しないのですか?」というような質問をした。もっと自分なりのものがほしいとこたえると、先生、一言「よござんす」と言った。
先生は、私の専攻科の先生ではなかった。私は、若気の至りで専攻を間違ったので、自分の好きな勉強に該当する方の専攻科のその先生などの講義に、ちょろちょろと顔を出していたのだった。
それから、話が早かった。おそらく先生は大学に掛け合って認めさせ、私のわがままのために新たな講座をいくつか開設して自ら担当し、私が資格を取れるようにしてくれた。その講座は正規に認められたので、そっちの専攻の学生も何人か履修して来た。

その時開設された講座の名前の一つが、功績のところに書いてあったのだ。そういう教育に尽力したという感じで。

講座は実践的なのが多かったので、ただ聞くという感じではなく、だから、先生の厳しさの洗礼も受けることになったのだが、やさしさとかあたたかさとか、ほんの小娘の一世一代の熱意(わがまま?)を認めてくれた人間としての大きさ、懐の深さみたいなイメージがより強く残っている。あの行動力とその速さ、そして、大学にウンと言わせた先生の力(?)などを思うと感謝でいっぱいで、私は卒業するまで先生にホレボレしていた。もちろんオッさんだったけど、カッコいいと思った(実際、今思うと、いつも黒っぽいタートルを着ていた姿はなかなかよかったかも)。

というわけで、がんばらざるを得なくて、卒業する時には売るほどたくさんの単位をもって(自分の専攻科とそっちの分とあと一つで取れるはずだった学芸員資格のせいで)、晴れて念願の資格も手にしたのだった。
確かに有名無実の資格だったかもしれない。
それは、私も先生もわかっていた。だからこそ、大学は最初認めなかったのだし。
でも、私だけでなく、おそらく先生もある種の達成感を感じてくれたのではないかと、確信してます。のちに就職した会社の社長がたまたまその先生と古い知り合いで、先生と社長が私のことを話題にした時の会話をあとから社長が教えてくれて、先生が満足してくれてることがわかったから。

そんなにお世話になって、大好きだったのに、亡くなったことを知らなかったなんて。っていうか、90過ぎても生きていそうなイメージがあったから、相変わらずな感じで活躍されてるんだろうなって信じて疑ってませんでした。

先生、天国はどんなですか?あまりにたくさんのことに精力的に取り組んだので、神様に早く呼ばれちゃったんじゃないですか?
先生に限っては、ご冥福を祈って、のんびりお休みになっていただくというのもなんだか似合わない感じがしますね。近々、先生のお墓を調べてお参りに行きたいと思います。相変わらずなので、特に新しくご報告することも今はないのですが、思い出話だけはたっぷりできますから。(2号)



posted by 2号 at 17:41| 北海道 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 学校・教育・勉強・先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月13日

on 落とし前。

仁義なきナンタラ。。。

寒い日々、皆様、しもやけできてませんか?2号です。

このところ、寒さと乾燥のせいで鼻の奥がヒリヒリするので、マスクをして外出してます。
これが、自分でアレほどまでにヒヤリとする事態になろうとは。。。

わたくし、年末はある特別な料理をするために、いつもの切れなくなってる包丁(研ごう研ごうと思って3年くらい経過)では心もとないと思っていたところ、ひょんなことから、ある人によく切れる包丁を借りられることになり、借りてました。
それを、今日、返すべく、バッグに入れてました。

その包丁はその人にとっては使ってないスペアらしく、お店に売ってた時のままのパッケージに入っていたので、私も、元通りパッケージに戻して持ち運んでいたのだけど、それは透明なプラスチックのケースで刃の部分だけを覆う形になっていて、つまり、柄の部分はナマのまま露出してました。全体のサイズは、普通の家庭用のもの。
パッケージし直して、横着にも、そのままバッグに入れたのだけど、確かに、バッグの幅ギリギリな長さだったかも。

電車の中でも、何かヘンだ、とは思った。

そして、今日の私の最初の行き先は、銀行だった。

銀行近くで、銀行のエントランスで、列に並んでる時などなども、なぜか、人の意味ありげな視線を感じる。

え?なに?ナニ!?
マスクしてるのがおかしい??
いや、このお気に入りのピンクのマスクは時々するけど、こんなにも人に見られたことはない。

そして、私の番が来て、脇に挟むような形で肩にかけていたバッグを手前に下ろして、ギョギョッと目ん玉飛び出しました。。。

つまり、私の脇の下から背中の方へと携えられていたそのバッグのオープンな口から、ニョッキリと、誰が見ても包丁とわかる柄の部分だけが突き出してるじゃあ、あ〜りませんか!!

いや〜ん。
ちゃんと中に押し込んだつもりが、持ち歩いてるうちにズリズリとせり出して来たのだわ。

それで、あのマスク姿……そりゃあね、見るね。。。

なんか、マジで自分でも背筋が凍ったゾ。
警備員とかこっちに向かって来てないよね!?と、とっさに銀行の窓口の方を見ちゃったし、慌ててバッグに押し戻す時も、恥ずかしさのあまり動揺していた。このようなミョーチキリンな事態に対しては特に平静を装うべきところ、まったく修業が足りてなかった。。。

っていうか、ずっとその状態で歩いて来た、道々を思う。
あやしすぎる。。。
警官とすれ違わなくてよかった〜(-。-;)

反面、こんな教訓を得ることは、誰の人生にでもあることじゃない、とも思う。貴重な体験かも。
包丁を持ち歩く時は、ちゃんと全体を包みましょう!!(2号)

posted by 2号 at 18:39| 北海道 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 実録・事件簿または頭に来た! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月08日

on 昔の私。

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願い申し上げます。2号です。
あまり遅くならないうちに、これを言っておかねば。

それにしても、12月はわたくし2号、師じゃなくても走り回るような忙しさで、倒れないように毎日ビタミン剤を気休めに飲んでおりました。
そんなこんなで、いろいろ事件やら事故やらもテンコ盛りで、どうなることかと。そのことについては、追々書くか、書かないでスルーするかわかりませんが、とにかく、なんだか山が動いてる気分=激動の日々です。

というわけで、今日この場は、たぶん逃避行動だろうと思います。やらねばならない案件を何日も延ばして、今日こそ朝からやってとっくにこの時間は片付いてるはずだったのだけど、まったく手を付けずに、今も、こうして言い訳しながら逃避してます。。。

ずっと古い日記を読んだりしてたのだけど、そういうところもまったく自分は変わってないんだなぁと。多少、世間の荒波にもまれて、変わらない自分を何とかごまかして、綱渡り状態でも渡って行けるスベは身につけたのかもしれないけど、本質は呆れるほど変わってません。
たとえば、高三の受験の時も、毎日毎日「明日こそやる」「今日もやらなかったけど、明日はやる」とか書き続けてる。年明けのいいだけ追い込みの時期になっても、まだ、判で押したように毎日同じや。。。今、おネエさんとなった私は、読んでて恥ずかしかったゾ。あれで現役合格していたら、間違いなく人生ナメてただろ。

しかし、浪人の憂き目にあって、ダメなものはどうやってもダメと必要以上の諦観は身につけたかもしれないけど、ナマケ癖は相変わらず。っていうか、ますます、追い込まれてからやって、何とか帳尻合わせる体質に磨きがかかってると思われる。。。

日記は年代をランダムに読んでるのだけど、今ちょうど、浪人時期の日記を読んでて、これが意外に忙しかったと判明。バイトと図書館通いと予備校潜り込みと模試の日々。そして、すごく孤独だった。予備校に正規で入ってる友だちにいろいろ助けてもらったりしてて、そこは本当に感謝なのだけど、本質的にはかわいそうなくらい孤独。毎日、自分で、その日は何をしてどこに行ってを決めるということに、自由の底知れぬ恐ろしさも感じていたようだ。

それと、その時期、昼間に一人で街をブラついてることもあったせいで、モルモン教(「正式には『末日聖徒イエス・ キリスト教会』らしい」と書いてある)の伝道師と知り合い、前からキリスト教について疑問に思っていたこととかを聞こうとしていた。要は興味があったのだろうけど、それはあくまでカトリックだった気がする。似たようなもんだと思って、モルモン教の人で代用していたのかも。でも、借りた聖書(?)が、やっぱりどうも違うと思った記憶はある。洗礼を受けることを強く勧められて、それはしたくないけど話はこれからも聞きたい、でも洗礼を断り続けたらもう会えないかも、どうしよう、と、迷ってるところまで今読んでる。とにかく、救いを求めていたとか心の拠り所とか、そういう意識は微塵もなく、以前からの興味と疑問を解決したいというだけの気持ちだった。相手があまりにいい人なので、戸惑ってもいる。結果、洗礼はもちろん受けてないけど、そのあとどうしたんだっけなぁ。それほどは長くつきあわなかったように記憶してるけど。

また、この時してたバイトの一つで、スーパーの棚卸しがあった。ある時、園芸コーナーで、威張り腐った男子と組まされて、その時のやり取り(←アタマに来ている)が書いてあったのだが、あっちはこっちが年下だと思ってるのかちら、でも、私もあっちを年下だと思ってナマイキなタイドに怒っている、となっているのだけど、あとで、スーパーの社員の息子だとわかった、と。そんなプチ思い出が掘り起こされておもしろい。

浪人時代は、飼っていたネコが前年に死んで、懇意にしていたペットショップから別のネコを譲り受けた年でもあった。その時のことも書いてある。最初は慣れてくれなくて、誰にも見つからないところにネコが隠れてしまうので、難儀していた。その後、バカみたいになついたのがウソみたいだ。そのネコも、もちろん、もういない。そして、私のネコアレルギーも悪化してしまった。。。

かと思えば、はたまた94年の日記には、なぜか、毎週月曜日に必ず「今日も乗り切った」と書いてある。これまた、判で押したように毎週必ず。ブルーマンデーがよっぽどつらかったに違いない。。。
昔から私を食事やお酒やカラオケに誘ってくれたりしてかわいがってくれていた先輩がいたのだけど、この年は、会うたびに「オレのこと好き?」と訊かれていたようだ。今読むと、不思議だ。でも、私がなんと答えていたのかが書いてない。たぶん、何かごまかしてはっきり答えていなかったのかも。その質問は、先輩の結婚後も続いていて、どういう意味だろう??と日記で疑問を呈している私であった。そんなウブだったんか!?(んな、バナな)

こうしてプレイバックしていると、旧知の各方面から連絡が来たりするようになって、シンクロニシティかと驚くばかりなのだけど、旧交を温めるだけでなく、今この時点に必然的に意味があるような再会もあったりする。
干支が何回りかすると、自分も古いものを掘り起こしたくなるし、お互いに巡り巡るのだろうかちら。還暦はまだまだ先だけど。。。

という、忙しくもおもしろい今日このごろ。2012年は、こんな感じのまま始まっています。今のところ。
今年もよろしくお願いします(^o^)/(2号)

posted by 2号 at 22:18| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 回想・思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月06日

on 乙女の検診。

(男子禁制)
年に一度のマンモちゃんの日。

昨日、やっと、暴風雪らしきものを見た2号です。なんか、予報のわりに、ずっと天気よかった印象で、まだ雪がつらいという気分にはなってません。

さて、今日は、年に一度のマンモ(グラフィー)ちゃんの日であった。

ゆうべ、シャワーを浴びながら、私の頭の中では、おっぱいにまつわる、とあるテーマについて思い巡らされていた。
いつだったか見たテレビに女医が出ていて、スタジオのお笑い芸人を中心とする男子陣(コメンテーター??)に対してものすごいドヤ顔で、「私の長年の診療経験から言って、女性の○○%は、乳毛が生えてることを気にしていません」と言った。男子陣は、女性の理想像のイメージが崩れたとばかりに、「え”〜〜っ」とお約束の叫び声を上げ、ウソや〜!とか、なんで〜?とか、もう非難ゴウゴウ状態になった。
そこで、わたくし2号、テレビの女医に向かって、お前はなんぞや、と、ツッコミを入れたのであった。上記、○○%の具体的な数字はもう忘れたけど、男子陣にしてみるとかなりの高率な数字だったと記憶しているのだけど、この女医が実地に見て来たというその実態は、ショックを受けていた男子陣が思ってるようなケースとまったく別物だということに、この女医は気づくべきである。
というのも、たとえば、検査=病院=マジメな場という認識だったとして、しかも、相手が女医となると、毛が生えてても「ま、いっか」となる確率は高い。脇毛(触診の時バンザイするので見える)もまたしかり。相手は医者なんだから気にしないでしょ、と。
ましてや、そんなことのために毛を処理して、次のもっと肝心な勝負の時に、生えかけの、一番処理しづらい状態になっちゃったりした日にゃ、目もあてられない。。。だから、病院などのためにムダ毛を処理するのはムダと考える(人がいても、何らおかしくない)。

しかも。
このわたくし2号の場合、過去、つきあってる男子に向かっても、「これはワザとだからね、抜かないでよ」と言い放っていたのである。「これ抜くと、金運下がるから!」と。
まさに、そうなのだ。わたくしはこれを、タカラ毛として大切にしておる(特に、下に生えるヤツ)。
(まあ、つきあいはじめや勝負の時は、「御免!」と抜いたりもするのだが、その時、お財布からお金が飛んで行く図が必ず頭に浮かぶ)
そういう人は、ほかにもきっといる。

ふふん。めったなことで、抜いてなるものか。


さて。
で、今日は、年に一度のマンモちゃんの日であった。

過去2年にわたり、検査技師は百戦錬磨のオッさんだった(別々の)。

な、な、なのに。なぜに、今日に限って、技師になりたて、汚れを知らない、みたいな、いたいけな男の子なんだ〜〜〜!?
こんないたいけな男子に、サンドイッチをつかむみたいな事務的な手つきでおっぱいをつかむ、そんな間違ったクセをつけさせていいのか!これから、いくらでも明るい未来が待っている。いや、まさに現役の男子であるのだぞ。遠い目のオッさんたちとは違うのだぞ。

と、おネエさんは、心の中で激しく葛藤した。

しかし。
私は検査を受けねばならない。そして、いたいけ男子は、これから技師として熟達していかねばならない。いつか、百戦錬磨のオッさんたちのようになるために。

わかったわ。よくってよ。あなたが熟練の域に達するために、このわたくしの胸を借りたいというのなら、わたくしは喜んでこの胸を貸してあげてよ。(←お蝶夫人風でお願いします)

と、胸を、否、腹を決めたわたくしは、「上半身ハダカになってください」という彼の指示に従うことにしたのだった。
ちなみに、鏡でチラッと見たところ、今日は、ピチピチのレギンス風の白いパンツをブーツインしていたので、まるで、乗馬服の上だけ脱いだ人、みたいなミョーな格好で、何のコスプレじゃ!?と。本当に乗馬中でムチを持っていたら、SMの女王と言ってもよい状態になっておった。

「お支度できたら、こちらに出て来てください」と彼。よろしくってよ、と、このわたくしもミョーなコスプレで颯爽と登場したまではよかったのだが。
機械の前に正しい立ち位置で立たせるために、彼は、わたくしの背中に手を回し、あちら側の肩に手を置き、やさしく引き寄せるように私を誘導…
あぁ、ダメ、ごめんなさい!私ったら、背中がこんなに汗ばんでるわ!!(暖房が暑かったから)

と、こんなところで、急におネエさんモードからすっかりいたいけな乙女に戻ってしまったわたくし2号は、久方ぶりに「はじらい」というものを感じたのであった。ほんの一瞬であったが。

そして、正しい位置に立つと、彼は、「では、つかませていただきます」と、礼儀正しくわたくしのおっぱいをサンドイッチをつかむような手つきでつかんで機械にはさみながら、さらに、「脇、失礼します」と、そこらへんの脂肪を集めてくる。あぁ、いたいけな若者よ。。。

むむ。しかし、オッさんたちに比べて、寄せ集め方が足りないのではないか?

あぁ、そんなことより、このわたくしのタカラ毛が。。。

ー想念の嵐ー(中略)

そんなこんなで、左右とも、上下つぶしと左右つぶしの2パターンずつ撮ると、彼は「チェックするので、ハダカのままで待っていてください」などと言う。王子のように誠実な声で。
そういえば、一昨年、人より乳腺が上の方まであるとかなんとかで、撮り直したっけ。そして、それを、去年のオッさんにはあらかじめ言って、一発で決まった。今日は、いたいけな若者だったために、ほかのことに頭が行ってしまって、言うのを忘れていた。

案の定、「ごめんなさい、右だけ撮り直させてください」と、来た。
よくってよ、よくってよ。いくらでも、このわたくしを踏み台にするがいいわ。
一生懸命に脂肪を集めて機械に押し込む彼の額には、かすかに汗がにじむ。あぁ、いたいけな若者よ、若者よ。。。
おネエさんは、それから2回も、撮り直しをさせてあげた。あなたの修業のためなら、少しよけいに被曝するくらい、なんだって言うのか。

しかし、おっぱいの周りには機械のあとがくっきりと残り、ますますSMの女王風になっていたのだよ。余談だが。

現像したフィルムをうやうやしく手渡して、「何度もすみませんでした。これを外科の〜」と案内するいたいけな若者の言葉を聞きながら、おネエさんは、いつか、もっと大きくなったあなたの姿を見る日を楽しみにしているわ、と心の中でつぶやき、颯爽と去って来たのである。

それにしても、今日に限っては、タカラ毛を奉納してから参上するべきだったか。。。(何の勝負だ。。。)

それから、いつも、ガレッジセールかっ!とひそかにツッコミを入れているゴリ田先生の華麗な指ワザ、否、触診を受け、経過観察中の塊も、栄枯盛衰の法則に則り、小さくなりこそすれ大きくはなっていないとのことで、めでたくまた1年後、となりました。

去年か一昨年か、このマンモちゃん報告の時に、上下方向からつぶす時はドナルドダックの口、左右方向からつぶす時はムンクの「叫び」の超激しい版をイメージしていただくとよいと書いた気がするのだが、今日は、カルツォーネ(http://ja.wikipedia.org/wiki/カルツォーネ)が無性に食べたくなったので、帰りに買った次第。。。(2号)

posted by 2号 at 18:24| 北海道 ☔| Comment(6) | TrackBack(0) | 健康・からだ・ケガ・人間生態 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月22日

on 菅野某。

菅野くん、浪人選択。。。

まったく腑に落ちない、2号です。

今度の件で一番ハラが立ち、本当に心底キライになったのは原辰徳だ。

今までは、単に、巨人の監督である=イケ好かないというのが大きかったけど、人間的にどうこういうことは、それほどなかった。(現役最後の方は、早く引退すればいいのに往生際の悪い男だとかは思ったが)

でも、今回の件では、辰徳伯父さんこそが一番、人生の先輩として、プロの先輩として、「日ハムに行け」と言うべき立場なのではないか?
ましてや、いつまでも「憧れの球団」の監督の座にいられる自分ではないのだ。

それとも、言ったけど、本人がナットクしなかったとでも?
それならしかたないけど、大好きな辰徳伯父さんがそう言ってもダメだったのなら、「伯父さんと一緒にやるために」という報道も、ちょっとおかしい。そのせいで、私の中では、「器の小さい原監督」というイメージになっちゃってる。

そもそも、身内びいきなことをしあうというのは、世間的にまったく印象がよろしくない。
たとえば、ものすごいダメ息子だった場合に、親が責任持って、自分のもとで他人以上にビシビシ鍛えますみたいな、世間に対して申し訳を立てるような意味合いならイザ知らず。出来のいい子だったら、むしろ、かわいい子には旅をさせろで、世間の荒波(もちろん日ハムは荒波どころかよい環境と思うが)にモマれて来いと突き放すのが、本当の(かっこいい)身内の愛じゃないのか!?
身内の傘の下でメンコチョンコしてどうする、んなもの!

それとも、「伯父と一緒に」というのは体のいい口実で、やはり単に「元巨人」という肩書きが生涯の安泰をもたらすと思っての、「人生の選択」なのか。

最近、ますます、今後はもうそういう時代ではなくなって行くだろうって気がするのだが。

みんなが(おバカな巨●ファン以外)、数年後にそらみたことかと言いたいとばかりに、意地悪な目でキミのことを見ていくだろう。
そんな空気を吹き飛ばすくらい大成する自信があるのなら、やってみろ。
そしたら、認めてやる。人間的に好きになることは一生ないと思うけど。(2号)

※しかし、3月まで交渉するって、日ハムも…もしかして、初対面以来、何もしてなかったの?11月を10日も残して、公に会見まで開くなんてナマイキな手を取られて、この先、どうやって交渉続けるっちゅうのか。。。

2011年11月19日

on 日記の整理3。

ポエムな時代。。。3

ミョーにあったかいのはなぜ?2号です。
そんなことはどうでもいいけど、今日は忙しい!!

昨日、久々に更新して(久々ということにも気づいてなかったけど)、前のエントリで、書くのを忘れてたことを思い出した。

詩って、特段に散文的なものは別として、ある程度リズムがある方がよかったりする。
で、詩のようなものを、日記の中に毎日のようにいくつも書いていたことを自分でも忘れていたのだけど、さすがにこれだけ書き続けていたせいか、社会に出て文や詩のようなものを書くような仕事をしてて感じたのが、スイスイ書ける時って、書いたものにもリズム感があったりして、あとで推敲してても自分で納得できる場合が多いってことだ。

で、それはそうなんだけど、ある日、私が書いたものを自分で確認してた時に、会社のえらい人がやって来て、通りすがりに私の原稿用紙を覗き込んだ。意図したわけじゃないのに、バッチリ五七調になっているボディコピーだった。
その人は読み終わって、「○行目が一考だな。たとえば、●●とか」と言った。
●●をあてはめてつぶやいてみて、私は「それだとリズムが壊れます」と言った。
すると、なんと、その人はちょっとムッとして「リズムなんて関係ない」とのたまったじゃあ、ありませんか。

言葉が大事なのはわかるし、否定しないけど、●●の方が絶対いいとは誰にも言えないわけだし。。。

っていうか、今、その人に言ってやりたいっ。

言葉もリズムも両方大事なんだよっっっ、けっ。

いや、そうとも限らない場合もあるし、もうどうでもいいんです。
どうでもいいんだけど、日記を整理していて、その人へのウップンが、心の底の方をほじると今でも痕跡程度は出てくるということがわかった、っていう話でした。(2号)

posted by 2号 at 10:00| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | お仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月18日

on 声。

超個人的な口害。

いきなりこんなに雪積もるとかって、ありですか!?2号です。でも、あんまり寒くないです。
こんな時期は、シャンソンなぞ聴きたいものです(ウソ)。

さておき。

声にホレる。
ということは、よくある(私の場合)。

反対に、声がどうしてもダメ、というのもたまにあって、それは、たいてい歌手の場合だったりする。

昔、記憶はアレだが、確か、「ジャニス」(※)というある歌手のドキュメンタリー映画があって、興味を引かれて見に行ったのだけど、まず、これがダメだった。とても申し訳ないのだけど。
全身の皮膚を紙ヤスリでこすり上げられてるような不快感で、いてもたってもいられなくて、でも、映画代ももったいないので、モゾモゾしたり、深呼吸したりしながら、なんとか最後まで見た。ものすごいストレスで、地獄のような苦痛だった。

これが、私にとって、声が生理的にダメな例の、最初だった。
(今も同じように感じるかどうかわからないけど、コワくて聴けない)。

そして、今この時期ですよ。
ラジオで突然、ヘビロテされるがごとくかかり始めるその人の歌!

ごめんなさい。
広瀬○美さんです。

ファンが多いと思われるので、一応伏せ字しますが、どうも、あのキンキンが神経に障るのです。

昔、女性アイドル歌手の魅力について語ってる人がいて、その中に、異性に好かれる「声」っていうのがあるみたいな話があった。アイドルの歌声を聴きながら、性的に興奮する男子もいるとか言ってて、まだ純真な乙女だった私には、ショーゲキだった。

まあ、でも、長じて自分を振り返るに、性的云々まで行かないまでも、自分にとってゾクッとするような魅力的な声ってのはやっぱりあって、その音波の中にずっと浸っていたいと思うような気持ちよさってのもわかる。

具体的に言うと、少し鼻にかかったような柔らかい声とか、不快じゃない程度にほんの少しガサガサする深みのある低音とかかなぁ。

これが逆に、女性の声がガサガサし過ぎてると、ジャニスみたいに感じちゃうんだなぁ、私の場合。
ちなみに、さっき書いた日本人女性の声の場合は、キンキンとうるさく感じるだけじゃなくて、なぜか、アタマの中に「品がない」という言葉が浮かんでしまうのでした。高音を聴かせる歌手、得意な歌手はいっぱいいるけど、なぜか、そんなふうに感じる人はこの人だけなのだなぁ。(この人、外国でボイストレーニングしたとかなんとかって話を聞いたことがある気がするけど…)

あと、単純に、歌い手として声に魅力があるかどうかってことになると、個人の好みや体質(?)によって違うんだろうけど、私がまったく魅力を感じられない人っていうのがいて、それが竹内○○やさんなのです。なんか、軽くハラが立つ時がある。歌はすごくいいのに。。。

あぁ、私とて自分が放つ音声で、知らず知らず皆様を不快にしてるかもしれないのに、人のことを言ってごめんなさい。でも、ホント、この時期にヘビロテされ始めるロマンスの神様とかに何年も耐えて耐えて耐え続け、もう耐えかねている自分がいたりして…そのことをちょっと告白してみました。。。(2号)

(※)ジャニス・ジョプリンです。。。

posted by 2号 at 13:01| 北海道 ☔| Comment(4) | TrackBack(0) | お悩み・人生相談など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月21日

on 日記の整理2。

ポエムな時代。。。

ついに、雪虫出現!!
まだ、見たくなかった…2号です。。。

しかし。
そんなことより、もっとショーゲキの発見をしてしまいました。

ゆうべ、中学生のころの日記を見ていたら、例によって「ポエ〜ム」がいっぱい書いてあったのだが。。。(- -;
その中に、こんなようなのがあった。

曰く、
「いつか、私が一人で旅に出る日のために
大きなトランクを一つ用意しなくては(後略)」みたいな。。。

まあ、これはギリギリ切腹しなくてもいいか…程度のシロモノだったのだが、驚いたのは、そのページの余白に、明らかに私の字とは違う字で、「あなたが旅に出る時は、私と○○(妹の名)も大きなトランクに入れていっしょに連れて行ってね」みたいなことが書いてあるのを発見したことだ!!!

最初、目を疑って、目ん玉が落っこちるくらい目を見開いて見てみたのだが、やはり、どう見ても親が書いたものと思われる。。。

この発見に際し、私のアゴは床まで落ち、背筋には戦慄が走り、頭の上には何百という「?」が連なることになった。

まず第一に、これは日記である!!
人の日記を見たのか!?
いや、日記を見たのみならず、勝手に書き込むとは!!!

母よ、母よ、我が母よ。アナタはいったい。。。ヽ( ̄▽ ̄;)ノ

いや、落ち着こう。なんとなく記憶もよみがえった。
当時も、リアルタイムでこの書き込みを見た気がする。そして、その時の私がどんな行動言動をしたかはあまり思い出せないのだけど、書かれた内容自体には、そんなに戦慄しなかったような…。
その後の人生で何が起こるのか、まだ知らなかった幸せな時代だった、ということだ。。。

次。
第二に、これは「自立」がテーマの詩である!!
親元を飛び立つ子供に、トランクに入れて連れて行けとは、親としていかがなものか。。。

っていうか、これすなわち、のちの親子の確執に発展することになる思考傾向の萌芽がすでにここにっ!というショーゲキの発見なのだ。

おそるべし。。。

子離れは、清く正しく美しく厳しく行わなければならない。
と、ここから教訓を得てみたものの、それが役立ちそうな場面は、今後の私の人生において、ありそうもない。。。orz
我が母、反面教師になれず。。。残念(2号)

posted by 2号 at 17:48| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 人物列伝・友だち・家族・人づきあい | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月20日

on 日記の整理。

ポエムな時代。。。

部屋はすっかり寒いのだが(18°Cとか)、まだ10月ということでストーブはいまだガマンの子。の2号です。風邪引きそうです!

さて、手紙の整理も完了してないまま日記の整理に突入してしまったわけなのだけど、ほんと、こんな楽しいこと、どうしてもっと早くやらなかったのかちら。いや、今このトシにしてやることに意味があるのか。。。

ダンボール一つに入り切ってなかった大量の日記の束の中には、交換日記もたくさんあったのでした。

そして。。。

確かに、昔は「ポエム」が流行っていて、自分もそのようなものを作っては書き付けていたことは記憶していたのだが。

しかし、これほどの量が発掘されようとは。。。

実際、こ、こんなに書いていたのか〜っっ!!と、驚いた。
日記にももちろんチラホラ書いてあるのだが、詩のためのノートが1冊ならずあり、ご多分に漏れず、交換日記までも(お互い)詩のオンパレード。

そして、ちょっと哀しいと言うか、いたたまれないと言うか、子供ながらにショックだった事件を思い出した。

その交換日記で、最初に詩を書いたのは私だったと思う。
今読むと、コッ恥ずかしくて切腹したくなるのだが、そんなものに感化されたらしい相手の女子も、「私も書いてみる」となって、当初は、ヘタクソだから気づいたところは直してね、みたいなノリだった。

小学校の高学年から中学のいつごろまでか、私は多い時で4人の女子と交換日記をしていた。その中で、その子との日記は特に長く続いた方だったと思う。
とてもおませで、恋愛ネタも大人びていたし、エッチな話題も振って来たりしてたし、青っチョロい男子とつきあったりもしていた。それは、なんとなく危うい感じの、無防備に突っ走るタイプの交際だったと記憶している。
そんなこんなのせいなのか、彼女の「ポエム」は瞬く間に白熱し、大人び、私の目にはどんどんうまくなっていったように見えた。

それでも、よっぽど才能がなければ、素人の遊びの域は越えられない。
ましてや、子供だ。
いや、子供がみずみずしい感性ですばらしい詩を書く例もあるけど、今あえてこう書いたのは、ある日突然、彼女が「ものすごく大人な」「ビックリするほど上手な」「玄人的な」詩を書いて来たから。

それを読んだ時、正直、あぁ、追い抜かれちゃったなと思った。
どれも、何度でも読み返したくなるほど味わい深く、すぐに好きになるような詩だった。

どうかな、うまく書けたかな?みたいなコメントがついていた。
もちろん、私は手放しで褒めた。

そして、それからしばらくのち。

私は、彼女の4、5遍の詩とまったく同じ詩を発見してしまった。

当時、雑誌やら漫画本の巻頭やら、あらゆるところに詩が掲載されていた。
きれいな絵や写真にも必ずと言っていいほど詩が添えられ、学校でもやたらと詩を書かされ、それらは冊子にまとめられたりしていた。
そんな時代だった。

私がそれらの詩を発見したのも、確か、詩とは関係ない雑誌で、「詩の添えてある絵」の写真という形(インテリアパネルの通販?)でチョロっと載っていたものだったと思う。
こんなの誰も読まないだろうというくらい、その写真の中の詩の文字が小さかったのを覚えている。

発見して合点が行くと同時に、ものすごくショックで、どうしたらいいか悩んだ。
言うべきか。つまり、そういうことはやめよう、みたいに。
それとも、黙って胸にしまっておくか。

結局、後者を選んだのだけど、なんだか私の方が後ろめたいような、胸の奥にしまっておくのも重たくてイヤ、というような、起こってほしくなかった、忘れてしまいたい出来事だった。

その後、その事件とは別に、危うい恋愛に突っ走る彼女は、クラス内でもキャラ的に不思議な存在になっていった。
そして、そういうある意味大人過ぎるような、少し普通とは違う(極度ではないけどやや不良っぽい、でもガラスのように繊細で傷つきやすい、みたいな)感じの人と私が、昔と変わらないつきあいを続けていくのもムリがあったのかと思うし、彼女の方がカレシと交換日記を始めて忙しくなったのもあって、だんだん私たちのノートは交換されなくなっていった。

ひょろひょろとして、子供子供していた小学生のころ。
急に背が伸びて体つきが変わって、言動も行動も見る見る大人になった中学生のころ。
いろんな彼女の姿が思い出される。
そして、青っチョロいカレシの姿とともに思い出すのが、彼女のお母さんだ。

何度か家に遊びに行った。
お母さんから、私は好ましい友だちとして歓迎されていたようだ。
いつも愛想よく迎えてくれて、子供なのに、行くと少しの間はお客として相手をしてくれた。「○○と仲良くしてくれてありがとう」みたいなことを誰かのお母さんに言われたのも初めてだった。

お母さんは、私が知ってるどのお母さんとも違っていた。
声が男の人みたいに低くてガラガラ、タバコを吸い(←吸う女性を初めて見た)、化粧をしてなくて、でも、夕方化粧をしてどこかに出かけて行った(←これについては、ひそかに彼女に同情した)。

今思えば、夜、お店をやるというような仕事だったのかもしれない。
そうだとすると、すべてがうまくつながる気がする。

彼女は、まったくの子供だった私に、いろんな意味で大人の世界を垣間見せた人だったかもしれない。
彼女にまつわる、ほの暗い記憶のすべてが、今になると当たり前に知ってる(大人の世界の)あれやこれやのイメージと親和する。

今、どうしてるかな?
夕方からお母さんが出かけて、取り残された部屋で、独りぼっち、ノートに詩を書いていただろう彼女。
今想像すると、その後ろ姿は、大人の感覚では悲しく映る。
さびしかったんだと思う。
そういうことを、当時の私は、まったくわかってあげられてなかった。
ごめんね。
きっと、青っチョロいカレシだけが、唯一、彼女の心を理解していたんだろうな。

というわけで、過去の忘れ物を拾いながら、日記の整理は続くのであった。(2号)

posted by 2号 at 15:04| 北海道 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 人物列伝・友だち・家族・人づきあい | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月11日

on 日記をひもとく。

カムバック サーモン。。。

鮭が上って来ているらしい、そんな季節、2号です。紅葉もチラホラ。

思えば、わたくし2号、人生初のプロポーズを受けたのは、大学1年の時だった。。。
その事件、というか、その時の苦難はずっと鮮明に覚えていた(つもりだった)。もちろん断ったのだけど、とにかく、結婚の「ケ」の字も考えたことなかったころだったし、ましてや、恋愛だってまだまともにしたことがなかったころだったので、ただただ戸惑った、とか、その後ずっとトラウマになった、とか、あまりいい印象がなかった。

ところが、このたび、古い日記を読んでいたら…(また、それかぃ!)

私は、彼のことを本当に得がたい友だちと思っていて、死ぬほど悩んだという意味では記憶どおりなのだけど、意外にも(←つまり、忘れていたとも言えるのだが)単なる友だち以上には「好き」だったらしく、「ただただ問題なのは、彼の「性急さ」その一点だけなのだ」的なことが、日記に何度も書いてある。「そこまで言わないでいてくれたらよかったのに」とか。
彼は、(小太りな)関西人だった。で、私は、ときめくという意味での恋は、別の(標準体型+α=小・小太りの)関西人にしていた。一目ボレだった。
彼と二人で遊んだりすることがある一方で、別の人に片思いしていた、ということだ。この片思いの記述は、まあまあ恥ずかしくない程度にかわいいもんで、本当にドキドキするタイプの恋だったみたいだ。途中、まったく自分のタイプじゃない人(いわゆる今で言うイケメン)にも一瞬ひそかに惹かれて、そのタイプ違いの思いを断ち切ろう断ち切ろうと苦労してる様も書かれている。ったく、なんて気が多かったんだ!!ビックリしたゾ。当時も、「私の非面食い体質に反する!」と、かなり自分で自分にダメ出ししている。おもしろい。。。

高校時代、すでに、非面食いは自覚していて、実際、中学からは見た目はアレな人ばかり好きになっていたという実績は十分に積まれていた。だから、大学で、たまたま惹かれたイケメンをこんなに否定していたんだろう。確か、仮装行列の衣装のデザインと作成を一手に任されて、その衣装を着る役の一人としての彼と親しく接したのがきっかけだった気がするけど、その時の雰囲気が良かったんだろうと思われる。
彼が「彼女」と歩いてるところを目撃して、アッサリこの気の迷いは吹っ切れて、メデタシメデタシだったようだ。

そういえば、社会に出てからの一時期、何人かで飲みに行くようになった同級生男子たちがいたのだけど、ある時からこのイケメンくんが加わるようになっていたことがあったり、私が入った会社で同期だった女子が、まさにこのイケメンくんと当時いっしょに歩いていた「彼女」だったと判明したり、その後も何かとヘンなご縁はあった。
社会に出てからいっしょに飲みに行ってたころのイケメンくんは、何やらワケのわからない恋愛論を展開していて、私も含めた全員からそれはおかしいだろ〜と言われていた。もしかして、学生時代からそういう浮世離れした雰囲気があって、それがよかったのかもしれない。残念ながら、私がこの再会で再度惹かれるということもなく、彼は、浮世離れした恋愛論のお相手(私の知らない人)と、ずいぶん長くつきあったあとに結婚した。

だいぶ横道にそれたので、話を戻します。
プロポーズして来た性急な彼は、その時こう言った。「好きなんじゃない、愛してるんだ。卒業と同時に結婚しよう。今、YESと言ってくれたら、オレはこの4年間、気持ちが変わらない自信がある」と。
んな、バナな。。。
っちゅうか、その時の私は、「結婚?ってナニ??」くらいな状態だったと思う。
とにかく、私にはそんな約束はできない。4年間の保証もできない。その時現在だって、好きは好きにしても、そこまでの「好き」かと言われたら、たぶん違う、となったのだろう。秋ころのことだった。

彼からもらった手紙もたくさん残っていてビックリしたんだけど、いったいぜんたい、半年ほどの間に何度かいっしょに遊んだくらいでそこまで言い切るってことが私には疑問だったし、そこまで情熱的になれるということがこわかった。
ハタから見ると私のどっちつかずな状態(本人的にはひたすら困って戸惑い悩みしていただけなのだが)が、一部の男子陣の非難を買うことにもなり、クラスの雑記帳に嫌みなことを書かれたこともあった。日記には、女子同級生に彼のことを相談して、いっしょに泣いたりしたことが書かれている。ホントにホントに悩んでいた。
小太りだった彼が、しばらく大学に来ない&久しぶりに来るを繰り返すたびに、青白くゲッソリと痩せていってる、というのも、ものすごく私に罪の意識を抱かせた。ずっと来ない時の日記では、そのことをとても心配していて、自分を責めたりしている。

と、そのあとのことを全部読んだわけじゃないので、詳細はまだ不明なのだけど、その顛末として私が記憶してるのは、2年生の秋ころ、つまり、それから1年後に、学食でバッタリ彼に会った時、思わず「○○くん!」と声をかけた私の横を、彼は何も目に入ってないかのようにすぅっと素通りして行った。ということだ。
「あ、終わったんだな」と思ったことを、よっく覚えてます。
彼の中では、なかったこと、もういない人、に、なったんだ、と。

今もって、彼が私の何にそんなにのめり込んだのか、まったく理解できない。ものすごく深いつきあいをしていたわけじゃなし、私の何を知っていた?否、誤解していた?あるいは、逆に、そこまでよく知らなかったからなのか?
例によって、そのころの写真を見ても、私よりこっちの子の方が百倍かわいいよね!?って感じなのだが。。。

そして、さらに思うのは、彼もきっと子供、いや、そこまで言わなくても、おシリの青いヴァカ者だったんだろう。それ以上に、私は子供だったんだろう。
あの時の私に言ってあげたい。
結婚するまでは、いや、結婚してからだって、そんな男女関係の契約(保証)なんてその気になればホゴにできるのだ。いっしょにいて楽しいなら、上手にキープしておいて、万一、卒業まで奇跡的にその関係がもったとしたら、その時にまた考えればいいのだ。とにかく、せっかく寄って来てくれたものは、カンタンに逃してはいけない。その結果が、これだ。。。と。

純真で、正直過ぎだった。「約束」、ましてや、一生を左右するような約束を、軽々にはできないとマジメに思った。(あるいは、ほかに、チョロチョロ好きな人がいたってのも問題だったのだろうか!?)。卒業までの数年、ほかにも何度かカンタンにリリースしていた。まったく、先見の明がなかったことこの上ない!孝行したい時に親はなし。にも、似ている。

もっと、したたかに生きねば。
と、古い日記から人生を学ぶ今日このごろ。。。(2号)

※古い日記に混じって、小学校卒業時にクラスの人に書いてもらう「サイン帳」なるものが出て来て、例の「君のためなら死ねる」というラブレターをくれた男子の書いたページがあった。
「ちゃんとお嫁に行けよ」って書いてあった。
そうだ、当時は、これを見て、ある種清々しい気分になったことを、おぼろに思い出した。
しかし。。。
この大学時の事件のせいで、その後、不遇な恋愛をするたびに「呪いか!?」「天罰か!?」みたいに恐れたものだったけど、こうして小学校からの歴史(?)を見ると、呪いも二重にかかってたのかも…と、ふと思ってしまった。
などという、いいトシした私は、別の意味での反省が必要なようです。。。

posted by 2号 at 16:39| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 恋愛・結婚・男と女・人生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月07日

on それは先生。

さよなら、私の恋。

9歳時より日記を書き続けております、2号です。しばらく書けないとか、毎日じゃないとか、いろいろあったけど、今でも「生活メモ」「ちょっとした記録」程度のことは書き続けてます。(一部クラウド化)

もちろん、今までの日記もずっととってあったのだけど、このたび、手紙を整理したりしてた延長でなんとなく日記の束にも手が伸び、いつか読み返すだろうと当然のように思ってン十年来たわりには、開いてみたことがこれまで2度以上もあっただろうか、という状態だったことに気づいたのと、人の手紙でも、子供時代や思春期時代のものはけっこう恥ずかしい内容だったりするものもないこともないのだから、いわんや自分の日記をや…と思ったのとで、また少しずつ適当に拾い読みして楽しんだあとで思い切って整理しよう、ということにしたんでした。
読むと、案の定、穴があったら入りたい心境には、なる。。。

そして、昨日読んだところには。。。
(以下、本日の日記)

***

古い日記を見ていたら、
高校で政経の先生に恋してた時のことが書いてあった。。。

確か、小太りのオッサンだった。

あのころから、そういう好みだったのか。。。

せめて、先生の息子と結婚して義理の娘になりたい、と、思っていたようだ。
当然、この、小太りなオッサンへの恋心は周りの同級生女子から理解されず、
非難(?)ゴウゴウだった様子も書いてある。

受験のために添削も受けていたので、
ちょっとした補講とかノートの受け渡しの時にいちいちドキドキときめいて、
そのせいで、先生に「どうしてそんなに恥ずかしがり屋なの?」と言われ、
戸惑ったことも書いてある。
その先生の前でだけ、そうだったんだろう。

そして、なんとなく、その恋心を貫いて卒業した気になっていたのだけど、
なんと、途中で冷めていたことが判明。

それは、球技大会の時だった。
先生は、男女混合バレーに出場して、レシーブで派手に倒れてアキレス腱を断裂。
体育の先生たちの介抱を受けた。
私は遠くから、倒れ込んだ先生の勇姿を見ていたのだけど、
その時先生が倒れた現場の近くにいたという女子からあとで
「○○先生は、体育の先生たちからものすごくバカにされていた」と聞かされ、
さらに、それは、ヘタなのに張り切り過ぎる先生が、
ほかの先生の間では以前から困った存在であったというようなストーリーだった。

あぁ、私の先生。。。そうだったのですか?。。。

そして、先生はしばらく入院した。

「今、先生は遠い存在になってしまいました。
私が先生のことを考えない限り、もう先生はいないのと同じです」
という記述を最後に、日記にも登場しなくなっている。

さようならぁ〜〜 私の淡い恋〜。。。


※途中、同級生が飛び降り自殺をしたことが書いてある日があり、
その中で、「彼には、幸せを感じるちょっとした瞬間もなかったのでしょうか。
もしあれば、そんなことはしなかったでしょうに」などと書き、
その幸せの一例として、自分の先生への思いを記すなどしている。。。


***

ということでございました。。。(2号)

posted by 2号 at 12:29| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 学校・教育・勉強・先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月12日

on 奈良旅行など。

奈良県。

お久しぶりぶりの2号です。
台風も去り(新しいヤツ来るってウワサだけど)、一雨ごとに秋、な今日このごろ、皆様いかがお過ごしでしょうか。

さて、先の台風で、北海道の新十津川が、奈良県の十津川の人たちが作った所だって知って感動していたのだけど、今となっては、その子孫たちはすっかり道産子気質を身につけているのだろうかちら。ぜひぜひ、その方たちとお話してみたいものです。どこかに、奈良の片鱗を垣間見せてくれはしまいか。

というわけで、わたくしの今日このごろは、去年、遷都1300年祭ということで、急きょ奈良に行った時のことをいろいろ思い出していたところでした。

旅の目的は、
1.ナマせんとくんに会う
2.奈良の鹿に襲われて、キャーキャー言う

そして、これまた急きょ2日目に京都の龍馬ゆかりの地巡りをツッ込んだのだけど、行ってみたら「坂」もけっこうあったりしたので、わたくしの趣味であるところの坂の旅シリーズにも追加認定したのでした。

ナマせんとくんには、奈良に降り立ってほとんどすぐに会えて、バッチリ写真もいっしょに撮れて、あっという間に第一目的クリア。

with_sentokun.jpg

鹿に襲われるっていうのは、3日目に大仏殿の公園の所で、鹿せんべいを買うという行為に及ぶか及ばないか、つまり、せんべい屋台に近づいたところで、もはや鹿たちに取り囲まれ始め、受け取ったり料金を払おうとしてるそばからド突かれたりして、さっそくキャ〜キャ〜。
鹿が食べてOKな、せんべいを束ねてる紙の帯をほどくのを待ち切れないように、1頭が帯ごと横からブン取り、3頭くらいが私の手元に押し寄せ、さらにキャ〜キャ〜して、極めつけは、後ろからドカンドカン体当たり、いや、鼻面を打ち付けてくるヤツ。ホントに、前のめりになりそうなくらい力が強い。しまいには、私の肩から下げたバッグをかじって、こっちを向けって感じで引っぱってアピールして来たので、いやん、もう、目的達成し過ぎ〜(*゚▽゚*)!!と、うれしさもひとしお。
あとから見たら!なんと!!バッグのかじられた所に、せんべいの食べカスと唾液が付いてました♡やった!!すごい襲われた!!
大満足で、もう一つの目的達成。

奈良は、本当によいところでした。
思いがけず阿修羅像なぞも見られたし、平城京跡がただの(?)原っぱだってこともわかった。田畑もいっぱいあった。
京都も奈良もだけど、もしかすると、朝起きて、カーテンを開けたら五重塔(などのメジャーな史跡)が見える、なんて所に住んだりすることも可能なのだから、こんな贅沢な場所はない。
奈良では、古い町並みが残ってるエリアなども散策したのだけど、なにげない家々の風情があまりにも情緒的で、慣れるまでドキドキしっ放しでかえって落ち着かないかもしれない。それくらい、心をわしづかみにされる所でした。日本人のDNAか??

お宿は、奈良駅の近く。
かねてより聞いていた、奈良の街は粕漬けのニホイがする…とのウワサを確かめるべく、興福寺の方へ上がって行く坂へ向かう。しかし、その前の大きな交差点では、どぶっぽいニオイがしました。
なんでだろ?
ウワサの粕漬けのカホリは、その、お土産屋さんが連なる坂の途中、粕漬けのお店の界隈限定でした。そこでは、確かに漂ってました。当たり前だが。

あの、すばらしい奈良を台風が襲ったのね。。。

今年は、当初から坂(+全国球場巡り)の旅シリーズの第3弾として予定していた長崎に行く予定です。2年ほども延ばしに延ばしていた間に、龍馬にハマるという事件があったので、延ばしてよかったのかも。じゃないと、龍馬関係なく観光して終わっていたに違いない。
もちろん、球場巡りはヤフードームです。敵地視察。

来年は、龍馬ブームも落ち着いてるであろう高知に行きたいのだが、高知には坂とか球場とかありますか?(2号)

posted by 2号 at 19:12| 北海道 ☔| Comment(4) | TrackBack(0) | 旅行・乗り物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月27日

on また手紙。

FBおそるべし。。。
〜そして、手紙のこと。

雨降るって言ってた?ったくもう、降らないはずなのに降ったらしい。2号です。

大変!
昨日、あんなコト書いて、今日、ふと気になって検索してみたら、FBにいた。。。

もしかしたら、生きていないかもしれないと、勝手に思っていた。
おそらく、手紙での、自分の家系の話の時に、早死にの家系とかなんとか書いてあったか、早死にの予感がする(職業柄?)とか言ってたかして、そんなようなイメージがあったのだろう。
しかも、今回の古い手紙の整理は年代順に見てるので、どこでどうなって文通が途絶えたのか、まだ調べ(?)がついてないのだが、最後は行方不明になったという印象が残っている。あっちがほかに気にかける人でもできたとか、結婚でもして消えただけだったかもしれないけど、放浪してどこか遠くで息絶えた!?みたいな妄想も、私の中にはあったりしたので。

そして、驚いたことに、FBによると、生きてはいるのだけど、放浪も大放浪、その結果、今、海外にいるみたいだ。

もともと、生い立ちが複雑な環境の人だった。
本当は、仲の良かった数人の男女で、いっしょの高校に行ってただろうに、突然、学費の要らない(給料の出る)学校へ入ることになり、遠くに行ってしまった人だった。(だからこそ、「文通」という形で交遊(?)していたのだが)。

しかし、手紙というのも、とっておくもんだ。
何年かで捨てちゃうって人もいるみたいだけど、今回、人生で初めて、膨大な量の古い手紙(8、9歳くらいからの)を見返すということをしてみて、これが、こんなにおもしろいことだったとは、驚きだ。
年代順に見ると、みんな、鉛筆書きの大きな字の短い手紙から始まって、だんだん字がうまくなり、内容も子供子供したものから、おませな感じになって、思春期特有な感じになって、急に大人びて行って…みたいな成長が、手に取るようにわかる。当たり前だけど。
そして、言葉の端々から、私が出したであろう手紙の内容も垣間見える。悩んでいたり、落ち込んでいたり、何枚もの旅行記を書き送ったらしいこととか、もちろん、恋をしていたこととか、勉強のこと、etc.
「長い間、お返事しなくてごめんね」とか「◎◎の長い手紙をしばらく読めなくてさびしかったよ」とか、お互いの返信がだんだん間隔があいていったような形跡が見え、次の年の束の中には、その子の手紙が一通もない、みたいなことになっていたり。子供のころの友だちは、会えずにいると、年代とともに疎遠になってしまうものなのか、と、しみじみとする。
自分も転校続きだったし、相手が転校して行ってしまったケースももちろんあるし、中学進学で別れたり、高校進学だったり、文通のきっかけは、ある種の別れがあってのことだったんだなぁと、当たり前のことも思う。差出人の住所もいろいろで、遠くは九州熊本だ。宛て名の私の住所も、東京、仙台、北海道山越郡、そして、札幌とさまざま。
「また引っ越したのね?」みたいな驚きを、正直に書いて来てる子もいる。1年に2回も住所が変われば、確かに驚くよね。
日本全国津々浦々、とまではいかないまでも、見てると、何か壮大なやり取りをしていたような、楽しい気分にもなる。

会いたい人がたくさんいる。
こんなにもたくさんの言葉を交わした人たち。どうして途絶えてしまったんだろうと、むしろ不思議に思う。私がもっと大切にするべきだったのか?理由はまだわからない。(まだ、全部見てないから)

ひとつ、達筆なハガキがあった。
なんと、その熊本に行ってしまった女の子のおじい様からで、一時期、祖父母宅に住んでいたらしいその子が引っ越して行って、おじい様はまだその住所を知らない、だから、わかってから私の手紙を転送するので、その孫娘からの返事が遅れていくと思うが、了承してください、みたいなことが書いてある。
なんかもう、胸が熱くなってしまった。なんと律儀な。もったいない。。。
確かに、そのようなあたたかいおじい様を持つその子の手紙は、特にたくさんあって、大人っぽくてやさしくて、とても素敵な友だちだったということが、文面からわかる。もちろん、ほかにも素敵な友だち、素敵な手紙がいっぱいあるのだけど、数において、その子のが群を抜いていた。

今思えば、祖父母宅に身を寄せていた、というのが、どういうことだったのか。当時の私は気にもしてなかったのか、子供ゆえにそこまで考え及ばなかったのか、単に忘れているのか…何があったんだろう?自分が祖父母宅に身を寄せていた時は、父が突然死して、ほかに行くところがなくて、という事情があったのだけど、その子にも、何かそういうことがあったのだろうか。
あぁ、会って、話したいねぇ。

っていうか、今、私は、たまたま三浦綾子さんの小説を読んでいる。
読み始める前、ちょっと躊躇した。というのも、最近読んでたのは現代的な軽め(?)のが続いていたので、小説然とした正統派のもの(と私は勝手に思っていた)に、気分的について行けるだろうかと。
ところが、これが、読んでてとっても気持ちがいい。文体とか表現とかが極めて「普通」で、それはむしろ、文や表現にムダがなく、スッキリ内容を淡々と伝えることに徹してる(作者の無意味なキャラが垣間見えない、みたいな?)からかもしれなくて、なんか、すごく新鮮なのだ。
そして、古い年代のことを書いてて、書かれたのもずいぶん前だからなのだけど、会話が古き佳き時代の礼節を漂わせた雰囲気で、女学生なんかが「〜じゃなくってよ」みたいなしゃべり方なのが、ミョーにグッと来てしまう。いいなぁ、こういう時代に行ってみたいな〜と、まさに萌え(←死語?)状態で読んでると言っていい。
そして、古い手紙の中の、私の友だちたちの言葉も、「〜なくってよ」までいかないまでも、それに近い趣きがあることに、感動してしまっておる。トシとともに、こなれたようなくだけた表現も増えるのだけど、要所にはていねい語が使ってある。これが、やはり新鮮で、気持ちがいいのだ。
これだけで、全員、すごくいい子に見える(!)。言葉って、大事だ。

世にメールというものが出て、カタいとかつまらないと思われないための、メール用の軽い言葉遣いが推奨され、「これ、誰?」みたいな、およそ本人のキャラとかけ離れた言葉遣いで、なおかつかえって無個性に見えるメール(の言葉)に反発を感じて(もともと手紙などを書きつけない人たちまでも、手紙(らしきもの)の世界に闖入して来てかき乱してる、みたいな?)、しばらくの間、私は従来の手紙みたいな言葉遣いのメールを書いて抵抗していたのだけど、古い手紙は、そんな私ですらいつの間にか忘れていた、かつて好きだった言葉の趣きみたいなものを、もう一度味わわせてもくれる。
こう言ってはクサイのだが、まさに「青春」の忘れ物が届いた感じ。そうとしか、言いようがない。

今でも、時々手紙をやり取りする友だちはいる。やはり、その手間、その時間、その人のために割くというのは、とても貴重な感じがする。それゆえに、その人との関係も、その分大切なものになっていく気がする。
今やり取りした手紙を見返す日が来るだろうか。それは、正真正銘、老後(の楽しみ)になるのかもしれないな。でも、やっぱり、楽しみ♪
あとから見て、恥ずかしくないものを書こう。それはつまり、恥ずかしくない生き方をしよう、ということでもあるのだが。。。(2号)

posted by 2号 at 18:13| 北海道 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 回想・思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月26日

on 手紙。

過去の栄光(?)。

予想最高気温と、体感温度が一致しない今日このごろ、それなりに生きております2号です。

さて、このようなわたくしでも、何度かラブレターをもらったことがあります。
まあ、子供のころは、みんな、そういう経験があるでしょう。

一番よく覚えているのは、「君のためなら死ねる」って書いてあるものだった。
これは、文字通り強烈で、小学生が買うにしては高価なぬいぐるみとともに、放課後の教室で渡された。
ほかに数人の見物者がいたので、恥ずかしくて死にそうだった私は、どうしていいかわからずに、火照った顔を隠すのに机に突っ伏して、そのまま動けなくなってしまった。

そうして、どう収束させたのか記憶があいまいだけど、返事を待っていたその男子も結論を翌日以降に持ち越したらしく、私が友だちに促されて下校する気になった時には、教室からいなくなっていた。
もう暗くなっていた。

ぬいぐるみは、持って帰った。
大人になっても、しばらく部屋にあったから。

そういう行為も好意も、うれしくなかったかと言えばもちろんそんなことはなかったろうし、その後もお互い意識していたことは確かなんだけど、小学生だったし、特段つきあったりという具体的な展開はなかった気がする。

とまあ、このラブレター事件はクラスも注目していたところで、自分でもショーゲキの瞬間とか鮮明に覚えているし、その時の手紙がのちのち、古い荷物の中から出て来て大いに懐かしんだという経緯もあった。

その他、私の下校途中に家があって、私が通るのを待っていて、王子よろしくウヤウヤしくひざまずいて手の甲にキスしたがった男子(小学生)というのもいた。
中学では、卒業間近の時に、ある女子の写真をもらって来てほしいと私に頼んできて、その人の名前は明日メモに書いて渡すからよろしくなんて言って、翌日「あなたの写真をください」って書いたメモをよこしたヤツがいたり、男女4、5人くらいで、お互いに直接気持ちを言えないのを伝え回し合ったりとか、まどろこしいこともしていた。
別な男子に私の好意を伝えてくれた男子から、ずいぶんあとになって、告白を受けたりなんていう後日談もあった。
その人とは、その後、大人になっても文通していた。
一度、プロポーズめいたことを書かれたけど、ほかに好きな人がいたので、ウヤムヤになってしまった。(当時から、実は一番大事にすべきだったかもしれない人から告白される時に限って、別の人に不毛な片思い中で、大きな魚を逃すという、間の悪い女だったみたいだ)。

卒業後、1年以上経って、「誰これ?」な人から手紙が来て、デートに誘われたこともあった。あぁ、あの小デブちゃんだ!と思い出し、興味を持って出かけてみたら、やせて、あまりにカッコよく変わっていてドキマギし、むしろ引いてしまった。何度か会ったり、手紙をやり取りしたりしたけど、突然現れられてもピンと来ないし、別人になってて違和感もあったしで、ついていけなかった。

今、こんなことを書いているのは、たまたま古い手紙を整理していたら、これら思い出せる記憶のほかに、まったく忘れていたものがあって、その手紙がひょっこり出て来て驚いたからなのだ。
それはなぜか、ある女の子からの普通の手紙の封筒の中にいっしょに入っていた。

勉強のノートを細長くちぎった紙に書いて、同じノートでホチキス留めして作ったポチ袋くらいの大きさの封筒に入っている。
「ぼくは、◎◎さんのことが好きです。あなたはどうですか。もし好きなら手紙をください(100字以上)。●●(←私の仲良しだった女子)にはぜったいわたさないこと。自分でもってくること。へんな顔をしないこと。(←意味不明)
もし約束をやぶるとぼくはだれかさんを好きになります。明日の放課後まで。一人でくること。もし守れたらかわいいかわいいしてあげる。
△△より」
裏には、相合い傘に自分と私の名前。その下に、「とってもあいしてる」と書いてある。

なんと、それは、私もひそかに好きだった男の子だった。
これが入っていた封筒の中の、女の子(転校して行った子)からの手紙には、書き出しの私の名前の上に、その男の子の名字がついてる。(お互い、好きな人の名字をつけて手紙のやり取りするような、他愛ない年ごろだった…)。
それで、なんとなく記憶がよみがえってきたのだけど、私はこの子が好きだったので、ほかの子が注目する中、「死ねる」の子に対してどうしていいかわからないというのと、そういうことされて注目されるのがあまりに恥ずかしい年ごろだったせいで、ずいぶん長く机に突っ伏していたのだった(のであろう)と。
で、この二つのラブレターは、おそらく、同じころ、競うようにしてもらったんだったと、おぼろに思い出した。
そして、やはり小学生ゆえ、相思相愛を確認して満足して終わったのか、こっちの子ともつきあったりなんてことはなかった。(あぁ、昭和の純情。。。)

ここで、今の私が驚くのは、(長じるにつれ、こういうモテ期がなだらかに下降したことを悔やむ、というのはさておき)、好きな人以外からのものであっても「君のためなら死ねる」という文句は、子供ながらに(子供ゆえに?)あんなにもショーゲキ的に心を打ったということなのか、好きな人からも告白の手紙をもらってうれしかったはずなのに、それは忘れていて、あっちのショーゲキと恥ずかしさの方が強烈に刻まれて、いつまでも覚えていたということだ。
女の子との文通では、長期にわたり毎回△△の名字が私の名前につけてあるので、「死ねる」発言で心変わりしたということもなかったようなのに。

そして、もう一つ驚くのは。
この△△の手紙。
ナニ?この上から目線。命令口調。わずか11、12歳くらいで!
当時はそんなふうに思わなかっただろうけど…私って、男を見る目が、このころからなかったのか。確かに、見た目は不良ぽくてカッコいい感じではあったが。
おそらく、「死ねる」クンの方が、思春期のこの思い詰めた重たさを克服したあかつきには、△△よりずっといい男になっていたに違いない。と思える。まあ、見た目はアレだったけど、私も高校くらいからは決して面食いではなくなっていたゆえ。

っていうか、あのころにもどりたい。。。あの栄光の日々を、もう一度!今度こそ、わたくしは、対応を間違えません!!(2号)

※しかし、不思議なのは、当時の写真を見ても、自分がどうしてそれなりにモテたのかが、あまりピンと来ないことなのである。。。クラス写真を見ても、こっちの子の方がかわいいのにって子がいるのだが。。。

posted by 2号 at 19:11| 北海道 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 恋愛・結婚・男と女・人生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月21日

on 名前。

名前負け。

ここ数日、寒い、2号です。
近年のこのエリアの傾向として、5、6月の早い時期に、その時期にしては暑いという気候になり、肝心の夏本番が近づいてくるとトーンダウンするって気がする。

そんなことはさておき。
わたくしの人生を振り返ってみるに、間違いなく「名前負けしてる」と言わざるを得ない。
このことは、(今も若いがもっと)若かったころから、言われてることでもある。

で、今回の女子ワールドカップでなでしこジャパンをキャプテンとして率い、MVPと得点王にも輝いた沢穂希選手ですよ。
「ほまれ」という音(おん)は「誉れ」を連想させるというか、この音ありきで漢字を当てたのではないかと思われるのだけど、普通の親は、「名前負け」を恐れて、こういう名前をつけるのを躊躇するものだと思う。(沢選手のご両親の意図など、真相はわかりません。あくまで、私の想像)

しかし、沢穂希選手は、名前負けどころか、「名は体を表す」をやってのけたわけで。。。

まったく、すばらしいことです(←すご過ぎて、これしか言えない)

ちなみに、蛇足。
名前のことを考える時、いつも思い出してしまうことがある。

小学校4年の時、(自分の)名前の漢字が、名前としてはどういう意味を持つか(=込められてる願い等)を調べてくるように、という宿題が出たことがあった。

先生は、口を酸っぱくして、言った。両親がどう考えたかではなく、あくまでも、「漢字そのものが持つ意味」を(自分で)調べるように、と。

あぁ、それなのに、それなのに。
翌日の発表時、
「なんとなく好きな名前だったからつけた」って言ってました。とか、
「おじいちゃんが決めたから」「お寺の人が…」
などと、イケしゃあしゃあと答えていた「充」くんをはじめとする、何人かの児童。
まったく、同年齢のクラスメートながら、呆れたもんだった。先生は、そのたびに「はぁ」とため息をついて、やり直しを命じていた。

それにしても、両親も両親。
宿題の意味を考えたら、訊かれてそう答えて終わり、っていうのも、親としていかがなものか。っていうのが、このトシにして、新たに加わってきた感想。

そして、この思い出を愛でた(?)あと、必ず、連想されるのが、「しもべ」ちゃんという名前の女の子のこと。ちょうど、4年生の時の友だちの一人だったせいもあって。
そして、その子は、今のところ、私の人生で唯一出会った「男言葉でしゃべる女の子」だったのです。
髪はもちろんショートカットで、スカートをはかず、しぐさとかも男っぽくてかっこよかった。
でも、私にとっては不思議(な存在)だった。まず、名前からしてが。
しもべ=僕。
だから、男の子みたいになっちゃってるのか??と。

名前、おそるべし。(2号)

posted by 2号 at 16:10| 北海道 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 学校・教育・勉強・先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月14日

on ムーミン。

ムーミンのお話。森のおばけきのこ!?

今日は、久々のマジ雨だった…2号です。ヒンヤリしてるような蒸してるような、よくわからない気候です。

さて、こんなわたくしでも、たまに、自分でもえらく感心することをしでかしてることがある。(特に、昔)

その一つが、「ムーミン紙芝居」なのである。

私は、子供のころからムーミンが大好きで、それは今も変わらない。
アニメから入っているので、のちに小説を買ってもらった時、まだメチャメチャ子供だった私は、そのあまりの大人っぽさ(?)に面食らったものだった。
なかなか読み進められないのを見て、親があとからコミック版などを買ってくれた。それも、TVアニメに比べると、若干大人ちっくだったのだけど、なにせ、あの絵が大好きだったので、全面が絵であるコミック版には満足した。

ちなみに、この、子供の頭で想像してたより意外に大人っぽい世界だった…という衝撃は、あのスヌーピーのコミックを初めて見た時と似ている。

というわけで、元来アニメ好き(正しくアニメを見て育った)の私は、そのほかにもいろいろなアニメを今も愛し続けているのだが、子供の時分に知ったもの以外は受け付けない。今のものは、世界観とか作風が、全然違う気がするのだ。
唯一大歓迎できたのは、ジブリくらいだ。
あ、あと、ちびまる子ちゃんとかあたしンちとか、何歩か譲ってクレヨンしんちゃんくらいまで。でも、あの、国民的アニメとなったまるちゃんでさえ、ちょっと違うものを感じないでもない。

そんなことはいいとして、ムーミン紙芝居である。
この、お手製の紙芝居(たぶん、20〜30枚以上の構成)は、まだ手元にある。がらくた処分をしてる時、これが出て来て、私は驚いた。記憶にはあったけど、まだ残っていて、しかも、こんな大作(?)だったとは。。。

忘れもしない、おそらく私が中学生くらいで、妹が小学校に入ったか入る前くらい。
せいぜい、低学年時だったはず。(私たちは8〜9歳離れている)

ある日、妹のところに、いつもの同級生の子が遊びに来ていた。
そこで何を思ったか、私は突然、頼まれもしないのに、紙芝居を作って読んであげたくなった。お手製の紙芝居で、びっくりさせようと思った気がする。
そして、自分ですごいと思うのは、その子が帰ってしまわないうちに!と、大急ぎでその場で完成させたことである。

もちろん、鉛筆描きで色も塗ってないし、絵がすごくうまいわけじゃない。
でも、とっても雰囲気が出ていて、今見てもストーリーを伝えるには十分過ぎるできばえだ。おそらく、2時間とかからずに出来上がったと思う。

かくして、頼まれてもいないのに、二人に見せながら声色を使い分けて読んで聞かせ、大した好評を博したのである。

なぜ、今、こんなことを書いているのかと言うと、そのストーリーまでをも、私はオリジナルでチャチャッと作ってしまったのか、ストーリーは、本家のお話、あるいは日本版TVアニメにあるものを拝借しているのか、それが覚えていなくて、知りたいと思っているということを記しておきたいから。ともすると、ストーリーまで自分で考えたと思い込みそうになるので。

よく、懸賞などで当選した作品が盗作だったとかあって、あとで、応募者が、そのモチーフなりが創作ノートに書いてあって、実はどこかで目にしてメモったものだったのに、それを忘れていて、自分が考えたとカン違いして使ってしまったという弁明が聞かれたりするけど、それって、すごく、わかる!って思うのだ。うっかりすると、ありがちだ。

ネットという便利なものがあるので調べてもみたのだけど、私の紙芝居と同じストーリーは見つからない(オリジナルのすべてのストーリーが網羅してある資料が見つかったわけじゃないけど)。唯一、アニメ版の全回のタイトルリストみたいなのはあって、それにあやしいのはあるのだけど、定かじゃない。

もし、誰かがいつか偶然ここを見て教えてくれるかもしれないし、ということで、一応、その紙芝居のお話を書いておきたいと思います。
お心当たりのある方は、ご一報願えれば幸いです。


「森のお化けきのこ」
ムーミンとノンノン(注:スノークのお嬢さん、あるいはのちのアニメでフローレンと呼ばれたムーミンの女友だち(?)が、最初のアニメではノンノンとなっていた)が遊んでいると、廃屋のはずのきこり小屋の方から不気味な音が。
二人が行ってみると、ミィが秘密の大工仕事をしている。誰にも言わないこと、そして、仲間になることを条件に、何をしているか教えてもらう。
なんと、ミィは、幽霊馬車と、張り子の大きなお化けきのこと、粘土のドロヘビを作って、森でみんなを脅かして遊ぼうと企んでいた。

気がノらないながらも、教えてもらってしまった手前、二人はそれを手伝って、森の近くでムーミン谷の人々にいたずらする。
おびえた住人たちはヘルム署長のところに駆け込み、大騒ぎ。恐ろしい化け物の正体も怪現象の原因もわからず、とりあえず、署長は森を立ち入り禁止にする。森は、誰も近づかない恐ろしい場所になってしまった。

そんなある日、3人はヘムレンさんのパーティに招かれ、おめかししていっしょに出かける。
ところが、急に天候が崩れて、ノンノンはリボンを濡らしたくない、ミィはミムラ姉さんからコッソリ借りて来た帽子を汚すわけにいかないという事情もあり、森の中の近道を通って行こうということになる。
しかし、森に入ると、天気はますます荒れ、困った3人は近くに小屋を見つけて逃げ込む。

そこには、おばあさんがすわっていた。
どうして、こんな暗いところに一人で座っているのかと問うと、あの音が聞こえるかい?とおばあさん。確かに、台所の方で、バリバリと大きな音がする。
「お化けきのこが食料を食いあさり、しまいに、この家も食べ始めた。もうすぐ、台所を食べ尽くしてこっちへやって来て、私も食べられてしまう。その運命の時を待つしかなくて、こうしている」とのこと。
すると、ついに、バリンとドアを破って、お化けきのこが現れて、みんなに襲いかかる。
それは、どう見ても、3人が作ったあの張り子のきのこそっくり。

ごめんなさい!と叫ぶ3人。
すると、きのこは輪郭がボンヤリとなり、森の動物たちが飛び出してくる。
そして、おばあさんは、若く美しい女性の姿に。
みんなの憩いの森を、恐ろしく、さびしい場所にしてしまった3人に反省を促すべく、動物たちがきのこに化け、女性もおばあさんに化けて、ひと芝居打ったというわけだった。
3人の反省の気持ちを確かめて、女性が、もうしないようにと念を押すと、動物たちも女性も小屋も消え、天気のよい美しい森の風景が現れる。

3人は、署長のところに謝りに行き、ムーミンは帰ってから両親に森での出来事を話す。それは、きっと森の精だよ、ということになる。
外では、ノンノンが誘いに来た声がして、ムーミンは元気に外へ飛び出し、二人は仲よく遊びに出かけて行く。

おしまい。


ということになっております。

中学生で即席で絵を描きながらストーリーもここまで考えたかどうか、かなりビミョーなので、誰かの記憶にあるのであれば、これはおそらくTVアニメ版にあった話なのだろうと思うところなのだが。。。(2号)

posted by 2号 at 18:56| 北海道 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 回想・思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月12日

on 原発13。

牛肉よ、おまえもか。。。

アンニュイな気分、2号です。
なんだか、毎日「曇り&雨」の予報なのに、意外に天気よかったりして、夜にでもコッソリ雨降ってるの??って感じなんだけど、まるで、梅雨の晴れ間か空梅雨かって感じの湿気り気味な暑さ。こんなの北海道らしくない気がする。

それにしても。。。
やってしまったんですね。牛の肉。
前にも書いたけど、これは本当に、生産者と消費者の信頼の問題に直結してるので、やってはいけないとわかっていた牧草をやっていたということであれば、アウトですよね。ますます、”風評被害に苦しむ生産者の悲痛な叫び”に耳を傾けづらくなってしまう。そうしてしまったのが生産者自身だという、なんとも無念な結果です。みんなで、食の安全を守るっていう同じ側に立って行動しなければならなかったのに。
もちろん、全部検査してなかったの?大丈夫だから流通してたんじゃないの?とかいう、検査体制に対する不満もあるんだろうけど、私は、それ以前の問題の方が大きい気がする。
正しい対処をした結果がきちんと成果として現れてるかを確認するっていう意味でも検査が必要だってのは当然だけど、今回は、そもそもが正しい対処をしてない生産のされ方をしてたってことだよね?こうなると、今後、検査して大丈夫でしたとか言われても、本当だろうか??みたいな気持ちになってしまう。だって、網の目かいくぐってでも、なのか、単に無知・無自覚や軽卒なのかわからないけど、とにかく生産して稼ぎたいと思ってる人がいるってわかっちゃったし、次は、検査だってどこまで信用していいの?って感じになってくる。原発そのものの問題と同じで、もう誰の言うこともやることも信用できなくなって来てるから。
とにかく、しつこいようだけど、これは、本当に「信用」の問題でもあり、その信頼関係、生産者を信じたい気持ちは、私の中では根底から崩れてしまいました。

ていうか、南相馬とか、今回の事故ですごくよく聞いた名前だけど、その程度の検査で、そういうところからこういう生産物が今現在出荷されたりしてるんだ?っていうのも、実はちょっとびっくりしないでもなかったのだが。。。

もともと、私は、近所のスーパーで特売の日にたくさん出てるのがオーストラリア産ってこともあって、BSEの時からずっとそればっかり買ってるんだけど、このニュースを見てから、外食とかで牛肉食べてなかったっけ?と、ぐるぐる悶々と記憶をたどっておる。なんか、食べたような気もする。。。orz
明らかに安全と「思われる」牛肉に殺到して、品薄になって、スーパーで産地偽装みたいな売られ方をしないかとかも、心配になってくる。ここ何年かの販売や製造、生産の側の悪事のせいで、ますます消費者は疑心暗鬼になるよね。

山奥に隠遁して、完全自給自足生活するか、生きるということは、好むと好まざるとにかかわらず、すべてリスクの中でどう生き延びるかってことなんだと割り切るか、しかないのか。
でも、好まざるの方に、こういう形でのリスク(人災?)が混じってくるのは、やはりナットクできないなぁ。(2号)

posted by 2号 at 12:32| 北海道 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース・時事・芸能界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月11日

on 地理。

世紀の大発見。。。

どうしてこんなに暑いのだろう??2号です。
異常気象限定期間中だけなのか、それとも、これから永遠に気候分布が変わっていく序章なのか??

さておき。
先日の個人的脳内イメージ地図について、このところ検証しているのだが、これって、コロンブスが新大陸を発見するかのごとく、日々、私は日本を再発見してるってことだわ!と気づいて、ちょっとワクワクして来た。この楽しみは、誰にもわかるまい。。。

そして、数日前、またまた大発見が。。。

なんと、坊ちゃんの舞台は、四国なんだって!!
どうして広島とかの上の日本海側の方だって思い込んでいたのか、まったくナゾ。
友だち曰く、松江と松島松山を間違えたんじゃないの?とのことだけど、読んだ当時、松江だろうが松島松山だろうが、どっちも知る由もなく。。。

この新発見には、開いた口がふさがらなかったです。
坂本龍馬が、九州じゃなくて、四国(高知)の出身だって知った時の驚きに匹敵する!!

というわけで、現在、このようになっております。

脳内地図3.jpg

めでたし、めでたし。

今後も、どんな新事実が判明するのか、とっても楽しみ♪
日本再発見の旅は続く。。。(2号)

posted by 2号 at 13:29| 北海道 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 地域・地図・地理・習慣・名物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月05日

on 原発12など。

松本大臣発言の流れついでに。。。

今週は天気が悪いって覚悟してたけど、今日とか晴れ&暑いのはなぜ?な2号です。

この人の発言が物議をかもしてます。
たぶん、態度や言動に、人柄が出ちゃったんだろう。ただ、言い方一つ、だった気がする部分もある。言ってる内容のいくつかは、あながち間違ってないとも思われ。
とかいうと、こっちまで批判されるのかな。
でもやっぱ、政治家は、人柄が出ちゃった。では、済まないし、間違ってなくても言わない方がいいこととかあるし。空気読めない人はダメだよね。。。

さておき。
今回の震災、被災地でも自分たちで何とかしようという積極的な動きが見られたのはよいと思った。
受け身のままの被害者でずっといるわけにはいかないだろうから、動ける人ができることをやるのがいいと思う。
あまり何でもかんでも、国、国、国って詰め寄るのもアレだし。もちろん、国にしかできないことや、国がやるべきだろうってことはあるけど。

そんな中。
一般人、地方行政、国。
この関係で、素人なりに今回感じたのは、いくつかの違和感。無知な素人なのでよくモノゴトや大人の事情がわかってないからなのかもしれないけど。

けっこう早い段階で、沿岸部に人が住めないように規制するみたいな話が出てたよね?当然だって、私は思った。でも、地元で反対してる人がいる、と。海のそばに住みたいからって。
たぶん、漁師さんとか水産加工関係とか、いろいろ事情があるんだろう。それは、わかる。でも、もし今までどおりに沿岸に住んで、いつかまた同じような災害があった時、人々は、その時も国とかに補償してくれって言うの?それとも、オレたちは沿岸に住みたいから、同じようなことが起こっても大丈夫なように、防災対策をものすごいお金をかけてやってくれってことなんだろうか。(どこにそんなお金が?)
知恵だけで何とかなることならいいんだけど、じゃあ、何百年もそういう知恵や教訓はちゃんと受け継がれていくんだろうか?過去の同地域の災害後、先人は教訓を残したらしいけれど。。。
一つは、そういう違和感。
莫大なお金をかけなくても災害に強い町がつくれるっていう、ハードな面での知恵があると一番いいのか。

全国各地で、避難したい人の受け入れ体制を整えてる。そして、避難する人としない人がいる。よい情報も悪い情報もとにかく数だけはたくさん出てるので、このあとは、それらをもとに各人がどうするか判断するしかないのかもしれない。
私だったら、可能な限り避難する方向で画策するだろうと思うからかもしれないけど、残るという選択をした人の話を聞くと、まあ、各人の考え方だからいいのだけど、そうなのかなぁと思う面もある。
避難先で仕事があるか、子供が差別やいじめを受けないか、母子だけの避難だと家族バラバラになって問題、生まれ育った所を離れるつらさ、etc.
どれも、もっともだ。と思うと同時に、ふだんの暮らしでもそういうのはあるところ、ある人には普通にあるよね、とも思う。そして、みんな、そういうのに頑張って立ち向かってたりもする。ふだんの生活で。
私は特に、小学校時代に転々としてるので、上記のつらさが少しはわかるつもり。コロコロ住むところが変わって不安定になる気持ち、さびしさもわかるし、家族が離れて暮らすってのとは違うにしても、片親の生活という意味ではそうだったし、いじめも見たし、子供同士の大変な人間関係にも悩んで来た(みんな、多かれ少なかれそうだろう)。でも、耐えられる可能性も高いよ?って思う。それに、仕事のあるなしは、今どき平時でも普通に問題として抱えてる人が多い。
災害や事故さえなければ今まで幸せだった人が、今それによってすでに大変な思いをしていて、避難することでさらに精神的ダメージが大きくなるんだから、他地域の普通の人の抱えてる同様な問題と比べてもダメだよと言われたら、それまでなんだけど。。。
あとは、そういう問題と、将来の健康への不安のどっちをとるかなんだろう。すごい究極の選択ではある。ただ、私は、子供時代に転々としたせいなのか何なのか、土地や地域への愛着が希薄な人間なので、ここで生まれ育ったから…という理由で残りはしないだろう。むしろ、いろんなところに住んでみたいし(子供のころは一つところに住みたかったのに、こんなふうに思うようになるなんて不思議なものだ)。
以上のようなことが、2つめの違和感。というか、いろんな考え方感じ方があるんだなぁという驚きと言った方がいいかもしれない。(健康オタクの私からすると)。
もうこれは、大丈夫と信じられる人は残る。少しでも不安があるのはイヤという人は離れる。という個々人の判断(上や専門家の言ってることを、どう解釈するか)になるんだろうな。
で、一番つらいのは、不安なまま残る(または残らざるを得ない状況にある)ことだろう。こういう人たちをどうするのかは、本当に難しい。将来への不安を100%取り除ければいいけど、キリがなくてムリそうだし、援助付きで避難してもらうにしても、避難によって本人たちに別の不安が生じると言うのなら…。どうしたらいいんだろう?

最後は、原発に関する、地方の長(?)みたいな人たちのスタンスに対する違和感。
どこの誰か覚えてないけど、原発事故を受けて、ものすごい被害者的な立場から発言してる人たちがいたように思う。この人、反対派として当選した人なのかな?って思った。その時、調べてみてもよかったんだけど、もし、こういうこと言ってる首長なりが、推進派として当選してたとしたら、被害者的なこと言うのはおかしいよね?少なくとも、自分の地域の人たちに自分が謝る立場なんじゃないのかな?って思った。そういう違和感。
それとも、地域の人には謝りつつ、地域民に安全をうたっていたオレの立場はどうしてくれるっていう、東電への怒りだったのかな?そのへん、ハッキリしてほしい。

以上。久しぶりの原発&震災雑感でした。(2号)

posted by 2号 at 17:17| 北海道 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース・時事・芸能界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月02日

on 追記。

昨日の地図に追加修正。

今日も気持ちいい天気&気候、2号です。
もっと続いてほしい〜

さて、昨日、脳内イメージ地図をここに記録して、夜、ふと思い出したのだが、岩手は宮城の上だと判明していたことを忘れてました。津波の被害を受けたので、岩手が太平洋側です。間違いない。

以上、追記でした。(2号)

posted by 2号 at 17:16| 北海道 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 地域・地図・地理・習慣・名物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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